カメラを片手に

太安万侶の墓を

奈良の最低気温が20℃以下になり、湿度も低く秋を感じる朝を迎えましたが、
山の方は湿気が残っているのか、もやっております。
 

711年の今日(新暦の11月3日)、元明天皇の詔勅により『太安麻呂』が
『古事記』の編纂に着手された日だそうで、
1979年(昭和54年)1月に写真の右端の方角の奥、奈良市此瀬(このせ)町より
太安万侶さんのお墓が見つかりました。


以下は、昨年の11月に田原町散策時に訪れた時の話からです。
竹西英夫(当時61歳)さんが通称トンボ山の丘陵南斜面の茶の木を植え替えるために、
鍬で掘り返していると炭が出てきて、この炭を掘り返すと直径40㎝の穴が空き、
小さな骨、真珠に銅板が出てきた。板に「…太朝臣…」の文字が読まれ、もしやと
思い専門家の手にゆだねられた。銅板には41文字で書かれた太安萬侶の歿年月日が、
書かれた墓誌で、奈良時代の墓の状況が明瞭になった少ない例になります。
左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥
           年七月六日卒之書養老七年十二月乙巳


現在墓誌は、橿原考古学博物館に所蔵で重要文化財に指定され、
墳墓は調査によると、墓壙を設け、木櫃をおき周囲を木炭で覆ったもので、
現在史跡に指定されています。


墓から南面を望みますと、緑の茶畑と林の丘が見えます。
100年ほど前にこの山で、稗田と記された甕?が見つかり、調査しようとしたところ、
嵐になり恐れて元に戻すと収まったことが、二回も繰り返されたそうで、
この山は稗田阿礼さんのお墓と地元では噂されているそうです。


そして東の方角、三角点にも誰かのお墓があるのではと、推理がなされており、
古事記に縁のあるお方?・・・誰になるのでしょう。
何時の日にか、明らかになるときが・・・楽しみですね。

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