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岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

9 鬼畜道~天使の羽を持つ子~(二章 中学編)

2019年08月03日 15時43分00秒 | 鬼畜道~天使の羽を持つ子~(二章 中学編)

 

 

8 鬼畜道~天使の羽を持つ子~(二章 中学編) - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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 翌日の学校は本当に憂鬱だった。朝クラスへ行くと、いきなり小森彩と目が合う。彼女はプイと顔を横に向け、俺に対し嫌悪感を示した。これだけで今日一日が嫌になる。
 気高い彼女の事だ。きっと昨日の電話の件は誰にも言っていただろう。格好いい言い方をすれば、俺と小森だけの秘密。何で「あっかんべー」なんて言っちゃったんだろ……。
 これほどタイムマシーンがほしいと思った事はなかった。もしドラえもんがいたら、あの電話ボックスに入る自分をとめていたのに…。いや、そんな事をするぐらいなら、入学当初の時から小森に話し掛け、仲良くなっていれば良かったのだ。
 そうすれば鈴本正樹先生に殴られる事も、八幡事件もすべて回避できたのになあ……。
 まあ過ぎた事をこうやって悩んでいてもしょうがないか。現状として捉えなきゃいけないのは、俺が小森に嫌われたという点だけだ。

 勉強、部活の繰り返しだった毎日の日課に、『マスターベーション』という項目が加わった。俺などまったく相手にしなくなった小森彩を思い浮かべながら、風呂場で毎日彼女の姿を思い浮かべ、精液で汚してやった。前に買ったエロ本を読む事で、性的な知識を得る事ができたのだ。もうこれで遅れているとは言わせない。
 特に目的意識というものがないまま、時間だけが過ぎ、マラソン大会がやってきた。
 この間で変わった事と言えば、田坂幸代と付き合っていた板橋が、親の都合で転校してしまったという事を四組の奴から聞いたぐらいである。
 学校から数キロ離れた河川敷へ向かい、俺たちの学年は一斉に土手の上を走るようだ。サッカー部は五十位以内に入れという命令の中、マラソンが始まる。
 好きな男子生徒へそれぞれ応援する女子たち。適当に流せばいいかと思っていたが、小森彩の姿が見えた。俺はスタート直後なのに、いきなり全力で走り出し先頭集団へ割り込む。「神威くーん!」と言う黄色い声が聞こえ、ますます俺は調子に乗りダッシュした。
 三キロぐらい走るようだから、そんなペースでいつまでもいける訳がないのは承知だ。それでも女の子たちの姿が見えなくなるまでは全力疾走で足を動かし続ける。
 五百メートルぐらい走ったところで先頭集団に追いつかれ、俺はどんどん抜かされていく。まあ、女子に見られていないのだ。別にいいさ……。
「おい、神ヤン。そのペースじゃヤバいぞ」
 ほとんど歩くようなペースで走っていると、デコリンチョが声を掛けてくる。仕方なくペースを上げてデコリンチョと並ぶ。
「何で五十位以内に入らなきゃいけねえんだよな」
「あ、あまり…、話し掛けるなよ……」
 ゼイゼイ言いながらデコリンチョは答えた。
 俺たちは中間ぐらいの距離で維持しながら走り続ける。本当に走るのって嫌だ。こんな事をして何になると言うのだ? 汗はかくし、息は乱れるし、心臓はつらいしで、何もいい事がない。
 だいたい俺たちの学年は六クラスあって、一クラス役四十名。半分が男だから、二十×六で百二十名いる。半分よりも先の順位にサッカー部が入れなんて、そんなのただの横暴じゃないか。
 走るのが嫌いでゴールキーパーになったぐらいなんだから、五十位以内はフィールドプレイヤーだけにしてほしい。
 ペースを維持しながら走り続け、ゴール前が見える。土手の上には女子が大きな声で最後の声援を飛ばしていた。
 必然的に俺の視線は女子のブルマ姿へ行く。大勢の中から田坂幸代の姿を見つけた。あいつ、板橋の野郎が転校したって聞いたけど、今はどうなんだろうな……。
「神威君、頑張ってーっ!」
「……?」
 今、田坂は俺に向かって頑張ってと言ったよな……。
 何で? 第一あいつ、俺の存在なんて知っていたのか? 走りながら田坂幸代の姿を見ていると、彼女と目が合っているような気がした。
 恥ずかしくなり、俺は全力でゴールへ向かった走り出した。
「お、おい…、神ヤン…、ま、待ってくれよ……」
 後ろからデコリンチョの声が聞こえたが、今の俺の耳には届かない。
 ゴール前、体力を温存していた俺は二十人ぐらいゴボウ抜きで走った。
 結局俺の順位は四十九位。ギリギリ助かった訳である。しかし、デコリンチョや数名の部員が五十位以内に入らなかった為、俺たち一年生は連帯責任で十週一抜けをやらされるハメになった。
 グランドを走り、女子バスケット部の前を通る。どうしても田坂幸代の姿を探してしまう。
「……!」
 彼女の姿を見つけ眺めながら走っていると、田坂と目が合った。彼女は視線を反らそうともしない。俺は恥ずかしくなり、慌ててダッシュしてグランドを回った。
 それで再び田坂幸代を意識するようになった俺は、毎日のように彼女を思い浮かべ、風呂場で何度もオナニーをした。
 こんな調子で俺の中学一年生は終わった。

 中学二年生になると、仲良くして可愛がってくれた三年生はいなくなった。当たり前だが、一年生の時二年生だった先輩が三年生になる。まあこの辺は一年生の夏ぐらいから、サッカー部ではずっとこの体勢だから変わらない。一つ違う事と言えば、新入生が入ってくるのだ。
 デコリンチョやちゃぶ台、山岡猛や鈴本勉とは別のクラスになった。そして小森彩も。まあ彼女は違うクラスのほうが俺的にはいい。あんな気まずい形で同じ空間にいるぐらいなら、別々のほうがありがたかった。
 新しいクラス、二年六組。担任は数学担当の小菅先生だった。四角い黒縁のメガネを掛け、緑色のジャージをいつも着ているので、イメージ的にはカマキリに近い。
 一年の時から一緒と言えば、従兄弟の愛子ちゃんと、小学時代から因縁のある沼田正行が一緒だった。
 また意識するようになった田坂幸代は隣の五組。これにはショックを覚えた。田坂と同じ女子バスケット部で仲のいい田中みうとは同じクラスだったが、このブサイクとチェンジしてほしいものだ。
 母親方の従兄弟である内海洋子とは運のいい事にまた別のクラス。これは嬉しかったが、田坂幸代と同じ五組にいる。また変な噂を流されなきゃいいけどな……。
 廊下を歩いていると、二年生のクラスのところを三年生数名が歩いてくる。俺と目が合うと先輩は「おまえが神威だな? ちょっと面貸せよ」といきなり胸倉を捕まれた。
「な、何ですか……」
「いいからちょっと面を貸せって言ってんだよ」
「何でそんな事へ俺が行かなくちゃいけないんですか?」
「おまえ、八幡って苛めたんだろ? この間まではよ、おまえの従兄弟の水洗寺さんがいたらから、黙っていたけどよ。もう学校にはいないんだぜ」
 八幡の先輩って事は、体操部の先輩か? 俺は先輩たちの顔を見たが、全員がそうではないみたいだ。
「あのー…、ブンちゃんがいないからって一体何なんですか?」
「お、コイツ、ずいぶん生意気な口を利くじゃねえか」
「上級生がいなくなってすぐ、こういうのって情けなくないですか?」
「おい、小僧…。テメー、誰に口を利いてんだよ?」
 目を剥きながら怒りだす先輩たち。正しいと思うと絶対に引かない性格の俺は、体を震わせながらも目を反らさなかった。
「あとをついて来い」
 正直逃げ出したい衝動に駆られたが、遠くで田坂幸代が心配そうにこっちを見ているのに気付く。格好悪いところなんか見せられないよな……。
 黙って先輩たちのあとをついていく事にした。
 鈴本正樹先生とすれ違わないかなと願いながら、校舎裏まで連れて行かれる。
 大人数で囲まれると、さすがに怖かった。これまでまともに喧嘩という喧嘩なんかしてきてないし、不良と呼ばれる先輩たちに大勢で囲まれたら、どうしていいのか分からない。
「おまえ、最近粋がってんだって? おい、コラ」
「べ、別に…、い、粋がっていません……」
 本当にそんな事ないのにな。
「こっちは色々聞いているんだよ、おい」
 八幡の奴がある事ない事、吹き込んだのだろう。
「そ、そんな事ないです……」
 全身が震えた。怖くてこの場から逃げ出したかった。上目遣いに睨みつけてくる先輩。何で俺が、こんな目に遭わねばならないのだろう。
「面が生意気なんだよ、おまえはよー」
「か、顔は…、う、生まれつきです」
「舐めてんじゃねえぞ」
 顔面を殴られた。その瞬間、一気に頭の中の思考回路が激しく回転しだす。
 何だ、こいつら…。幼い頃、お袋にやられた事や、親父に情けないといつも殴られているのに比べたら、全然たいした事がない…。心に少しだけ余裕ができた。
「舐めてないです」
 毅然としながら口を開く。
「なんだ、オメー。その口の利き方はよう」
 再度殴られても、やはり大した事はなかった。
 こんなもんで、こいつら粋がっているのか……。
 幸せな連中だ。
 自然と笑いが込み上げてきた。
「何がおかしいんだ、テメーは?」
 弟たちや八幡にムカついてやったように、殴りつける。一発で先輩は倒れた。そのまま、顔面を踏みつけると、他の先輩たちが殴りかかってきた。三人いたので、何発も殴られはするが、不思議と冷静でいられた。
 当然殴られれば体は痛みを感じる。大事なのは、俺の心が折れるか折れないか。それだけだった。
 こいつらのパンチじゃ、俺の心は折れない。
 こいつらとの喧嘩じゃ、殺される事はない。
 初めてまともにやった喧嘩だった。気がつけば、先輩たち三人は地面で転がって、唸っていた。
 俺は胸ぐらをつかんで話し掛けた。
「先輩、もう行っていいすか?」
「……」
「この事は誰にも言いませんよ。安心して下さい」
 それからこの先輩たちとは廊下などで会うと、バツが悪そうに「おう、元気か」と声を掛けてくるようになった。いつまでも根に持っていてもしょうがない。俺も笑顔で普通に会話をする。そうした積み重ねのせいか自然と仲良くなった。最初の印象があるからいい人たちだとまでは思わなかったが、もうしこりも何もない。
 人間、第一印象で決めてはいけないな……。

 特に面白味のないクラス。メチャクチャ気が合うという友人はいない。休み時間も一人でポツンと自分の席にいる事が多かった。まとまりのないクラスメートたち。何が面白くて学校にみんな来ているのだろう。
 
 英語担当である鈴本先生の授業で



 家では親父から、何かにつけて殴られるケースが多かった。何か悪さをした訳ではない。
「情けねえ面しやがって!」と殴られ、料理を作っていると「女みてえな真似しやがって」と頭を叩かれる。いつもそう言って殴られた。
 鏡で自分の顔を眺めてみた。そんなに情けない顔をしているのだろうか? 自分じゃ、何がいけないのかすら分からない。
 左まぶたに刻み込まれた二つの傷。片方は、まゆ毛を少し削ったままだった。
 何年経っても消えないこの傷跡……。
 思えば親父は、一度もお袋の暴力から救ってくれた事なんてない。
 逃げる事もできず、言いなりにさせられていた幼少期。無力さを感じ、強さを心の底から求めていた。
 強さとは何か? 喧嘩が強い? 違う。そういう強さを求めている訳じゃない。学校では数名の生徒が変形した学生服を着て粋がる奴もいるが、あれはあくまでも格好だけだ。実際の強さとはまるで掛け離れている。
 先日、先輩たちに絡まれて仕方なく戦った喧嘩。あれで分かったのが、どんなに粋がったところで、しょせん中学生は中学生でしかないのだ。親父から殴られた時の衝撃と比べたら、大した威力でもなかった。子供は大人に叶わない。結局まだ俺たちは、子供に過ぎないのである。

 そんなに親父は、俺の事が嫌いなのだろうか。憎いのだろうか。
 家ではゲームを禁止されていた。とにかくいい点数を取れ。それだけしか言われなかった。必死に時間を掛け、勉強はした。
 しかし、いくら学校で勉強の成績が良くても、何の関係ない。
「神威って本当に頭いいよね。私、初めて見た時、こんな頭いい奴がいるんだって思ったもんね」
 クラスで隣の席になった女に言われた台詞。その時は特に何も言わなかったが、そんなものが一体、何になるんだと本当は言い返したかった。
 親父が俺の前で笑顔を見せるのは、お囃子のみんなと飲んでいる時だけだった。
 自分と息子はこんなに仲がいいんだぞと、あえてみんなに見せつけるパフォーマンスにしか見えない。
 だから心から笑えなかった。でも、小さい頃から作り笑いするのは慣れている。そんなもの、苦でも何でもなかった。

 最近、勉強をする時間が少なくなっていた。
 まるで先の事なのに、六大学を目指せとか、勝手に抜かす親父の台詞にうんざりしていた。
 偏差値七十以上の地元では、一番有名な高校を照準にしていたが、正直、嫌気がさしてきたのだ。
 結局、親父も俺の事を操り人形のようにしか考えていないのだろうか。
 あの鬼のような母親みたいに……。
 否応無しに、八つの塾へ行かせられ、常に成績が優秀じゃないと気が済まない性格。その点でいうと、非常に似たもの夫婦だった。
 近所であれだけ騒がれ祝福された夫婦が、何故、今はこんな状態になっているのだ。
 母親は小二の時に出て行ったきり、家に戻ってくる様子は何もない。
 親父も母親の事について、何も一切語らなかった。
 でも、籍が入っている以上、まだ戸籍上では夫婦なのである。それに、戸籍上は俺たち兄弟の母親でもあるのだ。
 悪魔のような母親…。一緒に生活をしていないといっても、戸籍の上では、まだ、繋がっているのが嫌だった。
「おまえのお母さんを見て、私はあんなに強くなってもいいんだって思った」
 親父の妹であるおばさんのユーちゃんは、俺にそう言った。昔は親父に理不尽に殴られても、ただ泣くだけだったらしい。それが今では殴られても言い返せるようになった。
「おまえのお母さんは、うちの財産が目当てで離婚しないんだよ」
 それもよく聞かされた台詞である。何でみんな、俺に言ってくるのだろうか。そんなものは親父と母親の問題であって、俺には関係ない事なのに……。
 母親が家を出て行ったのが、小二の冬からだから、中二になった今では、約六年以上の月日が流れた事になる。一体、両親はどうするつもりなのだろう。
 親父は家の金を使ってやりたい放題だった。その事でおじいちゃんと、年がら年中言い争いをしているのを見かけた。
「広龍、おまえ、少しは子供の面倒を見たらどうだ? 金ばっかり使って、いつもみんなと飲み歩いてどういうつもりなんだ?」
 できればそのような会話は聞きたくなかった。そんな時、いつも俺は決まって二階に上がっていく。
 常に町内では中心にいる親父。でも、それは仕事とかでなく、遊びやお囃子だけの世界であった。
 家専属の会計士のおじさんと、おじいちゃんが話している時の事だった。
「龍一、おまえ、俺の養子になるか?」
 いきなりそう言われた事があった。
 詳しくは分からないが、おじいちゃんの言った言葉。それは親父の子供としてでなく、おじいちゃんの子供、親父を含む五人兄弟の六番目の子供として生きるかという事だったのだ。
 それによって何が違ってくるのか。
 おじいちゃんが亡くなった時の財産。
 それが俺にも配当されるという事ぐらいは理解できた。
「俺、別にそういうのはいいよ。だって財産を俺にもって事でしょ? 別にそんなのいらないや。俺はおじちゃんの孫でいたいよ」
 俺の言葉に、おじいちゃんは目を細めて、「そうか……」と、頷いただけだった。
 俺としては、親父と同じ立ち位置になるというのが嫌だったのである。
 会計士のおじさんは、優しく俺に微笑んでくれた。

 中学三年生になって、おばあちゃんの様態が悪くなった。
 俺は自転車で五キロほど離れたところにある病院へ、毎日のようにお見舞いに行った。
 途中の道で、農家があるところを通り過ぎるが、大きな牛を飼っている家もあったので、いつもビックリして見ながら通っていた。牛糞の匂いが鼻をつく。
 日々、やつれていくおばあちゃんを見るのは、忍びない。でも、小さいころから俺を可愛がってくれ、面倒を見てくれたおばあちゃんに何かしてあげたかった。
 母親や親父に殴られても、いつも俺をかばってくれた。おいしい料理をいつも腹一杯食わせてもらった。
 もしあの頃、おばあちゃんがいなかったらと思うと、今の俺はない。
「今に見ていろ、僕だって……」
 おばあちゃんは、よく俺に対し、この言葉を言った。
「成せば成る。成さねば成らぬ、何事も」
 弱々しい声で、おばあちゃんは俺を見て言った。
「成せば成る……」
「そう。龍一、頑張るんだよ」
 弱っていくおばあちゃんの顔を見るのが辛かった。
 家にいる時は心配と不安が常に同居し、弟の龍也や龍彦と一緒に隠れてファミコンをやって、現実を忘れようとした。
 三人で家の店の金を盗んで買った一台のファミコン。テレビは電気屋の裏に捨ててあったのを深夜、俺が拾ってきた。
 拾ったテレビを二段ベッドの上に乗せて電源を入れてみたが、画面は白黒状態であった。適当にハンダゴテを使って修理の真似事をやっていると、画面はカラーになる。
「すげー、兄貴。やるじゃん」
 龍也は嬉しそうにはしゃいだ。龍彦はゲームがまともに出来ると喜ぶ。
 この頃、笑袋というものが流行った。巾着袋に入った中の機械を押すと、ゲラゲラ笑い出す声が聞こえるというものだ。
 意味もなく俺たちは、笑袋を押して一緒に笑っていた。飽きると、二段ベッドのところへぶら下げておいた。
 この頃、三階の一室を俺と龍也で、自分たちの部屋として使っていた。
 ある日、二階の親父の部屋で話している時の事だった。三階には誰もいないはずなのに、上で笑い声が微かに聞こえた。
 おかしい……。
 耳を澄ませてみる。
 やはり笑い声が聞こえている。
 笑袋が笑っている機械的な声だ。
 上には誰もいないはずなのに……。
 背中に冷たいものを感じた。俺は三階へ、ゆっくりと上がっていく。
 笑い声以外に、ボーンやバカンといった音もしている。一体、俺の部屋で何が起こっているのだろうか?
 ドアを開けてビックリした。
 二段ベッドは火に包まれていたのである。慌てて近づこうとすると、何かの破裂音がして、俺に何かが飛んできた。
「あちぃっ」
 一度、部屋から退散すると、洗面所で水をくみ出した。
 ヤバイ…。火事になっている。
 頭の中が混乱していた。
 俺は歯磨きをする時に使うコップに、水をチョロチョロと入れていた。
「うわー、何だこりゃ?」
 龍也の驚く声が聞こえる。そして親父まで三階に上がってきた。
「何をやってんだ、おまえらは……」
 親父は部屋の火事の様子を見て、唖然としている。俺が拾って適当に修理したテレビが、火を噴いたのだ。
「誰がやったんだ?」
 俺は咄嗟に龍也を指を差す。怒られるのが嫌で、弟に罪を擦りつけてしまったのだ。
「馬鹿野郎」
 龍也は親父に殴られて泣いていた。
 気の毒に思ったが、今はこの火事を何とかしないといけない。バケツにくんだ水を二段ベッドにかけていると、再度テレビが爆発して、手に熱い何かがぶつかる。
「あちゃー。ま、窓を開けよう」
 俺が窓を開けようとすると、親父はいきなり殴ってきた。
「馬鹿野郎。近所に火事だって知られるだろーが!」
 あとになって冷静に考えてみたら、窓を開けるという行為はいけない事なのである。空気は入れないほうがいいのだ。
 しかし、この時の親父の判断は、あきらかに違う意味で窓を開けるなというものだった。消防団の分団長を務める自分の家が火事だなんて、近所には絶対に知られたくない。そんな気持ちだったと思う。
 風呂場で毛布を水で濡らし、バケツリレーでベッドの火は、無事、消えた。
 笑袋が早めに火事を教えてくれたから、簡単に消せたのだろう。
 結局、天井が煙で黒くなったのと、二段ベッドの上が燃えたぐらいで済んだ。
 あとになって龍也は、俺がやったとチクリ、当然のように親父にぶっ飛ばされた。まあ、この件に関しては仕方がない。
 勝手に物を拾ってきてはいけない。いい教訓になった。

 親父の妹であるおばさんのユーちゃんが、自分の小遣いで俺に一人旅をさせてくれた。
 行き先は九州の宮崎。ユーちゃんの同級生が向こうに住んでいるので、面倒を見てくれる事になった。
 キップと小遣い二万円をもらい、俺は初めて一人旅というのもを経験した。
 電車に乗る前に、色々な食料を買い込んだ。向こうに着くまで寝台列車で行くので一日半ぐらいは掛かるからである。ワクワク感と緊張が体を支配していた。
 いざ、寝台列車に乗り込むと、自分の寝床に向かう。俺の席は二段ベッドの二階だった。中では食堂車もあり、俺は行ってみる事にした。
 映画「銀河鉄道999」に出てくるようなイメージの食堂車ではなかったが、充分に俺は楽しめた。特別おいしい訳じゃないのに、何度も食堂車へ食べに行った。二万円あった小遣いは、九州に着く前にほとんど消えていた。その内訳はほとんど食堂車での食事と、駅弁だった。
 宮崎に着き、ユーちゃんの友達と合流する。ユーちゃんの友達は家族総出で俺を出迎えてくれ、色々な場所に連れて行ってくれた。
 はにわ公園、サボテン園、平和の塔など、珍しいところばかり印象に残った。鬼の洗濯岩といわれる場所にも連れて行ってくれた。
 九州の人っていい人が多いな…。素直にそう思えた。
 また、いつか来てみたい…。そんな風に後ろ髪を引かれる思いで、俺は九州をあとにした。

 最近、俺の口の中はズタズタだ。
 何故、そんな事が分かるかって? 自分の口の中で舌を這わせて確認すれば、すぐに分かる事だ。口内は皮膚がザラザラに切れているのが、目では見えないが、頭の中でリアルに映像化される。
 そして常に少しだけ血の味が、口の中を充満させている。
 日々、親父とすれ違うたびに、「なんだ、その面は…」と、殴られる。
 何も言い返せない情けない俺……。
 ただ、堪えるだけだった。
 ゲームを家で隠れてこっそりやっているのを見つかると、テレビのコンセントごとハサミで切られた。そして殴られる。
 みんなの前では、こいつを六大学に行かせる……。
 いつもそう宣言していた。
 一度だって、勉強を見てくれた事がないのにな……。
「俺がおまえの年の頃は、女にモテてしょうがなかったぞ」
「俺がおまえの年の頃は、もっと自信に満ちた面をしてたぞ」
「俺がおまえの年の頃は……」
 口癖のように親父は、自分の過去を引っ張り出し、そのたびに殴ってくる。そんなに俺は駄目な奴なのだろうか。
 どんどん自信が無くなってくる。
 俺だって中学に入って、何人かの女に告白されたり、ラブレターをもらったりした。
 成績だって、クラスではかなりいいほうだ。
 英語の筆記体だって、格好良く書ける。
 サッカー部は、さぼりがちで練習にはほとんど行かないので、レギュラーとは縁遠くなった。
 もっと自信満々の顔でいたい。でも、理不尽に殴られていたら、自信を持てるものも、持てなくなってしまう。
 ハサミで切断されたコンセント。
 俺は外の黒いゴムの部分をうまくナイフで切った。中には二本のコードがあった。うまく導線を出して線と線を結びつける。
 もちろん、コンセントの差込口は抜いておく。一度、コンセントを抜かずに線と線をつけたら、バチッともの凄い火花が散り、煙が噴き出した事がある。危なく感電するところだったのだ。
 テレビのコンセントは、こうして自分で直し、懲りずに夜中こっそりとゲームをやっていた。
 そんな時だった。家の電話が鳴ったが、いつもと鳴り方が違うような気がした。
 まるで、けたたましいというような、激しい鳴り方に感じたのである。
 俺の妙な予感は、当たっていた。
 おばあちゃんが、今さっき癌で入院中亡くなった……。
 そう病院から告げられたのだ。
 おじいちゃんや、おばさんのユーちゃんの話では、おばあちゃんが、最後まで俺の高校受験を心配していたと言う。大粒の涙がボロボロとこぼれ出した。
 ずっと面倒を見てくれ、あんなに優しかったおばあちゃん……。
 いくら願っても、もうこの世にはいないのである。
 忌引きとして、俺は中学を休んだ。
 葬儀にはたくさんの人たちが駆けつけてくれた。
 こんなにおばあちゃんは慕われていたのか。二千人は来てくれたらしい。でも母親方の親戚関係者は、誰一人として来なかった。
 そんな事はどうだっていい。もうおばあちゃんに逢えないという事がショックだった。
 おじいちゃんの部屋に、遺体のまま帰ってきたおばあちゃん。
 ずいぶんと苦しんだのだろうな……。
 しかし、まるで熟睡して寝ているのような死に顔は、とても穏やかそうに見えた。
「今に見ていろ、僕だって……」
「成せば成る。成さねば成らぬ、何事も……」
 おばあちゃんが俺に言っていた言葉。
 小学校の頃、一緒に行ったお寿司屋さんが懐かしい。
 母親が出て行った時も、笑顔で優しく接してくれ、おいしいものをいつも作ってくれた。
 俺は何かあると、いつもおばあちゃんに泣きついていたような気がする。
 おばあちゃんなら何でもしてくれる。そんな気がしたのだ。
 でも、もういないのだ。
 親父もこの時ばかりは、悲しそうな顔をしていたのを今でも覚えている。
 家族の中では、おじいちゃんが一番辛いだろう。俺だけが悲しい訳じゃない。
 きっと天国で、みんなを優しく見守ってくれているんだろう……。
 中学三年の時の秋の事だった。

 学校へまた行き出すと、クラスメイトが色々と心配そうに声を掛けてきてくれた。
 どんなに暖かい声を掛けられても、おばあちゃんが戻ってくる訳ではない。それでも俺は、何とか笑顔を無理に作ろうと努力していた。
 廊下を歩いていると、他クラスの奴が声を掛けてきた。
「神威、元気ないじゃん」
 ある訳ないだろ……。
 そう言いたかったが、あえて我慢した。
「聞いたけど、まあババアの一人や二人亡くなったところで……」
 俺は右の拳をギュッと握り締め、そいつを思い切り殴り飛ばした。
「おい、あんまり舐めた事を抜かすなよ」
 おばあちゃんをババア呼ばわりされた事が、一番許せなかったのだ。
 母方の従兄弟の洋子と、廊下ですれ違う。冷めた目つきで俺を見て、フンと首を傾げていた。俺のおばあちゃんが亡くなったというのに、こいつは言葉一つもないのか。
 俺には女を殴る拳は持ち合わせていない。歯を強く噛み締めながら、自分の感情を抑えて通り過ぎる。
 学校の体育祭が始まった。時間というものは残酷で、俺がどんな状況でも刻々と過ぎていく。誰がどんな状況でも、一秒たりとも止まってはくれやしない。
 クラス対抗リレーで、俺もメンバーに選ばれていた。
 走るのが嫌いで、サッカー部では一年の夏にフォワードからキーパーにポジション移動をしたぐらいなのに、何故なのだ。嫌で嫌で仕方がない。
 まあ選ばれてしまったものはしょうがない。ひたすら無心で走ればいいだけだ。
 相手のバトンを待つ時に、黄色い声援が聞こえる。
 どうだ、親父…。俺だって情けないだけじゃねえぞ。そう思いながらバトンを受け、全力で走った。
 大歓声の中、体育祭は終わりを告げた。
 次の日、隣のクラスの奴が俺に話し掛けてきた。
「神威、おまえさぁ~。うちのクラスの女に本当人気ないんだな」
「はあ、何が?」
 こいつの話している意味が、さっぱり分からなかった。
「おまえが走っている時、うちのクラスの女ども、転べっ、転べっって大合唱していたの聞こえなかった?」
「いや…、歓声しか聞こえなかったよ。ところで何でそいつらは、そんな事を?」
「おまえの従兄弟の内海っているじゃん」
 母方の従兄弟の洋子……。
 また小学校の時と変わらず、あれこれ構わず何かをクラスメートに吹き込んでいるのだろうか。考えるとイライラしてくる。三年になって、洋子は副生徒会長になっていた。
「ああ、それがどうした?」
「神威の家は、よってたかってお母さんを家から追い出したって、クラスの奴にいつも言っているぜ」
 またか……。
 さすがにこの話題はうんざりだった。
 母親が勝手に暴れて、勝手に出て行ったのに、何故、そのまでいちいち言われなければならないのだろう。俺が小二の時の話である。もう七年近く経っているのに……。
「…で、おまえは、どう思っているの?」
「え……」
「え、じゃなくて、いちいちそんな事を言いにきたおまえは、どう思っているんだって、俺は聞いてるんだよ」
「い、いや…、噂は本当なのかなって……」
「何が噂だよ、このボケがっ!」
 そいつを俺は、ぶっ飛ばしてやった。理不尽だと分かっていても、許せないものがある。ふざけやがって……。
 母親の事を言われると、最近、凶暴になる自分がいた。いつまで経ってもまとわりつきやがって……。
 小学二年生時の母親の顔しか分からないが、俺は頭に浮かんだ残像に対し、精一杯睨みつけた。

 受験シーズンが訪れた。
 親父の意向に従いたくない俺は、勉強よりもゲームに熱中し、どんどん成績が落ちていった。どっちにしても殴られるのだ。それなら自由に生きたい。
 これだけ殴られながら成長すれば、暴力で心は折れない。
 最近は、理不尽に殴られても、そんな気にならなくなった。ある意味、開き直りが出来たのである。
 殴られれば痛い。でも、死ぬ訳じゃない。
 少なくても、これから暴力に屈する事はないのだ。
 親父の妹であるユーちゃんと話すと、呆れた声で言った。
「まったくお兄さんには呆れたよ」
「何で?」
「おばあちゃんが亡くなって、少しは変わってくれると思ったけど、結局、何も変わっていない。相変わらず暴力は振るうは、店の金は使い込むはで…。あれじゃあ、おばあちゃんも浮かばれないよなあ~……」
 確かに、ユーちゃんの言う通りだった。親父は相変わらずだったのである。
 気に食わない、生意気だという理由で、ユーちゃんを構わず殴っているし、俺も理不尽に殴られる。
 外に出ると、笑顔を絶やさず、いつもニコニコ。
 まるで二重人格者のようである。俺に対して笑顔を見せるのは、外で親父の仲間と会っている時だけだ。
 上っ面……。
 そんな言葉が親父には、とても似合うような気がした。
 相変わらず、三村という化粧品臭いおばさんとは、付き合っているみたいである。何であんな人がいいのかな…。俺には、よく理解できない。
 ある日、親父が高校について、急に話をしてきた。
「おい、龍一。おまえ、受験する高校は決まっているんだろうな?」
 もうじき三学期に入るのに、そんな聞き方はあるのか。まあ、この人はいつもそうだ。常に結果だけを求め、世間体だけを気にする。俺のプロセスなど、どうでもいいのだ。
 すでに偏差値七十を超すといわれる河越高校には、行けないような成績になっていた。なので、ワンランク下の河越南高校に行けばいいやと思っていた。
「俺は、南に行くよ」
「何だと、貴様。あれほど俺は、河高へ行けと言っただろうが!」
「だってお父さんは言うだけで、何もしやしないじゃないか」
 一瞬、火花が散る。親父がまた俺を殴りだしたのだ。こんなもんで済むなら、好きなだけ殴ればいい。俺の人生だ。好きにさせてもらう。
 親父は、近くにあった棒を拾い、それで俺を殴りだした。
 さすがに腕で防御をした。渾身の力で俺を叩いていたのだろう。棒が俺を叩いた時に折れ、折れた棒が親父の顔に命中した。
 神様って、いるものなんだな…。この時ばかりは、そう感じた。
 自分で叩いた棒が折れ、自分の顔面にぶつかる。まるで漫才でも見ているようだったが、親父は顔を真っ赤にして素手で殴りだしてきた。俺は無抵抗のまま、殴られながら笑ってやった。
 一人で暴れて、勝手に拳を腫らす親父。見ていて滑稽だった。年のせいか、息を切らしていた。
 暴力に対しても、免疫力ってあるのだ。俺はその事を親父に教えてもらった。
「とにかく浦所線沿いにある東部台高校は、滑り止めで受けておけ。分かったな?」
 言いたいだけ、殴りたいだけ言うと、親父は居間を出て行った。
 あとになって聞いた話だったが、家業のお客さんだった人が、東部台高校の前で、レストランなどを経営していて、その社長が親父に対して、「あの高校の生徒さんは、みんな礼儀正しくて、いい子ばかりだ。」という台詞を聞いただけで、俺に受験しろとなったらしい。呆れるばかりである。
 頭にきたので、親父の部屋に大事にとってあるレコードのLPコレクション。毎日数枚持ち出しては売り捌き、俺の小遣いにしてやった。
 コレクションを半分ほど売った時点で、親父にバレ、こっ酷く殴られた。

 

 

10 鬼畜道~天使の羽を持つ子~(二章 中学編) - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

他に滑り止めの高校など考えていなかった俺は、親父がガーガーうるさいのもあって、仕方なしに東部台高校を受ける事にした。偏差値五十五ぐらいの学校だったので、特に気張...

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