カメラを片手に

馬坂川と天津神川のマンボを

今日は(旧)体育の日、昭和世代には10月10日と決まっていた。東京では晴れの
特異日として東京オリンピックが開幕されたが、2000年に10月の第二月曜日を「スポーツの日」として変更され、久しぶりに10月10日が祝日になった。
でも昨日からの雨が降り続く。東へ移動する低気圧に、吹き込む暖湿な大気の
おかげで暖かくなり、今朝の最低気温は深夜の16.2℃と暖かく、その雨も10時
過ぎには止んだようだ。
       13時半、

140年前1882年の今日、日本銀行が開業し、資本金は1千万円で国が半分を
出資している。
二代前から日銀総裁は柔軟性がなくなったようで、アベノミクスから始まった
金融緩和策、先進国では唯一となってもこのまま続けそうな雰囲気ですね。
円安の行き過ぎは、年金生活者の我にとり大変なことになりそう。
 
さてNHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はキク科の「ハマギク・浜菊
学名のNipponanthemum nipponicumからも日本原産で、「浜辺に咲くキク」
という意味からで、主に茨城から青森の太平洋側の沿岸に群生すると。
 
花言葉は「友愛」や「逆境に立ち向かう」 後者は海岸沿いでもたくましく
花を咲かせる姿からでしょう。 
      2018.10.30

わが家のハマギクは蕾が出来たばかり、月末にならないと咲かないかな。
      

昨日の「マンボ」の続きで、残り二つ「馬阪川と天津神川」を紹介します。
      

府道22号は交通量が多く、歩道もなく狭い区間は、団体で歩くのは危険、
住宅地を迂回して、馬阪川マンボへ向かいました。
残された田畑周りに咲くミゾソバや犬蓼(アカマンマ)が
 

府道22号へ戻れば、狭い府道脇を100m歩けば、前方に現役の水路橋が現れ、
馬坂川が流れている。
      府道22号

この天井川馬坂川の脇を東へ歩き、斜面を上がれば、高低差が判りますか。
    

来た道を少し東へ行けば、JR学研都市線・跨線水路橋(ミツマンボ)です。

さらに50m程先の市道にも水路協が掛かっている。

さて過去と現在の航空地形図を見比べてください


住宅地を抜け、天津神川へと向かいます。30分ほど歩きこの堤が見えた。
後ほどこの堤の上を歩く予定でしたが・・・
      

雨が予想され、一度見ておけばと上がり、東北を見れば比叡山が見える。


さらに山手幹線迄上がると、神津神川の上流は天井川ではないようですね。
      

一休寺(酬恩庵)で45分参拝していると、雨が降り始めました。
堤を歩かずに、府道22号の水路橋を見に行く。

さらに下流域へ少し行けば、江戸時代飢饉に備えた「郷倉跡」の石碑があり、
その先の急な堤への階段を上れば、二階屋根よりも高いことが判りますね。


更に北方向に進めばJR学研都市線・天津神川跨線水路橋(マンポ)に。
      天津神川跨線水路橋

2021年と1961年の航空写真で周囲の開発の様子が分かりますね。
馬坂川も天津神川もほとんど変化しておらず、二か所のマンボは現役です。


府道22号や近鉄京都線で頭上に橋があるのがなぜなのか理解できました。

天井川は自然が半分で、農業用水として利用するため、人の手により徐々に
堤が積み上がりそうなったのだということが良く理解できた。

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