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移転しました(2014/1/1)

公文書の世界in京都

2012-12-22 | ヒストリ:近代MTS



先日書いていた京都の展覧会に行って来た。
展示数60点で5部構成…
ぶっちゃけ大した事ないだろうなーと思ってはいたのだけれど(すいません)、うん…
私個人としてはもう少し国政に関わるような公文書が見たかったなー
政治に関わる話としては明治・大正・昭和の憲法や憲政、内閣制度に関する史料やそのレプリカが来ていました。
民撰議員設立建白書(実物)とか、終戦の詔書(レプリカ)とか、点数は大した事はない感じだったんだけど、ものは面白いんだよね。
こんなのばっかりだったら私は滅茶苦茶楽しかったと思う(笑)(我儘)
京都という事で来年を意識してか幾つか新島襄と八重に関する史料も出てました。
八重さん女紅場(にょこうば)の権舎長をしていたそうで、それの休暇願かなんかが出ていた。(興味がないので曖昧である)
頂いたパンフレットにアンケートが挟まっていたので地方でもこうした展覧会をして欲しいという要望を書いてきました。
東京ばっかずるいよ…

で、本当にひっさびさに府立資料館に行った訳で、折角だから広瀬武夫の未確認資料を探そうと思ってだなー。
しかしながら見たいものの殆どが府立図書館にあるっちゅう…行ってきましたよ…
いくつかチェックしていた雑誌資料の内、辛うじてあったのが昭和初期のサンデー毎日。
ただ目的の記事は「何でこれが広瀬?」と思うようなものだった。要するに全く関係ねー!
…時々あるよね…表題には「広瀬武夫」ってあるのに内容は全然関係ないものとか(名前さえ出て来ないとか)…
ただちょっと見ていたらこんなのがあってだな。



左のね。
伊藤博文、大山巌、西郷隆盛や大村益次郎の銅像のモデルは?という記事。
ついでに神田須田町にあった銅像の広瀬の話も載っていた。
 


広瀬は身長175170センチで、今ならそんなに高くもないけれど当時としては大男(当時の成人男子の平均身長152-3センチくらい)で、肩幅が異常に広かったらしい。
そうなの?肩幅の話なんて初めて聞いたわー
まあ雑誌の書く事なので話半分に聞いときましょう。
で、広瀬像を作った渡辺長男は背が高く肩幅の広いモデルを探したそうで、サンデー毎日によると抜擢されたのが須田町辺りに住んでいた金子義一という人。
道を歩いてて肩幅が広い大男という理由でスカウトされた。
へー…
…というかこれを読んでいて思ったのだけれど、それであの銅像別人の様相なの?
似てないよね?あれ…^^;

2個上の右の写真はこれまたひっさびさに地元の図書館に行った時CDコーナーで見つけた。
政治家編もあったぜよ。
このCDに入っている興味ある人の声は全部聞いた事があるのだけれど、何となく借りてしまった。
でもまだ聞いてない。
しかし世の中には色んな物が出回っておりますな。


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