松山にある愚陀仏庵、再建断念だそうです。(読売新聞 2013/3/20)
丁度1年ほど前にもここで取り上げたニュースで、その時は再建が難しいかもしれないという話だったのですが愈々ダメになったようです。
愚陀仏庵は正岡子規と夏目漱石が1ヶ月半一緒に暮らしていた庵のことで、3年前に大雨による土砂崩れで倒壊した。
候補にあがった移転先の地価や維持費等もさることながらレプリカだという事もネックになったようですねえ。
流石にレプリカじゃなあ…
実物であれば恐らく文化財指定もされていただろうし、再建だって、とも思うのですが難しい所だ。
ただ完全断念という訳でもないようで、誰かが土地を提供してくれたら、みたいなのもあるようで。
諦めるに諦めきれない、という感じが紛々と漂うニュースでもありました…
再建といえば、江戸城の天守閣を再建しようという動きがあるらしい。(読売新聞2013/3/19)
いやー江戸城て。皇居じゃん。
どーすんのさ^^;
その運動をしている市民団体のHPを見てみたのだけれど、めっちゃ皇居に作りたい気満々だし、
「江戸城寛永度「天守」は、1657年、明暦の大火で焼失して以来、350年余も再建されることがありませんでした」
…ふーん…
「観光立国」のシンボルとして、ねえ…江戸城天守閣を、ねえ…
再建される事はなかった、じゃなくて、保科正之が再建しなかった、んだけどなあ。
再建しなかった理由とか、そういうのはスルーなのかそうなのか。
保科正之の思いを思うと天守閣はない方がと思うし、今の世にそういう理由でそれは必要なの?とも感じるのだけれど。しかも皇居…
書いておくと明治政府の失策のひとつは城の破却だと思ってます(残りは廃仏毀釈、東洋医学の放棄、ひらがなをひとつに纏めたこと(笑)。勿論超個人的な思い)。
私も城好きなんです。あの大阪城は城じゃないと思う位には。
でもなあ…うん…
なんてゆーか、ちょっと、私にはよく分からない…
(※個人の感じ方なので非難はやめてね)
火事に見舞われた庶民の負担を思い、天守閣を再建しなかったような話がもっと一般的になればいいと思うから、私は新島八重よりも保科正之プッシュだった。
天守閣がない理由なんて、都民ですら、大半が知らず、知ってる人間は、(なに言ってんだこいつら…)ですよ。
アンテナショップみても、福島はすごい小さいし、いまだになんかあるのかな…ておもっちゃいます。
今更東京に人を集めるよりも、各地方に散らした方が、どれだけいいか…
愚陀仏庵、なんとかしてほしいですよね。
天守閣よりも、まずは根岸の子規庵の、まわりのラブホをなんとかしてほしいです。
それについてどうこうは思いませんが、再建しようと意気込む位の人ならそれを知っていて尚且つということでしょうし。
その辺りをすっ飛ばして「再建されなかった、だから今」と言われても…
そこに「なんだかなぁ」の思いが生まれるのかなと自己分析です。
愚陀仏庵の方は、昨年のニュースからどうかなとは感じていましたが、結論が出てしまうとやっぱり残念です。
子規庵の方はラブホ街ですか。なんとも行き辛い…^^;