◯◯◯ですから。

いいやま線とか、、、飯山鐡道、東京電燈西大滝ダム信濃川発電所、鉄道省信濃川発電所工事材料運搬線

西大滝ダムと飯山線

2018-11-20 05:11:11 | 飯山線

現在の東電西大滝ダムとJR飯山線。



私は飯山線とその開通の歴史を調べることが趣味だ。今も当たり前にある鉄道路線の歴史を知ると、どこか愛おしくなるというか、私はそのルーツを知ったことで途端に親近感が生まれた。私にとっては久々にそういう感覚を思い出させてくれた路線と施設。一方で、自分も郷土史研究なり廃線跡巡りの真似事をしていて、それをブログという形で何かしら書いていると、有名な研究家なり在野の研究家なり先人たちによる研究は凄いと痛感している。口で言うのは簡単だけど、いざそれをやろうとするとこれほど大変なのかと。一つ一つ資料を当たり、それらから得られる情報を組み合わせてはこのブログで記事を書いている。

時に大変だと思う場面があっても、自分が興味を持った歴史を興味の趣くままに調べて、少しずつ分かったことが出てくるのが楽しい。
それを纏めて色々と考えるのも、色々と推測したりしながら没頭できるし、分からなかったことがある日突然繋がることがある。私は理系で工学部に在籍していたから全く畑違いであるものの、自分が未知の事柄を調べる点において研究のプロセスに通じる。大学で研究していた時の楽しさを少しばかり思い出している。

そして、なにより現在の飯山線への見方も大きく変わり、歴史を知ることで沿線に出る時の楽しみが増えた。
どうにか、歴史としての飯山鉄道と、現在の飯山線を繋げられたならば幸いだ。10月いっぱいをもって私は長野を離れたけれども、最後に楽しいひと時をありがとう、飯山線。そして、これからも楽しませてもらうつもりだ。




千曲川の流れ

2018-11-19 05:40:59 | 飯山線

千曲川の流れは変わらない




まさにこの場所で、飯山鐡道が戸狩から桑名川までの延伸工事をしている時の写真を引用します



背景の山の形は変わりません。川の流れも変わりません

なので、脚注には具体的な場所が書かれていなくても、現在のほぼ同じ位置が分かるのですが

この写真を見た瞬間に、とっさに今の景色と一致して、「あそこだ!」と興奮したのを今でも覚えています

引用した写真は、建設中の飯山鐡道の路盤の上から撮られたものでしょう

当時において写真を残すということがどれくらい貴重なものだったかは私は想像できないのですが、作業者もカメラの方を向いているので現場でも写真を撮ることは意識しているのは分かります

しかし、当時の写真によくあるような起立の状態で鯱張った感じが無いというか、割とラフな感じで突っ立ってるのが、作業の日常の雰囲気を感じられて



そして、千曲川の上には舟が浮かんでいます

当時、まだまだこの地域の輸送手段は舟運がメインでした

こういう山と川の谷あいでは、まだまだ道路が発達していなかったので、船が重要な輸送手段でした

水力発電所建設には適した川だとしても、その建設に当たって資材輸送を全て船で賄うのは非常に非効率そうだというのは素人目にも簡単に想像できます

後に飯山鉄道が開通して大量高速な貨客輸送手段として鉄道が活躍する時代がすぐそこまで来ている感じの時代に思いを馳せました




森宮野原

2018-11-18 01:24:51 | 飯山線

森宮野原

森宮野原の駅名も、当時から対岸の新潟県側に配慮して、長野県側の森と新潟県側の宮野原を合わせた駅名ですね

上越妙高とかそういうイメージです

飯山鉄道で当地に開業した当時からこの駅名

はじめて聞いた時はその駅名の長さからきっと後年に周辺に配慮して付けられた駅名なんだろうなくらいの予想をしていましたが、飯山鉄道を調べてる過程で開業当時から両集落に配慮した駅名としたという記述を見て合点した次第で

対岸の集落も、当然鉄道誘致運動していたみたいですが、実らず

いや、ググればそれくらいの由来は出てきそうですが、自分で調べてた過程で偶々そういうのを知るのが楽しいんです


貨物用のホーム



広い構内




引用



現在の森宮野原駅を同じアングルでは撮っていないのですが、当時から森宮野原は広く、駅舎も立派、貨物ホームのところは現在は広い空き地ですが当時は大きい建屋があったようですね


替佐

2018-11-17 01:21:28 | 飯山線

替佐駅







昔の写真を引用

写真は大正時代に撮影されたもので、飯山鉄道が豊野から飯山まで通じた開業当初の頃ですね





道路の形とか、道路と線路の間の用水路とか、上本から豊野方の分岐までの変に曲がった線路とか、当時と現在を見比べた時に面影を感じて私は一人でニヤニヤしてしまいました

信濃川を渡る橋

2018-11-16 01:14:18 | 飯山線

飯山線の信濃川橋りょうを見下ろす

下の方に、工事用側線の跡が見える

「ここを通るたびに、もう線路にしか見えない」とはとある方の談

歴史を知ると、今の飯山線の見方も変わるのが実感できるのが面白い













引用





余談ではありますが、発電所が完成して、工事用の構外側線も廃止した後も、飯山線が発電所の資材を運ぶことがありました

発電機だか水車だか変圧器だかは定かではありませんが、特大貨物を深夜帯に運んできて



発電所に続く道路と線路が接近するこの位置に列車を止めて、ここで荷物の取り卸しをやったことがあるそうで

この写真を撮ってる立ち位置自体も、発電所工事の際に社宅が軒を連ねていた東電の用地のようです。(特に立入禁止の場所ではなさそう)