ようこそ お参りくださいまして
ありがとうございます。
密教の教えに
チッタ (質多) 心 と
カリダ (汗栗駄) 心
と、あります。
チッタ (質多) 心・・・
人間の胸の内に有る
慮知 (りょち) 心 をいいます。
思慮分別する心です。
心の働きに知・情・意があります。
知とは、ものごとを認識したり
判断したりする能力だといいます。
情とは、モノに反応して動く心の働きであり
他人に対する思いやりの気持ち
感情のことをいいます。
意とは、心に思うことであり
あれこれと思いをめぐらす心の働きであり
考え、意志、思量することをいいます。
心は、どうあるかというと
あるモノがあるように、あるわけではなくて
かといって、ないのかというと
感覚、知覚、感情、判断などの
心の領域の働きが確かにあるが
形相としては、あるともないとも、いえない。
心は広大で量り知ることができません。
その性質は、ただ赴くままに
瞬時たりとも、留まることもなく
移ろいやすく、姿を捉えることも
心、そのモノの形も見えない。
が、確かなあるモノとして
心と名づけるといいます。
六大から成る、等身大の私の中に
識大として具わっているのです。
カリダ (汗栗駄) 心・・・
大宇宙に遍満する識大であり
肉団 (心臓) 、大自然、森羅万象
大空、すべての中に在る心だといいます。
六大から成る、宇宙大の心ということです。
それは、大日如来、遍照金剛さまの
六大法身如来の大慈大悲の御心であります。
その御心は、大智慧と大慈悲と大光明が
一大生命体となって現れているのです。
六大法身如来、そのものと同時に
存在する精神の世界のことです。
六大とは・・・
地大・水大・火大・風大・空大と識大の
六つの働きが、お互いに対立することなく
円融して無碍の状態にあるのです。
六大無碍ともいいます。
地大の中に、水大、火大、風大、空大、識大が
水大の中に、火大、風大、空大、識大、地大が
火大の中に、風大、空大、識大、地大、水大が
風大の中に、空大、識大、地大、水大、火大が
空大の中に、識大、地大、水大、火大、風大が
識大の中に、地大、水大、火大、風大、空大が
それぞれに、それぞれが、含まれておるのです。
六大が一実をなしているのです。
物質と精神とが一体と成った実在のことです。
あるいは、心と躰とが一体であるということ。
識大は、私であり、あなたであり、現象であり
自然であり、宇宙であり続けているのです。
宇宙の現象は、諸行無常であり
宇宙の現象は、諸法無我であります。
諸行無常 しょぎょうむじょう
生・住・異・滅を繰り返し、滅から
新たに生・住・懐・滅を繰り返し・・・
繰り返し、輪廻し続けているのです。
諸法無我 しょほうむが
因・縁・果を経て、果から
新たに因・縁・果を経て
永遠を息づいているのです。
カリダ (汗栗駄) 心
としての識大は
そのモノの本質としての心であり
私たちの真実の心でもあるのです。
チッタ (質多) 心 と
カリダ (汗栗駄) 心・・・
との、合一が
とりもなおさず
実の如く自らの心を
知ることになるのです。
最後まで読んでいただきまして
ありがとうございました。
お参りくださいました、皆さまが
無事息災でありますように・・・
オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン
オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン
オン ア ビ ラ ウン ケン バサラ ダト バン
合掌