心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

道義的な違和感

2010年08月28日 | 雑感
今問題提起されている死刑制度については、やはり深く思慮するべきだと感じる。8月27日死刑執行の場所を公開した事を受けて、千葉法務大臣が投げかけたご意見とは裏腹に、多くの国民には断片的にしか伝わっていないのではないだろうか。その中で死刑の囚人を殺める場所だけにスポットを当てるのは、過小な知識による判断を生み出しやすく、議論の幅を持たせる事が難しいように思える。まずは、この死刑に至る裁判過程を知る事の . . . 本文を読む

2010年08月18日 | 雑感
8月15日に倉本聰氏作の終戦ドラマスペシャル『歸國(きこく)』の感想を書き綴りながら、靖國神社について、『英霊の方々、また自殺により英霊にもなれないと誤解をしている兵士の想いに、想像力を精一杯使い、今一度、現地へと足を運び、他国から非難されている靖國神社について、己自身で考えて頂きたいと願う。 』と書き記したものの、yahooのドラマ感想を書くコーナーで、わたしがチェックした段階では、このドラマの . . . 本文を読む

國を憂いて。

2010年08月15日 | 雑感
昨日、TBSにて倉本聰氏作の終戦ドラマスペシャル『歸國(きこく)』が放送された。 http://www.tbs.co.jp/kikoku2010/index-j.html 沖縄の白梅之塔で行われた慰霊祭の日記を全15話書き綴った想いと、実にリンクした内容だっただけに、非常に胸に迫るシーンが幾度となく綴られていた。終戦記念日前日に、倉本聰氏が魂を込めて作った問題作は、戦後生まれの日本人に対する . . . 本文を読む

白梅之塔 慰霊祭15 【あとがき】

2010年08月12日 | 慰霊
慰霊祭まで水面下で色々と準備を重ね、当日をむかえ、恙無くその役目を終えたことに、ほっとした気持ちと、さらなる課題もたくさんある事と、改めて感じている。 沖縄戦で亡くなった同級生の白梅学徒隊の仲間に哀悼の意を込め、同窓生の方々の一部は、平和活動と名づけ戦争を知らない人々に、戦争体験談を現地で行っている。65年前の記憶を今でも鮮明に伝える事が出来るほど、記憶に忌々しく残った戦争体験は、今を生 . . . 本文を読む

白梅之塔 慰霊祭14 【笑顔でさよなら】

2010年08月11日 | 慰霊
きくさんと立ち話をしていると、同行した仲間達も囲みはじめた。わたしは遅ればせながら、仲間を紹介したのだが、その時少し冗談っぽく紹介したところ、「○○さーん、何言ってるの?わかっていますよ。(笑)」と初めて笑顔を見せて下さった。 4月に初めてここでお逢いした際、一貫して笑顔を見せなかったきくさん。他の同窓生の武村さんや道子さんらは、泣いたり笑ったりして下さったが、きくさんだけは、最後の最後まで笑 . . . 本文を読む

白梅之塔 慰霊祭13 【少女達の最後の訴え】

2010年08月10日 | 慰霊
壕の中で最後の祈りを奉げ、少女達にお別れを告げた。荷物の残りを会場テントの下に置いていたわたしは、荷物を取り、きくさんにお別れの挨拶をと思いきや、きくさんが「今から少しお話があるので、聞いて下さい。」と着席を促された。どうやら祭順の用紙の下部にも書かれていた白梅協力会の代表者からのお話のようである。 わたしは右段の端の席に着席し、話を聞くことにした。今回の慰霊祭へ参加した他府県からの参加者が . . . 本文を読む

白梅之塔 慰霊祭12 【壕でお別れ】

2010年08月09日 | 慰霊
雨はだんだん激しくなっていく中、慰霊祭の「あいさつ」として、改めて中山きくさんからご挨拶があった。今年もこうして慰霊祭が執り行われた事への謝意を述べられている。こころの中でわたしは、改めてきくさんをはじめとする同窓生の方々に対し想いを馳せ、本当に尊き行いを、ありがとうございますという気持ちで溢れていた。 その後、沖縄県立第二高等女学校の校歌が斉唱される。祭順の裏面には、この校歌が楽譜とともに描 . . . 本文を読む

白梅之塔 慰霊祭11 【少女達の想いは雨へと変わり】

2010年08月08日 | 慰霊
次にマイクの前に立たれたのが、白梅之塔慰霊祭協力会代表者。代表者からは「白梅協力会報告」が行われた。 この白梅之塔慰霊祭協力会は、2009年7月4日に”白梅協力会”と名づけられた有志の会であり、白梅同窓生とも連携して慰霊祭の事前準備、当日の設営、式典の進行、参加者の接待、事後片付けを行い、後日には出席者の名簿整理や挨拶状の発送などもボランティアとして白梅同窓生を支えている。この会は、会費などの . . . 本文を読む

白梅之塔 慰霊祭10 【ざわめく少女達】

2010年08月07日 | 慰霊
代表焼香も次々と名前が呼ばれ、それぞれが慰霊碑前に行き、合掌礼拝をされていた。それが終わると次に、「次世代平和メッセージ」として沖縄尚学高校の女子高生がマイクの前に立って原稿を広げた。 戦争体験を風化させないために、沖縄では地域格差は多少あるものの、戦争体験者の話を聞く機会がある。これは本土とは異なる学習風景ではないだろうか。落ち着いた様子で、元気一杯に原稿を読み上げている。 わたし . . . 本文を読む

白梅之塔 慰霊祭9 【平和とは】

2010年08月06日 | 慰霊
マイクテストをされる司会の方の音が、会場に響く。簡易なスピーカーながら、ミキシングスタッフもいる様子だ。もうすぐ、慰霊祭が始まる。同窓生の役職ある方々は黒の正装を身をまとい、また主要な来賓の方々もかりゆしの黒の正装をまとい、着席し始めた。「はじめのことば」として同窓生副会長より、慰霊祭の始まりの挨拶があり、全員起立し、黙とうを捧げた。 その後読経を読むため、ご住職が慰霊碑前の席に着席され . . . 本文を読む

白梅之塔 慰霊祭8 【白梅同窓生との再会】 

2010年08月05日 | 慰霊
記帳には女性3名が対応していた。この度、中山きくさんの計らいで、わたしは代表焼香の役目を担っていた。初めての慰霊祭参加にも関わらず、この重責にはわたしの精神は張り詰めていたように思える。笑顔もどこかぎこちなかっただろう。そこに、駆け寄って下さった人がいた。それが、4月にお逢いした白梅同窓生の武村さんだった。あの時の様相とはまるで別人で、この慰霊祭を恙無くおさめるための【気】をこちらに発信されて . . . 本文を読む

白梅之塔 慰霊祭7 【輪廻転生の兆し】

2010年08月04日 | 慰霊
三庫理(さんぐーい)で祈りを奉げ、わたしはこの場を後にした。昼12時には沖縄全土で一斉に黙祷が奉げられる。わたしはこの時丁度斎場御嶽に入山した時間だった。時間を気にしながら入山し、そして役目を終えて下山する。観光客とは異なる慌しい雰囲気だ。下山の頃、空はだんだんと曇りはじめ、雨が降り始めた。そして入口付近でこの光景を目の当たりにした。 この雲は見上げてもあたり一面を覆い尽くしている。そし . . . 本文を読む

白梅之塔 慰霊祭6 【祈り】

2010年08月03日 | 慰霊
翌朝、6月23日は曇りだった。本番を迎えた慰霊祭は午後2時から始まる。朝食を終え、身支度を整え、慰霊祭の前に、斎場御嶽(せーふぁーうたき)へと向かう。ここは琉球大国時代最も神聖な場所とされ、王府の関係者以外は入れなかった。そして男子禁制でもあった。現在は世界文化遺産として登録され、入場料を支払えば誰でもが入ることが出来る。神が降り立つ場所として、今でもその軌跡を十二分に感じる事が出来る。印象に残る . . . 本文を読む

白梅之塔 慰霊祭5 【少女達が諭した】

2010年08月02日 | 慰霊
極度の緊張感を保持しながらも、わたしは自ら置いたブロックの場所にしゃがみこみ、般若心経を唱えた。そして、今から歌を捧げることを少女達に伝えた。 再び、壕の入口に置いてある道具一式を壕に持ち込み、セッティングする。マイクをジャックに差込み、デッキに入れられたカセットを外から目視し、右手には鈴、左手にはマイクを握っていた。 消し去ることの出来なかった迷いは、ここでようやく結論が出た。やはり、メロ . . . 本文を読む

白梅之塔 慰霊祭4 【歌うということ】

2010年08月01日 | 慰霊
1月に白梅之塔へ訪れた時、わたしは壕の中で少女達に「草原の少女」という1曲を献歌した。マイクロカセットデッキのボリュームをフルに上げ、バックサウンドも音割れ気味の中で地声で歌い切った。 あの時の奇妙な現象は、初回の日記でも書き記したが、歌い続ける過程でだんだんと壕の中が明るくなっていった。霊視をする友人は少女達22人が次々と集まり整列し、わたしの歌を聞き入っていた姿を見ていた。 わたし . . . 本文を読む