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移転しました(2014/1/1)

前九年役、終結

2009-09-17 | ヒストリ:平安の風
■サイト更新 平安創作:【ほたるび11話/12話】 微行・繋絆

昨日も更新してたんですが、熱が出ててブログどころで無かったです。
2年ほどぶりに偶然会った人がいたのですが、ちょうど薬買いに行く時で顔真っ青吐き気でふらふら。向こうは赤ちゃん連れてるし、2言3言位で愛想悪く分かれるという何ともアレなorz(流石に凹む)
とりあずほたるび更新です。ちょっと長めと短いのと。
半年ほど前に書いたものですが、読み返すと恥ずかしいなコレ…(半笑
ゆる~い内容です。あいかわらず。
しかしながら、やっと出て来たよもうひとりの御曹司!
これからしばらくすると戦争に突入していくわけですが、それまでは絡ませたいですいっぱい(笑顔)源氏の御曹司と安倍の御曹司。
こちらの方では宗任と正任位までかな~出てくる弟は。
13話ではやっと経清と永衡が出てくるよ。はーここまで長かった。
ぼちぼち書きためて、また纏めて更新しようかと。
ご覧いただければ幸いです。



で、今日は前九年役が終結した日。
即ち安倍貞任、藤原経清の御命日ですねえ。
このブログでも何度か触れていますので、既に耳タコの方もおられるかと思いますが…
平泉を開いた藤原清衡の父が経清、伯父が安倍貞任になります。
古代東北の雄・安倍氏が最後に依ったのが厨川柵。現在の盛岡市になります。
現在でも擬定地という形ではありますが、柵跡が史跡として残されている。
こちらは既にサイトの方に史跡レポを上げていますので、興味のある方はどうぞ。

盛岡 前九年の役関連史跡: 厨川柵擬定地(天昌寺)他

9月17日に戦が終結したとはいえ当時は陰暦(10月下旬)。
それに加え場所も岩手県ですので、もう随分寒かったのではないかと思いますねえ…


ここにおいて経清を生虜る。将軍召し見て責めて曰く、

「汝の先祖相伝えて予が家僕たり。
しかるに年来朝威を忽緒し、旧主を蔑如す。大逆無道なり。
今日白符を用い得るや否や」と。

経清首を伏して言うことあたわず。将軍深くこれを悪む。
故に鈍刀を以てその首を斬る。
これ経清が痛苦久しからんことを欲すればなり。

貞任は、剣を抜きて官軍を斬る。官軍鉾をもってこれを刺す。
大楯に載せて、六人してこれを将軍の前に舁く。
その長六尺有余、腰の圍七尺四寸、容貌魁偉にして、皮膚は肥白なり。
将軍罪を責む。貞任一面に死す。



最後の様子です。
厨川柵で籠城していたのですが、最後はふたりとも柵から出て戦っていたんですね。
経清は捕えられ、陸奥守兼鎮守府将軍である源頼義の前に引き出された。
頼義は八幡太郎義家の父になります。

経清を引き据えた頼義は言うわけです。
お前は先祖の代より我が家の家人であろう。そうであるのに朝廷に反し、旧主である我にも反した。大逆無道と言うべきだ。
そして「今でも白符を用いる事ができるか」と。
当時税を納めたらその受け取りか何かとして赤符が発行されていたそうです。
しかし朝廷に納められるべき税を安倍方が取り立て、その受け取りで白符を発行していた。
陸奥話記では確か源氏の目の前で米かっさらって白符発行していたのが経清でしたか。
特に何も答えない経清を見て頼義は刃の欠けた刀でもって経清の首を挽いた。
苦痛を長引かせるために、と陸奥話記にはあります。

一方の貞任は生け捕られた時、瀕死であったようです。
背が高かったんですね。
180センチ以上、腹周りにっ、にめーたー以上というメタボ大男。
いいんです。私の耳には180㎝以上という話しか入りません。
吉田茂のように私の耳は都合のいいことしか聞こえないんです(笑)
安倍氏は巨漢伝説というか、色んな書物で大男という話になってますねえ。
時代を下るごとに大きくなっているというのをどこかで読んだことがあります。
で、その貞任も大きな板に乗せられた状態で頼義の前に引き出されます。
頼義が貞任を責めても、それをちらと一瞥するだけで落命した。
彼らの首級が戦後どうなったかというのは去年書きましたので、興味がある方はどうぞ。

落日譜 ~貞任の首

前九年といいつつ、実は足かけ12年に及ぶ大戦争でした。
どうも後に起った後三年の役と混ざった揚句ごっちゃになったらしい。
後三年の方は3年間で終わったんですけれども…

長期に及ぶ戦争とはいえ東北の話でもありますし、それプラス米を育てて収穫しないといけないので、1年のうちで実際に戦闘が出来る時期って非常に限られていたようですね。
源氏の力不足というのもあると思いますが、ここまで長引いたのはそういう所にも原因があるようです。

安倍氏は棟梁の貞任が戦死、弟も重任が戦死していますが、他は投降して許されています。
後伊予や太宰府等に配流となっている。
特に貞任の次弟・宗任は太宰府に流された後どうやら平穏に過ごしたようです。
娘が甥清衡の妻になっていますし、またこの人、九州の松浦水軍の祖と言われている。
更に付け加えると安倍晋三元総理のご先祖さんですな、宗任は。
「安倍一族」という宗任系のご子孫さんが作った本があるのですが、父晋太郎さんが文章を書いている。
貞任には千代童丸という嫡子がいましたが、彼も厨川の陥落で亡くなっている。
で、もうひとり高星丸(たかあきまる)という幼子がいたらしい。
こちらが青森の十三湊(とさみなと・現十三湖)に逃げ、安東水軍の祖になったと言われています。
安東水軍といやオメー、すごいよ…鎌倉から室町にかけての東北の大豪族です。
不思議と水軍に縁のある家ですな。

東北で安倍の血を引いているというのは、一種のステイタスだったようです。
安倍貞任の血を引く○○とか、たまに見る。

朝廷には朝廷の、源氏には源氏の、安倍氏には安倍氏の正義があった戦争だと思いますが、中央から見るとやはり安倍氏は”朝敵”扱い。
それなのにステイタスなのか、凄いもんだなといつも思うのです。
東北に住んでいなければ分からない歴史感覚があるのだろうなと。
 



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拍手ありがとうございます。

拍手、15日分データが異常だそうです。
多分特にコメントなどないと思いますが一応。
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