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しゅうりずむ

酸いも甘いも。。。

2011今年の一字『決』

2011年12月08日 | 日記
今年の一文字はなんだろうとふと思い、
最初に思い浮かべたのがこの『決』という文字であった。

自分にとって重要な決断、決定が多かったとの想いからである。

そして、自分や家族の判断は自分で決めなくてはいけないと痛感したためである。

1月 引っ越しをしようと決めた。
   家を売ろうと決めた。
   出張生活が多く子供の将来も考え、東京に住もうと決めた。
   僕は宇都宮まで新幹線通勤する予定で品川や高輪、五反田、白金と家を探した。


3月 震災
   震災直後、京都に避難しようと決めた。
   原発がどうなるか分からなかったし、”まぁ大丈夫だろう”と思うにはあまりにも
   根拠が無さすぎた。
   このときこそ、世論はあくまでも世論、自分の環境に合わせた判断は
   自分でしなくてはならない判断のよりどころは自分だと今更ながら
   大人になったと思った。


5月ー7月
   働く会社を決めた。 
   9年以上働いた会社を辞めることを決めた。 
   やりたいことの為に、1つの場を去るという決心。実際、これが1番切ない。

   余談だが、転職し感じることは自分のキャリアは
   自分でマネジメントしていかなくてはいけないという事。
   転職していなくても当たり前のことのように思えるが、この感じ方の差は大きい。
   誰も担保してくれないという責任感、自立のようなものが芽生えた。


7月 保育園が決まった。
   価格交渉し家の売値を決めた。


9月 家を買うことを決めた。
   結果的には会社が東京になったので世田谷に家を決めた。
   価格交渉し買値を決めた。


多くの重要な決断を1つ1つ家族と話しながらやってきた。

麻雀の1打1打の意思決定、ブラックジャックのStay or Hitの意思決定と同じで
戻ることはできない1つ1つが大事な決断。

少々大袈裟ではあるが自分と家族の人生を賭けての決断だったわけだ。
まぁ客観的に見ればかなり安定志向な道ではあるが・・

とは言え、今となって”ふぅ”とやっと一息である。

『志』普通はやりたいことは分からない

2011年12月07日 | 日記
大学院で一緒に学んだメンバーが研究プロジェクトを通して1冊の本を書いた。



普段から『志』『やりたいこと』『将来の目標』などといった言葉に
触れていない人には青臭く映るだろうこのタイトル。

今日、さっき届いたのでまだ読んでいない。

自分なりに『志』というのは『人生で成し遂げたい何か』という意味合いで
使っているのだが、少なくとも自分は未だにそれがなんだかよく分かっていない。

自分がやりたいことってなんだろう。
誰しもがふとした瞬間に考えながらも、歳を重ねるにつれ考えることをやめて
しまっているのではないだろうか。
それはあまりにも寂しい。

マズローの欲求段階説でいけば最終段階
(1.生理的欲求 2.安全の欲求 3.所属と愛の欲求 4.承認の欲求 5.自己実現の欲求)
それだけにハードルは高く崇高な行為なのかもしれない。
事実、考えるのは面倒くさいし相当疲れる。


自分の場合『志』が分からないなりにも、
ぼんやりとは描き、でもそれが本物なのかは分からないという感じだ。

それでも大学院に通ってなかったらここまで本気で考え探すことはなかったであろうし
どう考えてよいかも分からなかった。


『志』 最初からある人なんてそうそういないだろう。

最近やっと分かってきたことに、1歩何かしら踏み出すと今まで見えなかった
新しい1歩が見えてくるということだ。
当たり前のことのようだが、経験に基づいたこの発見は大きい。
(同時に能力の無さや積み重ねてこなかった自分のふがいなさも見えてしまう。。)

そしてこの1歩1歩の積み重ねがいつしか”すごいこと”につながる。

簡単なイメージを描いてみた。



2,3歩(矢印2,3個分)進むと何も踏み出していない人(真横矢印)からは
既に大きなことをやっているように見える。
1歩進んだ本人にしてみれば本当に小さな1歩1歩の繰り返しである。
これを繰り返しているうちにどんどんとやりたいことが見えてくる。
小さな1歩でも、自分にストレスをかけ自分の小さな殻をやぶるプロセスの
連続の成果である。

それが天から与えられた使命かどうかは分からないが、
思考の元に行為を繰り返していれば、自然とそれが好きになり道となり目標、志に
なるのであろう。

思いつきで恐縮だが、
どれだけ大きなことを成し得るか、志に近づけるかのポイントは3つ

1、いつの時点でどれだけ大きな目標を設定できたか
2、1歩を踏み出しているか
   (恐らく踏み出している本人にとってそれが1歩なのかは分からない)
3、継続的な1歩を続けているか

勿論、イメージのように誰しもが同じ力(矢印の長さ)や
スピード(矢印の角度)ではないので成し得る事の大きさはひとそれぞれ。

常に自分に問い続け、CanベースではなくWillベースで『夢』を『志』を
持つことが人生を豊かにするコツなのではないかと思う。

さっそく本を読んでみよう。

考えが甘い

2011年11月19日 | 日記
ここ数年強く感じていることがある。

自分の思考の弱さ。

小・中・高・大学と勉強してこなかったことに後悔はほとんどない。
いや、ややある。

引き換えに、他人から見たら必要ないことまで多くを学んだ、と信じている。
というよりそれが無かったら僕には何も残らない。

ただ、勉強はともかくもう少し考えてくれば良かった。

探究心、好奇心は思考ではなく行動で満たしてきた。

試験という点では常に一夜漬けとなり考えるというより
答えをいかに探すかが勝負であった。
そういう答えさがしだけ要領が良くなってしまったわけだ。

この力、30過ぎると役に立たない。

例えて言うなら、
2×3は2が3つあるから6ではなく2X3=6という結果しか
僕には残っていない。だから応用も効かないし深みもない。

対面が自分からポンして上家と下家がチーしたら本来の自分のつもはどこ?
みたいな思考のつなぎも弱い。

本を読んでも書いてある事はすんなり入ってくるのだが
自分の考えとの対比、なぜそうなるのかを考える力が極端に弱い。


そんなことに悩んでいるわけだ。
これはひたすら日頃から気を付けて思考の訓練をするしかない。

ただ、優秀な人たちはむか~しからそういう思考を積み重ねてきているから
深さと広がり、速さが全然違う。

そんな場面に遭遇すると自分とのギャップを強烈に感じる。


父親はいつも覚えるのではなく原理を理解しろと言っていた。
僕はそれをしてこなく、今になりやっと負の側面を体験しているわけだ。

自分の子供はそうならない良い工夫を弱い思考なりに考えてみよう。

完全なる平等なんてない

2011年10月24日 | 日記


これには学校の始業時期が大きく関与しており、発育期に顕著な体格・体力・運動能力の差が各年代の選手発掘の段階に大きく影響され、その年代にセレクトされた選手が、そのまま中学~高校を経てサッカー経験を積んでいると考えられる。(by Jリーグニュース)


『平等な条件の基、競争は行われるべきだ』
反対する人はあまりいないだろう、総論賛成的な意見だと思う。


官の天下りや既得権益、規制による特定企業・団体の利益、
一度は嫌気がさす。

平等な競争の結果の貧富、勝ち負けなら納得がいくのか?

しかし平等な条件とは一体何か。
条件を縮めることはできてもゼロクリア的な解決(完全なる平等)は絶対にあり得ない、
と個人的には思っている。


自分が初めて不平等を強く感じ疑問を持ったのは大学の頃。
東南アジアの貧しい街々を歩いた時。
同じ年頃なのに全く生活は違う、幸せの定義は色々だろうが、当時僕は
自分はなんて幸せなんだと感じ同時にたまたま産まれてきた国が違うだけで
この差か。。と憤りや疑問を感じた。


話は変わり少し前に流行ったハーバードサンデル教授の授業

平等、公平の授業で、ハーバードの生徒たちは努力してきたのだから
報われて高い報酬を貰うことは悪くない・・(確かそんな流れ)
サンデル教授は生徒たちにある質問をした。
「この中で長男・長女の人は?」

 結果、約75%
「これは公平な条件での競争結果か?」

http://www.visualecture.com/wordpress/?p=3094

学力という点においては上の子が成績が良い傾向にある事は間違いない、と思っている
(個人的に自分が下の子で成績が悪かったというn=1サンプルの思い入れが強い)


冒頭のJリーグに戻るとやはり子供の4月生まれは強い、成績も良い傾向にある。

保育園の入園も有利。娘は8月生れだが0歳児クラスで1番遅生まれであった。
ここでハイハイや歩き出すのが1番遅いとやはりなんらかの精神的影響はあるであろう。
甘え上手になるとか、1番になりたいという欲が減るとか。。


もう少し世の中の見えてる・問題となっている不平等について考えてみようと
思ったがちょっと疲れたのでそろそろ終わり。


結局平等なんてのは望まない方が良くて、
政治に何か解決を求めるのは良いが、
今の条件で限りなく努力する方が近道で自分の努力の方が100倍強力だと
僕は思っている。

そして比較するなら自分!昨日の自分やあるべき自分と比較するべき。
他人と比較して良いことなんて何にもない。
みじめになるか、自惚れるかでろくなことはない。

クロネコヤマトの小倉昌男もソフトバンクの孫正義も圧倒的に不利な条件下で
戦いそして勝利をもぎ取ってきた人たちである。

不平も批判も行動あってこそ!!


とは言え、わが子を仮に慶応幼稚舎に入れようと思っても
学力とコネと金が必要なので残念ながらもう今からの努力では
どうにもならないのだろうな。

高山プチ旅行

2011年10月17日 | 日記
Let's go 高山ロングドライブ♪



松本から高山の100kmはお気に入り、最高のドライブコース。

行きは夜で土砂降りだったので相当怖かったが帰りは
天気がよく車も多かったのでのんびり景色を見ながら with高山と言えばMISIA♪

観光は無くずーーっと飲んでいたが良い同窓会ができた。



友人実家 宮川中華
相変わらず大盛況でうまかったです。

朝飯食べて2時間後というのに5人で

ラーメン5杯
つけ麺2杯
チャーハン大
焼きそば大
カレー大
ギョーザ2皿

きれいにたいらげました。
ご馳走さまでした。