正すとっぱぁ

日常日記、たまに変なコラム

隣人愛と言う名の偽善

2005年04月18日 | モヤモヤ
人が人であるために、必ずあるべき姿がある。
それが隣人愛。

誰かが困っていたら助ける、よくあること。
例えそれが自分に対してマイナスの感情しか抱かせない人でも。
過去にいろいろと迷惑を受け、精神的に病まされた相手でも。
舌打ちもせず、何の見返りも期待せず、純粋に困っている人がいたら助ける。
助けた相手からの「ありがとう」の一言で、それが報われるのなら。

誰かが幸せならその幸せを祝う、これも人として生きるなら当然。
例えそれが今の自分を追い込む原因になろうとも。
幸せに飢えている自分なのに、人の幸せを祝福できるだろうか。
嫉妬もせず、非難もせず、笑顔で幸せを見送る。
祝った相手からの「嬉しい」の一言で、それが報われるのなら。

誰かが悲しんでいたら共に泣いてあげる、情に弱い者の宿命。
例えそれが今の自分にとって好都合であろうとも。
人の不幸を見て笑うことが、外道・人外・畜生と分かっているから。
相手の悲しみを組んで、自分も悲しい涙を流す。
泣きに泣いて立ち直り、再び先へ歩き出してくれるのなら。

そんなことを考えたり行動していた自分に反吐が出る。
隣人愛と簡単に言うが、どれもこれも「見返り」を期待してばかりの行動。
某ゲームじゃないけれど、
「自分はこれをしました、だから私にこれをしてください」
と、まるで一人ギブアンドテイク。
「自分はこれをしませんでした、だからあなたもしないでください」
と、勝手に自分の中だけで暗黙の了解作って思い込む。
自分の思うように行かないとストレスが溜まる。
でもそれを言わない、我慢するのは自分だけでいいと壁を作る。
結果、よくしてくれている人を憎む。
相手に悪気は無いのに。

自分だけで動き、周りを信用せず、常に疑いの目を向け、人と距離を置き、孤独になる。
それを嫌がり、また人と接し、仲良くなってもそこまで。
自分を殺して話し、主導権を奪われ、信用できなくなり、相手を疑い、距離を置き、孤独になる。
全部自分の勝手な態度・行動から生まれることばかり。
だからいろんな物が自分の手元を離れていく。

…と、かなり個人的でダークな鬱話。

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