ケロの与太

「全力で与太話」
読んだら忘れてください(” ̄▽ ̄)ゞ  

繋ぎの昔話~療育センターでの記憶

2016年07月27日 | 長い長いヨタ話









        


息子と通った療育センターは紫陽花が綺麗に植わっていました。
ひっきりなしにJRの列車が走る高架下近く
電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、バスを降りると、
大きな一級河川沿いに10分ほど歩いてやっとたどり着けるようなそんな場所にありました。

ドコまでも続く背の高い枯れた草原の河川敷は
分厚い雲が立ち込める曇天の日など、三途の川も川べりもこんな感じじゃないかと思う程の寂寥感
広い空と川と私達しかいないような人通りの無い一本道で。
遠く川向うに連なった背の低い工場が、ゆっくりと連綿と真白い煙を天に届けているのを目の端に入れながら
2歳の長男と二人で
娘が生まれたら三人で
週に三回通い続けたのでした。


1歳6ヶ月検診で
「ワンワンはどれ?」と聞かれた息子が
そのパウチされた大きなカードをブーメランのように投げ飛ばした日からの三年間
私の子育ては公園に繰り出す他のママ達とは
異質なものになってしまったのでした。

「・・・ご両親はお子さんの発育をどのように感じておられますか?」
検査の後、残るように言われた私たちは別室で
腫れ物にさわるような保健師さんの質問の本質をつかもうともせず
「あ、それは、
そのうちしゃべるんじゃないかと思ってるんですが?」
と呑気に気持ちを伝えていました。
憐れむような、どこか見下すような、
なんとも言えない作り笑顔の保健師さんの「一度お宅訪問させていただきたいのですが。」
という恐る恐るな申し出に
「はあ、じゃあ、お待ちしています。」
これまたとのんきに受けてしまってから
あれよあれよと
療育センター通いへの道は始まっていたのでした。

保健師さんは三回きてくれました。
息子の日課や食事、遊びなどの話を聞いてくれたように思います。
当時私は婦人の友の会で幼児食を勉強していたので、
その食事内容を見て
「前職は保育士さんですか?」なーんて聞いてくれたりして
気を良くしたりしてた私はとにかく鈍感で
忙しいのに頻繁に家庭訪問してくれるなんて、この市の子育てフォローはなんて素晴らしいんだろう!
と思っていたのですが

後になって
「三回の訪問と、療育センター通いをすんなり了承してくださったのは
ココ数年では麦さんくらいです。」
と賞賛してくれました。
大抵は、一度目の「療育センターの提案」という言葉ですっかりアレルギーを起こして
「うちの子に療育は必要ない!」
「犬の絵がどれだか指をさせないだけで、障害者扱いか!]
と塩をまかれたりすることもあるのがデフォなのだとか。

ただ、私は療育センターのことは激務の夫と
夫の実家には内緒にしました。
そして、療育初日の日に「この帽子をかぶらせてください」と言われて渡された忘れもしない
紫の運動帽子を手に
(あの子達とおなじになるのか・・。)
という思いが脳裏をかすめ、
一瞬躊躇した自分に
ものすごくがっかりしたのを覚えています。


そして確かに、
保健師さんに塩をまきたいとは一度も思わなかったですが。
ココだけの話
私はこの時期に
頭でっかちな臨床心理士とカウンセラーは大嫌いになりました。

勉強を積んで勝ち得た職業とその知識を誇りにするのは勝手ですが。
20代のその彼女は
教科書通りのクライアントのその症例の合致に満足したのでしょう、
「こんなことは、8ヶ月の子でも出来るんですよね、お母さん、ここほっとするところじゃないですよ。
遅れはざっと一年ですね。ま、よくある遅れですけど。この時期の一年は深刻なんですよ
これが一人目の子のお母さんには
わからないんですよねえ。」

人の顔をすぐ忘れる私ですが
彼女の顔もかけていたメガネの形も覚えています。
初産の
臨月近い妊婦さんで、
息子が産休前の最後のクライアントだと言っていました。

彼女のお腹にそっと手を当てて
彼女の顔をまっすぐ見据え

「あなたの子も、
息子と同じに
なれば良いわ。」





言ってやればよかったと
今でも思うのです・・・・・
( ̄ー ̄”)ゞ←多分更年期のせい。






センターへの川べりの道では
いつも必ず、私達の前を歩く親子がいました。

身長180センチ以上のそれは大きな大人の男性と
半分の背丈くらいに見える、小柄な老女の親子でした。

ウー、ウー、ウー、ウー
歩くテンポに合わせてリズミカルな発声をするその男性は
普段はとても優しいおとなしい人だったのですが、赤ちゃんの鳴き声が絶対に受け入れられない人で
0歳の娘が泣きだした時、うっかりニアミスしてしまい
半狂乱で襲いかかられて、死ぬほど怖い目に会いました。
男性の職員数人とお母様が後ろからむしゃぶりつくようにして制止してくれたので、事なきを得たのですが
その時、彼のお母様はセンターの職員の方々の陰に半分身を隠して
ゆっくりと白髪ですっかり灰色の頭を下げ、
ワタシの目を見ずに「スミマセン」と形だけに見える謝罪をして去って行かれました。

(怖い目に会いたくなかったら、どうかもうその子を泣かさないでくれ)
という
諦めのような、
強い叱責のようなメッセージを受け取った
と思いました。

実際職員の方に、できれば療育を受けない赤ちゃんは
どこかに預けてきて欲しい
それが出来ないのなら、重々気をつけるように厳重注意されました。



その日から
ワタシはその親子に追いつかないように。
彼らが、センターの奥に入ってしまってから入所出来るように
ゆっくりゆっくり後ろをついて歩きました。

河口近くの川沿いの
空と草原、東にまっすぐ伸びた一本道を歩く彼らの姿は
朝の光と無機質なアスファルトの照り返しで、
光に飲み込まれ
見えなくなるような錯覚を覚えることがあり

なんだかとてつもなく届かない
尊くて、
畏怖を覚えるもののように見えました

お母さんは見るたびに小さく見えて
息子さんはとても大きく見えました。

彼らはただ並んで歩いていただけなのに
お母さんは息子さんと腕を組んでいるようにも見え
目的地は療育センターなのに、その道が永遠につづく光の道のようにも思え



ただ、
他人事して眺めるのでした。


彼らはこの先
ドコに行くのだろう?







筆舌尽くしがたく壮絶に厳しい指導者先生の名前を私は思い出すことが出来ません。
「この方は、元ソフトボール日本代表の監督だったんですよ」と言われたら、
そっくりそのまま信じてしまうような出で立ちの、
常に緊張感を持った年配の先生でした。
泣き叫び、時に噛みつき、全力で爪を立て、嫌がる幼な子たちに容赦なく
ジャングルジムを登らせ、
おんぶされることを強要し
舌触りの悪い食べ物も力づくで飲み込ませ、
気に入らない道を何キロも歩かせ
プールに放り込み、顔に水をかけて阿鼻叫喚の水遊びをし
決まった所にしかシールを貼ることを許さず
名前を呼ばれたら反応すること
お話が終わるまで正座をすること
手遊びに最後まで参加することをまさに力ずくで覚えさせ、

母親には決して出来ない療育を施してくれました。

1歳半から4歳までのその療育が一段落する時
息子はクラスで一人だけ、
普通の幼稚園に通うことを勧められ
こっそり
「この子は大丈夫でしょう。
お母さん、頑張りましたね、良かったですね。」

親にも容赦なかった恐ろしい先生から
初めて敬語で、
対等な大人の顔を見せて貰えたとき
安堵の気持ちよりも
見放されたような寂しさが先に立って
学校にあがるまで療育を続けたい

お願いしたくなったことが
懐かしくも
有り難く

なんとか今日に至ります。



これまであの施設で見た様々な出来事は
会話の中で説明出来るほどシンプルではなかったので
他のママ友に話すことはありませんでしたが

今も思い出すのは

療育センターにいた人たちは、その日の作業や日課に一生懸命全力で取り組んで
それを見守り寄り添う親御さんがいて
職員の人達は、我が子のように彼らを理解し、介助をし
親同士は集まり、思いの丈を伝え合い、困っとことは嘆くのではなく
懸案事項として解決を目指し
より良く生きる道を模索されていた。
誰も諦めたりしてはいなかった事。


初めて入所した時は
正直、どう考えていいか解らない事も多々あって
自分の居場所にしたくない、と思ったことも有ったけれど

受け入れて生きると決めた人たちは恐れ入るほどほど強くたくましく
浅薄な悲観など付け入る隙もない強靭な意志と努力のもと
誰にも迷惑をかけない人気のない土地を選んで
日々を暮らしていた事。



それだけは
私も知っているので





今日はそんな話です。





<(_ _)>












.

8 コメント

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また来る! (POULA)
2016-07-28 19:59:12
ああ、麦ちゃんの頑張りも、息子っち頑張りも、丸ごとハグしたくなってる。
(二人が嫌がってもね・笑)

「あなたの子も、
息子と同じに
なれば良いわ。」
って、思われないような仕事をするよ。
まずは、そのためにあと3日をクリアーしなきゃ。
頑張るね。

刈り取りを待ってる麦の穂が、夏の光に黄金に光ってるよ。
良い季節になったよ。

時々、初心に帰りにここへ来なくちゃね。

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POULAちゃん ()
2016-07-28 21:09:44
もう、あの頃のピュアな心根は
無くなってしまったね。
喉元すぎれば熱さ忘れるって、ホントだよね
このあと中学受験とかさせる訳だし

POULAちゃんも卒業後は心理士になるのね?!
ちょっとググったら確かにPOULAちゃんの専門にも有効なんだね。

いやーそれにしても
私が当時会った臨床心理士さんって、
出会いが悪かったのか
とーにかく最悪だったね!
( -_-)

でも、それはそれ
POULAちゃんは大丈夫よ
POULAちやんも巫女体質だから( ̄∇ ̄)
私は保証する。←なんの意味もないけどw

だからこんな記事に
戻ってこなくていいよ~( ̄∇ ̄)ノシ
返信する
実は (ライチ!)
2016-07-28 21:56:41
麦さんの文章の表現や、なんとも言えない柔らかな絵に、
私いつも癒されてるんですよ。
自分、前回のコメントにあんな事書きましたが、
全然たいした事なくて。
センス無いし、根性も無くて。
で、壁にぶちあたり、体調崩して仕事を辞めてしまいました。
娘と暮らすようになってから、さらにさらに書けなくなって&描けなくなって。
今は、観る側、読む側が楽しいです。
子育てのお話、また是非書いて下さいね!
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ライチ!さま ()
2016-07-29 23:16:34
身に余るコメント有り難うございます
( ̄∇ ̄)ヾ

なかなか自分にセンスがある
なんて思うことは出来ないですよね
自分を信じる!
って
スポーツの世界なんかでミミタコで聴く言葉ですが、
私は自分を信じたことは無いなあ
根拠無きノリ
みたいなのはありましたが

一度でも??←一度じゃないですよね
お金に変えられるなんて
凄いと思います(* ̄∇ ̄)
第三者がお金を払う価値アリ!
と思った訳ですもんね。


見た~い
読みたーい←結局ココ

お嬢さんの手が離れた
近い将来に是非是非(≧∇≦*)
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真剣に・・ (みっく・じゃが)
2016-07-29 23:58:17
何度も読みました。
このまま読み逃げでスルーするのか・・
コメントしないで読んだだけで終わりたくない、
の気持ちになり、コメントさせてください。

私は二人の子供を育て、二人とも独立しましたが、
未だに子育てのことは分かりません。
ただ、一生懸命育てました。
親が反対する結婚でしたので、親とは絶縁、
子育てのことは、手探りの自分流でした。
普通の子らしい長男と、少し変わった娘でしたが、
いつでも、自分の子育てを信じて進みました。
療養センターというところがあるとは
初めて知りました。
私の住んでいるところに、そんなところがあったら、
きっと娘は勧められたように思います。
でも、きっと私は拒否したでしょうね。
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みっく・じゃがさま ()
2016-08-02 06:36:01
そんなに真剣に読んで頂いたとは恐縮です
( ̄∇ ̄)ヾ

子育てもあの数学みたいに
「解なし」なんでしょうね

一生懸命自分の信じるところでやればいいのかなあなんて
私も思うのです。
みっく・じゃがさんがそうおっしゃるんだから
それでよかったのだと思います
(” ̄一 ̄)人
でも、知人の職場には
使った共有のコーヒーカップを何度言っても洗わない男性(40才独身)がいて
見かねた女性マネージャーが
自分の後始末は自分でお願いしますと厳重注意したら
お母様から電話がかかってきて
ものすごい剣幕で抗議があったそうです
そちら女性達は何をしているのかと
洗い物は女の仕事だろう!と。
で、次の日から男性は大きなコーヒーの香り漂うポットを下げて出社しはじめたのだとか。

そう言う外れた信念の元の一生懸命も有ると思えば
一生懸命が全てとも言い切れない
国民の三大義務が自分の力で果たせて
生きていられたら上出来かなあ

療育が必要かそうでないかの判別が難しい子はボーダーと呼ばれました
療育を受けてみて欲しい
療育が効果を発揮するのは5歳が限界
5歳になったとき、
ほら!うちの子には必要無かったじゃないか!
と叱られるならそれが理想なんです
と言ってくれた保健師さんの言葉を信じました

療育センターはどこにでも有るわけでなくて
早い段階での療育が必要だと思った
先輩お母さん達が市に働きかけて作った施設だったような感じでした。
先生方にはみな、障害を持つお子さんがいるんだと噂で聞きました。
放り込まれて揉まれてよく解ってないまま引っ越してしまったので真相は分かりません
( ̄∇ ̄)
ただ、一才6ヶ月で振り分け働きかけるシステムはやはり母親にはショックも大きく
市の障害児探し
と。悪名がついていました。

息子は療育センターの事をほとんど覚えていないと言います
怖くて嫌なところだったと思います。

お嬢さんには必要無かったわけだから
断るのがは正解でしたね。
返信する
遡って読んでいるうちに、此処に (くちかずこ)
2016-08-04 22:10:56
くちこも似た境遇でした。
似た経験?をしています。
でも、ちょっと印象は違うかな?
療育センターに対して。
お暇で、しかも気が向いたら・・・
2013/7/29 普通の子、夫になる
ご参照ください。
その時その時、そこが絶壁のように思えても、先は長-------いんですよね。
返信する
くちかずこさま ()
2016-08-05 07:20:25
読ませていただきました
( ̄∇ ̄)
先、長いなあ・・と思いました・・orz

目から鱗だったのは
私の通っていた療育センターは
療育センターと呼んでいましたが
小児科とか医師の介在が一切有りませんでした
そうかそれで、多くのお母さんが怒って参加しなかったんだと

その後もなんか似てました。
ピアノ上手でした←練習しませんでしたが、
中高一貫←ゲーマーでしたが
上手く行けば
情報システム系の仕事をするのではないか??と思います。
結婚はしないと思います( ̄∇ ̄)
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