岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

6 でっぱり

2019年07月14日 11時47分00秒 | でっぱり/膝蹴り

 

 

5 でっぱり - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

123456789今日の靖史はちょっと変だ。僕と一緒に話しているのに、どこかうわの空。多分、鳴戸に散々殴られたのを思い出しムカついているのだろう。顔だってアザだらけ。今ま...

goo blog

 

 

 どのくらい俺は眠っていたのだろうか……。
 何回か目を覚ましたが、意識が朦朧としていた。二日酔いも手伝いすぐに目を閉じる。
 ホテルのテレビを付けると、芸能人が振袖を着ている。
 ひょっとして俺が寝ている間、新年になったのか?
 最近の自分の時間が麻痺していて分からなくなっている。整理しないと……。
「確か、鳴戸に抜きがバレてやられたのが二十九日。それで夜にこの新宿プリンスホテルで勝男と会って金を取り戻し、その日にこの部屋に泊まり…、翌日の三十日に携帯の番号を変えてから酒を飲み、夕方になる前に酔って寝た。…で、今が年を越していたって事は…、うーん……」
 時計を見ると昼だった。
 今が元旦だとすると、俺は二日間ほど寝っ放しだったのか?
 今の俺はどうしようもないグズだ。
 まあ今まで元旦だろうがお盆だろうが、ずっと休まずに仕事してきたんだ。ゲーム屋は仕事柄、年中無休だ。しかも二十四時間営業だから、コンビニエンスストアーとスタンスは変わらない。
 振り返ってみると、一生懸命ずっと頑張ってきた。
 客の機嫌を取り、台の設定を考え、従業員の面倒を見る。大変だったがその代償として、俺は売り上げから伝票を偽造したり、台の設定をいじったりと店の金をチョロまかしてきた。
 二年間で溜め込んだ金が今、目の前のソファーに置いてある。ダンボールの中へ無造作に入っている金。中身は二千万円。
 腹が急に鳴った。何も口に入れてなかったから当然だ。
 冷蔵庫から缶コーヒーを取り出して一気に飲み干した。カマンベールチーズを食べて、クラッカーを口に放り込む。ビーフジャーキーをほお張り出す。
 多少空腹感が満たされると、赤崎は今どうしているのか気になりだしてくる。
 まだあの鳴戸と水野の経営する『ダークネス』で働いているのだろうか? 遅番の新堂と田中も一気に辞めてしまった今、新人の赤崎一人で店は無理だ。店を一時的に閉めている可能性はある。
 突然、部屋の電話が鳴った。
「もしもし……」
「あっ、岩崎さん。プリンスの江島です。さっき新年早々ダークネスへ打ちに行こうと思ったら、店が閉まってましたよ」
「そうなんですか。まあ、そうでしょうね。ダークネスの遅番二人も辞めましたからね」
「じゃあ、大変じゃないですか」
「ええ、でも俺は辞めたんでどうだっていいですけどね。そういえば江島さん。あとこの部屋、一週間ほど滞在していいですか?」
「え、別にいいですけど、お金、結構掛かりますよ?」
「その辺は問題ないですよ。暇だし、この部屋結構気に入ってしまったんですよ。会計を先に払ってもいいですよ。お願いします」
 江島にお願いして電話を切るが、まだ空腹感を覚える。チーズやビーフジャーキーじゃ腹はそんな膨らまない。
 時間帯的にまだ昼だし、勝男も仕事明けでもまだ起きているだろう。勝男でも誘って昼食でも行くか。

 携帯に電話を掛ける。十回ほどコールが鳴ってから、やっと勝男は電話に出た。
「も、もしもし…。ど、どちらさまでしょうか?」
「俺だよ、勝男。悪かったな、連絡遅れちゃって。疲れてたからずっと寝てたんだ」
「や、靖史か! し、心配したんだよ。ぼ、僕は正月も変わらず仕事だけど、や、靖史、だ、大丈夫かなと思ってね」
「今、どこにいるんだ。飯でも一緒に喰いに行かないか?」
「い、いいけど、それならこの間、お、面白い喫茶店を見つけたんだ。い、一度その店に靖史を連れてきたかったんだ。そ、そこにしない?」
「いや、あまり歌舞伎町はうろつきたくないんだ。それに新年早々その喫茶店やってるか?それなら新宿プリンスの地下二階にあるイタリアンはどうだ?」
「イ、イタリアンって、どういう……」
「おまえの好きなピザやパスタがメインの店だよ。肉だってあるしさ」
「じゃ、じゃあそこにしよう」
「俺は先に行ってるから、あとからおいでよ」
「わ、分かった。プ、プリンスの地下二階ね」
「アリタリアって店だぞ」
 電話を切ってシャワーを浴びる。勢いのいい熱いシャワーを浴びると、気だるさが徐々になくなっていく。
 しばらくはこうダラダラ過ごすのも悪くないものだな。鏡を見ると顔のアザはほとんど目立たなくなっていた。
 今、赤崎はどうしているのだろう……。

 西武新宿駅の地下へ向かう階段を降りて行くと、丁度新宿プリンスホテルの真下ぐらいの位置に、イタリアンレストランのアリタリアがあった。
 レンガを組み合わせて作ったような壁を見て、素直にいいなと思う。
 ガラスのドアを開き、中へ入る。すぐに二手に通路が別れているので、どちらへ行ったらいいのか分からなくなった。
 入り口で困っていると、ホテルマンが近付いてくる。
「あ、あのー…、ア、アリタリアはどちらに?」
「こちら右手になります。よろしければご案内致します」
「は、はい」
 丁寧なホテルマンのあとをついていく。短い通路を通り過ぎると、中は以外に広く、開放的な気分になる。
 レストラン内を歩いていると、奥の席に靖史が座っているのが見えた。ホテルマンは僕の為に席を用意しているところだ。
「あ、あのー、つ、連れがいたんで、い、一緒でいいです」
「かしこまりました」
 ホテルマンはニッコリ微笑むと持ち場に戻って行った。僕が近付くと、靖史が気付いて声を掛けてくる。
「おーい、結構早かったじゃないか。ランチタイムだからブッフェもあるぜ。それ以外にも何か頼めば?」
「ブ、ブッフェって、な、何?」
「バイキング。簡単に言えば食べ放題だよ」
「へ、へー。い、いいね」
「まあ立ってないで座れよ。俺はステーキやパスタとかを適当に頼んだから」
 席に座り、タバコに火を点ける。灰皿を見ると、煙草の吸殻は一本しかないかった。靖史もアリタリアに来て、まだそんなに時間が経ってないようだ。
「あ、あれからひょっとしてプリンスに、ず、ずっと泊まっているの?」
「ああ、おまえは?」
「あ、あの鳴戸とかいうヤクザみたいのが怖いから、カ、カプセルホテルに泊まってる。そ、そういえば鳴戸に僕、な、殴られたんだ」
 靖史の表情がガラリと変わり、身を乗り出してくる。
「何だってっ! 何でおまえがあいつに殴らんなきゃなんないんだ?」
 僕は恥ずかしそうに、はにかんでしまう。
「い、いやー、街で偶然会ってね。う、後ろ姿見てたら、つい…。そ、それで、で、でっぱりを無意識に触ったら、な、殴られたんだ」
「何でおまえはそんな状況で、でっぱりなんて気になんだよ…。ほとんど病気だよ」
「エヘヘ……」
「エヘヘじゃねぇって、まったく…。そういえば、あのむつきとか言う女はどうしたんだ?おまえが俺に返したダンボールの件でメチャクチャ怒ってたろ?」
「す、捨てられた……」
 むつきの事を思い出すと、涙が出そうになるので一生懸命に堪えた。僕の前からあれ以来消えてしまったむつき。無性に逢いたかった。でも何の手掛かりもない。
「そうか、悪かったな…。でも何だって鳴戸のでっぱりなんて触ろうとしたんだ?」
 靖史は強引に話題を変える。彼なりの気遣いが嬉しかった。
「あ、ああいう奴って、ど、どのくらいでっぱっているのかなって思って、さ、触ったらとてもすごかったんだよ」
「おまえ、昔から色んな奴の後頭部を触っちゃ、その度怒られてたじゃねえか。ほんと、いい加減懲りろよ」
「で、でも鳴戸のでっぱりは、い、今まで触ったに人間の中で断トツに、い、一番でっぱっていたんだ。そ、相当今まで人を裏切り騙してきたんだよ」
 鳴戸のあのでっぱり具合は尋常ではなかった。触った時の感触を思い出すと、今でも身震いする。
「勝男は何でそんなにでっぱりを気にするようになったんだ?」
「む、昔、小さい頃だけどね。お、おばあちゃんが生きていた時に、お、教えてくれたんだ。に、人間の後頭部は不思議なもので、ま、真ん中を触ると、ちょ、ちょっとしたでっぱりがあるんだって…。ひ、人を裏切ったり、だ、騙したりすると、そ、そのでっぱりがドンドン出てくるんだって教えてくれたんだ。だ、だから僕は触れば、あ、ある程度その人が分かるんだ」
 人を平気で裏切る奴は触れば分かるぐらいでっぱりがある。過去にそういう人間を見てきたが、やっぱりそうだった。
「ふーん……」
「そ、それにでっぱりという言葉は、ほ、本来、い、陰な言葉でね」
「陰?」
「うん、こ、言葉には陰と陽ってあるんだ」
「陰と陽ね」
「で、出る杭は打たれるって、き、聞いた事あるでしょ? む、昔からでっぱりというのは、で、でっぱるという意味合いであって、ほ、本来、わ、悪い意味で捉えられてきた言葉なんだよ」
「でっぱりね」
 その点、靖史は違う。悪ぶってはいるけど、根は悪くない。
「や、靖史もこれからは気にするようにしたほうがいいよ。け、結構当たるから」
「俺はそんな事よりも、気になりだすと急に無関係の人間の頭を触りだすおまえのほうが心配だよ。本当に気をつけろよな」
「う、うん」
「それよりブッフェの物、何か取りに行こうぜ。腹減ってんだ」
 僕と靖史は立ち上がり、様々な料理の置いてあるブッフェ卓に向かう。どれもこれもおいしそうな料理ばかりだ。

 料理を喰い終わって自分の部屋に戻る。
 勝男もあのマンションには戻りたくないと言っているので、俺の部屋に来させる事にした。
「す、すごい広さだねー。ま、前にむつきちゃんと泊まった部屋よりも全然いいよ」
「この間のシャトレーヌの江島さんが、気を利かせてくれたんだろ。結構安くしてくれたんだよ。まだここに滞在するつもりけどね」
 勝男は景色を眺めていた。途中で窓の一点をしきりに見ている。
「ね、ねえ、こ、この窓さー。何か垂れた跡があるよ。汚れかな?」
 俺がこの部屋に泊まった次の日に、窓に向かって射精した精液が垂れ流れた跡だった。そのままにしといたが、勝男にはただの汚れにしか見えないらしい。
「ハハハ……」
 自然と笑いが出てくる。勝男は不思議そうな顔をしながら笑い出した俺を見ていた。
「それよりも勝男、仕事は忙しいか?」
「い、いやー、時期的に暇だから忙しくはないけど、きゅ、急に昨日で一人辞めちゃってね。そ、それでみんなのシフトが、バ、バラバラになったから、み、みんなブーブー言ってるよ」
「飛んだんだ? その飛んだ奴ってどのくらいやってたの?」
「い、一週間も働いてないよ。で、でも明日から一人、し、新人が入る予定だから、も、問題ないけどね。ま、真面目な奴だといいけど」
「そうだな。真面目な奴だったらいいよな」
 俺は赤崎が入ってきた時の事を思い出していた。彼が最初に言った挨拶はまだハッキリと覚えている。
「始めまして、赤崎です。右も左もまだ分からない新参者ですが一生懸命に頑張ります。よろしくお願いします」
 もうあれから一ヶ月以上の月日が経つなんて、時間が経つのは本当に早い。今頃、どこで何をしているのだろう。
「ど、どうしたの? や、靖史」
 話している途中、急に考え事をしたので勝男が心配そうに声を掛けてきた。今俺は、こうしてゆっくり過ごしている。現時点で赤崎の事を考えてもしょうがない。
「勝男、ここでよければゆっくりしていけば? 仕事明けで疲れてんだろ。ベッドで寝てていいよ。仕事行く時間になったら起こしてやるからよ」
「そ、そんなー、わ、悪いよ」
「遠慮すんなって、俺とおまえの仲じゃねえかよ。俺はさっきまで寝てたから、全然眠くないんだよ。ゆっくり休みな」
「あ、ありがとう、靖史。じゃあ、お、お言葉に甘えさせてもらうよ」
「シャワーから何から好きな物使っていいから、冷蔵庫につまみもあるし、そこに並んでいる酒も好きに飲んでいい」
「あ、ありがとう、靖史」
 勝男は目をウルウルさせていた。
 昔からの腐れ縁だ。そして俺が唯一信頼のおける友達でもある。この関係だけは大事にしたい。

 ホテルのベッドって何でこんなに気持ちいいんだろう。フカフカしていていい気分だ。靖史はソファーに腰掛けながらテレビを見ている。
 僕も近い内、不動産屋へ行って新しい部屋を見つけないとな。あのマンションには 絶対に戻りたくない。
 そういえば、靖史は何でダンボールにあれ程の金額を貯められたのだろうか?
「ね、ねえ。み、店で、ど、どのぐらいお金抜いてたの?」
「ん、そんなの店の状況にもよるよ。忙しくても回銭ががんでたら難しいとこだしね。うまく状況見ながら抜ける時は抜いてって感じだね。多い時で十万。少ない時はまったく抜かなかったりね。平均すると、一日三万から五万は抜いていたかな」
「ぼ、僕のお店は、そういうの全然ないからなー…。よ、よく分からないよ」
「まー、俺のとこのオーナーは大馬鹿だったからな。勝男のところみたいに、チェックがそこまで厳しくないんだよ。俺はそういう面では運が良かったんだ。少なくても勝男のところよりはな」
「だ、だってうちの従業員、す、すごい真面目だもん。そ、そんな売り上げから金を抜くとかは、そ、そういうのとはまったく縁のない店だよ」
「どんな状況だってケースバイケースでなんとかなるもんだよ。勝男のとこの責任者だって他の連中に分からないように、こっそりと金を抜いてるかもしれないしな」
「そ、それはないと思うんだけどな」
「まー、そんな事どうだっていいよ。それよりも早く寝ろって。何時ぐらいに起こせばいいんだ? ちゃんと起こしてやるから安心しろよ」
「う、うーんとね…。く、九時ぐらい」
「分かったよ。じゃあ、もう寝な」
「お、おやすみ」
 靖史はまたテレビを見始める。
 僕はしばらく目をつぶってはいたが、何故か眠くならなかった。寝返りを打つふりをして靖史に背を向け、まぶたを開く。目の前には真っ白な壁がある。
 一人で考え事を色々していると、最終的にむつきの事を考えている自分がいた。むつきと言う名前以外に、僕は何も彼女の事を知らなかった。
 何歳なのか。
 何の仕事をしているのか。
 どこに住んでいるのか。
 分からない事だらけだ。
 動物のように本能的にセックスをしただけの仲。あの時、ちゃんとした事をキチンと聞いておけば良かった。
 昼から次の日の昼まで丸一日、ずっと一緒にいたのに僕は何も知らない。自分の愚かさを呪ってしまう。
 昨日むつきに去られ、僕の心はポッカリと大きな穴が開いている。体の真ん中に穴が開いて、冷たい風がその穴を年中通り過ぎているような感じだった。
 寂しい、とても寂しい。
 目から涙が自然と出て、ベッドのシーツを濡らし始める。頭で彼女とは終わったのを理解しいても、結局のところ僕は割り切れていない。
 たった一日で僕はむつきの虜になっていた。美人でそれでいて可愛く、スタイルもいい。僕とつり合わないのは充分承知しているつもりだ。でもこの歯痒さは何なのだろうか?
 彼女とは、永久に逢えないのかな?
 考えながら眠くなり、自然にまぶたを閉じる。

 正月の元旦、ホテルの一室に二十三歳の男が二人いる。一人はダブルベッドで寝て、もう片方はソファーからテレビを見ている。はたから見ると、かなり異常な風景だろう。
 ベッドを見ると、勝男は熟睡していた。
 テレビを消す。音の無い空間になった。
 俺は勝男が目を覚まさないように、入った金のダンボールとカードキーを持って静かに部屋を出て行く。二日間ほど寝ていたので、体力は有り余るくらいあった。
 とりあえずこのダンボールの金を貯金しておこう。待てよ…。今日って元旦だろ? 銀行などやっている訳ねえじゃねえか。
 すぐ部屋に戻り、ダンボールを置く。このまま持ち歩くのは物騒だ。
 俺が戻っても、勝男はピクリともせず熟睡している。
 一服してから、もう一度外に出た。
 歌舞伎町の街をうろついて、バッタリ鳴戸に出くわすのも嫌だ。適当に目についた風俗でも久々に行ってくるか。
 ブラブラしながら一番街通りを通り過ぎ、セントラル通りを通過し、さくら通りに出る。途中の細い道に入ると、ある看板に気付く。
『性感ヘルス モーニングぬきっ子』
 こういう馬鹿な名前の店って、ロクなもんじゃないだろう。
 時計を見ると午後の四時だった。時間的に全然モーニングじゃない。店のネーミングセンスを疑ってしまう。
 表に貼ってある料金表を見てみた。三十分で九千円、五十分で一万三千円。相場的には、まあまあこの街に適した値段設定である。
 暇だし、写真だけでも見ていくとするか。
 期待もせず自動ドアを開け、モーニングぬきっ子という名前のヘルスに入る。
「いらっしゃいませ。当店のご利用は初めてですか?」
 ひ弱そうな細い体のメガネを掛けた店員が出てくる。
「ええ、どんな感じの子がいるかなって思いましてね。いい子いるんですか?」
「もちろんですよ。お客さん運がいい。今ならメチャクチャ美人の子がつけられますよ。写真だけでも見て行って下さいよ。ほんとに可愛いんですから」
「どの店に行ったってそう言うの、常套手段じゃないですか」
「写真見学だけなら一切お金掛からないですから。お客さん、写真見るだけでもどうです?見ていかないと、絶対損しますよ」
「分かりましたよ。見るだけなら……」
「写真はこちらです」
 受付けから薄い壁を一枚隔てた隣の小さな待合室に案内されると、ポラロイドカメラで撮影した色々な風俗嬢の写真が、木の板に無造作に貼られていた。
 こういう場所は、ポラロイドの写真が一番信用できる。誤魔化しが利かないからだ。
 端から見てみると、思った通り大した女はいなかった。
「ん……」
 一枚のポラロイド写真に目が止まり、そこに視線が釘付けになる。
「あれ、お客さん。モモさんがタイプですか? この子は、当店、ナンバーワンですよ」
 店員が一生懸命話し掛けてくるが、何も耳に入らなかった。
 しばらく呆然としてその場に立ち尽くしてしまう。
 このモモとかいう女……。
 この間、ベッタリ勝男にくっついていたむつきとか言う女にそっくりだった。いや、そっくりというレベルではない。正に本人そのものだ。
 俺はバッティングセンターとプリンスホテルに入る時に遠目ではあるが、ハッキリ顔を見て覚えている。
 向こうは電話で話しただけなので、俺の顔などまったく知らないはず。
 ひょんな事からこの店に入ったが、指名して様子を伺うのも面白い。
 仮にむつきとは別人だったとしても、この写真通りなら、これだけいい女もそうそういないだろう。
「あのー、お客さん。どうかしましたか?」
「店員さん。このモモって子いるんでしょ?」
 俺は写真に向かって指を指した。モモ、いやむつきの写真は、可愛らしい笑顔で写っている。偽善に満ちた笑顔。俺はこの女の正体を知っている。
「もちろんいますよ。運がいいですね。今だったらすぐに、おつけできますよ」
「じゃー、この子指名で、うーんと時間は五十分で……」
「かしこまりました。では初回の入会金二千円と指名料二千円。お客様は五十分なので、一万三千円で合わせて一万七千円になります」
 俺は財布からちょうど取り出して店員に金を渡す。そのまま待合室にあるソファーに腰掛け、タバコに火を点ける。
 改めて写真を見る。何度見てもモモは、むつきそのものだ。
「お客さま大変お待たせしました。ご案内です。こちらどうぞ」
 待合室から出て少し歩くと、通路に安っぽいカーテンがひかれている。店員がカーテンに手を掛けた。
「はい、モモさんでーす」
 声と同時に店員はカーテンをひく。
 俺の目の前に一人の女が立っていた。
 目の前で現れた女は間違いなく勝男と一緒にいたあのむつきだった。
 動揺を抑えるのに一苦労だ。出来る限り表情に出さないよう努めた。
 モモと名乗る風俗嬢は、ニッコリと微笑んでくる。確かに身震いするぐらいいい女だ。勝男が一気に夢中になったのも理解できる。
 この女にむつきと言ったら、どんな顔をするだろうか?
 そう思うと、思わず口元がニヤけてくる。
「いらっしゃーい、モモです。んっ…、どうしたの? 何かニヤニヤしちゃってさ」
 むつきは俺の顔を上目遣いで見てくる。思わずゾクッとするような妖しい魅力的な目。この女を抱いて、メチャクチャにしてみたいという要望に駆られる。
「いや、こんな綺麗な子が出てきたからビックリしてるだけ」
「もう、お客さんたら、すごい口うまいんだから」
 肩を軽くピシャッと叩き、むつきは俺の手を握ってくる。とても小さな柔らかい手だった。そのまま薄暗い通路を導かれて進む。
「そこの九番のお部屋ね」
 九と書かれたドアをむつきが開ける。中は二畳ほどの小さい部屋だ。むつきは俺のコートと上着を丁寧に脱がせて、ハンガーに掛けた。
「お客さん、ここ来るの初めてでしょ?」
「ああ、初めてだ」
「その割には落ち着いているわね。他の店にも色々と行ってんでしょ?」
「多少はね、でもこんないい女が出てきた事は、今までなかったよ」
「ほんと、口がうまいわねー」
 ニコニコしながら、むつきもキャミソールを脱ぎだした。
 俺もズボンや靴下、パンツを脱ぎ、バスタオルを手に取る。むつきの体から出る色気に興奮して、俺の局部はギンギンになっていた。見られないよう素早くバスタオルを巻きつける。
 準備が終わると、むつきもバスタオルを胸から巻きつけ、身支度を整えたところだった。
「じゃ、シャワー行こうね」
 むつきは部屋にある内線電話の受話器を手に取る。横から見てもすごいプロポーションだった。思わず、バスタオルをむしり取りたくなる衝動を懸命に堪える。
「シャワー入りまーす」
 受付けに連絡してシャワー室へと向かう。
 束の間の疑似恋人体験を演出しているつもりなのか、むつきはシャワー室に向かっている最中も手を繋いでくる。
「あら、もうビンビンじゃない」
「言ったろ、風俗でこんないい女に初めて会ったって」
 シャワー室に入るとバスタオルを取り、お互いに裸になる。
 むつきの体は惚れ惚れするぐらい素晴らしいプロポーションだった。圧倒的な威圧感。この体は反則である。顔良し、スタイル良し、サービス精神も良し……。
 このモーニングぬきっ子で、ナンバーワンと店員が言っていたが、歌舞伎町のどの店に行ってもこいつなら、絶対にナンバーワンになれるだろう。
「すごいエロい体だな。今日はほんとにラッキーだ」
「何人にその台詞、使ってんのよー」
 むつきは笑顔を俺に向けながら、シャワーの温度を手で確認している。
「これぐらいの温度で調度いい? 熱くない?」
「ああ、問題ないよ」
 俺の体に暖めのシャワーを掛けてくる。むつきは首を傾げ、何か考えているような表情をしていたので声を掛けた。
「何だ。どうかしたか?」
「うーん、あなたの声って、どこかで聞いたことあるのよね」
「気のせいだろ」
「うーん……」
 一生懸命何かを思い出そうとしている。こいつはバッティングセンターの時に、電話でちょっと話しただけだから、気付く事はないだろう。
「おいおい、仕事しろ、仕事」
「あっ、ごめーん」
 むつきはペロッと舌を出してからボディソープを手に取り、俺の首の周りから肩、脇の下、胸、背中といやらしい手つきで洗っていく。
 ギンギンになっている俺の一物にもゆっくり撫で回しながら丁寧に洗う。
 シャワーで流し終えるとそのまま下にしゃがみ、俺の局部を形のいい口にくわえ始める。
 すごい舌使いだ。でも、こんなシャワー室で果てる訳にはいかないので、むつきの頭を手で押さえ、ゆっくり離させる。
「アハ…、もういきそうになったんでしょー?」
「うるせー、そういうのは部屋に行ってから、やれって」
 むつきは立ち上がり、得意そうな顔をしている。
「私は超テクニシャンなのだ」
「はいはい」
 むつきはプラスチックのコップを取り、イソジンの液体を入れてからシャワーのお湯を足し、俺に差し出してくる。
「じゃー、これ…、うがいしてね」
「あ、ああ」
 取ろうとすると、むつきは意地悪そうな顔をしてコップを引いた。そのままむつきはコップの中身を口に入れ、不思議そうな顔をしている俺に迫ってキスをしてくる。自分の口に含んだ液体を口移しでゆっくりと流し込んできた。
「こっちのうがいのほうがいいでしょ?」
 俺はガラガラとうがいして、下に吐く。
「もう一回したい?」
「ああ」
 すっかりむつきのペースだ。また口移しで流し込んでくる。
 うがいをし終わると、バスタオルで俺の体を丁寧に拭いてくれた。
「じゃあ、お部屋に戻ろうか? シャワー出まーす」
 俺とむつきが今こんな事をしているのを勝男が知ったら、絶対あいつに殺されるだろうな……。
 シャワー室から部屋に戻ると、むつきはバスタオルを両手でとり、見事な裸体を披露した。俺の視線は、自然とむつきの体に釘付けになる。
「ほーら、ボーっとしてないで、ベッドに横になってよ」
 言われるまま、俺はベッドに横になる。
 むつきが俺にまたがってきた。
 蛇の舌のような動きで全身を責めてくる。俺の体は快感で酔いしれる。この女、自分で言うだけあって物凄いテクニックだ。
 むつきの舌の動き、口から漏れる生暖かい吐息、形のいい豊満な胸が、たまに俺の体にかすってくる感触。
 もうそろそろ限界だ……。
 我慢できそうにないので、俺は体勢を入れ替え、攻めに転じた。
 むつきの素晴らしいプロポーションをじっくり眺めてから、舌を絡め合い、乳首を貪る。むつきの体はとても敏感で、攻める度にピクリと体をよじらせた。
 これだけよがられると男冥利に尽きる。俺はこのままどうしても、この女に入れたくなってしまった。
「気持ちいい……」
 とろけそうな視線で俺を見るむつき。それを見て、さらに興奮は増してくる。何という色っぽい声なんだろう。これ以上の興奮があるのだろうかと思うぐらい、気分が上昇していく。
「気持ちいいか?」
「うん、あっ、そこっ…、いいっ!」
 むつきの体が激しく動く。こんなエロい女見たことがない。
「モモ…。なあ、入れていいだろ?」
「駄目! ここはヘルスでしょ? 本番は駄目なの」
「そんなの分かってるよ。でも気持ちいいだろ? だからやらせろよ」
「ダーメ」
 むつきのガードは固い。
 俺が強引に入れようとしても体を仰け反り、手でしっかりとガードして絶対に俺の局部の侵入を許さない。
 余計に俺はムキになって入れようとする。
「駄目だったら! やめてよ」
 むつきが真剣な顔つきになっていく。俺はもう何を言われても収まらない状態になっていた。
「これ以上、しつこいと店員呼ぶわよ?」
「うるせー、いいからやらせろよ、むつきっ!」
 ここではモモと言う源氏名だが、つい本名を言ってしまった。
 散々抵抗していたむつきの体が、俺のひと言で動きが止まり、こちらを不思議そうな顔で凝視している。
「な、何…、で…、私の…、名前…、知って…、るの……」
 俺は隙ができた瞬間を見逃さなかった。
 腰をむつきに向かって力強く突き出す。俺の局部がむつきの体の中に突き刺さる。入れた途端、むつきの表情が歪みだす。すごくいい表情をする女だ。
「だ、駄目っ! あっ、ぬ、抜いてっ…、あんっ!」
 入れてしまえばこっちのものだ。
 俺は口元をニヤケながら、むつきを見つめる。もうこれで俺のペースだ。
 むつきも初めのうちは抵抗していたが、やがて快感に支配されたように自分から腰を振り始めた。
 あまりの気持ち良さに、俺もすぐに果ててしまった。

 新宿プリンスホテル最上階にあるラウンジ『シャトレーヌ』で僕とむつきは隣り合って座っている。
 むつきが、テーブルの上にあるカクテルを手に取り、ゆっくり口に含む。
「おいしーい。勝男よくこんなカクテル知ってるわねー」
「い、いやー、エヘヘ」
 むつきの笑顔は最高だ。僕には百カラットのダイアモンドよりも眩しく見える。これもカクテルを教えてくれた靖史のおかげだ。感謝しないといけない。
「む、むつきちゃん、こ、これも飲んでごらんよ」
 ニッコリ頷いて、むつきは僕の勧めたカクテルを飲みだした。
「ど、どう?」
「こんなの飲ませないでよっ!」
 むつきはいきなり怒った顔に変わり、カクテルを僕の顔に引っ掛けてくる。
「う、うわっ!」
 慌てて起き上がると、目の前に広がる景色が違う。
 どこだ、ここは……。
 何で僕はベッドの上で寝ているんだ? ちょっとしてから、ボヤけている頭がだんだん冴えてきた。
「そ、そうか…、ゆ、夢を見ていたんだ……」
 靖史がここに居ていいと言ってくれて、あのままホテルで寝ちゃってたんだ。
 新宿プリンスホテルの一室。周りを見渡しても靖史の姿が見えない。どこかへ出掛けたのかな?
 時計を見ると夕方の五時だった。仕事は夜の十時からだから、起きるにはまだ早過ぎる。僕はそのまま布団を被り、二度寝する事にした。
 また夢でもいいから、むつきに逢いたいな……。
「む、むつきちゃん……」
 ボソッと声に出して呟いてみた。
 二度目の睡魔が襲ってくる。

 視線は天井を向いたまま、むつきの体はまだビクビクッと痙攣している。
 最高のセックスだった。
 あまりの気持ち良さに、俺もあぶなくむつきの中でいきそうになったぐらいだ。むつきの形のいい胸に、俺の精子はぶちまけられている。
 俺はティッシュを数枚取り、むつきの体にかかった精子を拭ってやる。
「もう、本当に強引なんだから……」
「悪かったな…。でも、おまえのせいだ」
 俺は拭い終えると、服を着替え始めた。むつきは気だるそうに体を起こし、俺を睨んでいる。
 財布から一万円札を五枚取り出し手渡した。むつきは当たり前のように金を受け取ると、いつの間にか笑顔になっている。
「まったく、もー…。でも気持ち良かった」
「また、機会あったら来るよ」
 俺はコートを羽織る。
 むつきは何故、名前を知っていたのかを最後まで聞いてこなかった。多分この女にとってそんな事はどうでもいいのだ。金がすべてなのだろう。
『モーニングぬきっ子』を出ると、俺は真っ直ぐ新宿プリンスホテルへと帰る事にした。
 新年早々いい体験ができた。今年の俺はついているのかもしれない。
 やっぱり女もいいものだ。勝男には申し訳ないが、むつきの魅力には自我を抑える事ができなかった。
 勝男が何故あの女にこだわっているのかが、少し分かったような気がする。
 途中回転寿司に寄り、お土産を作ってもらう。こんな事をしたところで勝男への罪悪感が薄れる訳ではない。しかし何もしないよりはマシだった。
 部屋に帰ると、夕方五時半になっている。
 勝男はまだ眠っていた。
 できればむつきの居場所を教えてあげたかった。だが先ほどのむつきとの情事を思い出すと、さすがに教える気にはなれない。
 テーブルの上に置いてあるコニャックのマーテルコルドンブルーを取り、ボトルを開けた。ブランデーグラスに注ぎ、ストレートでそのまま飲み始める。
 冷蔵庫からナッツ類のジャイアントコーンだけ入っている袋を取り出す。ジャイアントコーンをつまみに、コルドンブルーをたしなめた。静寂な空間にジャイアントコーンを歯でバリバリ砕く音だけが響く。
「む…、き…ちゃ…ん……」
 勝男の声が聞こえたので、ベッドを見る。
「む、むつきちゃーん……」
 本当に勝男は馬鹿だ。
 夢の中まであの女に支配されているみたいだ。
 まさにむつきは魔性の女だった。俺もさっきあの女とセックスしたからこそ分かる。金の為に何でもするし、平気で人を裏切るタイプだ。
 勝男も利用されかけたが、俺に金の入ったダンボールを返したのが分かり、捨てられた。そのぐらい自分でも承知しているはずだが、未だ引きずっている。
 勝男が哀れでしょうがなかった。
 テレビをつけてしばらく眺める。
 どっちにしても勝男を九時に起こすまでは、時間を潰さなくてはならない。普段テレビを見る習慣などないから、どうしても暇を持て余してしまう。
 アルコールを口にする以外、何もする事がないのでしょうがなくテレビを眺めたが、ロクな番組しかやっていなかった。

 ちょっとした雑音が聞こえてきて、目をうっすら開ける。テレビの光が見えたので、そこから聞こえてくる音だろう。
「ガリッ、ガリッ……」
 何の音だろう?
 上半身を起こし辺りを見ると、ソファーで靖史が座りながらナッツみたいな物を音をたてて食べていた。
 靖史が僕に気付く。
「おう、おはよー。自分で起きちゃったか。ちょっとうるさかったか?」
 靖史は酒を飲んでいるからか、話し方が陽気だ。時計を見ると、八時を過ぎていた。
「お、おはよう」
「寿司買ってきたから食えよ。腹、減ってんだろう?」
「あ、ありがとう」
 寝起きですぐに寿司を食べるというのも変な感じだが、靖史の心遣いには嬉しく思う。包装紙をとり、寿司を食べ始めた。
 結構おいしい。特にこのマグロの赤身なんか最高だ。続いて焼きアナゴを食べる。
「お、おいしいよ、このお寿司。や、靖史、わ、悪いね」
「気にすんなよ。どこにでもある回転寿司のお土産だ」
「へー、さ、最近は回転寿司といっても、お、おいしいもんだね」
「それより仕事の時間まで二時間切っているだろ?」
「う、うん」
「じゃあ早く食べて、準備しちゃえよ」
 気持ち早めに寿司を食べる。
 最後に一番大好きなマグロの赤身を口に入れて食べ終わった。
 二人前くらい買ってきてくれたので、結構お腹がいっぱいだ。ホテルの部屋に常備してあるティーパックで、靖史がお茶を作ってくれた。
「あ、ありがとう」
「ぐっすり眠れたか?」
「う、うん。な、何から何まで悪いね」
「気にすんなよ。昔からの仲じゃねーか」
「や、靖史はこれからどうするの?」
「何も考えないで、ここで一週間ほどくつろぐよ。それからだね、色々考えるのは」
 靖史は僕なんか比べ物にならないぐらい頭いいから、どこ行ってもきっと大丈夫だろう。でも何か困った事があったら、絶対に力になってあげないと……。
「何ボケッとしてんだよ? 風呂でも入ってくればいいじゃん」
「う、うん。や、靖史…。ほ、本当にありがとね」
「何、言ってんだって。早く行ってこいよ」
 僕は部屋のユニットバスの蛇口をひねり、お湯を溜め始める。部屋に戻ると靖史が話し掛けてきた。
「そういえば勝男、あのむつきとか言う女の連絡先とか、全然分からないのか?」
 むつきという言葉が僕の心に響く。とうとう夢の中まで出てくるようになったむつき。
「そ、それが全然分からないんだ。お、怒って部屋を飛び出してからは、さ、さっぱりなんだ…。ぼ、僕は、な、何も彼女の事を知らないんだ」
「そうか…。でもあの女は、俺の金を盗ろうとしやがったんだぜ」
「あ、あの時は別に…、む、むつきちゃんは……」
「あの時の事はもういいよ。それでもおまえは、まだあの女に惚れていると?」
「う、うん」
「確かに魅力のあるいい女だったけど、勝男…。おまえきっと後悔するぞ。俺はよく接してはいないから分からないけど、結局は金、金って感じだったんだろ?」
 そう、靖史の言う通りだ。むつきは僕なんかじゃなく、最初からあのダンボールに入っている靖史のお金が欲しかっただけなんだ。そんなのはずっと分かっていた。
 それでも僕はむつきに惹かれ、まだ彼女を求めている。そしてまた夢のような気持ち良さを待ち望んでいた。
 靖史にしてみれば、僕を心配して言ってくれているのは分かる。気持ちは嬉しかったが、それでもむつきに対する想いは何も変わらない。
 両手を開いて手の平をジッと見た。まだ僕のこの手には、彼女の感触がいっぱいに残っている。しばらく自分の手の平を眺めた。そんな事をしたってむつきは、もう戻って来ないのに……。
「おい、勝男。大丈夫か?」
「う、うん。ぼ、僕ね、そ、それでもむつきちゃんの事が好きなんだ」
 靖史はとても寂しそうな視線を僕に向けてくる。何ともいえない空気が部屋に流れた。
「悪かったな、勝男…。言い過ぎたみたいだ」
 靖史は申し分けなさそうに謝ってくる。
「そ、そんな…、あ、謝んないでよ。ぼ、僕は馬鹿だからしょうがないんだ…。し、心配してくれてるのに、ご、ごめんね。ふ、風呂行ってくるね」
 靖史は下を向いて酒を飲み始めていた。
 僕は風呂場に行き、熱い湯の溜まった湯船に浸かり、静かに泣いた。

 勝男の奴、相当むつきに惚れていやがる。
 さっきむつきとセックスした罪悪感からか、奴の気持ちを聞いたら、まともにあいつの顔を見られなかった。
 むつきの居場所を教えてあげたかったが、教えたところで勝男を傷つけるだけなので言えなかった。
 勝男のどもりながら言った台詞。「それでもむつきちゃんの事が好きなんだ」と、言った言葉が、俺の胸に激しく突き刺さった。
 俺の中で、むつきをもう一度抱きたいという性欲と、勝男に対する心配な気持ちが戦っている。
 むつきの件で、俺が勝男にしてやれる事は何もない。
 俺はまたあの『モーニングぬきっ子』へ行くだろう。モモを指名すれば、いつだってあの女とセックスができる。俺は卑怯で最低な男なんだ……。
 コルドンブルーを口に含むが、とても不味く感じた。最後の一粒のジャイアントコーンを口に放り込む。
 先ほどの感触を思い出した。
 あの女を抱いた時の快感は、何とも言いようのない心地良さである。確かに男を狂わせるものがあった。今日初めてむつきを抱いたが、またすぐにでもあの店に行きそうな衝動に駆られる。
 あの体は、男にとって反則以外の何ものでもない。
 魔性に魅入られた女、むつき。
 勝男はその女に想いを寄せたところで傷つくだけだ。勝男が傷つく姿を見るのも嫌だし、その魔性の女を求めてもいた。何度も同じ考えが頭の中を堂々巡りし、混乱してくる。
 冷蔵庫からカマンベールチーズを取り出し食べていると、風呂場からシャワーの音が聞こえてくる。
 あいつは今、どんな思いでいるのだろうか。
 むつきをあの時抱いてなかったら、居場所ぐらいは教えてあげられたかもしれない。俺がむつきを抱いた事だけは、勝男に知られたくなかった。昔から続く友情が壊れてしまう。
 まったく奇妙な三角関係に陥ってしまったものだ。
「ふー、さ、さっぱりしたー」
 勝男が風呂から出てきた。さっきの落ち込んだ表情はなく明るく振舞ってはいるが、無理しているのが痛いほど分かる。
「勝男。俺、一週間くらいこの部屋泊まるから、おまえ仕事が終わったら、ここで休んでいてもいいからな。カプセルホテルとかじゃうるさいし、ストレス溜まるだろ?」
「あ、ありがとう。で、でも靖史に悪いよ。い、今までずっと共同で生活してきてお互いプライベートもあまり、な、なかったじゃない。た、たまにご飯食べに行ったりとかにしようよ。い、いつまでも靖史に甘えてばっかりじゃ、だ、駄目になっちゃうよ」
 勝男も勝男なりに考えているんだ。俺のドジで今のマンションを住めなくなり、迷惑掛けているのに、まったくこいつは俺を責めようともしない。
「分かった。悪かったな。俺のせいでマンションも、鳴戸がチェックに来るかもしれないから、住めなくなってしまっただろ? ごめんな」
「だ、だって僕はもともと靖史が借りてるところへ、こ、転がり込んだだけなんだよ。あ、謝らなきゃいけないのはこっちのほうだよ。い、今までありがとうって」
「じゃあ俺が住むとこ決めて、勝男が決まってなかったら連絡してくれよ」
「う、うん。あ、あれ、もうこんな時間だ。そ、そろそろ仕事行く準備しないと」
 時計を見ると九時半を過ぎていた。勝男が仕事行くにはちょうどいい頃合だ。勝男は少し焦った表情で、急いで着替えている。
「頑張れよ。困った事あったら、いつでもここに来な。連絡もしろよ」
「う、うん。や、靖史もね。じゃ、じゃあ仕事行ってくるね」
 勝男が部屋から出て行く。
 俺はテレビを消して、再びブランデーを飲み始めた。

 

 

7 でっぱり - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

6でっぱり-岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)123456789どのくらい俺は眠っていたのだろうか……。何回か目を覚ましたが、意識が朦朧としていた。二...

goo blog

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 5 でっぱり | トップ | 7 でっぱり »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

でっぱり/膝蹴り」カテゴリの最新記事