サードウェイ(第三の道) ~白井信雄のサスティナブル・スタイル

地域の足もとから、持続可能な自立共生社会を目指して

200年の化石燃料時代

2007年11月24日 | 環境の算術
石油の可採年数と枯渇年数

石油は有限な資源の代表である。しかし、有限だ、有限だと言われながらも、なかなか無くならない。1980年頃には、石油はあと30年で無くなると言われていたが、まだ無くなりそうもない。逆に、あと40年以上は大丈夫という数字もある。これでは狼少年のようで、石油の枯渇問題の深刻さが伝わらない。このあたりを少し掘り下げてみよう。

まず、石油の可採年数という指標を理解しなければならない。これは、現在確認されている埋蔵量(確認埋蔵量)を生産量で割った数字である。2003年末時点で、石油の確認埋蔵量は、1兆1,488億バレル(1バレル=159リットル)。これを同年の年間生産量280億バレルで割った可採年数は41年となる。これが可採年数である。

また、可採年数とは別に枯渇年数という指標がある。これは、残存埋蔵量を生産量で割った数字である。残存埋蔵量とは、確認埋蔵量に、今後発見されると見込まれる資源量(未発見資源量)と、既に発見された油田の資源量の増加分(埋蔵量成長量)を加えた、その合計値である。埋蔵量成長とは、油田が増殖するわけでもなく、おかしな言い方だが、開発段階の油田の埋蔵量が開発している途中で上方に修正されることが経験的に分かっているようである。

石油の場合、枯渇年数は、2000年末時点で79年である。このように、可採年数を言っているのか、枯渇年数を言っているのかで、数値が異なるので注意が必要である。

さて、可採年数の数値は、年を経て、増えることがある(注1)。生産量は増え続けているから、確認埋蔵量が増加しているためである。確認埋蔵量が増加する理由は3つである。

1つは、新たに油田が発見されること。しかし、石油発見のピークは1959~60年代で、それ以降、巨大油田は見つかっていない。過去に発見された油田を食いつぶしている状態である。

2つめは既に発見されている油田を見直した結果、確認埋蔵量が増加する場合である。

3つめは、油田から採掘した物質から、より効率低に石油を回収する技術が開発・導入され、確認埋蔵量が増加する場合である。



石油は今後どうなるのか

さて、石油の確認埋蔵量(可採年数)は今後も技術進歩等により減らない可能性もある。また、枯渇年数でいえば、あと100年は持ちそうだ。現在の子供たちが生きている間くらいは石油が持つのかも知れない。しかし、可採年数にせよ、枯渇年数にせよ、生産量が増え続ければ、ますます短くなる。

生産量の過去から未来への推移は、ベル型を示すといわれる。生産量は一定程度まで上昇するが、ある程度でピーク期を向かえ、その後減少する、この形がベル型となる。このベル型のカーブは、元シェル石油の研究者の名にちなんで、ハバート・カーブといわれる。

ハバートは、1956年に、アメリカの石油生産ピークが1970年代年代にくると予測した。この考えを世界に当てはめたのが、キャンベルである。1998年のキャンベルの予測では、2004年を生産のピークとしている。そう、既に生産のピークが過ぎているのである。もっとこの予測では、ピークが2010年頃まで続くとしているから、今がピークの最中である。

また、採りやすいところ、質のよいところから、石油を採掘しており、今後は条件の悪い採掘を行うこととなる。この結果、石油の採掘コストも増大することとなる。

石油の枯渇は、100年後まで大丈夫であると考えるのではなく、既に問題は顕在化しつつあると捉えるべきである。



二億年できたものを瞬間に使い尽くす

石油等の化石燃料は「太陽エネルギーの缶詰」だといわれている。これは、石油は恐竜が出現した中生代(2億4700万年前~6500万年前)に、地中に埋まった生物資源が長い年月をかけて変化し、缶詰の中身にように凝縮されたものだからである。

恐竜の時代の地球には、テチス海、古地中海という内海があり、そこに沈殿した膨大な有機物が石油になった。当時の地球は二酸化炭素が今より一桁多く温暖で、光合成が盛ん。しかも、この内海は攪拌されずに酸欠状態であったことも石油の熟成に幸いであったとされる。

そして、2億年前に生産され、蓄積されてきた有機物を、人間はたかだか100年前からすごい勢いで使い始め、後100年ももたないうちに使い切ってしまうのである。

人類の歴史を1億年とすれば、100年はほんの一瞬の出来事である。人類の歴史に化石燃料時代を刻むとすれば、それは江戸時代に対する安土桃山時代の程度のことに過ぎない。

江戸時代は日本の文化を成熟させ、一定程度長く続いた時代であった。それに先行した安土桃山時代は、家康の反面教師としての意味を持つ時代であった。

これと同様に、人類は、化石燃料時代という派手で放漫な時代を終え、それを反面教師とした枯渇性の資源に依存しない次の成熟時代に移行していくのではないだろうか。化石燃料時代を人類の幕引きの時代とすることがないように、次の時代を用意しなければならない。



化石燃料時代と地球温暖化

地球温暖化問題も、化石燃料時代ゆえの問題である。化石燃料の燃焼によって、排出される二酸化炭素の量は、人間の呼吸によって、発生させた二酸化炭素の量の10倍である。

具体的にいうと、人間の呼吸で発生する二酸化炭素の量は、毎日平均1キログラムである。これに365日と60億人を乗じると22億トンとなる。

人間が化石燃料を燃やして、便利な生活を得るために利用している二酸化炭素の量は、地球上で239億トン。つまり、人間は、食物起源の二酸化炭素のおよそ10倍の二酸化炭素を、自分の生活を豊かにするために排出している。このことを例えて、人間1人が10人の奴隷を使い、王侯貴族のような豊かな生活をしているようだとする(注2)。

化石燃料時代とは、人類が、他の生物とは異なる贅沢さを追い求め、二億年もかけて熟成された地球上の有限な資源を食い潰してしまうという、大変に不遜な時代である。そして、地球を温暖化させ、気候条件まで変えてしまうのかもしれない。

私たちは、化石燃料時代を終焉の時代とすることがないよう、次の時代に上手く以降させていかなければならない。当然のことであるが、次の世代の人類が創造していかなければならない時代は、化石燃料を使いたくとも使えない、化石燃料を使わない時代である。

注1)財団法人省エネルギーセンターのHPより。
    http://www.eccj.or.jp/databook/
注2)奴隷の数は国によって違う。アメリカ人の奴隷は1人当たり50人、日本人は25人。
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