Forth!

移転しました(2014/1/1)

移転のご案内

ご訪問ありがとうございます
このブログは2013年末にて更新を終了し、現在は新ブログで更新しています

移転先:Para Bellum(パラべラム)

また下記サイトも運営しておりますのでぜひ遊びに来て下さい。

サイト:月に叢雲花に風

これからも【Forth!】改め【Para Bellum】を宜しくお願い致します。

2013/12/31 ヒジハラ

つれづれ

2009-09-30 | ヒストリ:近代MTS
…創作間に合いませんでした…
いや7月8月サボってたんで9月は!と思ってんたんですが思ってただけで終わった(オイ
いや先週位から書き始めてはいたんですよ?
いたんですが3行くらいしか進んでないorz
やっぱ9月ですし、西南だよね~と思いつつ…まあもう少し頑張ってみます。
史跡で西南の方を触っていたので自分の中の雰囲気としては結構いい所にいるんですよね、今。
史跡の山鹿レポやら熊本方面のはこの際片づけるかとも思いつつ、「12ヶ月」先にやろうとは思っていたんですが(苦笑

ジュリアとヤーナにはちょっと会い飽きけど、イナバとマツモトになら毎日喜んで会えるなと最近ライブDVDを見ながら運動してます(←珍しく本気でダイエット中)。
8月にシングルが出てから聞く音楽が徐々にB'zの方にシフトしてますが、いやー。良いよね~(笑顔)
来月更にシングルが出て、再来月は久々にアルバム。
来年からライブジムも始まりますし、待ってました!という感じですね

THE CIRCLE~Actionあたりのアルバムを聞いているんですが、去年桐野利秋の長編を書いている時に聞いていた曲が盛り沢山で思わず読み返しました。
しかしアレを読む度に自分頑張ったと思いますわー(自分で言う)
どうやって辻褄を合せようとか、西郷どん出すべき?とか。
西郷どんとか書けないよ。私みたいな小童が。
張った伏線を活かし忘れるということがなくてよかった。笑。
些細なことから本筋を左右する所まで、本当に悩む所が多かった。
困った時は大抵別府晋介が勝手に動いて喋ってくれるという。
まるで神。神様仏様別府様。困った時の別府頼みでした。
オリジナルを交えて戦況(史実)を描くのもさることながら、土地勘とか距離感の無さというのが殊更に厳しかったです。
そらー薩摩にはたった数回しか行ってないもん、うち(;´Д`)
でも調べたことの積み重ねをダイレクトに創作話に成果として放りこめるのは嬉しかったです。
地元の方が読んだらどうなんだろうという恐ろしさはこの際頭から消しておきます(笑)

そして他のもやらんとな、と思うのですよ~…
桐野(というか西南w)は長編迄行かなくても、もう少し違う話も書いてみたいなとは思うのですよね。
興味がある人物は結構いますし。もっと勉強しないとダメだな(^^ゞ
あーでも資料ねーなー

しかし桐野は不思議な人だな~
長編でも書きましたが、きらきら万華鏡みたいな人だなと。
あれは桐野に触れた少年の感想ですが、私の持っている感想でもあります(笑)
西南戦争で将になった篠原国幹や村田新八とは雰囲気が違うような気がするんですよねえ。それが若干なのか随分なのかはよく分からん。
西郷どんへの対し方とか。
あまり良い言い方ではないかもしれないけれど、この人達とはなんとなくどこか一線があるような気がしないでもない。

それと同じく…でいいのか、なんつーか。
薩摩の将って世代間ギャップってあると思いません?
桐野、篠原、村田、永山弥一郎辺りの大幹部クラスと
別府、辺見十郎太、河野主一郎、永山休二とかの幹部クラス。
大体10位の年周りがあるのかな。
大幹部は40代前半、幹部は20代後半、30代前半。Q2は30代後半だっけ?
若い方は元気で過激。結構エキセントリック。
戦になると個々人で勝手にしかも的確に判断して、大幹部のおじちゃんたち(笑)は
「あーいいよいいよ。思うように兵隊動かしてみなよ」
ってな感じ。
そらーこの方々若くても戊辰戦争に出てますからね。
10代後半20代そこそこの時期に小隊長とか半隊長とかのクラスで(つまり十人以上の部下がいる)。
辺見なんて18歳で120人の兵隊率いる隊長様ですよ(しかも初陣)。
戦になると頼りになるんですこの方々。
まあでも戦争前とか、それ以外ではあまり褒められたもんじゃないですなあ…
個々人としては非常に素敵な人ばかりだと思うのですが、この世代の言動って戦争が起った一要因(薩摩側の)だったのではないかなとも、思うんですよね。
西郷どんや桐野さぁに会って怒られると軽挙妄動は慎まないとと思うけれども、城下に帰ると積極論に頷いてしまうような。
間に立っている人は気の毒だと思う反面、やっぱりまだまだエキセントリックでしかも若いだけに自重とか自制とか、そういったことが中々難しい。
私は世代的には幹部クラスの方ですが、何となく気持ち的には幹部クラスを見る大幹部クラスのような感じになってしまう(笑)



早速アンケートにお答えいただきました方、ありがとうございました!
平安の続きものに票が入っているのが何とも嬉しい…(涙
がんばってちくたく書きためますね~!

 
ランキング参加中 
にほんブログ村 歴史ブログへ  
拍手ありがとうございますv


>なかむらきりのさん
いいえ~。こちらこそメッセージありがとうございます♪
というか今日から鹿児島ですね!羨ましい!(笑)
こちらをご覧になるのは数日後かと思いますが、楽しんできてください♪


>水橋さん
お久しぶりです!
中々更新がゆっくりのカテゴリーですが、お読み頂いて嬉しいです。
清衡の事は私も考える度にどうして中尊寺を作れたのかとても不思議で、興味を持ってこの方本当に尽きないテーマです。
岡本太郎さん、そんなことを仰っていたのですか…
中央の文化とは違う気がするというのは、とても頷けます。その違いが平泉の成立にあるのではという事ですが私もそう思います。
そこに至るまでの清衡の歴史が重いものですものねえ。中尊寺の供養願文を読むと胸が熱くなります。
しかしながら流石地元でいらっしゃる(笑)
やっぱり伝承が多いですね。前九年に限らず岩手は特に地元の伝承が多いような気がします。
八幡平の由来は田村麻呂かと思っていました。でも考えたら「八幡」平ですもんね(笑)義家の可能性もありですね。
そういえば八幡平に源太岩展望所?ってありません?
源太といえば義家の幼名。やはり何か関係があるのでしょうか。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする