毎日宿酔膵炎男

膵炎の次は心房細動

志摩の國一宮 伊雑宮

2017-05-24 20:21:34 | 日記
二見興玉神社を後にして、伊雑宮に向かった。グーグルマップで調べた二見、鳥羽ラインの道順で行くつもりが、カーナビのおかげで海岸沿いを行くことになってしまい、時間を食ってしまった。

同乗者の文句を聞きながら、何とか駐車場にたどり着く。
空気感がいい。


一礼して入った鳥居の右前方に怪しげな木の根っこ巾着楠。

左を見ると封印された井戸。


歩を進めると二本の角度の違う杉が。


ここまでくると不満げだった同乗者たちも神域の雰囲気に、心穏やかになっていた。


見えてきました。ひんやりとした空気。朝の光。

祓所

遷宮跡。

外宮や内宮の本殿だけじゃなく14か所の別宮も。


二拝二拍手一拝。倭姫、心安らかにお休みください。御朱印頂きました。伊弉諾神宮で買った朱印帳は、後一枚残っている。でも、最後の一枚は猿田彦神社と決めていた。伊勢神宮に関する朱印は大神神社の朱印帳に収めるつもり。始まりは大神神社、次が外宮そして内宮。伊雑宮はその次の次のページに頂いた。外宮優先。月夜見宮の次になる予定。

伊勢参り二見興玉神社 

2017-05-21 20:47:10 | 日記
20日、午前2:15、家を出た。中辺路を通り、熊野市、尾鷲をまわり、二見興玉神社へ。5:45到着。すでに夜は明けていた。

神宮参りはここから始まるらしい。猿田彦、その猿田彦の民を蛙と呼び、征服していった皇祖達。怨霊封じのために庶民に崇めさせる構図。神社の闇は深い。けれども、そんな日本の仕組みのおかげで、こうして神社をめぐる楽しさや有り難さを感じられる。「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」西行法師が伊勢神宮で詠んだといわれる和歌。伊弉諾、伊弉冉、軻遇突智、月読、素戔嗚、大国主、猿田彦、名草姫、丹敷戸畔、長髄彦、瓊瓊杵尊、時代時代の思惑がそれぞれの神社の創建に関わっているんだろな。


日の出には間に合わなかったけれど、素晴らしい景色。

二の鳥居に向かって歩く。ちらほら人の姿も。駐車場には車が数台停まっていたな。

ここにも天の岩屋があった。伊弉冉がお隠れになった花の窟屋神社。ここは天照大神と豊受大神らしい。猿田彦は豊受なのか?


猿田彦を守る蛙。皆に撫でられピカピカに。

夫婦岩に向かっての鳥居。二つの岩の間から出る日の出は神秘的だろうな。

拝殿。いつものことながら、祈願などせず、ただただ、無事に来られたことに感謝しつつ、二拝二拍手一拝。

御朱印を戴こうと思ったら、5,6人の人が並んでたので、先に龍宮社へご挨拶。

新しい創建なので意外。

残念ながら御朱印は8:30以降らしくいただけず。戻って二見興玉神社の御朱印を戴き、志摩の國の一宮、伊雑宮へ向かった。