

今回はここだ
信濃川発電所材料運搬線(宮中~吉田間)の最大の鉄道構造物だと思われる、鉢沢川橋梁である
先日、既にこの部分は紹介しているのだが、冬期に入り改めて付近の探索に妻有を訪れた
というのも、以前に紹介した鉢沢川橋梁に関する記事について、恥ずかしながら大きく修正すべきことがあると判断したからだ

これだけのトラス橋が河岸段丘の合間の深い谷を越えて架けられていた
たかだか工事専用線である。本当に、たかだか工事材料運搬用の軽便鉄道だ
この設備自体は、旅客運送をするなどして運賃を得るなどの僅かな利益すら一切生み出さない軌道だ
この軌道の至上命題は「信濃川発電所工事の材料運搬」である
そんな軌道に、どれだけの鉄橋が架設されていたのか、そしてその様子が改めて推測される遺構が現存していた
それを紹介していきたいと思う
話は前回の場所から始まる

軌道跡の盛土は現道に吸収されるように消えて行った
消えた軌道跡は追い切れないが、斜面を歩いて行くと現道に飲み込まれた高さから幾分か高度を上げた場所が平場となって表れた
どうにかそれっぽい平場に着いて、これまで歩いてきた宮中方を見る

右上が現道の駐車帯である
現道まで高さは3m~5m程度ある
更に少しだけ信濃川寄りに軌道は通されていたと言うことが言えそうだ
振り向いて千手方である

鉢沢川が形成する深い谷が行く手を阻むように横たわる
ここも谷底は治水工事で多少は地形が変化していそうだ
軌道が途切れた位置から下へ降りて行く
盛土が無くなっている地点から橋梁だとすると、
遺構が残っているとすればこの下あたりにありそうだ
材料運搬線の盛土と思しき斜面を降りて行く

一つ前の写真はこの盛土の上から千手方を撮ったものである

近づく


コンクリートの塊だ!
軌道跡と思しき盛土の末端に橋台らしきコンクリートが残っている!
川に向かってL字型のようで、ここにトラス橋部分までの接続するガーター橋が載っていたのか?
苔生した姿に年月を感じる
付近の捜索を続ける
橋脚の残骸のようなものが残ってやしないかと思って、谷底に向かう

さっきの橋台と思しきコンクリートを正面に(宮中方を見ている)
この写真を撮った時、あれ?っと思った
冬枯れの枝の中に盛り上がったものを見たからだ

またしてもコンクリートの塊があったぞ!
そして、こんどはデカい!

盛土とさっきの橋台と、更にこのコンクリ塊の位置関係はこんな感じで、真下に横たわっている
枕木方向の幅は約3m、線路方向の幅は0.6m、地上からの高さ0.3m程度か
測ってないから分からないが、枕木方向(線路と直角方向)に幅がある構造物だ



少し苔を剥がせてもらったが、しっかりとしたコンクリートが残っていた
更に、このコンクリートの上にはボルトが残っている




落ち葉が邪魔で分かりにくい
真上から見ると [ : :: :: : ] このような状態で計12本のボルトが出ている(記憶違いかもしれないので要確認)
おそらく、このコンクリートこそがトラス橋を支えていたもので、かつこのボルトでコンクリートとトラス部が締結されていたと考えられる
その後も付近を捜索するも、鉢沢川の宮中方にはこれ以上の遺構は見つけられなかった
改めて現道の橋の上から観察する




橋梁全体としてはこのような全容であったと思われる
そして、前回紹介した千手方の橋台へ向かう



今回、宮中方の遺構を見て分かったのだが、この橋台はトラスと接続するガーター橋の橋台だろう
こっちはL字型じゃないのは、このままこの上にガーター橋が載っていたのかと思う
と言うことは、トラス橋が載っていたコンクリートが他にあったはずである

しかし、それと思しき場所にそれらしきものは見当たらなかった


更に谷底を調べるも、それらしきものは見付けることが出来なかった
なお、落書き部分は材料運搬線時代には切り取られていた部分である
それでも、これで材料運搬線の鉢沢川橋梁の全容が掴めてきた気がする
発端は一枚の写真資料である

この一枚から、まずはここにトラス橋が架かっていたことが分かった
なにしろ、文書的な記録が見つかっていないし、国鉄の信濃川発電所工事史もこの時代の話は匙を投げているくらいだ
そこから推測して、現地を見て、それっぽい遺構を見付けて、何となくだがこの橋梁の全容が見えてきた気がする
軌道は橋梁で鉢沢川を越え、千手方の河岸段丘を大きく削った切取を経て河岸段丘上へ至る


土捨て場として当時の痕跡はほぼ残っていないが、空中写真からおおよそこれくらいの切取(もっと深そう)で河岸段丘上へアプローチしていただろう
以上、鉢沢川を巡る信濃川発電所工事材料運搬のお話でした。