こんにちは。
長かった大型連休も終わり、また忙しない日常が戻って来ました。
五月病なんていう言葉もあるように、この時期は何かとメンタル面の不調が現れやすいようですね。
特にこの連休明け、身体面は勿論ですが精神面のケアも怠らないように、無理し過ぎない程度に無理していきたいですね(?)
と、いう感じで始まりました今回の記事。
今回は、備忘録的に私の制作ポリシーについて語る、そんな記事です。
多分、後から自分で見て恥ずかしくなっちゃうようなそんなタイプの記事です。
自分語り乙、みたいな。
まあでも、そんな事も含めて自由に書けるのがこのブログですから(そうかな?)
今回も自由に書かせて頂きます。
さて、制作ポリシーと言っても色々あるわけですが、今回はフリゲ制作における『シリーズ物を制作する』という事について書いていきたいと思います。
私が普段作っているゲームは、その殆どがシリーズ物です。
蒼神シリーズ、音楽シリーズ、そして最近始めようとしているイフシリーズ。
で、私がこんなにもシリーズ物ばっかり作るのには、まあそれなりの理由があるわけです。
そうじゃなきゃこれ程しつこくシリーズ物を制作したりなんかしないですからね。
今日はそれについて、少しだけ。
まず私が第一に挙げたい、シリーズ物を制作する事に関するメリットですが、これは制作のハードルが下がる、それに尽きると思います。
どういう事かというと、ゲーム制作というのは割とハードルの高い代物で(多分)、一般の方からしてみれば"ゲームを作る"なんてのは、最早プロ的な技術を要する、普通の人間では到底できないような芸当ぐらいにまで思われてるんじゃないかと思っています。
大袈裟かもしれませんが、実際に私はゲーム制作を趣味としている友人に会った事は殆ど無いですし、その趣味を打ち明けた時は大抵の場合、かなり驚かれます。
で、そうした時に大抵の人が思い浮かべるゲーム制作像というのは大体、市販されているゲームがベースになっている訳です。
もしも普段からフリゲを漁っているような人間であれば、趣味としてゲーム制作をする人間が沢山いる事も知っているでしょうから。
とすると、彼、彼女らが思い浮かべるのはド○クエやポ○モン、ス○ブラのような超大作ゲームになる訳で。
そりゃ驚かれますわと。
私も一端のフリゲ作家として活動してる訳ですが、そういう市販されてるゲームは勿論、長編RPGみたいな大作は到底制作できる気がしません。
それは多分、フリゲ作家含め、技術の有無に関わらず、かなり多くの人間がそうなのではないかと思います。
しかし、一方でシリーズ物であれば、わざわざ一つの作品をそんな超大作に仕上げる必要はありません。
ある程度キリのいい所でぶった切って、次回作にご期待くださいとでも言っとけばそれで良いのです()
本来ならもっと大きな作品になる筈のネタを、小分けにしてそれぞれ単一の作品として世に出してしまうのです。
そうすれば、自分の思い描く超大作を壊す事なく、かつゲーム制作のハードルを下げる事が可能になります。
これは短編の制作でもある程度同じ事が言えますが、短編なら短編でそのゲーム単一でゲームを終わらせなければなりません。
すると必然的に、自分が思い描く超大作、なんてのは作れなくなってしまいます。
これが、短編のシリーズ物と違う部分であり、これがシリーズ物制作の最たるメリットだと思うのです。
きっとそれは、世間一般のゲームのイメージとは少し違うものかもしれませんが、ゲーム制作、とりわけ趣味によるフリゲ制作なんていったものに対しては全然OKだと、私は思います。
短編だろうが長編だろうが、どれだけクオリティが高かろうが低かろうが、ゲームを完成させる事、それがゲーム作家にとって何よりも大事な事ですから。
どれだけ技術があっても、どれだけ頭の中に素晴らしいゲームのアイデアがあっても、完成しなければそれは机上の空論に過ぎません。
そうなった時、上で述べたような制作のハードルを下げていく事、それは制作全般においてもかなり大事な事だと思います。
次に挙げられるメリットは、ストーリー展開やゲームデザインにメリハリがつく、という事です。
シリーズ物を制作するとなると、否が応でも途中でぶった切る事になります(そうでは無くシリーズ毎に完結する場合も勿論ありますが、今回は上でも述べたような小分けタイプのシリーズ物を想定します)
しかしそれでいて、シリーズ作品一つ一つにはある程度のストーリー性と個性が求められる為、それはシリーズ作品一つを作る度に考える必要があります。
全体として作りたい物というのはしっかりと据えつつ、かつ小分けにした各作品について作りたいものを詰め込む。
すると、半自動的にそのストーリーには豊かなメリハリが生まれ、個性を追求した結果ゲーム全体の雰囲気などの個性が生まれ、結果として全体のストーリーや世界観が間延びせずより幅広く、豊かになっていくと思うのです。
これは、シリーズ物制作特有のものな気がします。
過去作に登場したキャラなんかが再登場する、あの時のワクワク感はこれに端を発している気がしますね。
シリーズ毎に繋がりがあるお陰で、過去作を遊んだ人は新作をより楽しめる。また、シリーズ単体にストーリーと個性があるお陰で、過去作を遊んでいない人も楽しめる。
これもまた、制作のハードルを下げる一つの要素であり、シリーズ物特有の魅力を生み出せるメリットであるように思います。
……と、まあごちゃごちゃと書いてきた訳ですが、私も始めからこんな事を考えてゲームを作った訳ではありません。
それこそ、私のゲーム制作の発端は東方リスペクトの弾幕シューティングを作りたい!というシリーズ物云々とはあまり関係ない所からだったので。
なので今書いてきた事は、私が実際に制作をして、後発的に考え至った結果という側面が大きいです。
でも、こうして約一年ほど活動を続けてきて、シリーズ物の制作をするのは楽しい事なんだと思い続けていられるのは、こうした要因が少なからずあるのかなと。そう思っております。
…さてこの記事、どうやって切れば良いんだろう。
オチが思いつかないですが、もうここでぶった切ってしまいますかね。
この記事はシリーズ物じゃ無いですが。
長かった大型連休も終わり、また忙しない日常が戻って来ました。
五月病なんていう言葉もあるように、この時期は何かとメンタル面の不調が現れやすいようですね。
特にこの連休明け、身体面は勿論ですが精神面のケアも怠らないように、無理し過ぎない程度に無理していきたいですね(?)
と、いう感じで始まりました今回の記事。
今回は、備忘録的に私の制作ポリシーについて語る、そんな記事です。
多分、後から自分で見て恥ずかしくなっちゃうようなそんなタイプの記事です。
自分語り乙、みたいな。
まあでも、そんな事も含めて自由に書けるのがこのブログですから(そうかな?)
今回も自由に書かせて頂きます。
さて、制作ポリシーと言っても色々あるわけですが、今回はフリゲ制作における『シリーズ物を制作する』という事について書いていきたいと思います。
私が普段作っているゲームは、その殆どがシリーズ物です。
蒼神シリーズ、音楽シリーズ、そして最近始めようとしているイフシリーズ。
で、私がこんなにもシリーズ物ばっかり作るのには、まあそれなりの理由があるわけです。
そうじゃなきゃこれ程しつこくシリーズ物を制作したりなんかしないですからね。
今日はそれについて、少しだけ。
まず私が第一に挙げたい、シリーズ物を制作する事に関するメリットですが、これは制作のハードルが下がる、それに尽きると思います。
どういう事かというと、ゲーム制作というのは割とハードルの高い代物で(多分)、一般の方からしてみれば"ゲームを作る"なんてのは、最早プロ的な技術を要する、普通の人間では到底できないような芸当ぐらいにまで思われてるんじゃないかと思っています。
大袈裟かもしれませんが、実際に私はゲーム制作を趣味としている友人に会った事は殆ど無いですし、その趣味を打ち明けた時は大抵の場合、かなり驚かれます。
で、そうした時に大抵の人が思い浮かべるゲーム制作像というのは大体、市販されているゲームがベースになっている訳です。
もしも普段からフリゲを漁っているような人間であれば、趣味としてゲーム制作をする人間が沢山いる事も知っているでしょうから。
とすると、彼、彼女らが思い浮かべるのはド○クエやポ○モン、ス○ブラのような超大作ゲームになる訳で。
そりゃ驚かれますわと。
私も一端のフリゲ作家として活動してる訳ですが、そういう市販されてるゲームは勿論、長編RPGみたいな大作は到底制作できる気がしません。
それは多分、フリゲ作家含め、技術の有無に関わらず、かなり多くの人間がそうなのではないかと思います。
しかし、一方でシリーズ物であれば、わざわざ一つの作品をそんな超大作に仕上げる必要はありません。
ある程度キリのいい所でぶった切って、次回作にご期待くださいとでも言っとけばそれで良いのです()
本来ならもっと大きな作品になる筈のネタを、小分けにしてそれぞれ単一の作品として世に出してしまうのです。
そうすれば、自分の思い描く超大作を壊す事なく、かつゲーム制作のハードルを下げる事が可能になります。
これは短編の制作でもある程度同じ事が言えますが、短編なら短編でそのゲーム単一でゲームを終わらせなければなりません。
すると必然的に、自分が思い描く超大作、なんてのは作れなくなってしまいます。
これが、短編のシリーズ物と違う部分であり、これがシリーズ物制作の最たるメリットだと思うのです。
きっとそれは、世間一般のゲームのイメージとは少し違うものかもしれませんが、ゲーム制作、とりわけ趣味によるフリゲ制作なんていったものに対しては全然OKだと、私は思います。
短編だろうが長編だろうが、どれだけクオリティが高かろうが低かろうが、ゲームを完成させる事、それがゲーム作家にとって何よりも大事な事ですから。
どれだけ技術があっても、どれだけ頭の中に素晴らしいゲームのアイデアがあっても、完成しなければそれは机上の空論に過ぎません。
そうなった時、上で述べたような制作のハードルを下げていく事、それは制作全般においてもかなり大事な事だと思います。
次に挙げられるメリットは、ストーリー展開やゲームデザインにメリハリがつく、という事です。
シリーズ物を制作するとなると、否が応でも途中でぶった切る事になります(そうでは無くシリーズ毎に完結する場合も勿論ありますが、今回は上でも述べたような小分けタイプのシリーズ物を想定します)
しかしそれでいて、シリーズ作品一つ一つにはある程度のストーリー性と個性が求められる為、それはシリーズ作品一つを作る度に考える必要があります。
全体として作りたい物というのはしっかりと据えつつ、かつ小分けにした各作品について作りたいものを詰め込む。
すると、半自動的にそのストーリーには豊かなメリハリが生まれ、個性を追求した結果ゲーム全体の雰囲気などの個性が生まれ、結果として全体のストーリーや世界観が間延びせずより幅広く、豊かになっていくと思うのです。
これは、シリーズ物制作特有のものな気がします。
過去作に登場したキャラなんかが再登場する、あの時のワクワク感はこれに端を発している気がしますね。
シリーズ毎に繋がりがあるお陰で、過去作を遊んだ人は新作をより楽しめる。また、シリーズ単体にストーリーと個性があるお陰で、過去作を遊んでいない人も楽しめる。
これもまた、制作のハードルを下げる一つの要素であり、シリーズ物特有の魅力を生み出せるメリットであるように思います。
……と、まあごちゃごちゃと書いてきた訳ですが、私も始めからこんな事を考えてゲームを作った訳ではありません。
それこそ、私のゲーム制作の発端は東方リスペクトの弾幕シューティングを作りたい!というシリーズ物云々とはあまり関係ない所からだったので。
なので今書いてきた事は、私が実際に制作をして、後発的に考え至った結果という側面が大きいです。
でも、こうして約一年ほど活動を続けてきて、シリーズ物の制作をするのは楽しい事なんだと思い続けていられるのは、こうした要因が少なからずあるのかなと。そう思っております。
…さてこの記事、どうやって切れば良いんだろう。
オチが思いつかないですが、もうここでぶった切ってしまいますかね。
この記事はシリーズ物じゃ無いですが。