今日は、日曜日、春宮宅は、掃除の日に致しました。日曜日なので、まあ、9時半以降なら、他所様にご迷惑にならないかと思います。それでも、春宮は、グスグスしています😓
掃除が終わってから、着た着物と帯にアイロンがけをして、畳んでしまいます。
『梅』の季節にしか、着られない羽織があります。亡母が、女学校時代の友人と、市松人形を作っていました。市松人形の着物も縫っていましたが、人間より、ちゃんとした本襲の着物を作っていましたので、人間の着物一枚から、人形の着物二枚しか出来ません。羽織からは、一枚しか出来ません。羽織のない家でしたが、何方からか譲られたのか、クリーム色地に、白梅紅梅が描かれて、輪郭は墨?面相筆でさっと描かれた友禅の羽織がありました。母は、人形の着物にすると言うので、「人形の着物にする前に、着たい!」と言って、春宮の寸法に、仕立て直して貰いました。今は、もう描けないような手描き友禅でした。春宮の寸法にすると、ほんの1㎝ほど、柄がなく、クリーム色の地色になってしまいますが、着てしまえば、わからない…という事にしました。
祖母から、七五三の時に貰った白生地を結婚する前に、赤臙脂の鮫小紋に染めました。その着物と合わせて、季節には、この羽織を毎年、一回は着ていました。母が、亡くなってしまいましたので、市松人形の着物に下げる事もなく、春宮が、着ています。
鮫小紋の着物、さすがに、赤が強いかな…と思い、染め直して、紫臙脂のような色の物にして、光の加減で、元の鮫小紋が浮きあがる…面白い着物になりました。その時に、婆だから…と、袖丈を少し短くしました。羽織の袖丈にあう着物は、気軽に着る羽織より格が高く、雰囲気があいません。箪笥を、掻き回しましたが、婆用に、袖丈を短く仕立て直した物ばかり、箪笥の引き出しの開け閉めに疲れました。それこそ自宅用・稽古用の藍のどうでもよいような大島が、袖丈があいました。帯も、結婚する時に持たされた銀箔地の名古屋帯があい、何となく纏まりました。羽織と着物にアイロンがけをしました。
袖丈の合わない着方はしたくない…春宮の矜持かもしれません。結局、母に持たされた物で纏まりました。結婚する時は、先々を考えて地味な物を持参させられて、不満でしたが、『地味』だった物より、春宮の方が老けました。母の市松人形用になるところだった白梅紅梅の羽織、見ると、母との会話を思い出します。あと、何回、着れるでしょうか…😊