産土神の神社の桜3/22
3/29
4/1
4/3
日に日に満開になっていく。自然の不思議。
伊勢神宮、伊弉諾神宮とお参りしたのでぜひとも来たかった大社。
やはりここにも橋が。反り橋。
さあ、彼岸へ。
何とも荘厳な
この世の平和を祈願してきました。
滋賀県に行った。まずは一宮建部大社へ
第二京阪自動車道に入るまでに時間がかかり、予定より一時間近く遅くついた。倭建命にご挨拶。
駐車場へ停めて戻って写真撮影。
さあご参拝。近江旅行が楽しいものになりますように。頼朝の出世水や菊花石。さざれ石。
バタバタと参拝し、御朱印を戴いて次の予定地へ。
急がば回れで有名な瀬田の唐橋へ
ことわざになった場所。この後、日吉大社、多賀大社、彦根城、翌日は竹生島、ラコリーナ、
牟礼八幡神社へ行った。一泊二日、意外と時間的な余裕があった。
先日、和歌山市内の娘の所へ誕生日祝いを持っていくついでに和泉國の神社を巡ろうと思い立った。
一宮は大鳥大社、2010年にご挨拶に行ってきた。
和泉の國に二宮~五宮総社があるのを知らなかったので今あまり運気がよくないので隣の國の神に助けてもらおうと?巡礼した。
二宮和泉穴師神社
岸和田のだんじり祭りの準備の様子が町中に見られ場違いな気がしたが、8日9日迂回のお願いが多く見られたのでいいときにごあいさつにいけたなあと思えた。
三宮聖神社
とても厳かな神社だった。祭神うんうんというよりいつもありがとうという気持ちでお参りした。
四宮積川神社
いい雰囲気の神域、神職も穏やかでとても幸せなきもちになれた。
五宮
お気に入りの神社。参道が長いけど何というかないい。おすすめです。ここはまたご紹介したい。
総社泉井上神社
総社?子供の声が聞こえていい環境なんだろうな。もっと昔に来たかった神社かもしれない。
久しぶりのドライブ。いい天気で、いい神社巡りでよかった。祭神や歴史は調べればわかるのであえて書かないけど
穴師神社は意味が深くて興味がある・
早い梅雨明け。久しぶりにドライブに出かける。旧清水町安諦地区へ。みなべから龍神を抜け、白馬へ入りあらぎの棚田へ
天気が良すぎて逆光で写りはどうかなと思ったけど、綺麗に取れていた。
せっかく出てきたので、岩倉神社(ゆわくら)と粟生(あお)の巌に行ってみた。
鳥居をくぐって中に入る。
綺麗な由緒板。階段を登る。
千木が外削ぎ、ご神体は
粟生の巌。
日本の信仰。アニミズム、仏教、ユダヤ教、陰陽道、・・・それがとってもいい。考えの違いを受け入れる。
だからかな、神社が好きな理由。
一年ぶりに和歌山城へ花見に行ってきた
天気も良く人もそこそこにぎわっていた。
いつものあいさつ代わりに入り口の
一番きれいに見えた桜が
城に向かって登っていく
西の丸庭園の方へ降りていき
見上げた天守閣。やはり写真より実際見るのがきれいやな。
今年はみなべの梅、和歌山城の桜、桃山町の桃の花見を満喫した。記録としてブログに残しておこうと思う。
福定の大銀杏はいつもタイミングがずれる。最初に長女に見せてやろうと出かけたときは、まだまだ、色づいてなく、二度目は妻と玉置神社に行くついでに寄ったがこれもまだだった。
ここは紅葉というより神聖。そして、
瀞峡。今日はついに絶妙の大銀杏。
見えてきたよ
平日なのに人多し。
良いときに行けたなあ。
11月4日、高野山に行ってきた。最初は護摩山山の紅葉を見に行こうと車で出かけたのだが、まだまだだったので、ダメもとで、高野山まで行った。
何度か高野山に参詣したが、今年が一番きれいな紅葉だった。高野山は晩秋が一番趣があると思う。多くの御魂を慰霊するにふさわしい晩秋の気配だった。雪の高野山も行きたいが、車では無理なので雑誌で楽しむことにしよう。今日(11月16日)十津川、玉置神社と三国をまたぐ瀞峡に行ってきた。写真よりもやはり自分の目で見ることが紅葉狩りの醍醐味かと・・・
自由な時間ができたこと、年金を受けだしたこと、健康面のことなど、色々考えて、パートを始めることにした。始めは、給与がいくらとか考えたが、そうじゃなくて、無理せず、長く続けられ、しかも健康的な仕事を探そうと考えた。回転ずしのパートも興味があって続けられそうかなと思って面接に行ってみた。くら寿司、スシロー、ダメだった。わかるような気がする。回転ずしのような若者に人気の商売は定年終えた老人のしかもおじいちゃんは合わないのかもしれない。調理免許もないし、物覚えも悪しだろうし・・・。高校生や大学生、主婦は歓迎みたいだった。面接は丁寧にしてくれたが、電話が無かったら縁がないと思ってくださいと言われた時点であきらめた。シニア応援と書いていたがやっぱりなあ。それに自分自身も果たしてその調理場で若者に混ぜってテキパキ働けるかどうか・・・。ダメでよかったかもしれない。定年後の年金受給者でも働ける職場を探した。警備のパートや派遣が目に付いたが、道路の警備は日光が苦手なので、ビル警備に応募し採用となった。社会保険、雇用保険にも入れるらしい。
10月から働くことになった。週4日。シフトをくんでもらって働き始めた。同僚は自分より年配の方が多く、職場環境としてはなかなか居やすい。初めての職種なので毎日が新鮮で、その日に仕事が完結するのがいい。マスクに帽子をかぶっているので知り合いに会っても気づかれないのも楽しい。更に毎日一万歩は歩く。だが、警備の仕事は雇用主の財産を守り、事故や災害を予防するという責任ある仕事なので、まだ慣れていないことも含め、勤務中は緊張しっぱなしである。働き始めてまだ、ひと月も経たないが、沢山ミスをしている。同僚に教えていただきながら必死でついていってる状況である。できれば75歳まで働ければなあと思っている。
もうすぐ紅葉の季節。休みの日も充実させたいな。
朝ドラは退職してから、観るようになった。始めは、スカーレットからかな。ずっと見続けるのではなく、たまに、朝食を摂りながら、観ると言った程度だった。「エール」は最初から最後まで見た。コロナ過で世間が大変な中、自分自身も心臓のカテーテルによるアブレーション手術での入院ということもあり、朝ドラの時間、入院中は病室、退院後は自分の部屋でじっくり見るようになった。朝ドラとともに楽しみにしていたのは、あさイチの朝ドラ受けコメントだった。体調が少しずつ良くなり、早朝のトレーニング(と言っても7㎞歩と30分程度の筋トレ)を始めたので、8:15~9:00まで録画をするようにした。変化のない毎日を過ごしているが、朝ドラと朝ドラ受けが楽しみの一つとなった。「100」回はハードディスクに残っている。「栄冠は君に輝く」の歌の良さを改めて知った。そのすぐ後のあさイチの朝ドラ受けも残っている。山崎育三郎が突然出て、華丸がセロトニンをたくさん出し、近江アナウンサーが涙目で頬を赤らめ手で顔を仰ぎながらコメントしていた。最後の最後「120」回のコンサートも残っている。「イヨマンテの夜」は子供の頃かすかに覚えている感じがあり、なんとも感慨深い朝ドラとなった。へー、朝ドラって面白いやん。しかし、これは単なる序章だった。
「おちょやん」が始まった。何とも泥臭い言葉遣いの荒い(と言っても自分にとっては聞きやすい言葉だったが)ドラマが始まった。内容は省くが、波乱万丈で本当に「泣き笑いのエピソード」という主題歌がぴったりだった。
妻は九州出身なので、初めの方、言葉遣いやテルヲの無茶苦茶な行動についてけず、チャンネルをつけては替えるを繰り返してた。道頓堀編からは続けて観ていたが、テルヲが出てくるとチャンネルを替えていた。また、一平が浮気して子供ができた週は一切見なかった。栗子と春子と暮らしだしたころからは、時間になるとテレビの前に座って、パンを食べながら見ていた。
朝、観る時間がないのと、じっくり見たいというのもあって、おちょやんに関しては録画したものを見るようにしていた。
「生きるてしんどいなあ」から始まり、「うちが捨てられたんやない。うちがあんたらを捨てたんや」きつい第一週だった。そんな週が何回かあった。持ち上げて落とす。落としておいて持ち上げる。
でも、3回は見た。最終回まで。セリフを覚えてしまうくらい観た。朝ドラ受けの感想も・・・
「だんない」「虫のええこと言わんといて。うちはもっと前からずっと1人や。誰も面倒見てくれる人おらへんかったら、奉公にでも出したらよろし。うちを追い出した時みたいに!」「名のらん方がええと思ったけど・・・」「生きるっちゅうのは、ほんまにしんどうて、おもろいなぁ」
「胸が張り裂けそうなんですけど・・・もう・・・」「もう、一平のドアホ・・・」鈴木アナ。「皆さんにお伝えしたいのは、まだ火曜日だということです。水、木、金と今週ありますんで」と大吉。
Yahoo!のみんなの感想を見ると酷評している人、絶賛している人など色々な感想が見られる。おちょやんを見だしてから、このYahoo!みんなの感想を見るようになったが、酷評する人の文を読むと、とても嫌な気持ちになることが多い。「まだやってるのか。早く次に行けばいいのに」など感想じゃなく、誹謗中傷でしかない、何かの腹いせのような文章がある。また、各新聞やライターが視聴率を引き合いに出し、ドラマを独自の考えで分析してネットに挙げているが、それも低く評価する方の文章が酷い。貶めることによって何か得るものがあるのかなと勘ぐってしまう。新聞社やライターは名前が出ているので、まだいいが、ネットに書き込んでいる人は仮名だから汚い言葉を使ってもいいと思っているのだろうか?個人に対する誹謗中傷はもちろんだが、ドラマなどの感想でも誹謗中傷じゃなく、ちゃんととした感想で伝えてもらいたいなあ。まあ、提灯記事みたいなのもいただけないけど・・・
「おかえりモネ」が始まった。有名な俳優や女優が多く出演している。今は、おちょやんの印象が強くて、モネをしっかり見ていない。あさイチの朝ドラ受けは観ている。鈴木アナや華大の表情を見ていると楽しそうな番組だと思う。ただ、Yahoo!のみんなに意見やニュースは観ていない。録画をしっかり見てから、いろんな意見を見ようと思う。
2月15日 定期健診。異常なし。血圧も落ち着いている。今日は久しぶりに飲もうとビール500mlとハイボール500mlを買う。
ここで、飲んでしまった。
するとだんだんに量が増えて、結局、やまる前の量に戻ってしまった。
そして、元の症状に戻って行った。変な夢、嫌な思い出、自己嫌悪と焦燥感。スローランニングも段々おろそかに。
3月15日16日の2日抜くも、また、飲み始める。
寝るときに心拍がはっきり聞こえるし、5時間で目覚める。
どんよりとした頭痛が朝残っている。
妻の物言いでカチンとすることがあっても聞き流せて来てたのに、声を荒げて言い返すことが増えてきた。
3月末に、親がグループホームに入ることになり介護に行かなくてもよくなった。
4月5日、また、アルコールから、脱却しようと思う。
2月1日 月が替わった。アルコールを欲する気持ちはさほど強くない。朝からスローランニング、筋トレと順調な滑り出しだ。手のけがからの出血は少ないが、止まらない。薬局でキズパワーパッドを買って貼っている。家のメンテナンスということで業者が20年点検をしていった。屋根、壁塗装も頼んでいる。
2日。起床時雨。身体がだるい。実家へ。帰って来てから、節分の寿司を巻く。南南東向いて食べた。去年までは、日本酒を買ってきて、寿司をつまみに4合飲んでたなあ。
3日。7:00起床。気持ちが萎えて、走らず、筋トレせず。午前中、役場に歩いていく。一応10000歩達成。血圧高く、倦怠感が強い。離脱症状?
4日。4:007キロ走。筋トレ。実家へ。母親、妄想で意地を張る。段々進んで来たか。説得に時間がかかったが、一応納得して、「夢見たんかの?」などという。脱力感。
5日。7キロ歩。身体が重い。午後、気分が悪く1時間寝る。
6日。7:30。腹痛、頭痛。熱はない。自己嫌悪、焦燥感。嫌な思い出フラッシュバック。鬱か?
7日。6:00起床7キロ走。筋トレ。体調が戻ってきている。何だったのだろう?周期的に離脱症状だ出るのか?それとも鬱か?お好み焼き。ビールが飲みたいと久しぶりに思うが、買いに行く気はない。
8日。4:30。7キロ走。筋トレ。走る速度がいつもより輪をかけて遅い。何とか完走。キロ10分。午前中白アリ業者が来て、午後、塗装工事責任者が来た。今週は体調がおかしかった。風邪やコロナ、憩室炎とかではなく、身体のコアの所から、疲れが出ている感じがする。それは離脱症状なのか、自分自身の過去のトラウマから来る焦燥感や虚脱感か。一日のうち何回か「うーっ」となることがある。夢中になれるもの探すことかな。自分もおかしくなってくるかも・・・
例年なら、梅林が開き、観光客でにぎわう町が、今年はコロナの影響で開催されなかった。
梅林は花が開き始め、町に香りが漂い始めている。なにわナンバーや奈良ナンバー、群馬ナンバーなど、県外の車が峠の頂上当たりの道端に車を停め、携帯で写真を撮っている。
地元のものは、散歩がてらに眺めていく光景だが・・・今年は梅が寂しそうに見える。
遠くの友や地元を離れている娘につい、写メールなるもので送ってしまった。
コロナが早く終息することをこの梅たちも願っているようだ。
1月26日6:00過ぎ起床。雨。親の介護へ。雨の影響かそれとも依存症の離脱症状か、頭痛がする。母も調子が悪いのか、昼前に起きて来て、なんやかんやぶつぶつ言ってる。イラつくので余計に気分が悪くなってきた。帰って風呂から出たらすこしましになった。アルコール抜き10日。
27日5:15.7k走。6k/h。筋トレ。一番変わったのは血圧。何回測ってもなかなか正常にならなかったのが、最近はすぐに130・75以下になる。ただ、くよくよや嫌悪感はしょっちゅう出てくる。これは離脱じゃなく性格か?
28日4:00。7キロ走。筋トレ。親の介護へ。皿を洗ってるときに割れてしまって、出血。こまったことにイグザレルト錠を飲んでるのでなかなか血が止まらない。整形外科に行ったら午後休診だったが、たまたま出てきた看護師さんに事情を説明すると医師に伝えてくれ、診てもらえた。診察は医師だけだった。傷は深いが、縫うほどではないということで手当てをしてくれたのだが・・・親指の第二関節の甲の方を切ったのだが、まるで骨折したかのように包帯を巻いてくれた。翌日来るようにとのこと。頭痛少しあり。
29日。風が凄い。7:00起床。整形外科に行くついでに、妻とコメダ珈琲へ。看護師さんがいたのですっきりとした親指になった。スーパーで昼食用の弁当を買ってドライブへ。椿山ダムに差し掛かると、雪が舞ってきたので、車の中で弁当を食べながらしばし、観雪。そんな時でも嫌な思い出が時々フラッシュバックする。離脱か性格か?けど、ずっと嫌な気持ちが続くことはなくなっている。傷の方は気が付くと出血しているのでしょっちゅうガーゼを替えた。
30日。4:007キロ走。7k/h。筋トレ。頭痛がなくなった。スローランニングも好調。すっかりアルコールの影響はなくなっている。出血は止まらず、こまめに絆創膏替える。薬のせい。これも依存症の後遺症?
31日。7:00起床。午前中ボーと過ごす。傷口が当たりやすい部位なので、当たるたびに出血。絆創膏が血に染まるので、止血するものを探しに薬局へ。
一月が終わった。飲みたい飲みたいという気持ちは全くない。やめる前のように夜になると体や脳が欲することが無くなった。この焦燥感や嫌悪感は、結局アルコール依存だけではなく自分自身の中にある鬱的な闇の部分が、退職による虚無感から湧き出てきているのかもしれない。克服のためには何か新たな目的や生きがいを見つけることかもしれない。
1月17日4:00。7キロ歩。筋トレ。運転したせいか、あまり眠れなかったが、特に嫌な夢は見なかったし、起きて歩くのもしんどくなかった。夜、お好み焼きを食べた。いつもなら、ビールを欲するところ、ノンアル350ml一本で満足した。
18日。疲れていたのか、起きられずゆっくり寝た。午前中は眠気が続いた。親友の御母堂が昨年末亡くなられた。御線香を送った。認知症が進んでいて、施設で療養されてたらしい。大往生でした。夕方10000歩と筋トレ。寝つき悪し。焦燥感や嫌悪感あり。
19日4:00。7キロ歩。小雪が舞っていた。親の介護へ。90歳という高齢で、認知症も進んできているので兄夫婦から施設の話がでた。火曜と木曜の9時から4時まで私が相手していて、月水金土曜日はデイサービスに行っている。日曜と朝、夜は同じ敷地内に住む兄夫婦が見ているのだが、体調不良を訴えてデイサービスを休んだり、夜に排便のことでいろいろあったりしたらしい。兄より義姉が参っているのでデイサービスのない日は手伝いがてら、相手をしに行くようになったのだが、夜何かあったときは、負担が大きい。施設に入るのが一番いい選択だと思っているので異存はない。近々の出来事の記憶や日々の曜日があいまい。何年も過去のことを昨日のように思うことがある。作話はしょっちゅう。ただ、口はしっかりしている。よろめきながらもゆっくり歩ける。死にたいとか何の役にも立たんから生きてても仕方がないとか周りの家族は、しょっちゅう聞かされる。おかげで私自身も火曜と木曜の夜は虚脱感が強い。だから、見守ってくれる施設が一番だと思う。友も亡くなった友の母もお互いが穏やかに過ごせたのではないかと思う。夜、友から、ラインが来てた。夜、なかなか寝付けず。
20日4:30。7キロ走筋トレ。今まで、走ることを不整脈を言い訳に避けてきたが、スローランニングを試みた。今までなら、300mくらいで歩き始めたが、今日は、4㎞地点まで走り続けることができた。だが、そこでハプニングが・・・。何もない平らな道で躓き、前に飛んでしまった。前回り受け身をして、あわてて立ち上がり、とっさにまわりを見て、何事もなかったように走り出した。が、・・・じわじわと右大腿骨骨頭のあたりと臀部が痛くなってきた。午後、妻と買い物に行ったついでに、整形外科へ。万が一脛骨骨折でもしていたら・・・老人の怖さ。レントゲン、異常なしだった。夜、よく眠れた。
21日4:30。7キロ走。走れた。痛みはあるが響くほどではなかった。約一時間のスローランニングだった。親の介護へ。ケアマネが施設の話を持ってきた。母親、激しく拒否。追い出されると思ったのか、ここで死ぬとか、この家を守れという遺言だったとか、義姉とケアマネ相手に荒れていた。論点がずれているので、一時間ほどたってから、「調子悪なったら入る施設を紹介してくれたのと、一度下見にどうかと言いに来ただけ」と伝え、納得させた。時間はかかったし、大変だった。ケアマネが帰ってから脳トレを一緒にしたら落ち着いていた。夜、焦燥感、嫌悪感。
22日雨。ゆっくり寝る。午後、屋根と外壁塗装の見積もりを業者とする。夕方、晴れてきたので10000歩。筋トレ。夜、飲酒欲求が出てきた。何日ぶりか喉の奥がひりつく感じ。
23日雨。バランスボールでの4500歩。素振り。車の保険継続契約。お金のいることばかり。夜、キャベツが安かったのでお好み焼き。ビールが飲みたい。
24日雨。ボーと過ごす。これやな。何もしない、働かない。このことも焦燥感、嫌悪感の原因の一つかもしれない。退職したら働かないと決めていたけど、働かないことが後ろめたいのか。
25日5:15。7キロ走。筋トレ。午前中、使わなくなって外に置いてあった洗濯機や乾燥機、その他産業廃棄物的なものをリサイクル業者に持って行った。塗装の時の足場の邪魔になるそうだ。その後洗車。また、雨が降るらしいが・・・。午後、業者と契約。着手金振り込む。お金が要るなあ・・・。この頃昼間に焦燥感や嫌悪感がわくことはなくなってきた。ただ、嫌なことを思い出して独り言を言うことはたまにある。身体からはアルコールは抜けてしまっている。脳も呼びに来なくなってきた。