天地と我と同根 万物と我と一体なり。
信じられる者と 信じる者との一体感を 得る。
救う者と 救われる者との一体感を 得る方法とは
合掌すること とは
まず 正身端座します。 合掌の仕方は
座布団を二枚用意します。
一枚敷いた上に もう一枚は二つ折りにして 上に置きます。
二つ折りにした座布団の上に 胡坐に坐ります。
左足のくるぶしの上に 右足のくるぶしをのせます。
姿勢は まず背筋を まっすぐ伸ばします。
顎を引き気味にして 肩の力を抜いて 胸の前で合掌します。
視線は鼻先を見るようにして 合掌の指先が見えるようにします。
そして 腹式呼吸をします。吐く息が先です。
まず 息を吐き切ります。この時 お腹を吐く息と共にへこませます。
次に 息を吸います。お腹が膨らむようにします。
お腹で呼吸しているように 心がけてください。
右手と 左手を 合わせることによって
一体感の境地に至ることを 意味しています。
これは人間の身体で 行う行為です。
次に 言葉です。
南無大日遍照金剛 南無大日遍照金剛 南無大日遍照金剛
自分の耳に 声が聞こえる程度の 声の大きさで唱えます。
耳栓を使うと よろしいかと思います。
私自身も 耳栓を愛用しています。集中しやすくなります。
これは信心の表明です。 私は 大日遍照金剛さまを 信じます。
悩み苦しみがある場合
大日遍照金剛さま どうか助けてくださいと 心の中で願ってください。
願いながら 南無大日遍照金剛 と唱え続けます。
次に 心は 想い 信心です。
そして 心の中で 念じ 続けます。
私は 宇宙と一体であり。私は 自然と一体であり。
大日遍照金剛さまと 私は 平等平等にして 無別無異なり。
どうして 心は 念じ続けなければならないのかというと
心は コロコロ コロコロと 簡単には 落ち着いてはくれないからです。
つまり 雑念にとらわれたり 妄想が浮かんだりします。
いろいろと あーでもない こーでもないと 考えがちです。
その散乱する心を 集中させるために 念ずるのです。
正身端座して 合掌する。
口に 南無大日遍照金剛と 唱えながら
心では 大日遍照金剛さまを信じます、と。
あるいは 悩み苦しみから 助けてくださいと願いながら でもいいのです。
合掌することによって 救う者と 救われる私は
一体であると表現しているのですから
一心に 南無大日遍照金剛と 唱えながら
一心に 南無大日遍照金剛と 念ずるのです。
これは 行為と 言葉と 想いを ひとつにするための 行です。
では こうすることによって どうなるのでしょうか。
これは 実際に 教えを信じて 大日遍照金剛さまを信じて
行わなければ 得られないことです。
信じて 念じて 行ずる。
このことが 善因であり 善果を得るための方法です。
私の場合 問題意識をもって 拝みますると
ときどき 閃くことがあります。気づかされるというか。
頭で理解しても 心から納得しなければ
実感しなければ 本物には なりません。
知識ではなく 智慧を得る。
例えば 天地と我と同根 万物と我と一体なり。
これは どういうことなのか。
どうして 私が 天と地と一体なのか。
どうして 私が 万物と一体なのか。
このような問題意識を 心のどこかにもちながら
念じていますと フト ああこのことは
こういうことだったのかと 気づかされます。
これが 閃きであり 大日遍照金剛さまからのメッセージなのです。
毎日 この行をすることによって
必ず 何か 変化があるはずです。
その人によって 差はありますが 些細なことかも知れませんが
何となく 気分が善くなったとか 心がスッキリしたとか
身体が軽くなったような気がするとか 気持ちのもちようが違うとか
ものの見方 考え方が変わってきたとか
いろいろとありましょうが これが ご利益(ごりやく) です。
現世利益(げんぜりやく) といいます。
このブログを書いている 私自身 実際 いろいろと
気づかされましたし 教えられました。
ご利益を 得ております。ご利益を 実感しております。
これは 本当に有難いことなのです。
決して 嘘でも 偽りでも ありません。
最後まで読んでいただき ありがとうございました。
この記事を読んでいただいた方々に
神佛のご加護がありますように
合掌
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