
2025/02/09 sun
2025/07/08 tue
前回の章
高田ら早番が出勤してきたので、引き継ぎを済ませる。
俺の仕事が終わるのをずっと待ちながら打っていた伊達へ声を掛けた。
「すみません、伊達さん。お待たせしちゃって」
「いやあ、俺もダラダラ打ちながら十万くらい勝ってるんで、問題ないですよ」
「じゃあ、OUTして、川越行きますか」
「そうですね。あ、すみません、OUTお願いします」
二人で『バラティエ』を出る。
池袋駅に着き、自動改札を通ろうとすると、伊達がモタモタしていた。
「すみません。自分、パスモとか持ってないんで、切符買ってきます」
「川越市駅までですよ?」
十一時過ぎに川越市駅へ到着。
昨日の祭りの状態のままなので、屋台の人たちがこれから開始の為の準備をしている。
「結構川越って都会なんですねー」
「いえ、ここは市駅だから、まだこの先行けばもっと驚くと思いますよ」
いつも寄る千代田青果店の前を通り過ぎ、百メートルほど進んだ先のT字路を右へ曲がる。
真っ直ぐ進めば中央通り。
その交差する左手には岩上整体跡地があった。
現在ではたい焼き屋になっている。
「伊達さん、お腹は?」
「そういえばちょっと減ってますね」
俺は岩上整体横にある中華『王賛』へ入った。
「あれー、岩上先生久しぶりだねー」
「すみません、中々顔を出せなくて」
「お、岩上さーん! いらっしゃい」
厨房からマスターが笑顔で出迎えてくれる。
岩上整体を始める前からの付き合い。
整体を開業し、隣同士になってからはさらに仲良くなり、未だいい関係を築けている。
「岩上さん、また隣戻ってきて整体やってくれよ。どうも今のたい焼き屋とは合わないや」
整体を閉めて四年半。
まだこうして慕われるのは悪い気がしない。
「お、ここの料理旨いっすねー」
「ここの料理はかなり絶品なんですよ」
王賛を出ると、家の方向へ進んだ。
「へー、何だか屋台の数も凄いし、祭りっていいですねー」
伊達は辺りを見回しながら感心したように頷いている。
連れてきた甲斐があったものだ。
提灯祭りでこれだから、川越祭りだともっと驚くだろう。
中央通りを真っ直ぐ歩けば我が町内の連雀へ繋がる。
俺の住む町内エリアに入ると、祭りの最中なので知り合いばかりになる。
「あ、智一郎さん」
「お疲れ様です」
「智さん、こんにちは」
コロボックル真紀美と山田直子のコンビにも遭遇。
「あ、智君出てたんだ」
「あ、マキさんどうも。相変わらず背が伸びないですねー」
「うるさいなー」
真紀美は短い手足をブンブン回す。
「智一郎さん」
「直子さん、メガネじゃないほうがいいって言ってるのに……」
俺は伊達を紹介し、また町内を歩く。
向かいから松永さんが歩いてくる。
「おう、智一郎!」
「松永さん…、入学金は用意できたんですか?」
「テメー、ぶっ殺すぞ!」
笑いながら伊達を連れて逃げる。
蓮馨寺の斜め向かい、栗原名誉会長宅に、栗原会長と息子の一郎さんが立っていたので挨拶をする。
「今いた顎の曲がっている人は、あれでも自分の病院を持つ医院長なんですよ」
「へー、何だか凄い人ばかりですね」
隣の和菓子屋『伊勢屋』で始さんのところへ顔を出す。
「智君、団子食べていきなよ」
奥さんの弘恵さんが笑顔で歓迎してくれる。
二三歩進むと知り合いに挨拶されるような状況に、伊達は「どれだけ知り合いいるんですか、岩上さんは…」と呆れるほどだった。
以前ミサキに紹介される形で、短期間付き合った雪喜を思い出す。
あの時は川越祭りでもっと人がいた。
知り合いばかりで嫌だと言い出したのが、別れの始まりだった。
川越が初めての伊達に、酒を飲みながら喜多院へ連れて行く。
俺一人なら絶対に行かない場所だ。
家の前の川越日高線の県道を真っ直ぐ歩いて十分もしないで到着。
五百羅漢を見せながら、歴史的な説明をする。
「川越ってこういう場所もあるし、何だか面白いところですね」
続いて喜多院から戻る途中にある成田山川越別院へ寄った。
ここには住職の平井さんを始め、ガソリンスタンド『山口油材』時代一緒にアルバイトした先輩の有原照龍など、坊主の知り合いが多い。
入口の池にいる亀を眺める。
ここはいつ来ても無数の亀がいた。
鯉もいるが、やはり亀の数が妙に目立つ。
よく見ると、すっぽんもいるはず。
俺は伊達に声を掛けてすっぽんを探す。
無数の亀の中、すっぽん一匹だけ池の縁にいるのを見つけた。
「あ、岩上智一郎だ!」
寺の中から有原照龍が声を掛けてくる。
何故かこの人は俺の名前を呼ぶ時いつもフルネームで呼ぶ。
「岩上さん、お坊さんまで知り合いいるんですか?」
「何かご利益感じませんか?」
俺たちは再び祭りへ戻り、終わりまで飲み続けた。
「岩上さん、どこか近くにホテルか何かあります?」
「あるけど、それならうちに泊まればいいじゃないですか」
「えー、何だか悪いですよ」
「気にしないでいいですって」
三階は伯母さんであるピーちゃんの部屋に、十畳ほどの和室、八畳の洋室がある。
「ここは私が全部使う」と豪語するピーちゃんだが、一人で三部屋も使える訳がないのだ。
洋室は結婚して出て行った弟の徹也の荷物が未だ一杯あるので、ベッドの空いている和室へ伊達を案内した。
自衛隊へ行く高校卒業まで、俺が過去使っていた部屋。
そういえば丸一日以上起きているな……。
睡魔に襲われ限界が近い。
今日休みを取って正確だ。
池袋へ移ってからちゃんと休める初めての休み。
俺は二階の自分の部屋へ戻り、泥のように眠った。
昼過ぎになり伊達を起こし、少し遅めのランチへ行く。
家から徒歩五分で行ける家庭用フレンチ料理の店『ビストロ岡田』。
俺はここのおまかせランチと銘打ったデミグラスソースのロールキャベツと、サーモンクリームコロッケが大好きだった。
伊達も同じものを頼んだので、他に二人で分けて食べる用に、豚肉衣焼きのエスカロップも注文する。
「川越って安くていい店多いんですね」
まだ伊達の胃袋に余力があるなら、幼稚園時代から行きつけの『ジミードーナツ』や、川越駅西口にある洋食屋の『グリルトーゴー』にも連れていきたいところだ。
何故俺は川越で自慢できる店へ、知人を連れて行きたがるのだろう?
俺の家の家族との過去から現在まで続くいざこざ。
その部分では川越を嫌いになったいる要因ではあるが、基本的にこの街で生まれ育った地元が大好きなのだ。
全日本プロレスの時、先輩の坊主さんが寄り添ってくれた。
家のいざこざの時は、隣にあったトンカツひろむで働く先輩の岡部さんや、今は亡きバージャックポットの野原さんが話を聞いてくれた。
それだけじゃない。
俺が地元で食べに行く飲食店のすべて。
みんなが俺に笑顔を向け、良くしてくれる。
岩上整体の時、チラシを作り、川越内で各店へ貼ってもらった。
普通に考えたらあり得ない事だって、どの店も嫌な顔一つせず、岩上整体の広告を店内や店外へ貼って宣伝したくれたのだ。
だから川越を知らない仲のいい人間がいたら、少しでも良さをしてってほしいのだろう。
「伊達さん、次は……」
「いや、岩上さん。もう胃袋限界です。本当岩上さんは、人に物を食べさせるの好きだからなー」
伊達を本川越駅まで見送る。
家へ帰る途中、川越市駅の方向へ迂回し、いつもの千代田青果店でクズ野菜を買う。
本川越駅の改札口は中央通り側に一つだけ。
せめて逆側の川越市駅方面に出口があれば、本当便利になるのにな。
今日の夜になれば、また池袋へ向かいいつもの日常が始まる。
今はこの束の間の休憩時間に対し、少しでも身体を休めておこう。
夜七時半くらいになり、川越市駅へ向かう。
池袋の店まで出勤四十分前には到着するが、早く着く分には誰も文句は無いだろう。
高田たちと談笑しながら引き継ぎをし、仕事モードに頭を切り替える。
少しして佐久川が出勤。
坂田はいつも九時ギリギリの到着。
時間にルーズ、そして金にだらしない。
昨日の休みですっかり忘れていたが、坂田を変な庇い方をしてしまったのだ。
十一時になり、佐久川を休憩一時間入れる。
坂田は十二時で、俺を休憩入るよう促してきた。
「先入っていいのに」
「いえいえ、岩上さん、先どうぞ」
別段腹も減っていなかったので、ベランダへ出て時間を潰す。
もうすっかり夏で蒸し暑い。
店の中で休んでいたほうがマシなくらいだった。
タバコを吸いながら、外の景色を眺める。
池袋に来て一ヶ月ちょっと。
住めば都というが、俺も徐々にではあるがこの街に馴染みつつある。
それにしても暑いな……。
まだ三十分も経っていないが、俺は店内へ戻った。
「あれ、岩上さん、早くないですか?」
「もう休憩は大丈夫。暑過ぎ…。中で仕事していたほうがいい。坂田さん、入ったら」
「じゃあお言葉に甘えて自分、休憩へ入りますよ」
坂田は外へ出掛ける。
客席はまばら。
たまにはこんなゆっくりした日があってもいい。
佐久川が少ししてから話し掛けてきた。
「昨日岩上さんが休みだから、本当大変でしたよ」
「忙しかったの?」
「そうでもないんですけど……」
何か言いたげな佐久川。
「何かあったの? 別に他言しないから何かあったら話してみて」
「いや…、岩上さんと仕事する場合、ちゃんと色々フォローもしてくれるし、動いてくれるじゃないですか」
「だって仕事なんだから当たり前でしょ」
「坂田さんはちょっとというか、ほとんど動かないんで、本当に大変なんですよ」
あの野郎…、佐久川はまだ入って数日の新人なのに、もう何もしないでキャッシャー以外の全部の仕事を彼へ押し付けているのか。
「ごめんね、昨日休んじゃって」
「いえいえ、岩上さんを責めている訳じゃないんですから」
インターホンが鳴る。
谷口が来店。
絶対にコイツ、新宿のキャバクラの仕事辞めているな……。
「ああ、岩上さん、どうも」
「谷口さん、仕事大丈夫なの?」
「岩上さんが紹介してくれた『8エイト』で調子いいんですよ」
「いやいや、勝ち負けでなく、仕事辞めちゃったんですか?」
「……」
あまり話したそうではないので、放っておく事にした。
どちらにせよすべては自己都合に過ぎない。
彼から話したい事があれば、聞いてあげればよい。
「あ、岩上さん」
「はい、何でしょう?」
「炒飯もらってもいいですか?」
「了解です」
佐久川が厨房へ行こうとしたので、手で制し自分で作る。
「ごめん、佐久川さん。谷口さんに烏龍茶お願いしていい?」
「分かりました」
坂田とでは、このような連携一つ取れない。
インターホンが鳴る。
モニターを見ると吉田来店。
すぐドアを開け中へ促す。
キャバ嬢のさくらも一緒だった。
「ねね、岩上さん、オムライスいい?」
「畏まりました」
七卓吉田、八卓にさくらが座る。
「七卓様、クルーズ五百ドル、初回サビ込み五百三十ドルお願いします」
「はい、七卓様クルーズ五百三十ドル入りました」
INを済ますと吉田がキャッシャーの元へやってくる。
「あれ、吉田さん、どうなさいましたか?」
「おにぎりセットで、おにぎり三ついいでしょうか?」
「全然大丈夫ですよ。具はどうなさいます?」
「えーと…、梅二つとおかかでいいですか」
「畏まりました」
何でわざわざキャッシャーまで言いに来たのか不思議だった。
さくらのINも入れると、調理へ取り掛かる。
もちろん吉田のおにぎりセットから先に作る。
続いてさくらのオムライス。
一通りの作業を済ますと佐久川がキャッシャーへ来て小声で囁く。
「昨日実は同じように自分が受けたら、坂田さんがおにぎりセットは二つだからと、ちょっと揉めたんですよ……」
「あの野郎…、またそんな事を抜かしたの?」
何もしないくせに、変なところだけ融通が利かない。
これで吉田が気分を害して来なくなったら、どうするつもりなんだ。
時計を見る。
夜二時を過ぎていた。
俺が早めに休憩を終えたから、坂田は十二時半頃店を出たはず。
また時間オーバー。
前に七時間ほど俺一人にやらせたからと、また長く休憩を取るつもりなのか?
「何か坂田さん、休憩長くないですか?」
「……」
落ち着け。
今は客前である。
感情的になるな。
俺は自分へ必死に言い聞かせた。
時刻は朝方五時。
坂田は一向に戻ってくる気配は無い。
あいつ、仕事来てほとんど働かず金だけもらうつもりなのか?
俺も足掛け裏稼業は何だかんだ長い。
それでもここまで酷い奴は初めて見た。
店の金を財布代わりにしようとしたり、店で客前なのに打ったりと、色々と酷過ぎる。
また店にいたところで、キャッシャー以外動こうとしないので、ほとんど役に立たない。
一体何様のつもりなのだ?
『牙狼GARO』の名義、青柳は借りた金を返そうとしないルーズさはあるものの、仕事は真面目にやっていた。
俺が番頭の高星へ報告したら、どうなるのか想像もつかないのか?
ただ、坂田が帰ってきたところを怒鳴る訳にもいかない。
せっかくいい店作りが進む中、従業員同士のいざこざなど、客前で見せるわけにもいかなかった。
酒井さんは、俺に期待して池袋のこの『バラティエ』に送り込んだ。
こんな俺に対して礼を尽くしてくれ、気遣ってくれた。
言いようのない恩義がある。
俺はまず、この店を流行らせなくてはならない。
佐久川は時計を見ながら何かを言いたそうな表情だ。
聞くまでもなく坂田の件だろう。
俺の判断は、どうすればいいか?
店内は谷口、吉田、さくらの三名。
あいつが帰ってきても、怒鳴る訳にもいかない。
朝になれば店内状況を聞きに高星から連絡が入る。
その時、坂田はいないと正直に答えればいいだろう。
やはり一発目にあいつがやらかした時、俺が変に庇ったのが一番の要因だ。
今回の件でハッキリと分かった。
坂田は図に乗せては、絶対にいけない人間である。
朝七時を回った。
坂田は相変わらず帰ってこない。
俺は〆作業を始めた。
今日の売上はマイナス。
あとで事務所へ行き、百万円を補充するようだ。
インターネットカジノは、だいたいどこの店も百万円を基準に回銭を置いてある。
何百万円も金を店に置いてあると、このビルの下の店のように、従業員が持ち逃げなどそのような被害も起きやすい。
酒井さんのように数百万の勝負をする時は、金の持ち運びをする番頭へ報告し、勝負の状況に応じて準備だけはしておく。
〆も終わり、七時半になるとインターホンが鳴る。
モニターに映る坂田。
俺は苛立ちを抑えながらドアを開けた。
しれっと店内へ入り澄ましている坂田。
「ちょっと坂田さん……」
俺が文句を言い掛けた時、店の携帯電話が鳴る。
「ちょっと待って下さい。高星さんからです」
坂田は携帯電話を取り、勝手に電話へ出た。
回銭状況などを伝えると「ええ、特に異常はありません」と自己完結し、電話を切った。
俺が近付き文句を言おうとすると「佐久川さん、休憩三十分入って下さい」と口を開く。
どこまで図々しいのだ、この男は……。
「岩上さーん」
谷口が俺を呼ぶので十卓へ向かう。
「あ、岩上さん。回銭の百、自分が事務所へ受け取りに行ってきます」
それだけ言うと坂田は店を出て行く。
結局九時の早番との交代時間に戻ってきた坂田は、うやむやな状態のまま引き継ぎを済ませ「岩上さん、佐久川さん先に上がっていいですよ」と声を掛けてきた。
腑に落ちないまま外へ出た俺たちは、池袋駅北口を入ったところにある喫茶店『プロント』へ入った。
「坂田さんって…、あの人大丈夫なんですか?」
アイスコーヒーを啜りながら開口一番佐久川が話し掛けてくる。
「うーん…、何なんだろうね、あの馬鹿……」
「社長だから本来現場に居なくてもいい人なんですか?」
「いやいや…、社長といっても名義だからね。警察に捕まった時用の単なるパクられ要員だからね。普段は一従業員に過ぎないよ」
「ああいう人って、初めて見ましたよ」
「俺も馬鹿や屑はたくさん見てきたつもりだけど、坂田は群を抜いているね」
「あり得ないですよ……」
「佐久川さん、酒でも飲もうか? プロント酒も置いてあるし。ご馳走するよ。いや、飲もうかじゃないや。飲もう!」
坂田の馬鹿のせいで、ストレスが半端ではなかった。
俺は強引に佐久川へ酒を勧める。
行き過ぎている坂田の行動。
高星へ相談するには、何度か機を逃し過ぎた。
直接酒井さんへ?
いや、番頭がいるのに立場を飛び越えてオーナーへ連絡するのは、少し違うような気がする。
あくまでもあの店を管理しているのは番頭の高星なのだ。
携帯電話にメールが届く。
誰だよ、こんな朝から。
「……」
キャバ嬢のあかりからだった。
あと一ヶ月ちょっとで、俺の誕生日がやってくる。
彼女は俺の誕生日を覚えていてくれた。
しばらく連絡を取り合っていなかったが、無性にあかりの声を聞きたかった。
「佐久川さん、ごめん…。ちょっと電話しなきゃいけない事ができちゃって、これ置いとくから会計払っといてくれる?」
俺はテーブルに一万円札を置く。
「え、岩上さん! 多過ぎですって!」
佐久川の呼び掛ける声すら無視して、俺はプロントを飛び出した。