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摂食指導の思い出 ①

2011-09-13 00:09:31 | 天音ちゃんから学ぶ事
哺乳(嚥下)障害を思い出す③からお話は続いています♪


NICUで9カ月の入院生活から退院しても、
あんまりのんびりもしていられませんでした。

完全に安全で丈夫な体の子どもではない娘さんです。

発達、発育もすごく遅いし、酸素は24時間付けてるし、
栄養は鼻から胃までチューブを入れてだし、
股関節脱臼も心配だし、
無理な呼吸が悪かったのか?
心臓は肺高血圧症ぎみになってるし・・・
生まれたら閉じるはずの動脈管は閉じなくて、動脈管開存症だし・・・
よく笑うけど、可愛いけどホンワリ大人しいだけだし・・・
首もまだ危ういし・・・

これだけでも問題は山積みです。
入院中に、
「今はまだ赤ちゃんで、何が出来るとか何が不便か判断出来ませんが
これだけの症状がありますから、
何かしらの障害はあるのだと思います。」と言われていました。

ですから、風邪などの病気でなくて元気でも、診察に行かねばなりません。
予約の関係もあり、あっちもこっちもといっぺんに受診出来ませんから、
多いと1週間に四回は通院です。


その通院の1つに、月に一回受診する「摂食指導」がありました。


私と娘が受けた指導の流れは、

①診察室に入ってテーブルに着いたら、先生の前でお弁当を食べる。

まずここで、
・どんな道具を使っているのかな?
・今月はどれくらい上手に食べれるようになったかな?
・お母さんも食べさせ方上手になったかな?
・どんなお食事を作ってもらっているのかな?
を先生が見ています。

②食べ終わると、問診やステップアップの指導、口腔内を診てもらいます。
(娘さんの場合、先に診察すると機嫌をそこねて食べてくれなくなっちゃいますから)

流れはこれだけなのですが、
私の勉強する事はたくさんありました。


退院して初めて受診した時は、
お弁当の用意などして行きませんでしたから、
問診と、口腔内を見てもらうところからでした。


離乳食を始めたけれど、スプーンを嫌がってしまうから食べてくれない。
ママの指につけて舐めさせようとしても嫌がってしまう。
この頃の、私の一番の悩みでした。

お話すると、
「スプーンは何使ってるの?」と聞かれ、
普通に市販の赤ちゃん用ステンレスと答えました。
入院中もそうでしたから。

同じようなスプーンを用意してくれて、
診察室にある、
なんだったかなぁ・・・
なんかペーストの食品を出してきてくれて、
それを食べさせて様子をみようとしましたが、
娘さん、口を硬く結んでへの字口で開きません。

次に指に乗せてみましたけど同じアクション。

どれどれと、頭を固定して泣き叫ぶ娘さんの口に指を入れて触診。
なにやらゴニョゴニョ指を動かして様子を見てから、
「お口の中が敏感なのかな?」との事。

敏感だし、口蓋の位置が高いし、舌の動きも良くない。
「これでは食べたくても食べるのが難しいねぇ。」との事。
「お口の中の上の方に食べ残しがくっ付いちゃって、敏感だと気持ちわるいよねぇ。」と。


この日、私が摂食指導で覚えた事は、
娘さんの動きややる気を促すための、
『食べさせて上げる私の勉強』でした。



この話もまだまだ続きま~す♪

From ikusuke

哺乳(嚥下)障害を思い出す ③

2011-09-12 00:02:12 | 天音ちゃんから学ぶ事
まだまだ思いで話が続いています。


で、
胃までチューブを入れたまま、口からスプーンは大変だろうと、
小さな小さな鼻の穴からチューブを通す事にして、
いざ、離乳食!と始めてみました。


最初は激しく抵抗していました。

もう7ヵ月ですから、しっかり見てます。
「なにコレ!」と言わんばかりに、スプーンを押し返します。
手についたドロドロを顔に塗りますが、口には入れません。
手掴みでいいから、とにかく一口!との願いは聞き入れてくれず、
しげしげと見つめて手のひらの上で握ります。


NICUを退院した後に解ったのですけれど、
娘さん、口腔内過敏症でした。

口腔内の不快感に敏感だったのです。

よぉ~く考えたら、
赤ちゃんなのに、おしゃぶり使わなかったんです。
苦しいから吐き出すのかと思っていましたけど、
指もしゃぶらない。


そんなですから、見た事もない物を口に入れてくれるわけもなく・・・

でもね、
たまに口に入れられちゃって泣きながら飲み込んでみたら、
「なに??美味しい♪」って顔になるんです。
するとその次から、同じお皿の物なら嫌々ながら口を開く。
桃のペーストだったかな?
キラキラ~♪と目が輝く。

「甘いのが好きなんだねぇ。」なんて看護師さんに話しましたら、
「母乳は甘いから、慣れてる味に近いんでしょうね。
お口からの訓練頑張っていて良かったですね♪」と喜びました。


それでもやっぱり、思うようには進みませんでした。

誤嚥は少ないものの、やっぱり上手とは言えません。
ミルクとの併用でしたが離乳食もはじまりましたから、
哺乳障害から、嚥下障害と診察の時の呼び方が変わっただけでした。


そんなこんなでも退院の日はやってきました。

小児科の受診の他に、
「この先も摂食で困る事が出るはずだから、
嚥下の検査もしておいた方が良いので、
昭和歯科大学の摂食外来を受診するように。」と言われ、
今は口腔リハビリテーション科になるのかな?
娘が通っていた頃は「向井先生の摂食指導」と言って、
普通の診察予約じゃなくて、
直接先生の教室に電話を繋いでもらって予約を取る受診を入れて貰いました。


向井先生は、私がビニール袋いっぱいに乳首を集めて診察に行った先生でした。

あれから数ヶ月、
天音は産着の赤ちゃんから、首がシッカリとは据わってないものの、
可愛い赤ちゃん服が着れるまで大きくなっていますから
顔も少しかわっていましたが、
ビニール袋いっぱいの乳首を抱えて、
救急車で主治医と看護師付き添いで診察に来た母はインパクトがあったらしく、
覚えていてくださり、天音が育った事を喜んでくれました。



話は続くのですが、
次から摂食指導のお話です♪

From ikusuke

哺乳(嚥下)障害を思い出す ②

2011-09-11 00:05:14 | 天音ちゃんから学ぶ事
前日の続きです。


で、
小児病院のICUで『喉頭軟化症』と診断されました。


娘さんの場合は、
吸い込んだ空気と吐く息の通路にある
喉頭軟骨群(こうとうなんこつぐん)が、
息を吸うたびに、ベコベコと気道を塞いでいました。

哺乳(嚥下)障害は大きな問題です。
でもさらに、
「呼吸が思うように出来ていない!」って大問題がわかったのです。

「寝ている時、授乳の時、
天音ちゃんは高地トレーニングのマラソンしているのと変わらない、
それくらい、息苦しい運動をしている状態と同じです。」

そんなんじゃ、体が大きく育つわけないです。
飲みながら消費。
育つ時間の寝ながら消費です。


でもね、起きている時は大丈夫なのです。
でもね、喉頭軟化症はうつ伏せの体勢を取ると楽になるはずなのに変わらないのです。
でもね、授乳すると飲めるけど酸素が入らないのです。


「日中、起きている時も息苦しいならば生死の問題ですから
すぐに気管切開するべきなのですが、
天音ちゃん、
通常よりは数値が低いけれど起きてるとなんともないんですよね・・・」
と、先生も悩んでいました。

「酸素付けてるからって、
すごく数値が変わるわけでもないし・・・」と、
気道確保のためにエアウェイ
(舌根部を 押し上げて気道を開通する器具。鼻から入れてました。)
も試してくれましたが、
「あんまり変化がないんだよねぇ~・・・」となり、
「まずは24時間酸素を使って、
1回の呼吸でも少し楽になる状態を作って、
すごくエネルギーを使っている口からの授乳をやめて、
マーゲンでミルクを入れる事にしましょう。」となりました。

「赤ちゃんの今、首が据わらないのと同じように
喉頭軟骨が柔らかいのだと思います。
だから、首が据わったくらいには、
今より良い症状になるかもしれません。」との話もありました。

「酸素を使う事で不必要な運動量を減らし、
体が大きくなるのを待ちましょう。」との事。


新生児は、生まれた後体重が減るのですが、
娘さんは五ヶ月たっても、生まれた時の体重まで戻っていませんでした。


処置の方針が決まったので、
ICUに入院している必要もありませんから、
家から近い昭和のNICUで様子を見る事になり戻りました。

幸いな事に、喉頭軟化症で軟骨郡が上手く機能していませんでしたが、
誤嚥
(食べ物などを気管内に飲み込んでしまうったり、消化管に飲み込んでしまう事)
がほとんどありませんでした。


「赤ちゃんは賢いし哺乳は本能だから、
飲ませていないと飲み方を忘れてしまう。」と聞かされました。
ですからほんの少しだけ、口から飲む「訓練」は続けました。

聞いた時はホントかな~?と思いましたけれど、
これが本当なんですよぉ!
うちの娘さんはまさにそうなりました。
しばらく飲ませなかったら、吸い付かなくなっていました。
賢いですわぁ~。
楽な方に流れるんですよぉ~。


哺乳障害の赤ちゃんだけでなく、
まだ力の弱い赤ちゃんにもやるのですが、
哺乳瓶の乳首を口に入れてから、
顎をちょっと強く押し上げ手伝うと飲みやすくなるそうです。

不思議なもので、胃に直接ミルクを流しこんでいるのに、
お腹が膨れてくると、口が動き出します。
そのタイミングでくわえさせたら舌を刺激して、
舌が動き出したら顎を押し上げてって、飲む訓練でした。
飲ませ方の指導は、摂食外来を受診した時に教えてもらっていました。


訓練の量はほんの少しだから、以前よりは体力温存になったのか?
吸われてなくても、きっちり搾乳をしていれば母乳が出るタイプだったので、
離乳食を始めるまで母乳で育てましたが、
母乳の栄養だけでは足りないだろうと、
栄養補助のミルクの粉末を母乳に混ぜて体重を増やして行きました。


誤嚥は、肺炎になったり怖い事です。
それがほとんどありませんでしたから、
「乳首を吸う技術はとても大変だけど(そうらしい)、
スプーンで少しずつゴックンと飲ませる方が、
エネルギーを使わないかもしれない!」との話になりました。

ちょうど7カ月、体は小さいけれど離乳食を始めても良い時期でしたから、
ダメでもいいからちょっとだけ~♪とチャレンジしてみたのです。



まだ書くので続く~

From ikusuke

哺乳(嚥下)障害を思い出す ①

2011-09-10 00:10:16 | 天音ちゃんから学ぶ事
あまねちゃんのととさまが、
自分のブログで「あまねちゃんの嚥下障害」と言う話をしていました。

読んでいて、私もそんな遠くはないけど昔を思い出しました。

ととさまが、嚥下障害(えんげしょうがい)の話ですから、
私は「哺乳障害」と呼ばれた頃の話をしようかなと。


哺乳障害って、赤ちゃんが哺乳をしない事なのですけれど、
おっぱいを吸引しなかったり、
飲みたいのに飲み込めなかったり理由はいろいろです。

娘さんの場合は、
飲む意気込みはあったけれど、
飲んでると呼吸出来なくてチアノーゼが出ました。


生まれた日、
私は緊急帝王切開だったため、娘さんに会っていません。
娘さんは、NICUのベッドの上で、口から胃チューブ(マーゲン)を入れて、
機械管理されたシリンジ(注射器の針の無いようなもの)から、
寝たままミルクを飲んでいたそうです。

私が次の日の午後会いに行った時もくっつけてました。

その次の日からだったかな?
まず看護師さんが哺乳瓶で飲ませてくれたのだけれど、
飲むとサチュレーション(体内の酸素濃度を測るモニター)の数値が
下がってしまうと気が付きました。
夕方の面会時間になり、
初めて私が哺乳瓶で飲ませた時も、やっぱり下がる。
数値が下がると言うのは、息苦しい事です。
体内の酸素が少ないからチアノーゼになります。
それでも、
下がるけどすぐ回復するので、
少しずつ少しずつ、
モニターを見ながら顔色を見て飲ませる事になりました。


まぁ、生まれたばっかりだし、
飲むのがまだ上手に出来ないんだろうと思っていました。


私の方は、
帝王切開で生まれた自分の赤ちゃんも見ていないというのに、
生んだその日の夜中には初乳が出てました。
痛み止めが切れて真夜中に目が覚めたら胸元べっちょり。
看護師さんを呼んで着替えようと思っていたら、
着替える前に!と哺乳瓶を渡され、
ベッドサイドの小さな電球つけた暗い中で、
搾乳の仕方をならいました。

次の日、赤ちゃんにどうしても会いたい!と
帝王切開して12時間過ぎたあたりで尿道カテーテルも抜いてもらって、
自力で起き上がり、
さすがに歩けないから車椅子でしたが娘に会いに行き、
無理が出たのか夜中に高熱だしましたけど、
搾乳しないと痛くなるので、ぜ~ぜ~言いながら乳絞り。

そんなおっぱいもあったので、
「もしかしたら哺乳瓶の乳首が口に合わなくて吸えなくて
無理して吸ってるから息苦しいのか?」との話になり、
でわさっそく、ママから授乳してみましょう♪と
夢に見た待ちに待った幸せの時間になったのですけれど、
縦に抱こうが、横に抱こうが、
哺乳瓶で飲んでいた時とあまり変わらず・・・
飲みたいらしく、汗だくで吸い付く娘さん。
そしてチアノーゼ・・・

鼻呼吸がへたくそなんだろか?と検査してみても、
小作りですが形状がすんごい奇形しているわけでもなく・・・

吸われるとダクダク出てしまうので、
飲む速度に出る量が合わないな・・・との話になり、
たった数日で、ママからの授乳期間おしまい。
また哺乳瓶に戻しました。

哺乳障害は、嚥下の問題はもちろんありますが、
なんらかの先天性疾患の場合もありますから、
主治医の先生は、耳鼻科だ整形外科だといろいろ検査をしてくれましたが、
どうにも原因が見つからずで、
でもせっかく口を使って飲める機能はあるわけだし、
使わないと口を使う事をしなくなってしまう場合もあるからと、
うつ伏せのまま顔を横向きにして飲ませてみたりと、
ずいぶん色んな体勢で飲ませる事をしていました。

「飲めなきゃ退院できないなぁ・・・」との話になり、
昭和歯科病院に、
「摂食を見てくれる先生がいるので受診しましょう!」との話になりぃ~
救急車で主治医とプライマリーの看護師さんと一緒に、
摂食外来へ行きました。

せっかく診てもらうのだからと、
市販で売っている全てのメーカーの全ての乳首のサイズを買い集め、
NICUに残っていた、昔のバージョンの乳首も見つけてもらい、
しかも、
殺菌洗浄で白くヘトヘトに柔らかくなったゴムタイプのも出してもらい、
ビニール袋にパンパンに入った乳首をもって向かいました。


診てもらいましたらね、
「問題は無い程度ではあるけれど、少し口蓋の位置が高いね。」
と解りました。
だから、
「一生懸命舌を動かしても、
上が乳首に密着しないから疲れちゃうよねぇ。」とのお話。

それから持っていった乳首を見てもらい、
「天音ちゃんの口に適しているのは~」と、
ゴムのちょっとへタレたくらいの硬さが大きめがベスト!とわかり、
ちょっとの力で少し多く出るようにと、
針で穴を少し切って広げる改造を教えて貰いました。


これで一段落と思いましたが、
確かに前より多く飲めるようになりましたが、
やっぱりモニターの数値は下がってしまい良くなるわけではなく・・・
体重も増えず・・・
もちろん退院なんて出来るわけ無く・・・と困っていたところに、
国立小児病院の先生が現れて、
すぐ小児病院のICUで検査をしてくれる事になりました。

続く~

From ikusuke

障害のある子供の入院を考える ②

2011-09-07 00:17:21 | 天音ちゃんから学ぶ事
昨日の続きです。


今回、進行性側弯(そくわん)症状のオペの話を、
慶応大学病院の側湾外来で進めていた時、
主治医に
「私達(手術してくれるチーム)はオペ出来る状態なのですが、
入院の話はちょっと別の問題があるのです。」
と言われました。

そもそも娘さんは、国立成育医療研究センターをホームドクターとしています。
慶応の側湾外来の受診を決めた時に、成育の主治医とよく話し合い、
「オペは慶応でして、
長期入院のケアが必要な場合は成育で入院してフォローする。」
と決めてから慶応の初診予約を取りました。

慶応でも、ホームドクターを薦めていて、
「今回予定しているオペならば、
通常なら一ヶ月で学校に戻れるくらいの手術なので、
慶応で三週間の入院を予定していますが、
もっと長期的なケアが必要な場合は、
自宅から近く、天音ちゃんの状態をよくわかっている
成育に戻るのがベストです。」と言われました。

ですから、
「入院の話はちょっと別の問題があるのです。」と聞いた時、
おや、他にどんな心配があるのだろう?と思いました。


お話を聞いてみると、
「慶応にももちろん小児病棟はあるのだけれど、
天音ちゃんの理解力だとお母さんの付き添いは必須であり、
24時間付き添いをしてもらわねばならない。」との事。

これは、
慶応に通院している方に事前に教えて貰っていたのでその覚悟は出来ていました。
だからコレは問題なし。

次に、
「例えお母さんが24時間付き添いをしてくれたとしても、
病棟の方から(看護師さんとスタッフの事だと思います)、対応しきれないと言われたら、
私達(医師)がオペしてあげたくても、受け入れ出来ない場合があります。」との話でした。

「なので、入院を予定する病棟で『入院の練習』をしてみましょう」との話になり、
それでオペ予定前の4月、三泊四日で入院してみました。


最初、年齢にあわせた大きなベッドを用意して下さいましたが、
拘束着の説明ももちろん受けましたが、
いくら24時間付き添いといっても、
私もトイレや食事があるわけで少しは席を外します。
そのたびに拘束着を着せるのは一苦労です。
大人用の高柵ベッドは用意出来ないとの話でしたから、
子供用の高柵ベッドに代えてもらいました。

その他はなんの問題もありませんでした。

なんせ、元気な状態での入院です。
娘さんの嫌な点滴もありません。
病院に居る事もあり、
元気な状態での呼吸状態のデータも欲しかったので酸素も付けづに過ごせました。

起きていても、自分でナースコールを押す事は出来ない娘さんですから、
食事を買いに席を外す時などは、
部屋についているカメラを作動してもらい、
ナースセンターで気を配って貰えるようにして出かけました。

ぶっちゃけ、成育よりご飯は美味しい、おやつ3回もあるし♪
お風呂も娘と2人で入っちゃえるし、
病棟の中に1台洗濯乾燥機あるし、
ご飯は地下の売店に行けばすむしぃ~で、
こりゃ、長期入院したとしても、
病院が一歩も出ないで私は過ごせる♪と思ったくらいです。
完全看護とは言え、
たまに必要に迫られて成育で24時間付き添いした時より快適に過ごせてしまいました。
ただ、病棟がとても古くて、
大きな地震の後と言う事からか?
いくつもの壁のひび割れに、
透明の梱包用テープ貼り付けて、油性ペンで×印付いていたのに引きましたが(苦笑)

良い状態で、手のかかる事もなく、
もちろん病棟で受け入れしてもらえる事になりました。


でも、この事から、
少しずつ体が大きくなる事で、
知的障害があり、理解力が乏しい子どもを入院させる事は難しい事なのだと感じました。


何度も何度も入院して、
四歳までは、人生の半分以上は病院で過ごす方が長かった娘さん。
入院が難しくなるなんて考えた事もありませんでした。


実は今回、名古屋名城病院以外に、
『神戸医療センター』への紹介状も書いて下さいました。
整形外科に、側弯症をはじめとする小児脊椎疾患を得意とする先生がいらっしゃる事と、
ホームドクターの成育と似た、成育医療の専門病院なので、
長期の入院が予想される場合には、娘さんに適しているのでは?とのお話でした。

名城の先生は、
「天音ちゃんくらいの症状だと、オペ出来る環境があるのは、
うちと、慶応のチームくらいだと思います。」とのお話でしたし、
もう、オペはしないと結論を出しましたから神戸には行きません。


でも、神戸医療センターを紹介して頂いた事は心に残りました。

手術をするとなると、
その手術が得意な病院で受けたいと思います。
より、命の安全なチョイスです。
特に側湾症のオペは、特殊な機材なども必要なのだと説明を受けました。
その機材があり、いくつもの症例を診て、
オペをした実績のあるチームに手術して貰いたい。

このチョイスは、側湾症に限らず、
どんな病気の手術であっても、
親ならそう考えて、はるばる遠くの病院に行く事だってあると思います。

でも、そんな技量のあるチームがあり病院があっても、
もしかすると、本人の理解力から入院を断られてしまうのか?
断られたら、親としてはとても切なく悔しい思いになる事でしょう。

そんな事も思いましたので、
受け入れてくれるかもしれない?と「?」は付きますが、
もしパパが西に転勤になったらばぁ~と、頭の中に病院名が残ります。
知らないよりも、情報はあった方が助けになりますもんね♪


ご飯が大好きで、たくさん食べられるようになり、
すくすくと成長している娘さん。

いつか私と変わらぬくらいの身長になったとしても、
年齢に見合った理解力は、現段階では無理だろうな・・・と思う私。

幸い、貧乏ながらも専業主婦でいさせてもらえますから、
24時間付き添ってと言われれば、そくОKなのですけれど、
具合が悪く、治療のためのに必要な入院も、
難しくなってくる日がいつかやってくるのかなぁ・・・と。


付き添う準備も覚悟もあるけれど、
どこの病院の設備にも、
知的に障がいがあり理解が難しい「子ども」もいて、
少しは動けるけど、肢体に不自由のある「子ども」もいて、
乳児でもなく、老人でもない、
そうした「子ども」の患者さんを受け入れられる、
そうした設備を整えた病院が増える事を、
私は心から願っています。

From ikusuke