しゅうりずむ

酸いも甘いも。。。

繰り返される復旧立ち上げ

2011年04月16日 | 日記
先の見えない避難所暮らしや農業、漁業、
もしくは原発に関わっている方々からすれば小さな話かもしれない。

それでも繰り返される地震の中で
何度も何度も復旧、立ち上げ作業をしているエンジニアの方々がいる。

世界にシェアを奪われつつある今でもなお
国内、関東や東北には多くの半導体、液晶工場がある。

目に見えないほどのナノやミクロンの精度で動く装置、
震度1,2でも地震が来ると装置は止まる。
震度5や6ともなればどこかしら壊れることは珍しくない。

そしてLSIや液晶パネルが作れなくなり
北米トヨタのように生産がストップする。

そうなると、例えば知り合いの誰かが買おうとしていたトヨタ車が納期延期となったり
iPad2やiPhne5が買えなくなったりする。

主に国内を担当する部署のメンバーは各地の工場復旧作業に当たり
地震の翌週からずーっと帰ってこない。

装置の立ち上げ作業を知っているだけに地震が来るたび
今までの確認作業をまた一からやり直さねばならない虚しさを
想像すると可哀そうでならない。

家族が家にいるのに帰れず、そして顧客に怒られ。。

早く余震もなくなってくれることを祈るのみ。

ネット規制

2011年04月06日 | 日記
著名人のコメントを楽しみにしているTwitter、
最近活用しているFacebook、
たまに見るYouTube、
いずれも中国では見れない。
種々裏工作をすると見れるらしいが・・

ネット規制、つまり情報規制、つまり情報格差とは恐ろしいもので、
日常当たり前であった情報が入らない。

日本にいても会社は同様。
”仕事に必要ない”という理由で社内からネットアクセスは
相当制限されている。

一般的なSNSは勿論のこと、スポーツ芸能系ニュース、株売買等々
さらには不思議なことにCNNさえも見れない。

持参のWifi&PC/iPad/iPodtouchで見れるのでさほど不自由はないが。

国や企業のPowerとは怖いものである。

地震7-避難所-

2011年04月03日 | 日記
3月31日に双葉町の方々がさいたまスーパーアリーナから
次の避難所に移った。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110402-OYT1T00849.htm

被災し、原発の20km圏内になり、避難を余儀なくされ
その辛さや悲しさや悔しさは僕の想像をはるかに越えている。


家から見える避難してきた方々の車

避難所では毎日朝からボランティアを受け付けしていた。
毎日すぐに締切となるくらい多くの人が参画した。

物資の受付は毎日必要な物が貼り出され皆に配られた。



青年商工会議所で炊き出しをしたり、
地元中学の吹奏楽部が演奏したり、
有志?NPO?が合唱をしていた。





TVでしか見た事の無かった避難所、行かなければ分からないリアルが
そこにはあった。

うまく表現できないが、確かにそこには生きる力や思いやりなどの
気持ちが溢れていた。
涙がでそうになった。

まだまだ復旧へ向けてできることはあるし
http://www.apbank.jp/fundforjapan/volunteers/
その先の復興へ向けて何ができるか、微力でも自己満足でも何か、何かあるはずだ。