是々初心忘るべからず

日々思ったこと

お盆が終わる

2017-08-15 22:44:27 | 日記
昨年のお盆とは、まったく違った今年のお盆。

送り火を焚いて、出てきた言葉が「終わった〜」。
親戚も少ないし、お墓は近いし、これといって大変な思いもしてないのに。
ご先祖さまに叱られるな、「終わった〜」なんて。


家族の形態が変わりつつある、最近の我が家。
親と子という最小単位からそれぞれに単位数が増えて、それはそれでうれしいのだけれど。楽しいのだけれど。

そう。
うれしいし、楽しいから、いいんだけど。

それでもちょっと疲れたな。

うれしい疲れかな。






まったく同じように生きてる毎日だけど、まったく同じ日なんかない。
同じようなお盆だけど、今年はまったく違った。

来年のお盆は、どうなっているんだろう。
疲れたよってボヤくぐらい、楽しい日であるといいな。




去年のお盆は、どうだったっけ。
どんなこと思ってたんだろう。

5年前のお盆、
10年前のお盆、
15年前のお盆、
20年前のお盆、
結婚する前のお盆、
小さい頃のお盆、
生まれた頃のお盆。



変わらないのはお盆。
変わっていく人と人との関係。

変わっていく社会。
変わらない人間の本質。


さて、来年のお盆は?
5年後のお盆、
10年後のお盆、
さらに…。
その頃は、送り火を焚かれる方かな。笑。






お盆が終わった。
暦は秋に入ってる。


疲れている暇は無い。
目の前のこと、目の前の人に、精一杯のことを。
気になることも、精一杯思いやることしかない。






終戦の日のお盆は、暑かったそうだ。
大雨降る今年のお盆に、生きてることと平和に感謝しなくちゃと思う。
何年も先のお盆も、平和でありますように。

喜びと不安と

2017-08-15 10:20:18 | 日記
家族の事柄なので、詳細は書かない。
書けない。

でも、胸の奥の不安とそれをふんわりと包む喜びが首から下の身体を覆って落ち着かない。
だから、自分に言い聞かせるつもりで書く。


首から上の頭は、お盆という行事と多忙な日常生活と自分の宿題で支配されていて、不安も喜びも忘れられる。

頭で何にも考えない時、肋骨の中がマーブリングしたようにモヤモヤになるのだ。


喜びなんだから、素直に喜べばいい。

しかし、素直に喜んだあと、間髪入れずに不安になる。


それが親心だと、私にもわかる。
心配する要因が後から後から湧いてくるのは、我が子が悲しい思いをするのがイヤだから。

親である私が、イヤだから。

そう当の本人の気持ちなど、どうなのか知らない、
ましてや相談さえない。

私が勝手に不安になっているのだ。



そういう時はどうすればいいか。
黙って静かに見守るしかない。

今までのように。


いつか、必ず、不安は解消され、喜びに胸がいっぱいになる日を待つ。
遠い日なのか近い将来なのか、わからない。
信じて待つ。
それしかない。