春宮のひとり言

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春宮のひとり言 995

2024-02-17 00:09:37 | 日記
このところの寒暖差についていけないのか、朝から鈍く頭が痛いです。胸も重苦しい感じで、何もする気がおきません。
へたっと座っていても出来る事、電話。3月は、都心への通院日が2日あります。手巻きの亡母の時計が動かなくなりました。亡父のクォーツの懐中時計も動きません。稼動しているのは、就職した翌年に購入したロンジンの時計と、約30年前に購入したロンジンの時計とシチズンの懐中時計の3つと、好きで求めた約80年以上前の手巻きのウォルサムの懐中時計なのです。要するに、古い時計が、腕時計二つと、懐中時計二つしか稼動していなくて、困っております…という事です。春宮は、シンプルな若かりし頃から使っていた時計が好きなので、大切に使っています。
時計の修理は、三越本店の時計修理部のAさんに頼んでいます。それ以前は、Kさんでしたが、お亡くなりになる前に、Aさんに引き継がれました。失礼乍ら、同じ修理部の中でも、上手さのレベルがあるようです。
34年前に亡くなった義母の遺品に、Ωのデビルという時計がありました。故障する度に、Kさんに修理していただいていました。あまりに故障するので、一度大きくオーバーホールなさってからは、その時計の修理代は、受け取って下さいませんでした。職人気質、職人の矜持のようでした。春宮が、「Ωがデビルなんて名称をつけるから、故障ばかりして、本当にデビルだわ!」と言ったら、いつも口を一文字にキッと閉じて恐い顔つきのKさんが、珍しく慣れないような笑顔を為さったのが忘れられません。春宮は、職人気質の方が、好きです。デビルのお陰で、Kさんと知り合えました。それ以来、時計を通して、長い付きあいとなりましたが、笑顔を見た事は、殆どなく言葉を交わす事も少なかったです。まわりの社員さん方からも、「Kさん、笑顔…」等と言われて、愛すべき存在の方だったようです。一線を引かれてからは、銀座三越で、後輩の指導をなさっていました。職人気質のAさんに、担当は引き継がれました。修理の場合は、春宮は、絶対に急がせません。緻密な仕事をなさっているのですから、相手の出勤日にあわせて、伺います。電池交換かな…と思う時は、この頃は、女性の技師の Sさんに、やって貰っています。今回は、オーバーホールになりそうな気がしますので、時計修理部に電話をかけて、春宮の上京日を受け付けの女性に伝え、Aさんの出勤日と擦り合わせを致しました。『客であっても、客ぶらない』という姿勢は、両親の背中から教わったような気がします。古い社員さんが、「『買う』という言葉を使われる方は、少なかった…譲っていただくとか、わけていただく…とおっしゃる方が多かった」と、三越の古くからの客の雰囲気を懐かしいんでいらっしゃいました。購入するのでも偉ぶらない…それが、いずれ我が身に返ってくる。客と社員さんのあうんの呼吸、今は、そのような事、ないでしょうね。気を遣ってしていただいた時は、気は心…と言って、榮太樓の飴など差し入れていました。春宮や、チャカリ屋の妹も、それは受け継いでしております。潤滑油です。安くして貰おう等という考えはありません。売り手もプロ矜持の方、いらっしゃらなくなりました。寂しい事ばかりです。
『職人気質』の方、出来る限り、お仕事を続けて下さい…と、思うばかりです🙇