高見順の『死の淵より』を読みなおしました。
前回読んだのは18才の時。
この時、この本は私の心に強い印象を残したのですが、
今回は心に響いてきませんでした。
「文学」を至高のものとしてきた人が、死に向き合うことになった。
「魂」を尊び、「魂」以外のものを軽視してきたのに、
「魂」にも「身体」にも裏切られたと思い、置き去りにされてあがいている。
あえていうならそんなところでしょうか。
私がかつてこの本に感動したのは、私がまだ若く、死から遠く離れていて、
死を観念的にしかとらえていなかったからかもしれません。
詩を読んで、夭折でもしたのかと年表をめくると、高見順、享年58才。
その年齢まで私はあと10年。
さて、私はどんなふうに覚悟をつけていくのか。あるいはやはりあがくのか。
ヨギーニや宗教家を思う。
前回読んだのは18才の時。
この時、この本は私の心に強い印象を残したのですが、
今回は心に響いてきませんでした。
「文学」を至高のものとしてきた人が、死に向き合うことになった。
「魂」を尊び、「魂」以外のものを軽視してきたのに、
「魂」にも「身体」にも裏切られたと思い、置き去りにされてあがいている。
あえていうならそんなところでしょうか。
私がかつてこの本に感動したのは、私がまだ若く、死から遠く離れていて、
死を観念的にしかとらえていなかったからかもしれません。
詩を読んで、夭折でもしたのかと年表をめくると、高見順、享年58才。
その年齢まで私はあと10年。
さて、私はどんなふうに覚悟をつけていくのか。あるいはやはりあがくのか。
ヨギーニや宗教家を思う。