心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

それぞれの建国記念

2013年02月11日 | 雑感
今日、2月11日は建国記念の日です。各都道府県ではさまざまな催しがありました。

▼建国記念の日(けんこくきねんのひ) [ 日本大百科全書(小学館)より引用 ]
2月11日。「建国をしのび、国を愛する心を養う」趣旨の国民の祝日。この日は旧紀元節で、講和条約発効後根強い復活の動きがあり、激論のなか日取り未定のまま、1966年(昭和41)国民の祝日に追加された。内閣に審議会を設けて審議の結果、同年12月、10委員中7人の賛成で「2月11日」と答申され、翌67年2月9日政令公布された。例年賛否両派が集会などを行っている。


『建国をしのび、国を愛する心を養う』ことに賛否両論という事ですが、その時代その時代によって変わり行く思想が背景にあると想像致します。しかし、現代人と言われる今を生きるわたしたちは、いつから国を愛する心を養うことそのものに否定的な思想に至ったのでしょうか。いつから謙虚さを失い、怠慢で横柄な考えになったのだろうかと、今日この日を迎え思うわけであります。

現在というものは過去に不明瞭だったことが聡明に出来る機会でもあり、努力を惜しまねば人間の英知が上昇していく機会に預かれるのですが、なかなか難しいようです。過去を顧みるという事は、善処のためのものであるはずなのですが、国を愛する心を養わない事を良しとする善処は、不可解極まりないでしょう。

賛否両論あるこの建国記念の日に、一方では御祝を、また一方では、祝うどころか祝日を否定する拳を上げる人々もいるという、この国の未来は憂いがないとは言えません。人のフリ見て我がフリ直せではありませんが、こうした動向に触れ、個人の自由、思想哲学も千差万別であっても、人間として謙虚さを忘れず、慎ましく生きるべきと教えを請うような状況であります。


さて、本日地元の護国神社では建国記念の日に当たり、祭典が執り行われましたが、残念ながら列席する事が叶いませんでした。よって、朝より神棚から、建国記念の日であることに意識を傾け、これからの国家の安寧をとご祈念致しました。

わたしが、神社へ向かい、また神棚に手を合わせるようになってから、より良きえにしが増えました。もう、かれこれ数十年、地元の八幡神社へ参拝し、そして4年前からお社しかない氏神神社を参拝清掃し、3年前から伊勢神宮へ参拝を毎月1日にしております。

元日の初詣も、3年前から地元の護国神社へ手を合わせるため参拝を始めました。年に数回しか御参り出来ていないのですが、それでも今年は石の上にも3年、そう3年目を迎え、不思議なえにしがありました。

それは、わたしの祖父の弟が、この地元護国神社で合祀されている事が分かったのです。

祖父は6番目の男子で、長男にあたる兄の元に末っ子だった弟が戦病死として合祀された案内は来ていたようですが、祖父の兄が亡くなった後、この長男夫婦へも通知が届いておりましたが、御祀をされず、放置した状態であったようで、2年前に息子である長男がお亡くなりになってからは、合祀された祖父の弟は、完全に無縁な状態でありました。

昨年末、白梅慰霊の会の仲間達と護国神社へ正式参拝させて頂き、宮司様ともお顔を合わせてお話しする機会があり、わたしの事もご認識戴いた甲斐もあり、元旦の参拝時に宮司様と新年のご挨拶をさせて頂きました。

わたしの親族も、追いかけるように護国神社へ参拝していたので、今年の2日の日に初詣を誘われましたが、すでに元日に参拝を済ませていたので、親族は一人で護国神社へと向かいました。

2日の参拝時に、正式参拝を申込するため、社務所へ『御神楽はありますか?』と申出したようです。巫女さん達の返答は、『いや~、御神楽はないのですが、ご遺族ですか?ご親族がこちらへ合祀されているのですか?』と尋ねられました。

親族は『祖父の兄弟が戦死したとは聞いてますが、合祀されているかどうかまでは、すみません、存じ上げなくて・・・。』と答えると、即座に、『お調べ出来ますよ。出生場所はどちらですか?』と、速やかに調べて下さったそうです。

今は合祀された方々の名簿もコンピュータによって管理され、即座に祖父の弟が該当し見つかりました。そこで、今まで祖父の兄であった長男、そしてその息子は、御英霊を供養することなく放置の状態である事、つまり詳細が空欄だったようです。改めて、ここでお願いし、御札を作って戴き持ち帰ることが出来ました。2日の夜、親族から護国神社の一連の出来事を聞き、導かれたえにしに、胸が熱くなり、思わず涙が溢れました。

また昨年、母屋がすべき先祖代々の供養を、おそらく放置しているだろうという事で、親族からわたしに相談があったわけですが、その際わたしは”母屋や別宅や関係ない。ご供養は、出来る人が気持ちをもってしてあげたらいい”と応え、親族もその声で背中を押され、故郷のお寺で過去帳を通して文久時代まで遡り、ご先祖様を調べ、過去帳に載っている全てのご先祖様の法事を檀家のお寺でしてもらいました。その中に、その合祀された祖父の弟も入っていたのです。

今、護国神社から戴いた御英霊である祖父の弟の御札は、神棚に祀っています。先週親族が上京した折、靖国神社に参拝しお神酒を購入しましたので、このお神酒もお供えしています。そして、今日改めて参拝しておりますと、居た堪れない気持ちになりました。合祀された祖父の弟の御札を見つめながら、先人に対するご苦労、ご苦難だった時代に人生を翻弄されたことを思うと、参拝しながら涙が出ました。

建国記念という日に当たり、今日はこの先人の方々に思いを馳せてしまいました。謙虚に慎ましく使命をもって生ききる、今の時代と相反する生き方をされた先人達に敬服しながら、この国への憂いを糧に、精進せねばならないと感じる一日でもありました。

建国記念の日の祝日の本来の意味を理解し、達観出来る事が、真なる国家の安寧へと繋がるのでしょう。まだまだ道のりは遠く、険しいものですが、この国に生まれ育っているわけですから、国家の建国を素直に祝える民度でありたいと思っております。

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