正すとっぱぁ

日常日記、たまに変なコラム

murmur twinsパフォ完成に至るまで

2009年12月15日 | 音ゲー
先日のKOBAKOさん主催「DDRパフォーマンスフェスティバル16th」パフォフェス最強パフォーマー決定戦にて、念願の優勝をいただきました。

ところで、パフォフェスにて披露するまで、いろいろな人から「murmur twinsでパフォらないんですか?」とか「まだですか?」とか聴かれまして、今回のパフォ製作について少しだけ長々とお話させていただきます。

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遡ること6年前だったかな?確か2003年の春。
DDRで言えばEXTREME期。

COHと初のパフォユニットを結成し「群馬ァマァツインズ」と名付けました。
で、2003年3月末のDDRパフォ大会in滋賀県三雲市にてデビュー。
その後、同年7月に神奈川県大和市のゲーセンで行われたプレ静君主催「ぽでに」、同年8月のYsK-与作氏主催「PSSP2003」でも二人でパフォをしました。

時は流れて半年後の2003年12月。

群馬のDDRパフォーマー卵王子が、武蔵中原に住むCOHを訪問。
当時オンラインラジオをやっていたCOH、卵氏をゲストにDDRトーク等で盛り上がる。
その中でこんな会話が。

卵:群馬の4代目になってよー。
COH:やだよー。
卵:いーじゃーん、やろうよ女装パフォ。
COH:やだよー。

こんな会話が延々と。
しかしこの後。

COH:じゃあわかった、だったらやるよ。

何と女装を受け入れてしまった!


COH:DDRの次回作に弐寺収録のmurmur twinsが入ったらやってやるよ。


時はDDR EXTREMEが稼動して1年が過ぎようとしていた頃。
当時のDDRファンの間では、次回作は出ないであろうと言う声が大多数を占めていた、まさにDDR冬の時代。
そんなこともあってか、COHも「まさか出ないだろう。」と思ってたんでしょう。
軽いジョークのつもりでそんな発言をしたとのことです。


さてさて、その後DDR新作は一向に出ず、周りもいよいよDDR引退ムード充満中だった2006年1月末。
突然DDRのAC新作の情報が入るや否や、物凄いお祭り状態に。

そして同年7月、約3年8ヶ月の長い充電期間を経て登場しました「Dance Dance Revolution SuperNOVA」

夏休みで群馬に帰省したCOHを車に乗せ、群馬1番稼動のゲーセンにて早速プレイ。


ん?murmur twins???


( ゜д゜) ( ゜Д゜)


( ゜д゜) ( ゜Д゜)


( ゜д゜) (゜Д゜ )


 (゜д゜) (゜Д゜)


入ってました、入っちゃったんです。
新作稼動の嬉しさで盛り上がっていたところにとんでもない落とし穴があった気分に。

何はともあれ、入っちゃったんだから仕方ない。
頃合を見て作れるときに作りたいなとCOHと相談もしたり。


ところが、他にもお気に入りの曲が多数入ってたこともあり、その後の新作(NOVA2・X)murmur twinsはほぼお蔵入りとなったのでした。
murmur twinsを目の前にして、このままでいいのか(゜Д゜)(゜д゜)



月日は流れて2009年秋。

KOBAKOさん主催のパフォフェス15th。
第一回から数えて丁度5年。
素晴らしいパフォーマンスを多数見られて幸せな気分に。

そのパフォフェス15thも終了。
次回16thパフォフェス最強パフォーマー決定戦の開催日程は12月。
横にいたCOHから「これに合わせてmurmur twins作るか」とパフォ作り案を提示される。
心躍りました。
いよいよ作るかーって感じで。

自分の中では「原点回帰」を掲げ、今まで培ってきたダンススタイルパフォを捨て、群馬ァマァツインズ結成時の様なコミカルスタイルに。
合流して練習できる日数が超少数に限られていたため、月に1~2回程度、週末に会って振り付けの確認をし、とにかく徹底した個人練習で練習最終日のユニゾン率を高めることに。

パフォフェス16th当日。
普段そんなに緊張しない正が、この日ばかりは会場入り前から変に緊張してました。



で、披露。
女装・・・とまでは行きませんでしたが、いかがだったでしょうか。

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改めて確認したこと。


パフォーマンス最高ヾ(゜д゜)ノ゛