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カメラを片手に

原稿用紙の元となった国学者の「保己一忌」で没後200周年

朝から小雨降る中、お彼岸まで少し早いのですが、8時過ぎから昨夕きた
三男坊の家族の車に同乗しお墓参りに橿原市まで向かいました。
途中雨がやや激しくなるもこの雨のおかげか渋滞箇所もスイスイで、
午前9時前まで到着。
      畝傍山を望む

その後、一人ではなかなか訪れる気にならない明日香村にある祖父と祖母等の
お墓にも連れてもらった。
降る雨の中のお参りでしたが、これで気持ちも落ち着き、有難いことですね。

腹づもりでは帰り「飛鳥彩瑠璃の丘 天極堂テラス」へ寄るつもりがこの雨で
だんご庄のおだんご』を買って直接戻ることに。
途中土砂降りになるも、道は空いており、10時半には自宅へ。
      

今日は『保己一忌』、江戸期の国学者『塙 保己一(はなわ ほきいち) 』1821年、
享年76歳、没後200周年に当たります。
      本庄市HPより

7歳時に病気のため失明し、15歳で江戸に出て、当道座(盲人の組織)に入り、
検校雨富須賀一に弟子入りされた。
34歳のとき”世のため、後のため”に「群書類従」の編さんを決意し、以後40
数年の年月をかけて失われつつある各種文献を収集してまとめた「群書類従」
正編666冊、続編1185冊を74歳で完成させ、日本の文学・歴史等を研究する
上で重要な資料となり、国の重要文化財に指定されている。
この版木を製作させる際 、なるべく20字×20行の400字詰に統一させていた
ことから、現在の原稿用紙の一般様式の元ともなっていると。
文政4年(1821年)には、当道座の最高位である総検校に昇進された。

今は秋雨が降りますが、春雨の和歌を紹介します。「霞中春雨」と題す
そことなく霞む夕べも沓くつの音にやがて雨しる庭の真砂地
意)ぼんやり霞んで見える夕方も、庭に敷き詰めた真砂を踏む沓の音で、
  すぐに雨だと分かります。
後水尾院「後水尾院御集」のこの御製を意識されている
春の夜の真砂ぢしめる沓の音に音なき雨を庭に聞くかな

「塙 保己一」の肖像画を見ていて思い出しました。
先日、去るお宅の玄関先で咲くタデ科の一年草『イヌタデ・犬蓼』が目に、
東アジア原産で、本来は山野や路傍に自生し、初秋に小粒の穂状の紫紅色の
花を咲かせるのですが・・・。

和名の由来は、タデ酢に用いるものとは異なり、葉に辛味がなく役に立たない
ことから「イヌタデ」と。また犬(イヌ)=否(イナ)から発した言葉です。
      

別名は「赤まんま」は、この粒状の花をしごき取り、赤飯にみたてて、
ままごとに使って遊ぶことから「赤の飯(まんま)」からに。

自宅に戻れば、お友達が野花を摘んできてくださったとかで・・・
玄関先に活けられた花の中にもオミナエシ、エノコログサと「イヌタデ」が
      

本当に一粒一粒が、赤飯そのものですね。
花言葉は「あなたのお役立ちたい」 と。
      



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