ケロの与太

「全力で与太話」
読んだら忘れてください(” ̄▽ ̄)ゞ  

やっぱりFacebookは好きになれない

2017年12月28日 | 長い長いヨタ話


そういえば
彼女のFacebookは
本人がいなくなった今
どうなっているだろう?


何を隠そう、私はFacebookのアカウントを持っています。
そう、あれは十年ほど前のこと。
息子の一貫校のセレブママから届いた招待メールがきっかけでした。
突然届いた招待メールの主は
気さくなとてもいい人です。が、そんなに関係が深いわけでもないママでしたので、
妙だなとは思ったのです。
ただ、
「招待」をスルーするわけにも行かなかった。

んで、結局
そのセレブママから
「なんか間違ってごめんね〜♥
【お友達】はこちらから外しておいたからね!」
と速攻言われる顛末
( ̄へ ̄)

私とFacebookとの出会いはそもそもがとても最悪で
そのアカウントだけが
今も残っているのです。


現在は、年に一度の私の誕生日に萩さんがお祝い画像をくれる特設コーナーとなっており←こら( ̄▽ ̄")
それ以外は、ほぼ役に立っていない状態なのですが

いつの頃からだったか
私はFacebookでも
彼女のお友達にしてもらっていました。



彼女自身が自分のタイムラインに投稿することはほとんどありませんでしたが、
友達リストには百人以上の人々がいて
彼女の懐の深さや、人生に対する積極性が伺われます。


そんなタイムラインには
その日の朝から
訃報の知らせを受けた幾人かの友だちの投稿がありました

「○○さんは今(彼女と)一緒にいます」の表示がついた投稿には
彼女との出会い
彼女と共にした活動内容
自分にとって彼女がいかに大切な人であったかを
知的に綴った文章

半年前のまだ元気だった頃の彼女のポートレートに花をあしらって
オリジナルの遺影のように加工した画像

病床の彼女と共に撮った
見舞った人の満面の笑顔の向こうに
疲れたように仰臥する彼女の姿が写り込んだものもあります

彼女を知る人なら誰もがしたであろう挨拶のハグ
彼女とハグをする姿を
第三者が横からのアングルで撮ったと思われるモノクロ画像は、商用画像のようにドラマチックだけど
その肝心の彼女の横顔は
悲しげでもあり
眠っているかのようでもあり
彼女の生気が
読み取れない


彼女にも食べてほしかったと言う投稿者の子が作った
クリスマスクッキー

棺に入れてほしいと望んでいるもの

様々な想いが交差していて
さて、
これは彼女の家族が閲覧する前提の投稿なのだろうか?
とも思うけれど
そこに残された家族への具体的なメッセージは見当たらない。

眺めているうちに
なにか不思議なものを見ている気分になってくるのです。

そう
これらが結局のところ、
誰に宛てたメッセージで
誰に見せたい画像なのか?

厳密には彼女でもない、
ご家族でもない
投稿を読む人に向かってるような
その違和感

出会いへの感謝、哀悼
愛惜で溢れてる
それはわかる。
全てが愛と善意と産物であることは間違いがないのだと
思うけれど。




闘病中に始まったお友達による彼女のタイムイインへの投稿は
おそらく、闘病中となった自分を心配している人たちのために
彼女が依頼したものだと推測されます

でも、

彼女と一緒です!
セルフィー慣れした健康で魅力的な笑顔と
彼女の状態とのギャップ
よそ行きで
見目麗しき世界は
本当に彼女にとって
必要なものだったのか。




亡くなる前日に病室での開かれたクリスマスイブの集まりの様子
また明日くるねと全員が引き上げた後に
彼女は病室で一人で旅立ったのだと
教えてくれる記事がありました

お友達のみなさんありがとう。

親族を代表していると思わせるその人の文章も
詩的で追悼と愛惜に溢れていたけれど、
ここにもなにか違和感があって

そうだ、この人は
滅多に人を悪く言わない彼女が
関係がないあまり良くないと
言っていた人だと
思い出すのです。


悲しみの中に愛惜の中に
前を向いてます
哀悼します
出会いと学び、
与えられた絆と
気づきに感謝しています
そんなThe:SNS
無垢で天真爛漫で
知的で詩的でセルフィーな寄せ書き


なんかごめんよ
勝手に覗いておいて

やっぱり私
Facebook
好きになれないや
       〜( ̄ー ̄)ゝ




そんな文句タラタラの私にも
1つ言えることがありました。

これらの投稿を見せてもらって
知らなかったけど
本当に影響力のある
力のある人だったんだな

本当に好かれてたんだな
愛されてたんだな
寂しくなる人が
他にもこんなにたくさんいるのだなと
実感することができた。

そのことによって
体の奥で冷えて固まっていた何かが
開放される温かさを
覚えました。


どうにも
好みではないけれど



偽りのない思いやりの気持ちが宿るものは
良いものなのだと
思います。

なんといっても
彼女が生きて
愛した世界なのだから




私には
とても得られないものです
( ̄ー ̄)





今日はそんな話です



      〜( ̄ー ̄)ノシ









4 コメント

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Unknown (ちるる)
2017-12-28 21:12:23
そうなのか、クリスマスイブしたのね。
人柄と人徳とで惜しむ人がたくさん居るよね。

んで、麦だって沢山の良縁に囲まれてると思うよ。他人と比べるものではないけどさ。
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もうあそこでしか・・・ ()
2017-12-28 21:30:07
麦ちゃんに簡単に画像を送れないのですよ。

わたし、LINEやってないし、mixiはもう
だぁれも(ログインしてない)居ないし、などなど。
まぁ、それなりの事情でして

って、それより、わたしひとつ前の記事で
お名前を見ていただけと書きましたが
facebook の麦ちゃんのところで
初期のころ(5年前では?)に
コメント欄でお話してました、多分。
ハンドルネームと本名がさっきやっと一致しました。←鈍っ
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ちるる ()
2017-12-29 09:57:01
そうみたい、
あれからの一週間も
親しい人と楽しいことがあったみたい。

うん、
実は出会い運とか良縁運には恵まれてると昔から思っててね
昔通ってた心療内科の先生にも
言われたんだよね

なんだけど、
こんな風に形にはなかなかならないなと思って
ポーラちゃんは気持ちを
贈り物とかもてなしとか見える形にする人だったよね
それが、返り咲いているような気がしたなあ。
私は
体がついてこないというか
なんかそんな感じ?

確かに人と
比べるものではないよね( ̄ー ̄)ゝ
返信する
萩様 ()
2017-12-29 10:02:42
あそこでしか
と言うか
なのでとても居心地の良い空き家
みたいな存在です

友達になれ〜!って流れてくる、
確かに知らないわけではない人たちの画像がなければもっといいのですが( ̄ー ̄)

そうそう!
そうです。何年か前でしたね
さすが萩さん素晴らしい記憶力
そんなこともありましたね
あの自画像が
そっくりそのままの人です

( ̄ー ̄)
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