地震から、2日たちました。テレビを見るたび、あまりにも悲惨な状況に言葉を失い、悲しくなります。今でもたくさんの方たちが辛い思いをされていて、自分に出来ることは何か・・・節電と募金かなあと思っています。パパと話して、パパの会社を通じて募金はすることにしました。
2日前、ここ横浜での揺れもほんとに怖かった。後で聞いたら震度は5。
私は、午後から、かずの3歳児健診のため区役所にお友達と行きました。その後、お友達と別れ、さえのお迎えまで少し時間があったので、取り置きしていたものが届いたと連絡があったので、デパートへ。ちょうどかずも寝てしまったので、5分ほどのことだしと思って車に置いたまま店内へ。その時地震が起きたのです。自分のしたことを本当に後悔しました。何で車に置いてきてしまったんだろうって。すごい揺れで、しかも長かった。揺れる中、でもとりあえず、かずのところへ戻ろうと急ぎました。館内放送で“この建物は耐震構造なので安心です”みたいなことを言っていました。車まで戻って、寝ているかずを抱っこして、再度店内へ。かずのところに行くまで生きた心地がしませんでした。
そして、大きな揺れがまたあって、お店の中の広場のお水もバシャバシャとまわりは水浸し、商品も落っこちたり、それでも大きな建物だし、たくさん人もいるから、マンションのお部屋にいるよりはよほどよかったと思います。
そうこうしているうちにパパから『大丈夫か?』とメールが来て、さえの幼稚園からも『園児は無事で園庭の中央に集まっています』とのメールも来て、家族の無事も早い時点で確認できました。でも、パパとの電話は繋がらす、とりあえずこちらも無事だと言うメールを送りました。
それから、揺れも少し落ち着いて、お店から帰る人も出てきたので、車の運転は少し怖かったけど、さえが幼稚園から戻ってくるバス停へ向かいました。帰りが少し遅れると、幼稚園からメールがきたけど、向かいました。その間も、同じバス停のママ友が1歳の赤ちゃんとおうちできっと地震にあっていたはずと思い、心配で何度も連絡したけどなかなか連絡がつかず、バス停に着く直前にやっと連絡がつきました。そしてバス停で会うと、やはりおうちにいて、グラスが割れたり、停電もしたりしていると聞き、大変な地震だったと改めて思いました。我が家へ帰るのが怖いなあと。さえが帰ってくるまで車の中で一緒にテレビを見て、とても大変なことになっていると驚きました。そしてまた余震が来るかと思うとそれも怖い。
さえは、30分遅れで、帰ってきました。やはり実際に会うまでは不安。無事でよかった。幼稚園バスから帰ってきたさえは、いつもなら脱いで帰るはずのスモックも着たまま、防災頭巾を持って、上履きも上履入れでなくビニール袋に入れて、下りてきました。幼稚園での避難、慌てたんだろうなあってひと目でわかります。でも、あとから、たまたま幼稚園にいたママ友から、幼稚園での先生達の対応がすばらしくて、泣いている子供もいたけど、園児達みんな指示に従って混乱もなく避難していたよと聞いて、本当に先生達に感謝の気持ちでいっぱいでした。ママたちがお迎えにこれない園児達も夜遅くまで預かっていてくれたそうです。帰ってきたさえ自身は、さほど恐怖は感じていないようでした。
そして、停電しているので、お友達と一緒に、とりあえずのものを買って帰ろうとコンビニへ。あたり一帯停電、信号ももちろんコンビニも。店内はうす暗くて、もう既にレジには列が出来ていて、お店の方もレジが使えないので、計算機で計算、値段のわからない商品の値札を見に行き、手書きでメモしてほんと大変そうでした。私たちもとりあえず並んで、交代で商品を取りにいきました。お水は売り切れ、パンやおにぎりも時間の問題かな。私はパンとペットボトルの麦茶とジュース、トイレットペーパーなんかを買いました。
そして、帰宅。思っていたほどの被害はなく、でも食器棚は半分扉が開いていてグラスは落ちる寸前、タンスや棚の上のものは落ちて、大きな家具も動いていました。もし、地震の起きた時間に自分達がここにいたらと思うと怖いです。暗くなる前に片付けれるところは片付けて、夜に備えました。でも、懐中電灯も壊れているのかつかないし、災害用のものって特に用意してない我が家で、日頃から意識が低かったなあと反省。
とりあえず、大きいアロマキャンドルがあったので、それをつけて過ごしました。子供たちにパンを食べさせ、寝室の地震対策で突っ張り棒をつけていた棚も微妙に動いていたので、そこで寝るのは怖いと思い、リビングへお布団を持って来て寝る準備をしました。かずはまだ良くわからないので、『ママテレビつけようよー』とか『電気つけてよ』って言ったりしていました。途中で、携帯電話用の乾電池式の充電器が有るのに気がついて、ワンセグでテレビをつけました。テレビの音があるだけでも安心しました。その日以降リビングで寝ています。
パパは、電車も止まっているし、会社の中にいるのが安全ということで待機。ひょっとしたら朝まで帰れないのかもと不安でしたが、夜中12時頃電車が動き出したとのことで、1時半頃家に帰ってきました。その頃停電も復活してちょっと安心しました。家族揃っていられることの幸せを感じて。
翌日、ホームセンターとスーパーへ買出しに。みんな考えることは同じで、懐中電灯コーナーは売り切れ、お水やパンも売り切れ、カップラーメンも残りわずか。我が家は、少し残っていたヘッドランプをとりあえず購入し、あと必要かなと思うものや食べ物、お菓子を買っておきました。
ガソリンスタンドに長蛇の列も出来ていました。
災害対策、全然十分でなかった反省、でも今欲しくても何も揃わない・・・。
テレビを見るたび、心が痛くなり、怖い思いもしたけど東北の方たちに比べたら・・・。
明日からは、計画停電もされます。電気のない生活、子供たちが不安がらないように考えなくては。
17日には、さえの卒園式、18日には、12日から延期されたかずのおゆうぎ会&お別れ会がある予定です。どうなるのかなあ。
今も余震が続いています。また大きな地震も来るかもって話だし。怖い日々は続きます。