岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

1 でっぱり

2019年07月13日 19時03分00秒 | でっぱり/膝蹴り


新宿クレッシェンド第二弾 でっぱり


 最近、僕って変なのかな……。
 お昼前に歌舞伎町を徘徊していると、綺麗に着飾った女たちが腐るほど歩いている。歩いている時間帯とその女から発する匂いで、ある程度どんな仕事をしているか僕には想像がつく。こんなの特技にも何にもならないけどね。
 考え事をしていると、一人の綺麗な女とすれ違った。まずい…。また僕の変な欲望が脳みそを支配していく。意識が徐々に薄れていく……。
 指先がムズムズしてくる。
 いけない。
 こんなんじゃ駄目だ。気分を紛らす為、僕は思い切って声を掛けてみた。
「あ、あのー…、す、すいません」
 綺麗な女は気味悪そうに僕を一別すると、無視して歩き出す。通行人がその光景を見てニヤニヤしていた。
 別にナンパしたい訳じゃなんだけどな。
 確かに僕は少しばかり出っ歯で、顔だって格好良くはない。彼女は自分がナンパされたつもりでいるのだろう。でも、僕が道を尋ねる為に声を掛けたとしたらどうするんだ? いくらなんでも、無視する事はないんじゃないのかな。
 目の前で取られた女の行動。悔しいけど、それが僕の現実なんだ。
 幸いにも仕事が終わったばかりで、時間だけは腐るほどある。それに今日は休みだしね。無視されるのは癪に障るけど、少し距離を開けてその女のあとをつけてみる事にした。
 自分でもこんな行動するのは不本意だし、とても嫌だ。でも、逆らえない……。
 欲望に支配された脳みそが、ずっと僕に命令を出し続けていた。しばらくその女をつけまわす事以外、僕には選択肢がないのだ。
 それにしても不思議な女だ。後姿から漂う香りを嗅いでも、舐め回すようにスタイルを眺めても、何系の仕事をしているのか分からなかった。
 飲み屋の女? いや、違うような気がした。風俗嬢で、ここまで小奇麗にしている子もそうはいないし……。
 女はホテル街の方向へと歩いて行く。見れば見るほど、うっとりするプロポーション。歩く度、小気味いい感じでリズム良く揺れるお尻。ほどよくくびれたウエスト。綺麗な褐色の肌に包まれた筋肉質の締まったふくらはぎ。色っぽいうなじ。腰まで伸びているサラサラの黒い髪。
 これから恋人とセックスでもするのだろうか?
 女は距離をとっているので、僕に気付く様子もなく普通に歩いていた。
 そんな状況なのに、僕の視線は常に女の後頭部へいってしまう。気になって気になって仕方がないのだ。
 後頭部に触れたい……。

 触れて確かめてみたい。
 そんな事をしてはいけないって、充分に分かっている。
 だけど、欲望が僕に命令をするんだ。僕の歩くスピードが若干早くなり、女との距離が徐々に縮まっていく。
「ちょ、ちょっと触って、逃げればいいか……」
 自分に言い聞かせるようにボソッと呟いてみる。自分の声が耳に届き、思考回路が動き出した。
 駄目だ、駄目だ……。
 そんな事したら警察に捕まってしまう。いきなり触って、あの女が騒ぎ出したらどうするんだ? 今こうしてあとをつけている時点でも完全なストーカー行為だ。
 僕は絶対にどうかしている。
 気付けば女との距離が開いていた。しばらくすると欲望の支配力が大きくなり、頭の中で騒ぎ出す。
「サワレーッ! サワレヨー!デッパリ、サワレヨー! キニナルンダロー! ウズウズシテンダロッ!」
 頭の中でざらついた声がこだまする。
 視野が徐々に狭まり、周りの景色が見えなくなっていく。今僕の視野でハッキリと見えるのは、あの女の後頭部だけだ。
 後頭部がどんどん目の前に近付いてくる。俺の歩くスピードが自然に早くなっているのだ。僕の右手が女の後頭部に伸びていく。
 頼む、やめてくれ……。
 僕は必死に懇願するが、そんな意思など無関係に右手はどんどん女の後頭部へと近付いていく……。
「ちょっと、あんた! さっきから、何、さっきからあとつけてきてんの?」
 急に女がこちらを振り向く。明らかに怒っていた。怒った顔もまた一段と綺麗に見える。でも僕の右手は、それでも女の後頭部に向かって言った。
「やっ、何よ? あなた、何すんのよ? 気持ち悪いわね!」
 僕の右手の指が女の髪に触れる。女はその瞬間、手で僕の右手を払いのけた。ジワリと痛みの感覚が伝わってくる。それでも僕の意思とは関係なく、再び右手は女の後頭部に向かって進みだす。怒っていた女の顔が急に変わり、まるで怖いものでも見るかのような表情になっていた。
「いやー、誰か助けてー…。変態ー!」
 女は大声をあげて僕から離れていく。このままではまずい。街中の人々が僕に注目している。痴漢か変質者扱いで捕まってしまう。欲望はこんな状況でも怒鳴りたてていた。
「オイカケテ、トットトサワッテ、カクニンシロヨー!」
「おいっ、何やってんだ、貴様!」
 おせっかいな通行人の一人が僕の肩をつかみかかってくる。僕は通行人の手を払いのけ、全力でその場を逃げ出した。頭のどこかに住み着いた欲望を怨みながら、一生懸命走った。

「何だ、こりゃ……」
 辺りはすごい匂いが充満していた。その匂いが鼻につき、吐き気を催しそうになる。目をゆっくり見開くと、ゴミ捨て場のゴミと一緒になって俺は寝ていた。
 慌てて立ち上がると、全身に痛みが走る。再びゴミの中に崩れ落ちる俺。体がいうことを利かない……。
「いててて…。ちくしょうー、鳴戸の野郎……」
 こりゃあこっぴどくやられたもんだ。
 まあ、当たり前か…。ダークネスで店の売り上げを抜いていたのをオーナーに見つかってしまったのだから……。
 あれだけ抜いていれば、いつかはバレてもおかしくない。それが今日だっただけの話である。
 赤崎が無事だったみたいだし、まあそれで良しとするか。
「いてて…。何だこりゃー? 全然、力はいんねーや。あー…、いてっ」
 少しでも体を動かすと激痛が走る。臭いけど仕方ない。ゴミをベッド代わりに大の字になった。
 寝たままの状態で財布を確認する。痺れている右腕に力入れ、中に入っている札を慎重に数えてみた。
 十万円ごとに俺はズクを作っているので、こんな時は本当に数えやすい。
「これで…、二十。うーん…、四十。六十、いてて…、八十……」
 財布の中は間違いなく百万以上ある。数えている途中で財布を服に戻した。
 鳴戸のボケ野郎……。
 頭に来て殴ったまではいいが、俺の財布から金をとるのを興奮し過ぎてすっかり忘れていたようだな。頭が切れると自分じゃ思っているみたいだけど、鳴戸は怖いだけでどこかが抜けている。もっとも水野は、ただの大馬鹿野郎だけどな。
 自然と笑いが出てきた。
「アハハ……」
 道を通りすがる通行人が気味悪そうに俺を見ていく。そりゃあそうだろう。血だらけでゴミ捨て場に寝転がっている人間なのだから。
 誰も俺を見たって、助けようとしてくれる奴なんかいやしない。
 だけどこんな俺が、百万以上の金を持っているだなんて誰も想像しやしないだろう。みんな軽蔑の眼差しで俺を見て、避けるように歩いていく。非常に愉快だった。しょせん、世の中なんてこんなもんさ。
 たった唯一の気掛かり……。
 それは赤崎ともう一緒に働けない事だ。
 男らしいキリッとした顔つきに、そこそこ均整のとれた筋肉質の体。どこか影のある雰囲気。一見どこにでもいそうだが、この街にあのタイプはまずいない。
 過去に一度だけ男同士で関係を持ったことがある。男のツボは男だからこそ分かると、表現したらいいのだろうか。あれは最高の快感だった。だからといって男なら誰でもいいという訳じゃない。自分でこいつだと思える人間じゃなきゃ、最高の快感など得られやしない。あの赤崎をホモセクシャルの世界に引きずり込めたら、どんなに最高だろう。
 あのまま一緒に働きながら、金をふんだんにちらつかせれば、この手に落ちたかもしれないのに……。
 そういえば部屋に、いくらあったっけ……。
 確か抜いた金、全部で二千万は貯めてあったよな? しばらくその金でゆっくり休むとするか。
 空を見上げてみる。歌舞伎町の空は相変わらず薄汚かった。

 本当に疲れた。まだ息が整っていない。いつも欲望がしゃしゃり出てきて僕をこんな風に困らせる。
 無我夢中で逃げ、新大久保駅の近くまで走ってきたみたいだ。クリスマスも過ぎ、年末だというのに僕はこんな大汗を掻いて、一体何をやってんだろ……。
 手持ちの金もあんまり無いし、今日はあそこの百八十円のラーメン屋にでも行くか。
 しばらくその場に立って考え込む。ジトッと滲み出てくる汗。
 マンションも近いし、一度帰ってシャワーを浴びよう。全身汗を掻いているからヤケクソだ。僕は走りながらマンションまで行く事にした。
 靖史は今、仕事にいっているはずだから、シャワーのあとゆっくり寝るのもいい。マンションへ着くと、エレベーターの上向きの三角ボタンを押して待った。
 ゆっくり深呼吸して、息を整えていると、エレベーターが降りてくる。中に入り八階を押した。自動的にドアが閉まりだす。その時、遠くから足音が聞こえてきた。
「すいませーんー。ちょっと、待ってくださーい」
 女の声が聞こえたので、僕は開ボタンを押してあげる。女は駆け足で、エレベーターに飛び込んできた。
 声も出せないのか女は中腰で両ひざに手を付き、肩で息をしている。
 目の前に女の後頭部がある……。
 欲望がまた疼きだす。
 もうほんとにやめてくれって…。さっきも酷い目に遭ったばかりだというのに……。
 だけど今なら手を伸ばせば、下を向いている女の後頭部に触れるのは容易いはず……。
「サワッチマエッテ! ハヤク、ハヤク!」
 欲望を必死になって押さえ込む。冗談じゃない。住んでいるマンションのエレベーターの中で、そんな事できる訳がない。必死に思考回路を働かせ抑制させる。
「な、何階ですか?」
「……。はぁ…、はぁ……」
 女は話をする余裕さえないようだ。自然とエレベーターのドアが閉まり、八階に向かって上昇していく。三階を過ぎた辺りで女は下を向いたまま、喋りだした。
「すいませんでした…。はぁ、はぁ…、あのー、はぁ…、十二階で、おねが…。あっ!」
 エレベーターに飛び込んできた女が、話しながら顔を上げる。なんという偶然なんだろうか。さっき僕が街でひと騒動起こした女だった……。
 こんな狭い箱に二人っきりというしシチュエーション。気まずい空気が辺りに充満する。まずい。このままじゃ絶対に誤解される。絶対になんとかしないといけない。
「い、いやっ、あのー…。さ、さっきはですねー……」
「ひっ…、おっ、お願い…。近寄らないで…。おっ、大声出すわよ!」
 女は狭いエレベーターの中で後ろに下がっていく。街で出会った時の威勢はどこへいったのか、かなり怯えている様子だ。壁にベッタリと張り付くように僕と一定の距離を保ち、小刻みに震えている。このままでは、かなりまずい方向に行きそうだ。
「ち、違うんです。き、聞いてください。さ、さっきは僕…、別に悪意があった訳じゃ…。まあ、そのー……」
「いやっ! こっちこないで、お願い。いやーっ!」
 ガタガタ震えながら女は声のトーンが上がっていき、叫び声に代わりつつある。もし、マンションの住人たちに気付かれたら……。
 僕はとっさに動いた。
 気がつけば、両手で女の口を押さえている僕。最初は騒いでいたが、すぐに女は諦めたのか震えながらも大人しくなる。こんな予想外の展開になってしまい、僕はどうしたらいいのだろうか?
 エレベーターが止まり、ドアが開く。そこは八階だった。
 僕は女の背後に回りながら片手で口を押さえ、もう片方の手を腰に回したまま、一緒に出る。
 どうか、このマンションに住んでいる人と会いませんように……。
 祈るような気持ちで通路を慎重に進む。
 靖史と共同で借りている部屋に着くと、嫌がる女を放り投げた。女は片膝を立て、自分の黒いパンティーが丸見えなのも気付かず、怯えた表情で小刻みに震えている。
 僕は自然にキッチンのドアを開けて、何故か右手で包丁を取り出す。こんな事したくはない。でも大声を出されたら僕はおしまいだ……。
 ゆっくり包丁を女に突きつけた。
「ぜ、絶対に大声を出さないでよ。ぼ、僕だって…、こ、こんな事を好んでしている訳じゃないんだ。た、たまたま…、こ、こんな展開になって……」
「おっ、お願い…。お願いだから私を…、私を殺さないで……」
 女は完全に怯え、ガタガタ震えている。涙を流しながら蚊の鳴くようなか細い声で囁いている。なんでこんな事になっているんだろうか……。
「お、お願いだから静かにしてってば!」
 目の前で包丁突きつけられたら僕だってこうなるだろう。結局のところ、全部僕の欲望がいけないんだ。
「イマナラ、コノオンナハナンダッテ、イウコトヲキク。サワレ。デッパリヲサワッチマエッ! ハヤク、ハヤク」
 また欲望が巨大化して頭の中で、ざらついた声を発する。
「う、うるさい! うるさい! うるさーいーっ!」
「ひっ! ご、ごめんなさい。何でもしますから。お願いですから、どうか命だけは……」
 この女、勝手に勘違いしているな。
 それにしてもこの部屋を知られてしまい、完全に顔も覚えられた。この場合どうしたらいいんだろう?
 女はすがるような目で、僕を見つめている。
「な、何もしないから安心してよ。ねっ?」
 安心させるように言い、包丁を左手に持ち替えて右手を女の肩へ置いた。柔らかい華奢な女の肌に触れて、僕の心臓はドキドキしていた。
「ひっ、ごめんなさい。殺さないで下さい! お願いします……」
「……」
 こんな時に僕は何を考えているんだ……。
 右手の指先が、モゾモゾと勝手に動き出した。

 まだ痛いけど、いつまでもこんなところで寝ていられない。すっかり辺りは暗くなり、各店のネオンが点きだしていた。その下品なネオンが夜の歌舞伎町を彩っている。気力を振り絞り何とか立ち上がった。
 携帯が鳴っているのに気付く。
 着信画面を見ると、あの鳴戸からだった。
 冗談じゃねえ……。
 俺は焦って携帯電話の電源を落とす。
 鳴戸に散々蹴られて意識を失い、このゴミ貯め場に捨てられた俺。あれから何時間経つのだろうか? 時計を見ると、もう夜の八時になっていた。
 何故鳴戸は、わざわざ俺に電話をした?
 あれだけ俺を殴ったから生きているか心配で電話をしてみた。いや、あの男にそんな配慮などある訳ない。
 しばらく経って冷静さを取り戻し、今まで抜かれた金の一部分でも取り返そうと思ってか? うん、こっちのほうが合っているな。
 だとすれば、ここにいるのはまずい……。
 携帯の電源を途中で落としたのはミスだった。さっきはあのままやり過ごせば良かったのだ。鳴戸に警戒心を生ませただけである。蛇のような性格の鳴戸。もう何かしらの行動に動いているはず。
 痛い足を引きずりながら、ゴミ貯め場を去る事にした。鳴戸がここに来たら、一貫の終わりだ……。
 あいつ、俺のマンションの場所は知っていたっけ?
 最初にあの店で働く時に渡した履歴書。あいつがちゃんとそれを保管していたら、俺のマンションの場所など知られてしまう。そんなものはマンションを出れば済む事だが、部屋には俺の貯めた二千万の金がある。
 今からマンションに向かい、鳴戸と鉢合わせになるのだけは避けたい。
 考えろ……。
 頭を使え……。
「そうか!」
 幸い俺には同居人の勝男がいる。
 あいつなら俺とは間逆の時間帯で働いているから、この時間なら部屋にいるはずだ。それに別の店で働いているから、鳴戸とも面識がない。同じ地元の同級生だから、信用もできる。
 勝男に二千万の金を持っている事を知られるのは嫌だが、この際背に腹は代えられない。
 顔中アザと血だらけの俺は、ヨロヨロと歌舞伎町の街を歩いた。街を歩く通行人の視線が、四方八方から突き刺さる。確かに今の俺は目立ち過ぎだ。注目を浴びるのも当たり前か。いやそんな事を気にしている場合か。二千万だぞ、二千万……。
 俺は携帯を取り出して電源を入れた。まずは勝男に電話をしよう。まだ準備中の携帯。
「チクショウ。早くつけよ……」
 つい独り言を呟いてしまう。イライラしている証拠だ。駄目だ、落ち着け…。こんな時こそ冷静に行動しないと、あとでこっ酷い目に遭うだぞ?
 俺は携帯がつくまでの間、ゆっくり深呼吸をして精神を落ち着かせる。
 勝男の番号を探し、すぐ電話を掛けてみた。今、勝男に電話している間、鳴戸から電話があれば話し中になってしまう。こんな事ならキャッチホンをつけときゃよかった。
 どっちにしても、急がないと……。

 

 

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