◯◯◯ですから。

いいやま線とか、、、飯山鐡道、東京電燈西大滝ダム信濃川発電所、鉄道省信濃川発電所工事材料運搬線

【追々記】宮中取水堰堤工事(越後田澤驛~小原詰所)

2021-10-03 10:03:00 | 鉄道省信濃川発電所材料運搬線

鐵道省信濃川水力発電工事 釘宮磐 鐵道省信濃川電氣事務所所長 第2図 信濃川発電水路平面及縦断面図 工事画報 昭和10年7月発行 p10 より抜粋

上記は鐵道省の示す、当時の設備のポンチ絵だ。これを描いた元の地形図らしきものがある。


Interactive index to the map set for Japan 1:50,000 (Chikeizu). Green index grids indicate maps from this set that are in the Stanford collection and available to view and download, red grids indicate maps from this set that are not in the Stanford collection. http://purl.stanford.edu/sg202mf2661 スタンフォード大学のサイトで公開されている昭和6年の地形図である。信濃川の工事が始まる直前である。

私はスタンフォード大の公開している地形図に信濃川の痕跡を見つけられずがっかりしたが、よくよく鉄道省の資料と見比べてみた時に、アレ?と思ったのだ。



鐵道省の資料は地形図にポンチ絵を描いたものではないか?地名等の文字の位置も一致する。



ほぼ一致している。ここから、同地形図に描いたものと判断している。更に、信濃川のポンチ絵は昭和13年のものも公開されている。

 
鉄道省信濃川電気事務所に於ける圧力隧道内張鋼板工事に就て 佐藤豪,岡部幸四郎 図-1.水路平面図 土木学会誌 第二十四巻 第十一号 昭和13年11月発行 p1181 より抜粋

 
左が昭和10年、右が昭和13年。微妙に専用線の位置が違う。
なお、「架空索道」は昭和10年のポンチ絵にも描かれているが、私のポンチ絵では割愛している。昭和13年との比較でようやく読めるレベルの文字の潰れ具合だ。ただ、小原~宮中間の索道は昭和10年当時既にあったものである。

 
以上の地形図から、更に USA-R1338-75 や yahoo地図 上にポンチ絵を落書きしたものが上記二枚の図となる。紫色の線が昭和10年、橙色の線が昭和13年の図から想定される材料運搬線の位置だ。私は地図のプロでは無いから落書きと思って欲しい。昭和10年と昭和13年の図では「干溝」の文字が描かれている位置が異なっているものの、「沼」の描かれた位置は同じであるという前提で描いたポンチ絵だ。それにしても、信濃川電氣事務所が示している図にも関わらず、材料運搬線の位置がこうも異なっているのは意外だった。改めて比較してみて気が付いたに過ぎないが、明らかに違うことが分かる。

ここから考えられる水路平面図が示す材料運搬線の位置について、以下の2点が浮かぶ。
・概略図であるから、図の作成者や時期により図上の諸設備の描かれ方に多少のズレが生じる
・材料運搬線の線路の付け替え
上記2点が考えられる。

私は後者については否定的だ。線路を付け替える理由がなく、十日町新聞等にもそのような記述もなく、昭和10年~昭和13年の間に同材料運搬線に関する請負工事等の情報も無い。
まぁ、おそらく前者だろうと思われる。諸設備の位置を詳細に示すためのものではなく、おおよそここにこういう設備がありますよ程度のものだろう。概要が分かれば良いのだ。ましてや、材料運搬線は発電設備ではないから・・・。




ちなみに、私が USA-R1338-75 から材料運搬線の位置を推測してきた線を緑色で落書きすると上記のようになる。これまで本ブログで示してきたものである。比較すると昭和13年のものに近いか?くらいには言えようが、どちらにせよ正確な位置なぞ正確と言える資料がないのだから議論にはならない。それでもまだ、小原の専用線を解き明かしたい気持ちは萎えていない。ひとえに、戦後の空中写真ですらその痕跡が希薄で、廃線跡として当時の痕跡が残っていない区間、ですから。