カメラを片手に

広島旅、弥山頂上から大聖院と大願寺へ

曇り空の朝23.8℃迄下がったのだが、湿度が高く爽やかさからは程遠い。
9時過ぎにパラりと雨粒が落ちてきたが、雲を通して日差しが届き、11時前に
30度を越え真夏日となった奈良です。
      13時、31.3℃、57%

NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はユリ科の「ヤブラン・藪蘭」、
東アジア原産で、ほぼ一年中同じ草姿を保ち、丈夫で手のかからない常緑性
の多年草、藪に咲き、蘭のような葉を持つことが和名の由来です。
      

園芸店ではリリオペ 、サマームスカリやプラティフィルラ(広義)と呼ばれる。 
花期は夏~秋で、葉と葉の間から伸びた「花茎」の先端に明るい薄紫色の小花
をたくさん咲かせ、6枚の花弁があり、やや上向きに咲く。
中央にある蕊は黄色い。花は下から順に咲くが朝夕には萎む。
花の後には黒くて丸い、木の実のような実ができる。

花言葉は、耐寒性があり丈夫なことから「忍耐」
      

広島旅、弥山頂上から下り大願寺へ
12:05弥山展望台12:15・・(弥山本堂)・・12:30仁王門・・(大聖院コース)・・13:20
大聖院13:35・・13:45大願寺13:50・・13:55大鳥居下14:00


弥山展望台の地下にトイレ、屋根のある二階、屋上から景色が一望できる。
二階で休憩すれば、風が通り涼しいはずと腰を下ろす。
      

船着場から二時間ほどの登りでしたが、暑さで予想以上の汗をかきました。
2Lの水も半分に。昼食としておにぎりを食べ、暖かくなったゼリー飲料を飲め
ば人心地。ただ靴の選択を誤ったようで、ソールが薄く足に来ている。
下りが心配になって来た。
北側を見れば、廿日市の市街?、背の高い樹木で・・・
この辺りは森林群としてはヒノキを伴うツガ林とアセビ群集と言い、珍しいと


南西側は瀬戸内海が、そしてイチョウが少し黄色に


南側は、弥山本堂からの道で、最高峰と三角点がある。

東側は、ロープウエーの獅子岩駅と獅子岩👇が見えます。

カキの養殖棚なのでしょうか


天候が南から黒雲が出始めており、雨は嫌ですので早々に撤退することに。
12時15分に下りれば、弥山本堂から「大聖院コース」で下ります。
階段が多いと聞いているので、足が気になりますが・・・
本堂から下りれば「十三佛御真言」と。
不動明王を真ん中で、釈迦如来を初め如来・菩薩さま達が並ぶ。


少し下れば大日堂から弥山山頂への道が上っている。
一気に下るとおもえば、上る部分もある。不安になるが道を下ります。
登山者をカウントしている場所を過ぎる

本堂から600mで仁王門にまで下ってきました。

奥の院や駒ケ林と大聖院へと道が分かれ、右への道を下る。

本当に石段が続いており、やはり足に負担がかかり、痛んできました。
振り返って写真を撮る。

鳥の鳴き声が・・・探し出し撮るもピントが(実は休憩するため)
      

谷筋に入り急な下りと思えば、近年の大雨で崩落し整備されたばかり。
2005年9月6日の台風14号で大規模な土石流が白糸川で発生したためです。

白糸川1号砂防堰堤といい、

      

七丁石ですから、残りは750mほどと

三丁石

13時10分、白糸の滝まで下りれば、滝口へと登るのですが、足がかなり痛い。 
     

水量が少ないので・・・

白糸の瀧の下に「瀧宮神社」、厳島三女神のひとり、湍津姫命が祀られる。
2005年の土石流の影響で新しくなったようだ。 

海が見えました。

瀧不動堂、2005年の土石流にて流出し、2009年に再建された。
ここから観る白糸の滝が一番だと言われるが、足の痛みで振り返る余裕はない 
      

白糸川2号砂防堰堤縁に「滝地蔵尊」、そして反対側に「懺悔地蔵尊」
  

ここが大聖院コースの入り口の鳥居になりますね。

白糸川、この辺りは何とか助かったのでしょうか?
大聖院への「ことざわ橋」の向こうで、一円玉を石の上に投げる外国の方

13時20分に大聖院・仁王門前に到着!。
真言宗御室派(総本山仁和寺)の大本山大聖院、空海が弥山にて修行なされ、西暦806年開基とされ、皇室との関係深く、鳥羽天皇勅命の祈願道場として、また明治天皇行幸の際の宿泊先に、さらに秀吉が茶会を開いたこともあると。
連れ合いは元気に石段を上っていき、十一面観音さまにお会いし、御朱印を
貰ってきました。
金剛力士像は右手に吽形が配され、通常と逆の配置になり、珍しい。


その間我は仁王様の前で足を揉み揉み。立派な龍が・・・

滝小路を通れば、小さな厳島神社境外末社の「淡島神社」祭神は少彦名命さま
      

この地域は社家が住んでおられ、社家の遺構「林家住宅」がある。
      

遠回りしたようで、厳島神社に突き当たりました。

長橋と鏡池が見えている。厳島神社の出口方向へ向かいます。


「大願寺」の仁王門がぽつんと現れる。

正式名は「亀居山方光院大願寺」、開基は不明、建仁年間(1201年~1203年)の
僧了海が再興したと伝えられる真言宗の古刹です。
明治の神仏分離令までは嚴島神社の普請奉行として寺院の修理・造営を一手に
担い、千畳閣、五重塔、多宝塔などから形成される厳島伽藍の中心だった。
本尊の「弁財天」は日本三大弁財天の一つで、海運、音楽、文学、知能、医薬
、福徳、弁論、生産の八功徳の神様で平家はもとより、豊臣秀吉公は大経堂を
建立して一万石を奉納し、近くは明治時代、伊藤博文、勝海舟、井上馨等も。
なお重文が四体おられ、薬師如来は弘法大師の作と言われている。

護摩堂があり不動明王がおられ、身の丈4.8m、重さ7t、日本最大とされる。
 

この後潮が引いた大鳥居下まで歩き、厳島神社に参拝しました。
万歩計は20000歩を越えていた。

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