筑紫の国から『花つくし日記』

福岡から情報発信の山野草・庭の花などをテーマにしたブログです。
お花紹介は九州に咲く季節の花がメインですよ。

藤巴について

2009年09月06日 | 70.アーカイブス(旅行等)

「藤巴」紋は筑前黒田52万石の黒田氏の家紋です。

この「藤巴」紋を黒田氏が使うにあたっては、戦国時代に遡ります。
豊臣秀吉の軍師として有名な黒田官兵衛(黒田如水)の時代です。

黒田官兵衛は秀吉に仕える前に小寺氏仕えていました。
(播州播磨で黒田氏の居城は姫路城、小寺氏の居城は御着城
 この時代は、御着の方が都会で姫路は片田舎

「藤巴」紋は黒田氏が仕えた小寺氏の家紋であり、これは赤松氏流の小寺氏が赤松氏の紋である巴紋を変化させたものと思われています。

黒田氏が藤紋を用いるようになったことに関して、いろいろな伝説があるようですが、黒田氏を取り立てて優遇してくれた小寺氏の藤巴を大切にした結果と思われています。

私の日記名は、
この家紋から頂きました。

トップの写真は、石垣が見事な黒田氏の居城、福岡城です。

【アーカイブス版】2007-08-20の記事です。

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藤巴について

2009年02月08日 | 70.アーカイブス(旅行等)

「藤巴」紋は筑前黒田52万石の黒田氏の家紋です。

この「藤巴」紋を黒田氏が使うにあたっては、戦国時代に遡ります。
豊臣秀吉の軍師として有名な黒田官兵衛(黒田如水)時代です。

黒田官兵衛は秀吉に仕える前に小寺氏仕えていました。
(播州播磨で黒田氏の居城は姫路城、小寺氏の居城は御着城
 この時代は、御着の方が都会で姫路は片田舎

「藤巴」紋は黒田氏が仕えた小寺氏の家紋であり、
これは赤松氏流の小寺氏が赤松氏の紋である巴紋を
変化させたものと思われています。

黒田氏が藤紋を用いるようになったことに関して、
いろいろな伝説があるようですが、
黒田氏を取り立てて優遇してくれた小寺氏の藤巴を
大切にした結果と思われています。

私の日記名は、
この家紋から頂きました。

トップの写真は、石垣が見事な黒田氏の居城、福岡城です。

【アーカイブス版】2007-08-20の記事です。

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照国神社~城山展望台まで歩いて登りました[鹿児島旅行記]

2008年02月22日 | 70.アーカイブス(旅行等)

本日は、「シトリンの旅行記」です。
私が旅行に行った所を旅行記にして紹介します。

 照国神社~城山展望台を紹介します。
(平成20年1月25日の鹿児島旅行記です。)

今回の鹿児島旅行で、照国神社~城山展望台歩いて登りました。
鹿児島の人が聞いたら少しはビックリすると思います。
計画もそこそこの旅行でした。地図を片手に鹿児島市内探索です。
照国神社から城山展望台までは、地図上は隣りです。
写真の階段を見てお判りのとおり急な階段でした。

大きな鳥居が目印の 「照国神社」


城山展望台への最短コース 急な坂道


自然探索も出来ました 「シダ類・コケ類」
 
撮影は、1月25日

休み休み登った 「急な階段」
 
撮影は、1月25日    休憩に階段に腰掛けると癒される自然が豊富でした。

蔦・コケ類を見て、そろそろ山頂です。

撮影は、1月25日

やっと見えました 「桜島」

撮影は、1月25日

地図を見ての判断でした。
結構疲れましたが、運動にはなるし自然探索も出来ました。
桜島が見えたときは、何とも知れず達成感がありました。

時間のない方、体力に自信のない方等はお勧め出来ないコースです。
タクシーやバスを利用された方が良いと思います。
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西南の役銃弾跡 [鹿児島旅行記]

2008年02月21日 | 70.アーカイブス(旅行等)

本日は、「シトリンの旅行記」です。
私が旅行に行った所を旅行記にして紹介します。

 西南戦争の銃弾跡を紹介します。
(平成20年1月25日の鹿児島旅行記です。)

今回の鹿児島旅行は、ゆっくり歩くことが出来ました。
西南戦争の始まりと終りの地「私学校跡」にも行きました。
私学校は、鶴丸城の隣りにあり
石垣で囲まれており城塞の感じがしました。

現在跡地は、病院になっており、石垣だけが名残を留めていました。

私学校の石垣は 「西南戦争の銃弾跡」
 
撮影は、1月25日

写真で判るとおり銃弾で穴の開いた 「私学校跡 石塀」
 
撮影は、1月25日    銃弾跡が平和を祈っているようにも感じました。

戦争を忘れて 「春を待つ山野草」 咲いていました。
 

けなげに咲く山野草は平和の使者でしょうか。     撮影は、1月25日

 【ワンポイント】  
 西南戦争とは、明治10年に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において
 西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱である。
 (上記のワンポイントは、インターネット検索によるHPより引用)
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花一杯の鹿児島市内の路 [鹿児島旅行記]

2008年02月01日 | 70.アーカイブス(旅行等)

本日は、「シトリンの旅行記」です。
私が旅行に行った所を旅行記にして紹介します。

 花一杯の鹿児島市内の路を紹介します。
(平成20年1月25日の鹿児島旅行記です。)

今回の鹿児島旅行は、ゆっくり歩くことが出来ました。
こんなに自然を取り入れ綺麗な街づくりをした所は
私の知るところ鹿児島市が一番ではないでしょうか。
写真を見て皆さんの街と比べて視ませんか。

電停は芝生の 「鹿児島市電

撮影は、1月25日  
アスファルトから暑さ寒さをシノグ発想でしょうか?
芝生の中には車が入って来ません。安全面も良いようです。


手入れの行き届いた 「道沿いの花壇」

撮影は、1月25日

ベンチと花が一体となってくつろげる 「歴史と文化の道」
 
撮影は、1月25日    ベンチに座ると花が近くに見え癒されます。

水路には、綺麗な水が満々と 「堀の中には錦鯉」
 
堀からはマイナスイオンが満々と         撮影は、1月25日

歴史と文化の道は、照国神社・西郷像・鶴丸城・私学校と歴史を感じる
名所が沢山あり、私もこの道をゆっくり歩いて見学いたしました。
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