キャンディキャンディが大好きです。

テリィに堕ちたのに、どういうわけかアルバートにはまって、アルバートとキャンディのファンフィクションを書いてます。

ニュージャージーにしようとしたけど…

2022-04-28 23:33:00 | 書きながらのブツブツ
ニューヨークマンハッタンの、ハドソン川の対岸。ニュージャージーという街を、二次小説で描こうとした。

ので、一応、調べた。

当時、ニュージャージーには、
ペンシルバニア鉄道の駅があり、ここからフェリーに乗り換えて、ニューヨークに行った…のだとか。


ニュージャージーは、最初、オランダの入植地だったとか。

先住民がいて、最初は、先住民から土地を買って開拓した。

その後、先住民から、大規模な襲撃を受けて、今度は、先住民の虐殺をした…とか。

で、戦争があって、イギリス領になって?

で、今かいてる時代の数年後の禁酒法が始まる時代のあたりに、ハーグとか言う人が、ニュージャージーを牛耳っていたんだって。
警察も彼の言いなり。すんごい腐敗していたとか。

もうね、ネットのおかげで二次小説書けてますよ。
昔だったら、これだけ情報を集めるために、どんな苦労をしてたろう…。



1910年には、ハドソン川の下にトンネル作って鉄道をニューヨークまで走らせたんだって!!
で、ニュージャージーのニューヨークへのフェリーは役目を終えたわけね。

想像以上に、キャンディの時代って現代的で驚く!

で、
ニュージャージーと、マンハッタンの間には、自由の女神像が立つエリス島があるんだけど…。

自由の女神の後ろには
ブラックトムって呼ばれる場所…倉庫?があって、そこから爆弾を第一次世界大戦の戦地フランスに輸出していて、1917年(ちょうどいま書いてる年!)、爆破事件があったんだって。すごい爆発だったらしい。その爆破で、自由の女神のトーチ(手に持ってる炎)が吹っ飛んだらしい。この爆破事故は、隠匿(アメリカは中立のはずなのに、武器を民間会社が、売っていたから?)されたけど、その爆破は、ドイツの諜報員による破壊工作だったんだって。アメリカは戦場では無かったけれど、戦争の影響はあったんだね。

ニュージャージーのあたりは、武器製造が盛んだったみたい?

なので、場所をブルックリンに変更した。

コニーアイランドを出してみた。

コニーアイランドの海岸線は、1920年に地下鉄がマンハッタンから開通すると、人気の海水浴スポットになるんだって。



二次小説だし。

テキトーでいいんですけどね。

現実の世界も、いろいろきな臭いですが…、どうか少しでも悲しむ人が少なくなりますように…。

そして今、二次小説の方は…。
今、筆が止まってます。
スザナの劇作の内容をつめています。

これ、書けたら、スッゴい名作になる予感!?
早く描きたいー!けど、スザナの戯曲が…。地道にがんばります。

でもって、今、書いてるテリィ編、いかがでしょうか?
原作テリィらしくかけてると、言ってもらったりしてます💕が…。

テリィの、やりそうな事を書くと、カッコいい感じになるんですよ!
で、キャンディに想いを馳せているんですよね。書こうと思って書いたんじゃないんですよ。テリィの行動を描写したら…、キャンディに想いを馳せていたんです。

でも、ごめん、テリィ、ここはアルバート派のブログだからね。

とは、言いつつ、
非常に危ういです。
さじ加減1つで、テリィ派のブログになっちゃいそう。ギリギリのところを、お楽しみいただきたいと思います🎵
絶対、アルバートさんだから!
そこは、安心して読んでくださいね!

早く!あのシーンまでたどり着きたい!
タイトルは決まってるの。

『つま先立ちのキャンディ』

これが来たら、ああこれね!
と、思って下さいませ😍


明日からゴールデンウィークですね。
わたしは、仕事ですが💦
家族サービス&羽延ばして来ます!

ゴールデンウィーク後半に、オフ会してきます❤️
キャンディにまつわるおしゃべりをしまくってきまーす😍


↓1日1回推してくだされ!
(2回目は無効)




キャンディキャンディ(原作:水木杏子絵:いがらしゆみこ)の、その後を1ファンとして、勝手に想像して二次小説として書かせていただいています。

二次小説は、カテゴリで二次小説を選んで、パスワードを入力すると読めるようになります。

パスワードのヒントはお知らせにあります。

カテゴリー一覧はこちらからどうぞ↓
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二次小説は、個人の楽しみのために書かれています。原作からかけ離れている部分が多々あります。キャンディとアルバートの物語です。納得して頂ける方は、是非💕読んで行って下さいませ❤️




あのひと考察 追記

2022-04-23 11:35:00 | あのひと考察、最終考
最近、更に、あの人考察についての思いが深まったので、追記させていただきます。


とあるブログにて、そう!その通り!と、納得する文章に出会いました。

以下になります。


────────────

作者の狙いなのでしょうが、作品が曖昧で、物語の隙間が多く、読者の想像で埋めていかないと作品が完成していきません。

────────────


『FSの「書かれていないこと」は読めない。』とわたしは書きました。

この文章で、改めて気がつきました。
そう!書かれていないんです。


─────────────

あのひとを誰かを書くには長い物語が必要、
それは読者の想像に委ねると、作者は書いています。

──────────────

実にストレートに断言してらっしゃる。
カッコいい。


そうですよね。

そう読解するのが、自然な読み方だと思うんです。
そう読むのは、わたしだけじゃなかった。良かった。


引用させていただいた文章は、以下のサイト様になります。



作者:白鳥雨雨 さま

なぜ今更だけどFinal story

小説キャンディ・キャンディFINAL STORYに感化されて、徒然なる思いを綴った文章とそこから広がったファン・フィクションを書き留めたブログです。




ご本人の了解も得ております。
テリィ系の方です。
例のごとく、小説の全文は、わたしは未読です。
冒頭のみ読ませていただきましたが、とても美しい文章で、素敵です。

(わたしは、エピソードの重なりや、文章などが似たり影響を受けるのを避けるため、執筆中は他所さまの二次小説は読みません。作者さまに申告済みです💦)

白鳥さまは、とても聡明な方で、引用の御願いの返信にも、金子みすゞさんの詩を引用した返信をくださいました。

みんなちがってみんないい。

素晴らしいです。

白鳥さま、引用させていただいて、ありがとうございました。


最後に、


FSにあの人が誰か明確にできる事は書いてないと、この考えを主張すると、他の考えを否定することになるので、言うのをためらっていました。わたしは、努力は無駄だと言うのは嫌いです。なので、考察は無駄だと主張したいわけではありません。それが意図ではありません。『あの人は読者に委ねられた』と言う事を、主張したいだけです。



わたしや、わたしのブログ友だちは、とある方に、
『正しく読め』『なんでわからないかな』『読解力が無い』『読み込んで無い』など、数々の暴言を吐かれ、侮蔑をされ、読み方を押し付けられて腹立たしい思いをしてきました。

読解力が無いのはどっちだよ!言いたいところでしたが…ブログ上で応酬するなど、不毛だと思い、黙っておりました。

その方は、ブログを書きたいだけ書いて、すぐ消してしまう方なのですが…。
最近、意見を変えたらしいと、ブロともさんに聞きましたが…。

今までブログ上で、自分の主張(あの人は分かりきってる)を押し付けて、人の事を馬鹿にしてきたのですから、考えを変えた(あの人は曖昧にされた)と発言を変えたなら、今までさんざん言いたい放題言ってきたことに対して、ブログ上で弁明、謝罪すべきじゃないでしょうか。

一度くらいは、反撃しようと思い、一連の考察を上げました。

本来、個人的な内容は、ブログで書くことじゃありません。書かれたのでやむなく書いています。わたしがこういう事を書くのはこれきりにしたいです。

弁明、謝罪出来ないのなら、そのまま黙っていて下さいませ。わたしたちは、ブログ上で侮蔑的発言を止めてくれれば、それで良いと思っています。



追記
わたしの考察を、絶対的に正しいから受け入れろ…とは、欠片も考えていませんよ。

『自分の考えが正しいのに理解出来ないなんて馬鹿じゃないの。』と、侮蔑するような、失礼な行為を止めて欲しいだけです。

みなさまご自分の信じたい道を信じて下さいませ。信じたい考察を信じてください。




shushu

(苦言の内容と、文章を引用させていただいた白鳥さまは、全く無関係ですので、ご迷惑お掛けしないように、よろしくお願いいたします。)















あっ、違うかも…

2022-04-21 06:57:00 | 書きながらのブツブツ
今書いてる二次小説、ちょーっと、違うかな…ってとこ、あるんですよ。

でも、もう、疲れちゃって…、これで押し通そうと思ってます…。

いや、書き直そうかな。

うーん、書いてみたら、ちょっと違う…ような、違わないような…。

うーん。


テリィとスザナは難しい。

FSでは、
『婚約したけど結婚しなかった』…って関係性だったでしょ。それがね…、難しいよねぇ。水木先生は、どんな2人を想定していたんだろうか…。



スザナは、やはり、悪い人物像だったんだろうか…。

テリィは、金を搾取しまくられて、虐げられていて、スザナとマーロウ夫人は、酷い人だったから、最後まで結婚を拒んだのかな…。そんな人たちなら、テリィ、犠牲になる必要無かったんじゃないの?


または、
スザナはキャンディと別れさせた事に罪悪感を持ちつつ、テリィと別れる事が出来ず、精神的に病んで精神病院に入ってしまい、結婚出来なかった…とか?

お互いに、慈しみ合っていたなら…、結婚したよねぇ。

テリィの献身は、表面的なものだったら…。それも酷いなぁ…。
捨ててやれよ…って、感じだし…。


難しいカップルだよ…。

とほほ。

もう、ダラダラ書きすぎ。





うーん。



二次小説は

愛があるのなら… 3


までアップしました。


キャンディキャンディ(原作:水木杏子絵:いがらしゆみこ)の、その後を1ファンとして、勝手に想像して二次小説として書かせていただいています。

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あのひとを論争するよりも…

2022-04-14 17:28:00 | あのひと考察、最終考
あのひとは、FSでは、曖昧にされた。
原作者の先生がそう言っています。

私自身も、よくよく考えてみると、テリィらしいエピソード、アルバートらしいエピソードが混ざっていると感じ、名木田先生は、2人があの人に見えるように書いたのかもしれない。いやそうにちがいない…と考えるようになりました。

ですが、名木田先生自身は、あの人を曖昧にし、明かさないと言いながらも、あの人をアルバートさんにしていると思います。

理由は、FSに書かれているエピソードだけで、2人は結ばれていると読む事が可能だからです。

糸で結ばた運命

今がわたしの幸せです。

等の部分を、曲解、読みおとしせずに
ごく普通の自然な読み方をすれば、
アルバートさんと結ばれたのだと読む事ができるのです。

一方、テリィがあの人の場合、どのようにキャンディと再会したのか、どのように心を通わせたのか、どのようにスザナの死を乗り越えたのか、具体的なエピソードが一切書かれていません。

おれは変わってないというテリィからの手紙と、スザナの死亡記事と、あとは状況のみです。
宝石箱、エイボン川のほとりの家。状況のみです。具体的やりとりが全く描かれていません。


ですので、名木田先生はあの人をアルバートさんにして捉えていると思うのです。



けれど、FSは、あの人を曖昧に描いた作品なのです。

あの人は、2人いるのです。
その、あの人を、FS考察などで争うのは不毛です

あの人は曖昧にされた。

それがあのひと考察論争の答えです。


さかんに考察合戦が行われていますが、作者は、根掘り葉掘り言葉尻を捉えて思いもよらない曲解されて、ぎょっとしてると思います。




それよりも…。



わたしは、むしろ論争するなら、

キャンディというキャラクターは、テリィとアルバートさんのどちらを選ぶのか?

という事だと思うのです。


FSのあの人は、アルバートさんだ…と、わたしは確信していますが、キャンディというキャラクターがどちらを選ぶのか?という観点からみると…、アルバートさんだ…と、即座に答えるのは難しくなります。


少女漫画は、読者は主人公に感情移入して読みます。その読者の多くが選んだのがテリィならば、あの人はテリィが正解なのか…!?と、考えたりしてしまいます。

しかし、キャンディファンの多くは、テリィやアルバートに、深く思い入れしていないでしょう。そういう、一般的なファンは、『初恋の人と結ばれるのね。良かったね!』と、構成の素晴らしさに感心して終わっていると思います。

ですが、真の問題は…。

構成や、物語の役割などの観点などからではなく、純粋にキャンディというキャラクターの精神性を考えた場合だと思います。

・キャンディは、テリィを思い続けるのか?

・アルバートさんの愛に目覚めて、心変わりをするのか?

論争すべきは、そこだと思います。


二度と会えない運命があると知った。

それでも、キャンディは、忘れない…のか!?

キャンディのたくましい性格ならば、二度と会えない運命に立ち向かうはずだ!

そう、捉えるのか!?

アルバートさんと、昔から結ばれた絆が、キャンディの心に愛の繋がりを思い出させ、膨らませて、アルバートさんと結ばれたのか!?



まあ、この論争には、答えは無いと思いますけどね…。

イメージ作品のFSに、あーだこーだ言い続けるよりも生産的な論争になると思います。

この論争によって、二次創作に使えるエピソードを考えつく事ができそうですしね…。


おれは変わってない。


あの、手紙を貰ったキャンディは、辛くなるでしょう。
両手で喜べるわけがありません。

辛い別れをしたのは何のためだったのか…と、苦しむはずです。



まあ、そんな感じで…。

キャンディは、テリィを忘れられるのか?

皆様、語ってみてはいかがでしょうか?



わたしの場合は、もちろん、キャンディはテリィを忘れられます。

忘れるというより、テリィへの恋心とは別の場所に、アルバートさんへの別の愛が花開くのです。


アルバートさんに、キャンディは懐かしさを感じるのです。幼い頃から結ばれた運命の糸で結ばれたアルバートさんへの親愛は、ゆっくりと恋と愛に姿を変えて育って行ったのです。

なんて、ロマンチックなんでしょう❤️




shushu











FSは未完のイメージ作品

2022-04-14 17:07:00 | あのひと考察、最終考
わたしは、ファイナルストーリーでは、あの人を確定することが出来ない。と、前回のブログで書きました。
その理由を書こうと思います。

それは、
キャンディキャンディのファイナルストーリーは、未完のイメージ作品だと思っているからです。

ですので、曖昧なイメージ作品では、あの人を確定することが出来ない…と思うわけなのです。


ファイナルというのは、『名木田先生がキャンディを書くのが最後』ってだけで、『キャンディキャンディというストーリーの最終稿』ではない…と、思うんです。

名木田先生は、あのひとを明確にするには、長いストーリーが必要って言ってますよね。


そして、作者は、そのその長いストーリーを、細部まで深く詰めていないだろうって、わたしは、思っているのですよ。

深く詰めずに、ファイナルストーリーは描かれたと思うんです。

だから、もしも長いストーリーを作ったら、その発表する場の文字数などのサイズによって、エピソードも変化するだろうと思います。ということは、ファイナルのエピソードの時系列も変化して、変わると思うんです。

だから、あのファイナルを、いくら読み込んでも仕方ないと思うんですよね。

どんなに読んでも、『描かれていないこと』までは読むことが出来ませんよね?

水木先生は作家で、いつもお忙しくされてますよね。
書かない予定のモノを、そんなに深く詰めて作れないと思う。

それに、どんなに細かくあらすじを作っても、実際に作品にして、書き起こして行くと、ズレが出てきたりするもんです。

(実際、アンソニーの死も、バラの死から、落馬に変更になったりしてますよね。テリィが主役を喰ってしまったりしています。)

そういう事から、ファイナルは…。

あらすじのイメージを伝えているだけの作品だとわたしは考えます。


そして、そのイメージ作品に、原作者は、テリィっぽいエピソード、アルバートさんっぽいエピソードをそれぞれ散らして入れて書いているだけだと思います。

だから、あの作品に答え(あの人はどちらなのか)は隠れていないと思います。

水木先生は、FSという作品を、2人のあのひとを想定して書いたのではないか…、と最近わたしは、そう思うようになりました。




でも、
作者は、あの人を、誰だと思って描いているのか…と、そこを絞って読んで、答えを探してみるならば…。


漫画の最終回の、その後の姿が具体的に描かれているのは、キャンディとアルバートさんです。それから、ラストの人物描写は、テリィ派も、アルバートさんっぽいと受け取りますよね。

それが答えなんじゃないかな…と、わたしは思います。

わたしは…ね。



だいたい、
テリィとキャンディの2人が、どうやってスザナの死を乗り越えるのか…。そこに水木先生はどんなエピソードを授けるのか…。ファイナルには全く片鱗も覗かせてはいません。それを具体的に書くなら、今のファイナルと、全く違う時系列になると思います。

更に、テリィとキャンディが結ばれるなら、アルバートさんとの訣別があるわけですよ。もう、全然、長いストーリーはファイナルとは別物になるでしょう。

スリムの絵のエピソードなど、使わない作品になるんじゃないかなぁ。他に書くことが多すぎて…。

ファイナルは、大人になったキャンディは、しあわせに暮らしている…ということ、あの人は、ファンがその胸に描いている人でいいんだよ…ということ。

その二点を伝える為のイメージ作品である。

それが、わたしのファイナルに対する見解です。

それ故に、『イメージ作品の考察』など、意味の無い、雲を掴むようなものにしか思えません。(もとの作品が、イメージ作品なんですから。)私にはね。


イメージ作品であるとはいえ、

キャンディの、テリィのことを思うと、熟れて今にも落ちそうな杏…という描写や、

アルバートさんがキャンディに伝える、泣いてても可愛いよ…など、

素晴らしいエピソードが満載の、ファンには堪らない一冊であることは確かです。

特に、テリィファンにとっては、原作漫画では、どうあってもあの人はアルバートさんであったので、その呪縛から解き放たれ、『テリィであってもいい』という新たな決定を下しているファイナルは、特別な意味をもつものだと思います。

ですが、決して忘れて頂きたくないことは、あの人は、テリィに限定されたわけではないと言うことです。

作者の意思を尊重し、あの人は、どちらの可能性もあるとし、もう片方の可能性を排除、否定しないで、尊重しあえれば…と思います。

FSはイメージ作品。
わたしの見解です。

shushu

あのファイナルを読み込んで見えてくるものは…。空想の答えだとしか思えません。
空の雲の形をみて、これは家でね、色は赤でと、想像を膨らませているだけにしか見えないのです。

これが、わたしにとっての真実です。他の考え方もあるのでしょうが、わたしは、このようにしか思えませんし、この考え方が正しいと思っています。

ですが、わたしは、この考え方を他所のブログにまで行って、主張したり、押し付けたりする気はありません。

ブログでは、みな自分が正しいと信じていることを書いているのです。そこに乗り込んで、自説を押し売りするのは、ブログ主への侮辱であり、乗り込んだ人間の自己を過信する傲慢さと、他人には他人の考え方があるという事が理解できない愚鈍さを表していると思います。

ちなみに、

自説の押し売りは、一般的に「荒し」と呼ばれる行為です。

荒らさないように、ネットエチケットを守りましょうね。



shushu