真宗寺第三世坊守 法名 静月院釋節子
11月26日お浄土に往生いたしました。
28日・29日寺葬にて、通夜、葬儀をお勤めさせていただきました。
有縁の皆さま、門信徒の皆さまにご会葬、また葬儀のお手伝いをいただきました。
篤く御礼申し上げます。
11月16日の常例法座にもいつものように本堂の椅子に座り、お集まりの皆さんとお話をさせて頂いておりました。
前坊守からはたくさんのお育てをいただきました。
22日に入院してから、25日の婦人会の今年度最終例会と永代経法要にお参り出来ないことをとても気にしておられました。
「皆さんに宜しく伝えて下さいね。」とベットの上で話しておられました。
その25日の婦人会の例会では、会員の皆さんと報恩講にお配りさせて頂いた、本願寺出版社の「報恩講」という冊子の山崎龍明師の文を読ませて頂きました。その中の一文をここでご紹介させて頂きたいと思います。
報恩講ーいのちにめざめる集いー
山崎龍明
(本文より一部抜粋)
・であい、別れ、ともに尊し
親鸞聖人は「別れも縁」といわれています。出遇いだけではなく、別れも縁というのです。すごいですね。自分のもとから離れていく念仏者の問題が起こったとき、怒り、あわてふためく念仏者達を前に親鸞聖人がいわれた言葉です。
つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるる (『注釈版聖典』835頁)
なんと開かれたこころの持ち主なのかと、おどろきます。私達は,縁があって出遭い、縁が尽きて離れる、ただそれだけのことなのです。よい人と出遇い、そして別れの縁によって離ればなれにもなる。これが道理なのです。このことにめざめるとき、こころが解放されやすらかになれます。それが念仏に生きる者の世界なのです。
「出会いが人生を豊かにし、別れが人生を深くする」という言葉があります。私は今「出遇いの縁、別れの縁、ともに尊し」という渦中にあります。しかし、いつか「出遇いの縁、別れの縁、ともに有り難し」といえるように、いっそう聴聞したいと思います。仏法の道明るしです。報恩講はここのところを聴聞する絶好の機会です。
報恩講は仏のめぐみ(恩)をよろこび、それにこたえて(報恩)うごきだすことを誓う新たなる出発の集いです。
(報恩講冊子より抜粋させて頂きました 本願寺出版社)
葬儀を終えて少し時間をいただいた今、今年の報恩講のご法座で聴聞しておられた前坊守の姿を思い、出遇いの縁、別れの縁を感じさせて頂いております。