カメラを片手に

佐紀西古墳群の3つの古墳の小道を歩く

今年最後の土曜日の朝は1.3℃と穏やかに開けた。9時頃連れ合いを奈良市内
に送っていけば、いつもはゆっくりと走る車がせわしなく感じる車ばかり、
遅い軽四(女性)を煽る車がいた。一発免許取り上げなのにまだやるのかなー、
怒りを抑えてほしいもの。私も流れに乗って安全運転をしなければ。

さて東大寺の西大門跡付近に来れば南都八景の「雲井坂」が、上れば「轟橋」
そして左の「みとりい池」が見えれば池の水面が凍っているように・・・。
 なお「みとりい池」とは奈良街道を京都からくる旅人が急坂を上がればこの池から
 「春日大社」一の鳥居が見渡せたことから「見鳥居」池と。
奈良公園では静かに鹿が草を食み、信号で停車した「一の鳥居」の榊も17日
の「春日若宮おん祭」で新しくされ、参道を行き交う人も数えるほどだ。
      12時自宅より

大阪生まれの「たるほ」と呼ばれる小説家を知りませんか、
今日は生誕120年の『稲垣足穂』1900年12月26日~1977年10月25日、76歳
天体や文明の利器を題材にした幻想的な異色の作風で注目され、代表作は
「一千一秒物語」 や独特な精神的性愛論の随筆「少年愛の美学」など。
言葉として
愛とか、夢とか妙なことをいうやつは嫌いです。
 何のことやらわからんからです 。」

生死などはなんでもない。生きていく態度が重要なのだ。
言葉を代えれば・・・政治家にも当てはまりませんか。
・・・・・     ・・・・・
先日午後3時頃平城京跡北西、佐紀町の狭い道の古い住宅街を抜けて山陵町
に入ると、佐紀盾列古墳群の佐紀高塚古墳、佐紀石塚山古墳と佐紀陵山古墳
いずれも前方後円墳が隣接し、気持ちの良い小道があり、行くのは二回目。
      

一回目は八幡神社からで、今回は奈良ファミリーから山陵町に入った。
小さな集会所があり、一画に石碑が建つ。
「皇太子殿下御降誕記念」と
背面も見たが、詳細は不明で・・・後日調べてみたが判らず。

先に進み、西向きの『佐紀高塚古墳』127m、4世紀頃の後円部際に至る。
現在48代称徳天皇(第46代孝謙天皇重祚)の高野陵210mとして治定されるが、
小道の左側は変哲のない藪が続く。突然右側から道が寄りそえば
佐紀陵山古墳』古墳時代前期後半、垂仁天皇妃・日葉酢媛(ひはすひめ)陵
      
西日を受けて

北側から望めば、雲が映る静かな水面、堀はきれいに整備されている。


少し先の3つの古墳の接点から西を見れば・・・
左側に西を向く後円部の「佐紀高塚古墳
右側に「佐紀石塚山古墳」が前方部が見えてくる。


佐紀石塚山古墳』は220m、4世紀末頃、第13代成務天皇の陵と治定
墳丘は三段に築成 され、葺石が多数用いられている。

西には生駒の山並みが見えている。


大古墳群の密集地帯の間を縫って行けば、犬を散歩させる人も・・・


古に思いを馳せれば・・・

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コメント一覧

mn1944
今年の10月に健康ウォ-キングの会でこの道を歩いたような気がします。
https://blog.goo.ne.jp/mn1944/e/9dd67ea1572fb0f3d9de5a831563f4b9#comment-list
御陵などは全く詳しく知りませんが、西大寺かいわいにお使いに出た時など帰りしな平城駅への道に御陵の間の道を散策がてら駅へ向かうことが良くあります。
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