筑紫の国から『花つくし日記』

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●『源氏物語』10帖 賢木(さかき) 桐壺院の逝去と光源氏の危機

2024年06月16日 | xx源氏物語

『源氏物語』10帖 賢木(さかき)
桐壺院の逝去と光源氏の危機
光源氏23歳秋-25歳夏 近衛大将時代
藤壺28~30歳/紫上15~17歳/六条御息所30~32歳

[光源氏、野宮の六条御息所を訪れる]
六条御息所は娘の斎宮とともに伊勢に下ることになります。そのことを聞いた光源氏は、晩秋のある日、嵯峨の野宮(ののみや)六条御息所を訪ね、別れを惜しみます。
光源氏は、榊の枝を御簾の中に入れて「榊(常緑樹)のように変わらぬ我が心を……」と表しました。六条御息所の御心は乱れ、決心は揺らぎましたが、やがて伊勢へ下って行かれました。


巻名は作中で光源氏と六条御息所が交わした和歌にちなむ。
神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れるさかきぞ」
「少女子があたりと思へば榊葉の香りをなつかしみとめてこそ折れ」

※写真は、「サカキの葉」/無料(フリー)写真素材を使用


[桐壺帝の崩御]
11月、桐壺院が亡くなります。
藤壺は三条宮に下がり、権勢は右大臣方に移っていきます。光源氏左大臣方は、その後寂しい日々が続いた。その後、右大臣側の圧迫が強まり、左大臣は引退します。

[朧月夜君、尚侍となる]
翌春、朧月夜が尚侍ないしのかみとなり、弘徽殿に住み、五檀ごだんの御修法みずほうの行われた夜、光源氏朧月夜のもとに忍び入った。

※尚侍(ないしのかみ/しょうじ)とは、日本の律令制における官職で、内侍司の長官(かみ)を務めた女官の官名。

[桐壷の出家]
桐壺院の一周忌に、藤壺は法華ほっけ八講を営み、その後出家します。
(源氏の藤壺に対する求愛の激しさが、身の破滅に繋がると恐れたため。藤壺の皇子である東宮を守るための決断)
藤壺の宮は出家して、いよいよ光源氏の手の届かない人になってしまいました。

[源氏と朧月夜君の仲を右大臣に知られる]
翌年の夏、朧月夜は病気で里に下がります。
ある夜、光源氏朧月夜のもと(右大臣邸)に忍んできているところを右大臣に発見されてしまいます。
朧月夜は帝の側近くに仕える女官・尚侍になっていたため、源氏との仲を聞いた弘徽殿女御は大変怒り、源氏追放を考え始めた。

 


【源氏物語10帖に出てくる主な登場人物】

光源氏(ひかるげんじ)
第一部、第二部の物語の主人公。亡き母にそっくりと言われている藤壺の中宮恋をしてしまう。
その後も亡き母・桐壺更衣の面影を求め、様々な恋愛遍歴をたどる。
紫の上も、女三の宮藤壺の姪である。光源氏は藤壺中宮の血縁者に強く心を惹かれる人生だった。

桐壺帝(きりつぼてい)
光源氏の父親。桐壺の更衣を溺愛し、物語の主人公・光源氏が誕生。
桐壺の更衣が亡くなった後は、顔がそっくりな藤壺を入内させ愛する。
子の朱雀帝に譲位した後は、桐壺院となる。
自分と藤壺中宮の子が実は光源氏と藤壺中宮の子であるとは知らないまま崩御する。

藤壺の中宮(ふじつぼのちゅうぐう)
先帝の内親王。「藤壺の宮」とも呼ばれる。桐壺の更衣亡き後、桐壺帝は顔がそっくりな藤壺を入内させる。光源氏の初恋の相手であり、光源氏と藤壺の間には不義の子(冷泉帝)が誕生
桐壺帝が亡くなった後は、出家する。

朧月夜(おぼろづきよ)
右大臣の6番目の娘。弘徽殿女御の妹である。光源氏と恋人関係になった。
後に尚侍として朱雀帝に仕え、寵愛を受ける

右大臣(うだいじん)
光源氏の政敵。娘に弘徽殿女御や朧月夜がいる。弘徽殿女御と一緒に光源氏の追放を画策する。
「明石」の巻で亡くなる。

弘徽殿女御(こきでんのにょうご)
桐壺帝の妃であり、朱雀帝の母。
桐壺帝が、第一皇子を産んだ自分よりも桐壺の更衣を溺愛することに
強く嫉妬して、桐壺をいじめた。その子の光源氏をも憎んでいる。
光源氏を須磨・明石に追放するよう計画したのは弘徽殿女御とその父右大臣である。


今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」(2024年)を解りやすく視聴見るために平安時代の勉強を兼ねて『源氏物語』のブログを書いています。『源氏物語』には、物語に欠かせない要素のひとつとして多くの「植物」が登場します。これなどを切り口に『源氏物語の花』『源氏物語の風景』をブログで表現できたらと思っています。


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