・過去の思い出が失われると、潜在意識の浄化になり、エゴや自我の壁を取り払うことになるのか?
・人はすべてを失うと、固定観念もなくなり、執着心も取り払われて、心を開くことができるのか?
○感情を「クリアにする」方法を知り、そして「クリアでいつづける」ことこそが、奇跡をおこす“キー“になります。
潜在意識を浄化するには、色々な方法がありますが、日本人には感謝の深まりと、お互いに助け合う、深い愛情がカギになっているようです。
今回の震災には、私達が気づかない重大な意味があるように思えてなりません。
神は乗り越えられない試練は与えない!と言われていますが、多くの犠牲者が出て、最悪の原発の事故ですから、神も仏もない!と、思われている人も多いと思います。
まだまだ、多くの人がダメージを受けていますから、刺激的な文章は慎みたいと思います。
さて、三陸海岸には過去に何度も壊滅的な津波が押し寄せています。日本の太平洋岸は、マントルの対流がもぐりこむ地形になっていますから、太古の昔から、地震による津波は、回避でき災害でした。
何で、こんな危険な所に住み続けるのだろう?と、疑問に思いますが・・・。
地震や津波の被害よりも、海からの多くの幸に恵まれているから、この地に住み続けている理由だと思います。
昔であっても、今回の津波と同様に、多くの家も、人命も、生活の柱になる船も、すべてを失い、まるっきりゼロからの再出発を余儀なくされた人がたくさんいたと思います。
江戸や明治には、現代の様な情報も、機械も、そして、満足な支援なども、なかったのですから、家や住民の大半の命が失われたら、再起や復興は非常に厳しく、困難だったと想像がつきます。
けれども、現代よりもはるかに厳しい状況下でも、昔の人達は復興してきたのです。
何千年間もの長い歴史の中で、何十回も何百回も津波が押し寄せて、壊滅的被害を受け、そのつど、例外もなく復興してきたのですから、現代でも三陸海岸には多くの人が住んでいることになります。
江戸時代以前には、幕府はありませんから、復興にはそれこそ、とんでもない困難だったと思います。
昔の人は、家や家族、仲間などを失っても、自然に対しての恨み言や、悲しみをあまり長く引きずってはいなかったと思います。
すべてを失っても、命があることに感謝、自然の恵みに感謝、そして、生き残った仲間と助け合い、再建に専念したのです。
涙も枯れるほどに悲しむだけ悲しんで、嘆くだけ嘆いたあとは、自分の命があることに心からの感謝が湧いてきたのです。
仲間にはありったけの愛情を注ぎ、助け合って生きてきたののです。
大災害に巻き込まれたから、家族や普通に過ごす日常が奇跡のように輝いていたことに、心からの感謝が湧いてきます。
事故や病気になったから、普段の自分の健康な体に心から有り難く感謝できます。
ですから、もう一度、あの奇跡のように輝いていた時代に、子孫のためにも、復興に全力を捧げたのです。
ある時を境に、日常のすべてのことに、今までの何倍もの感謝を深めると、奇跡が起きます。そして、運命は好転します。
感謝をしながら批判的になる人はいません。ですから感謝は、今の一瞬に気づく、最高度のマインドフルネスの実践でもあるのです。
「今は、人間が2つに分かれる時」と言われています。
現代は、次元が上昇する激動の時代ですから、あらゆる人に地獄のような体験が訪れます。
これは、日月神事にも、聖書にもあります。
悲しみ、苦しみ、事故、病気、災害、戦争、倒産、破産、失業、失敗、挫折、絶望・・・・。
○この様な、地獄のような体験は、実は感謝に気づくための神さまからの贈り物であると思える人!
△失意のどん底で、こんな最悪の体験に感謝なんて、できるものか、と思う人!
人間が○と△の2つに分かれるのです。
最高の感謝行は、地獄のどん底にあっても、他の人々の苦しみを背負って、その中であらゆることに感謝ができること!と、言われています。
日本民族は、どんなに悲惨な天変地異があっても、感謝を深めて、奇跡を起こし、困難を乗り切ってきたのです。
能望の実践は、多くの人が体験していますが、どんなことにも感謝が深まります。はじめは、そんなことに意味があるのかな?と、思っていましたが、おおありでした。
今大切なのが、何があろうと、すべてを感謝に受け取れる自分になることです。
自らが感謝で光り輝くことですから、まさしく、能望の実践が必要なのです。
そして、感謝の言葉をいつも口に出して、ありがとうございます。と、言ってくださいね。感謝したくなる現象がたくさん起きてきます。
ありがとうございます。
・人はすべてを失うと、固定観念もなくなり、執着心も取り払われて、心を開くことができるのか?
○感情を「クリアにする」方法を知り、そして「クリアでいつづける」ことこそが、奇跡をおこす“キー“になります。
潜在意識を浄化するには、色々な方法がありますが、日本人には感謝の深まりと、お互いに助け合う、深い愛情がカギになっているようです。
今回の震災には、私達が気づかない重大な意味があるように思えてなりません。
神は乗り越えられない試練は与えない!と言われていますが、多くの犠牲者が出て、最悪の原発の事故ですから、神も仏もない!と、思われている人も多いと思います。
まだまだ、多くの人がダメージを受けていますから、刺激的な文章は慎みたいと思います。
さて、三陸海岸には過去に何度も壊滅的な津波が押し寄せています。日本の太平洋岸は、マントルの対流がもぐりこむ地形になっていますから、太古の昔から、地震による津波は、回避でき災害でした。
何で、こんな危険な所に住み続けるのだろう?と、疑問に思いますが・・・。
地震や津波の被害よりも、海からの多くの幸に恵まれているから、この地に住み続けている理由だと思います。
昔であっても、今回の津波と同様に、多くの家も、人命も、生活の柱になる船も、すべてを失い、まるっきりゼロからの再出発を余儀なくされた人がたくさんいたと思います。
江戸や明治には、現代の様な情報も、機械も、そして、満足な支援なども、なかったのですから、家や住民の大半の命が失われたら、再起や復興は非常に厳しく、困難だったと想像がつきます。
けれども、現代よりもはるかに厳しい状況下でも、昔の人達は復興してきたのです。
何千年間もの長い歴史の中で、何十回も何百回も津波が押し寄せて、壊滅的被害を受け、そのつど、例外もなく復興してきたのですから、現代でも三陸海岸には多くの人が住んでいることになります。
江戸時代以前には、幕府はありませんから、復興にはそれこそ、とんでもない困難だったと思います。
昔の人は、家や家族、仲間などを失っても、自然に対しての恨み言や、悲しみをあまり長く引きずってはいなかったと思います。
すべてを失っても、命があることに感謝、自然の恵みに感謝、そして、生き残った仲間と助け合い、再建に専念したのです。
涙も枯れるほどに悲しむだけ悲しんで、嘆くだけ嘆いたあとは、自分の命があることに心からの感謝が湧いてきたのです。
仲間にはありったけの愛情を注ぎ、助け合って生きてきたののです。
大災害に巻き込まれたから、家族や普通に過ごす日常が奇跡のように輝いていたことに、心からの感謝が湧いてきます。
事故や病気になったから、普段の自分の健康な体に心から有り難く感謝できます。
ですから、もう一度、あの奇跡のように輝いていた時代に、子孫のためにも、復興に全力を捧げたのです。
ある時を境に、日常のすべてのことに、今までの何倍もの感謝を深めると、奇跡が起きます。そして、運命は好転します。
感謝をしながら批判的になる人はいません。ですから感謝は、今の一瞬に気づく、最高度のマインドフルネスの実践でもあるのです。
「今は、人間が2つに分かれる時」と言われています。
現代は、次元が上昇する激動の時代ですから、あらゆる人に地獄のような体験が訪れます。
これは、日月神事にも、聖書にもあります。
悲しみ、苦しみ、事故、病気、災害、戦争、倒産、破産、失業、失敗、挫折、絶望・・・・。
○この様な、地獄のような体験は、実は感謝に気づくための神さまからの贈り物であると思える人!
△失意のどん底で、こんな最悪の体験に感謝なんて、できるものか、と思う人!
人間が○と△の2つに分かれるのです。
最高の感謝行は、地獄のどん底にあっても、他の人々の苦しみを背負って、その中であらゆることに感謝ができること!と、言われています。
日本民族は、どんなに悲惨な天変地異があっても、感謝を深めて、奇跡を起こし、困難を乗り切ってきたのです。
能望の実践は、多くの人が体験していますが、どんなことにも感謝が深まります。はじめは、そんなことに意味があるのかな?と、思っていましたが、おおありでした。
今大切なのが、何があろうと、すべてを感謝に受け取れる自分になることです。
自らが感謝で光り輝くことですから、まさしく、能望の実践が必要なのです。
そして、感謝の言葉をいつも口に出して、ありがとうございます。と、言ってくださいね。感謝したくなる現象がたくさん起きてきます。
ありがとうございます。