岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

小説、各記事にしても、生涯懸けても読み切れないくらいの量があるように作っていきます

7 新宿フォルテッシモ

2019年07月19日 12時16分00秒 | 新宿フォルテッシモ

 

 

6 新宿フォルテッシモ - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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 山羽がいなくなってから一週間が過ぎた。『ワールド』にあの事件の事で警察が来る事はまったくない。あいつ、律儀に約束を守りやがって……。
 あの逃亡中だった店長は北海道で水死体となって発見されたらしい。自殺と警察は判断したようだ。
 以前山羽がいた頃、俺に大型連休がほしいと頼んで来た事がある。
 基本的に裏稼業は祭日など関係ない。正月であろうとお盆であろうと仕事は仕事だった。大型連休など無縁の世界である。
 仕事へ来て、日にいくらという日銭商売なので、休みを欲しがる者自体あまりいなかった。
「あの~、神威さん…。お話しが……」
 山羽が申し訳なさそうな顔で言ってくる。
「何だ?」
「前に自分には彼女がいるって話したじゃないですか」
「ああ、それで?」
「実は現在、北海道にいるんですけどちょっと四日…、いや三日間でいいのでお休みをもらえたらと思いまして」
 確かに今の時期、店はそこまで忙しくない。こいつもここで働いて三ヶ月は経つ。たまには構わないか。
 俺はそう思い、OKを出した。
 山羽は非常に喜び、飛び跳ねて嬉しさを表現していた。俺は二万円の金を自分で都合して持たせてやった。
「神威さん、ありがとうございます。おみやげを絶対に買ってきますから」
「北海道でしょ? じゃあ、まりもでも買ってきてくれよ」
 期日通り三日間で彼は北海道から帰ってきた。もちろん店のみんなにおみやげを持って。冗談で言ったつもりなのに、俺にはまりもを買ってきてくれた。緑色のフニュフニュしたやつである。『ワールド』の休憩室でまりもを飼いだす事にした。
 ある日、俺は自分の不注意でまりもの入ったガラスケースを落として割ってしまった。応急処置でまりもをグラスに入れて悲しむ俺。
 そんな俺に対し山羽は、ちゃんとした容器を買ってきてくれた。聞けばすっかり同じまでとはいかないが、仕事が終わったあと、東急ハンズに似たようなものが売っていたので買ってきたと言う。
 奴はそんな優しい一面も持っていた。
 彼女が北海道と言っていたが、もしかしたら山羽も自殺した店長も、みんな北海道出身で地元が一緒だったのかもしれない……。
 いくら想像したところで、山羽が捕まった今となっては何も分からない。
 島根は山羽が飛んだと思っているので、本気で怒っていた。俺は『利根川ストーカー殺人事件』の事を彼だけには伝えておく事にした。
 吉田は呑気に「これで遅番も休みが少なくなるから良かったですね」と馬鹿げた台詞を吐いている。その顔面に、思い切りパンチを打ち込んでやりたかった。



 すっかり暇になった遅番。営業で『サテライト』の人間が店に来る。『サテライト』とは競馬や競輪などのノミ行為をする裏稼業の事だ。JRAなどの日本中央競馬会から地方競馬まで、すべてのレースが買える。そのままだと何も変わらないので、『サテライト』では買った金額の十パーセントが戻るという特典や、二レース以上、一万円以上賭けるという条件つきで、五千円分賭ける事のできるサービス券もあった。
 営業できた醍醐という男は見るからに胡散臭そうな男だが、愛想だけはよく、毎週金曜土曜には競馬新聞もサービスで持ってきますとしつこく勧誘してくる。
「名前だけでも登録お願いしますよ。じゃないと僕、怒られてしまうんですよ」
 あまりにしつこいので、仕方なくその『サテライト』の会員になってやる事にした。まず『サテライト』用に偽名を考え、『品川隼人』とする。次に自宅の住所まで書いてほしいと言われるので仕方なく書いた。連絡先は携帯電話番号のみにしておく。
 名前だけと言ったはずなのに、醍醐は店にしょっちゅう電話をしてきて「神威さん、明日の競馬お願いしますよ」と繰り返し言う。元々賭け事が嫌いでない俺は根負けした形で新潟のレースを三つほどつきあう事にする。各レース共、馬連一点買いで予想し、一万円ずつ賭けた。
 こういう無欲な時に限ってギャンブルは当たったりするから面白い。三レース中、二レースも的中してしまう。金額にすると、三十四万円ほど浮いている。軽くつき合いのつもりで買ったから醍醐のいる『サテライト』に対し、悪いなあと妙な気分になった。
 このまま勝ち逃げなど、『ワールド』店長としての顔もあるのでできない。俺は醍醐のところへ電話をして、明日の日曜も二十万円ほどレースへ賭ける事にした。
 しかし数コール鳴らしても一向に出ない。本来なら明日は『サテライト』も一番忙しいはずなのに……。
 嫌な予感がした。俺は電話を切り、考えてみる。
 まさか『サテライト』を開始してすぐに、警察の手入れがあったんじゃないだろうか?
「考え過ぎだろ……」
 思わず声に出していた。
「神威さん、どうしたんですか?」
 島根が近づいてくる。俺は醍醐のいる『サテライト』の状況を話してみる事にした。
「ひょっとしたらヤバイかもしれませんね~」
「だろ? 日曜だって言うのに電話に出ないなんておかしいよな?」
「ですね……」
「ま、杞憂であってほしいけど」
 嫌な気分のまま朝十時を迎え、早番に仕事を引き継ぐ。帰ろうと店を出る時、電話が鳴った。浅田さんからかもしれない。俺は受話器を取った。
「四谷警察署の丸暴ですが……」
「……!」
 いきなり警察からの電話だったから、口から心臓が飛び出すかと思うぐらいビックリした。何故こんな朝っぱらから『ワールド』の電話に警察から電話があるんだ? しかも丸暴だなんて……。
「神威さんって方、いますか?」
「い、いえ、いません……」
 咄嗟に嘘をつく。店に警察から電話。しかも俺の名前を名指しだなんて、考えられるのは一つしかない。醍醐の『サテライト』は本当に警察の手入れにあったのだ。このままだと店にまで被害が及ぶ可能性がある。
「あ、あいつですね。うちの店、一週間ほど前に飛んでますよ」
「もう退職されたという事ですか?」
「は、はい……」
「連絡先は何か分かりますか?」
「いえ、もう辞めた人間ですので……」
「そうですか。分かりました。失礼します」
 電話を切ると、ドッと冷や汗が吹き出す。これで『ワールド』へ丸暴から連絡がある事はないだろうが、安心はできない。俺は早番へ、もし警察から電話があったとしてもノミ行為の件でだろうから、辞めたという事で口裏を合わせてくれと伝えておいた。
 醍醐の野郎、捕まって俺の情報まで吐きやがったのか……。
 店を出ると激しい怒りが体内の中を縦横無尽に駆け巡り出した。客の情報を警察に謳うなんて最もしちゃいけない行為である。あの時丸暴の刑事は確かに『神威』と言った。それは俺の本名などまですべて話したという事だ。偽名を使った意味がまるでない。
 いや、そんな事よりも、おそらく携帯電話にも電話が掛かってくるだろう。それをどう対処するかである。実際ノミ行為をしたが、口頭でしかやり取りをしていない。しかも俺は当たっているのに金をもらっていない状況なのだ。ここは白を切り通すしかないだろう。
「ん?」
 携帯を手に取ると着信履歴があった。仕事中は携帯を持ち歩く訳にもいかず、奥の休憩室へ置いていたから気づかなかったのか。『03』で始まる知らぬ番号。誰からだろう? 俺は電話を掛けてみる事にした。
「四谷警察署です」
「……!」
「もしもし?」
「あ、すみません。掛け間違えました……」
 慌てて電話を切る。『ワールド』に電話があった時より前に、警察は俺の携帯へ連絡をしていたのだ……。
 焦るな、落ち着け……。
 また警察からは必ず連絡がこの携帯にある。その時にどう対応できるかで俺の今後が左右される。

 帰り道、海老通りを通り掛かると『ラーメン阿呆一代』の看板が変わっていた。新しい店は『味自慢アゴ平』という名のラーメン屋になっている。とうとうあの店、潰れてしまったのか……。
 寂しい気分になったが、新しい店にも興味があったので入ってみる事にした。
「へい、らっしゃい」
 奥の厨房を見ると『ラーメン阿呆一代』のオーナーがいた。ひょっとして看板を変えただけなんじゃないのか? 少し嫌な予感がした。店内にはアゴとは何かを力説したものが長々と紙に書かれ貼られている。以前よりラーメンの料金も少し安くなっていた。
 ノーマルにラーメンを注文し、恐る恐る食べてみる。
 すげーまずい……。
 アゴとはトビウオの背油をとかいくら店内でうんちくを垂れようが、まずいものはまずいのだ。ここで食べるのはこれが最後だろう。俺は勘定をして外へ出る。
 少しして携帯電話が鳴った。先ほどの四谷警察署からだった。やはり来たか。俺は軽く深呼吸して電話に出る。
「神威さんの携帯電話ですか?」
「はい、何か?」
「四谷警察署丸暴です」
「俺、警察の世話になるような真似してませんけど?」
「醍醐って男を知っていますよね?」
 ここで知らないと答えるのは不自然過ぎて、変に勘ぐられるかもしれない。ここはちゃんと答えておくか……。
「ええ、名前ぐらいは」
「奴が全部謳ったんですわ」
「……!」
 いきなり揺さぶりを掛けてくるなんて、さすが毎日暴力団を相手にしているだけはある。しかしそれで俺まで醍醐と心中する訳にはいかない。
「新潟の三レース、馬連で三五に一万。七レース、同じく馬連で七十に一万。八レースも馬連で一二に一万。神威さん、全部で三レースにあなた賭けてますよね?」
「知りません。何ですか、それ?」
 白を切る事にした。うっかり誘導尋問に乗ると賭博法で引っ掛かる。競馬で当たった三十万以上の金が警察の手入れによって無効になったのは痛いが、しょうがない。
「あのね、醍醐が全部謳ったと言ったでしょ? どのレースにいくら入れたか。すべてこっちは分かってんですよ。勤め先も一番街の『ワールド』。お住まいは埼玉県川越市。偽名だと『品川隼人』って名前まで使ってますよね?」
 あのくそ野郎め。全部本当に謳ってやがる……。
「いいですか? 『ワールド』は一週間前にもう辞めてます。住んでいるところは当たっていますが、当時醍醐が店に来て、どうしても名前だけ貸してくれとうるさいから貸しただけの話ですよ」
 こうなったら白を切り通すだけだ。俺は覚悟を決めた。
「誤魔化すのはやめときましょう。あなたを含め、他に二十三名の人間の情報を聞いているんですよ」
「刑事さん、勘弁して下さいよ」
「今回は暴力団の資金源についての手入れだから、正直に言ってくれれば、あなたには何もありませんから」
 そんな台詞に誰が騙されるかってんだ。
「知りません」
「神威さん、一度詳しく署に来てですね……」
「それって強制って事でしょうか?」
「い、いえ、あくまでも任意ですが」
「じゃあ行きません」
「お願いしますよ、神威さん。捜査に協力して下さい」
 少し形勢が変わってきたぞ……。
「任意って事は別にこちらの自由で構わないって事じゃないですか。お断りします。俺、警察は大嫌いですから」
 過去、大和プロレスのプロテスト合格後、ヤクザとの乱闘騒ぎで警察に捕まった時の事を思い出していた。あれで俺は一年を無駄に過ごした……。
「いいんですか? 醍醐がすべて謳っているんですよ」
「刑事さん、一つ聞いておきます。あの醍醐ってヤクザ者でしょ?」
「まあ、そうですね」
「俺は一応一般市民ですよ? ヤクザ者の言う事を優先して信じ、一般人の俺は信じない。そう言う訳なんですね?」
「いえ、そんなつもりは……」
「じゃあ、何故そのまでヤクザ者の醍醐の言う事を妄信的に言うのですか?」
「とにかく一度署へいらして下さい」
「嫌です。お断りします」
「では醍醐にまた事情聴取してから連絡します。その時はまた電話に出て下さいよ?」
「嫌です」
「あなたがノミ行為をしたという証拠も残っているんですよ?」
「それはあくまでも醍醐の奴がでっち上げた記録上ですよね?」
「ま、まあ……」
「仮にですよ。醍醐の言っている事が本当だったとしても、俺は金のやり取りなど一切していません。あいつが店のノルマこなす為に、俺の名前で勝手に賭けただけなんでしょうけどね」
「と、とにかく奴にもう一度事情聴取してから……」
「刑事さん。醍醐、あの野郎を電話口に出せませんか?」
「それは無理です」
「じゃあ伝えておいて下さい。ヤクザ者のくせに、よくも俺を謳うような真似しやがったなと。出てきたら覚悟しといてくれってお願いします」
「それはね……」
「こっちはいい迷惑ですよ。向こうが名前貸してほしいって願いを聞いただけなのに、ノミ行為の疑惑まで掛けられ、丸暴の刑事さんからこうして電話まで掛かってきて。俺の気持ち分かりますか? 醍醐の奴が出てきて街をふらついていたら、歯を全部へし折ってやりますよ。その時は素直に警察の厄介になりますけどね」
「まあとにかくまた連絡しますから。ちゃんと出て下さいよ」
「はいはい」
 電話を切ると、早速四谷警察署の電話番号を着信拒否に設定する。これ以上、俺に何かをできる事は今のところないだろう。だとすれば、もう関わるのはごめんだ。
 それにしても醍醐の野郎。出てきたら本当にぶん殴ってやる。客の名前をチクるなんて一番やっちゃいけない事である。まあ出てきたところで俺以外にも二十名以上の客の素性を謳っているのだ。もう歌舞伎町を歩く事はできやしないだろう。

 我が『ワールド』を始め、各系列店の番頭役をこなす浅田さんは変わった人だ。
 ガタイは身長百八十センチの俺よりも大きく横幅もある。髪型も「男はパンチか角刈りや」と言うぐらいなので、どう見ても堅気には見えない。元々どこかの組員だったようだが、詳細を話してくれる事はない。ハッキリしているのは現在足をすっかり洗い、裏稼業の番頭をこなしているというぐらいである。
 一度酒を飲んでいる時に浅田さんの過去を聞いた事があったが、「兄貴分が亡くなってね……」と遠くを見つめながら寂しそうに言うだけだった。
 不思議な事に、あれだけの巨漢だが一切肉が食えないときている。以前俺が出前でミートソースを食べていたら、浅田さんが店にやってきて「神威君、うまそうなもの食べているね~」と笑顔で話し掛けてきた。俺は「浅田さんも食べます?」とおどけてみたが、真面目な表情で「いや、肉でしょ、これ」とミートソースを指差しながら言うものだから、つい吹き出してしまった。
「普段何を食べているんですか?」と聞くと、「麺類には目がない。一日一回は絶対に麺類食べているよ」と笑いながら答えた。
 その事もあり世話になっている浅田さんの誕生日には一度、茶そばの乾麺を一万円分プレゼントした事がある。苦笑しながら「こんな一気に食べられないよ~」と言う浅田さんだったが、嬉しそうではあった。
 他の系列店へ用事があり、仕事中街を歩いていると、細い道端で妙にでかい男が立っており、その回りを野良猫たちが数匹「ミャーミャー」と興奮気味に飛び跳ねている光景に出くわした。よく見るとその大男は浅田さんだった。浅田さんは野良猫に缶詰を買い与え、妙に懐かれている。この時で十年間、一日も休まず毎日野良猫へ餌をあげ続けたらしい。
 歌舞伎町にいる無数の野良猫。浅田さん曰く四つのポイントがあり、ある程度の時間になるとそこへ行く習慣になっている。
「ほら、神威君。ワイだと頭撫でさせる」と嬉しそうに野良猫の頭を撫でていた。俺が近づくと警戒され、野良猫たちは散ってしまう。なるほど見事なもんだなと感心した。
 一年ほど前に一度だけ法事で地元へ帰るようだった浅田さんから、猫の餌をあげてほしいと頼まれた事がある。『ワールド』に猫の缶詰をいっぱい持ってきて、「日帰りでとんぼ返りするけど、今日だけ餌お願いね」と心配そうに言う浅田さん。
「一日で餌代、どれぐらい掛けてんですか?」と聞くと、「一日二千円ぐらいかな~」と笑顔で答えていた。
 ある日、仕事が終わると浅田さんから電話があり、「ねえ、神威君ってUFOキャッチャー得意なんでしょ? 悪いんだけど、チョッパーと何とか船長っていうの取ってほしいんだけど」と言われた。
「チョッパー? 何とか船長? 何ですか、それは?」
「甥っ子にせがまれていてね。漫画の『ワンピース』とかいうやつに出てくるキャラクターらしいんだけど」
「『ワンピース』なら知ってますけど、キャラクターまでは……」
「いや、『ワールド』の向かいにあるゲームセンターにあるらしくてね。それを二つ取ってくれないかな?」
「お安い御用ですよ」
「もう仕事終わりでしょ? 今から『ワールド』に行くから待ってて」
 こうして俺と浅田さんは、二人揃ってゲームセンターでUFOキャッチャーをしに行く事になる。島根から「この二人が並ぶとヤクザにしか見えない」とからかわれた。
 ほとんどの物なら一発でゲットする自信がある俺も、台の設定次第では無理なものもある。『ワールド』の向かいにあるゲームセンターのUFOキャッチャーの設定はとても酷く、浅田さんが欲しがるぬいぐるみを取るのは至難の業だった。
「浅田さん、このアームの設定じゃ弱過ぎて無理ですよ」
「金ならワイが出すから頼むよ」
 浅田さんは五千円分両替して、俺が失敗する度台へ金を投入する。
「これじゃ無理です。絶対に取れませんよ」
「頼むよ。甥っ子に約束しちゃってたし……」
 このままだと一万円使ったところで取れやしない。悪戯に金だけ消費する。諦めるのが一番いい。でも浅田さんはそれじゃ納得できない。さて、どうする?
 俺は、とぼけた顔をしながら歩いている店員を怒鳴りつけ呼び寄せた。
「おい、コラ! これ、どうやって取れってんだよ? いくら使ってると思ってんだ?」
「え、あの、その……」
「どうしてもこのチョッパーと鳥みたいなぬいぐるみが欲しいんだよ。こんな設定じゃ、まったく取れねえじゃねえかよ」
「いえ、あの……」
 理不尽なのは百も承知。しかしそれ以上に浅田さんの希望を叶えたかった。店員にしてみたらいい迷惑ではあるが……。
 俺はひたすら脅してみた。やっている事はやさぐれ者と変わらない。
 店員は泣きそうな顔をしながら台のガラスを開け、チョッパーのぬいぐるみを取り出して「ど、どうぞ」と手渡してきた。
 その時浅田さんが「ねえ、こっちの何とか船長も欲しいんだけど、買うから譲ってくれないかな?」と優しく言った。浅田さんの風貌を見た気弱な店員は、さらに泣きそうな顔になり、ブルブル震えながら、もう一つのぬいぐるみを取り出した。
「それじゃ悪いから五千円あげるよ」
 いくら浅田さんが言っても、店員はガタガタ振るえながら「け、結構です。どうぞ、お持ち下さい」と言うだけだった。
 甥っ子にせがまれた物を手に入れた浅田さんは終始ご機嫌で、帰り際「神威君、ありがとう。ありがとう」と何度もお礼を言いながら五千円札を一枚くれた。

 今日は仕事明けに、『ワールド』初期にいた元従業員の大橋と五年ぶりに食事へ行く約束をしている。いい物を渡したいと常々言っていたが、一体何の事なんだろう。
 あいつ、ひょっとしたらホモなのか? 五年間、俺を食事へ誘い続ける真意がまったく分からなかった。そんな想像もしたくなる。
 警戒しながら大橋を待つ。朝の十時半になって、ようやく大橋から歌舞伎町へ到着したと連絡があった。
 久しぶりに会う大橋は、一瞬で重度のシャブ中だと分かる。まあこちらに実害がなければ本人責任なので、とやかく言っても仕方ない。
 コマ劇場の中にある洋食屋の『キッチン峰』で食事を済ませ、久しぶりの再会を楽しむ事にした。
「もうちょっとひと気のない場所へ行きません?」
 突然そんな訳の分からない台詞を言う大橋。
「何で?」
「いや、神威さんにいい物を渡すって言ってたじゃないですか」
「いい物って?」
「ここじゃ出せません」
 大方何か分かった。シャブ中の言ういい物…。すなわちシャブしかない……。
「それってまずい物だろ?」
「ええ、でもすごいいいですよ」
 慎重になったほうがいいな。俺たちはカラオケボックスへ行く事にした。
 元々シャブに興味のない俺は、正直どうでもよかった。懸命にジェスチャーを加えながらシャブの素晴らしさを語る大橋。何の魅力も感じない。
 大橋はビニール袋に入った百グラムほどのシャブを取り出し、俺に渡してきた。
「やる時はサウナとかでやったほうがいいですよ。職質受けたら一発で捕まりますから」
「何でサウナがいいの?」
「サウナだと汗を掻くじゃないですか。芸能人とかもそうなんですけど、みんな外でやる時は大概そうしてるそうですよ」
「う~ん、でも俺はいいよ。やり方とかも知らないし」
「鼻から吸ったり、アルミの上に乗せてから火で炙ったりと色々方法ありますよ」
「いや、でもさ、遠慮しとくよ」
「この量でいくらになると思ってんですか? 俺は神威さんに当時世話になって、これでも感謝してるんです。だからもらってもらわないと」
 こんな形で感謝されてもな……。
「でもさ、やっぱりいいよ。自分で使ったら?」
「セックスの時使うと、すごい気持ちいいですよ? 女のあそこにこれをちょっとだけ刷り込むんです。すると女は気が狂ったように悶えますよ?」
「え、ほんと?」
 俺も男だ。その辺になると、少しは興味が湧いてきた。
「ええ、病み付きになりますよ。使い過ぎには注意ですけどね」
 使い過ぎって、大橋自体すでに重度のシャブ中だろうがとつっ込みたかったが、やめておく。
 とりあえずもらうだけもらっておくか。俺はスーツのポケットにビニール袋に入ったシャブをしまう。今日は幸い休みだし、夜スナックにでも行って適当に女を引っ掛けるか。
 大橋と別れ駅へ向かうが、さすがに回りを気にしながら慎重に歩いた。職質でもされたら、俺は一発でアウトだ。いや、普段職質なんてされないんだから、堂々といつも通り歩いていればいい。下手にコソコソすると疑われるぞ。俺は自然体を装いながらも、西武新宿駅へ到着すると、一気にエスカレーターを駆け上った。

 昼になると布団に入り、目が覚めると夕方の六時。そんな間逆の生活のリズムを何年繰り返しているのだろう。
 完全に夜型人間になっていた。
 今までと違う点。それは俺の部屋にある引き出しの中に、百グラムほどのシャブがあるという事である。
 シャブで人生を駄目にした人間は非常に多い。俺の身近でも一人いた。新聞に載るぐらいの騒ぎを起こし、現在も刑務所の中にいる。俺はその久保山という男を思い出していた。
 今の『ワールド』がまだできる前の話である。当時『チャンピョン』という系列のゲーム屋があり、一時俺はそこで働いていた時期があった。
 そこに俺より一週間ほど早く入ったが久保山だ。彼は俺より三歳年上だが、相撲上がりという異質な経歴の持ち主だった。体重は百二十八キロで、身長も俺より若干高い。相撲を辞めたあと、料理人の道を歩き、歌舞伎町へ辿り着いたそうだ。プロレス上がりでバーテンダーという過去を持つ俺は、この久保山に対し妙に親近感を覚えた。
 入ったのもほぼ同時期という事もあり、俺と久保山は仕事が終わると一緒に食事へ行く機会が増える。一ヶ月ほどして『ワールド』をオープンする事になり、俺は新天地へ。久保山はそのまま『チャンピョン』へと残った。
 店が違っても同じ系列店だったので、お互い連絡を取り合い、休みが合うと酒を飲みに行くぐらい仲が良かったのだ。
 ある日、他の店に用があり歌舞伎町の街を歩いていると、久保山がヘルスの店員に囲まれている場面に遭遇した。久保山を囲む店員は全部で六名。只事ではない様子だったので、俺は首をつっ込む。
「何かあったんですか?」
「このお客さんが店の子に本番を強要したんですよ」
「……」
 何とも嫌な場面に出くわしたものである。風俗にハマっていた久保山は、給料のほとんどをヘルスなどの風俗につぎ込んでいた。おそらく本番なしのファッションヘルスの店で、嫌がる風俗嬢へ強引にチンチンを入れようとしたのだろう。しかしこのまま久保山を放って逃げ出す事もできない俺は、「久保山さん、本当にそんな事したの?」と聞いてみる。
「する訳ないじゃん」と久保山。店員たちは「女の子からちゃんとこっちは聞いているんですよ」と押し問答を繰り広げ出した。このままでは埒があかない。
「おい、オメーらよ? 客がしてねえって言ってんのに、大勢で取り囲んで何をするつもりだ? 場合によっちゃ只じゃすまねえぞ」
 とりあえず怒ったふりをして、店員たちを怒鳴りつける。無関係の男にいきなり怒鳴られた風俗店員たちはシーンと静まり返った。
「行きましょう。客に対して失礼な連中だな」そう言いながら俺は久保山の手を引き、その場から強引に退散した。
 風俗店から離れると、「ほんと頼みますよ、久保山さん。逆切れしたふりで何とか誤魔化せたからよかったものの、本当はやろうとしたんでしょ?」
「エヘヘ」
「エヘヘじゃないですよ、ったく……」
「だってさ、あの店の女、これで指名するの十回目ぐらいだよ? いい加減やらせてくれたっていいじゃないと思わない?」
「思いません。それに嫌がる子に強要はいけない事ですからね」
「まあこれであの店には行けなくなったから、別の店でいい子探さなきゃ」
 懲りる様子が微塵もない。久保山とはこういう性格の男だった。
「そんなに本番したいなら、いい店紹介しますよ」
「え、ほんと? どこ? どこ?」
「俺の地元に『本サロ』の店が一軒あるんですよ」
 この『本サロ』とはピンクサロン、略して『ピンサロ』の本番行為ができる店である。埼玉県西川口で『本サロ』が流行り出し、『西川口流』という言葉が生まれたほどだった。我が地元川越でもそれに便乗して『西川口流』と謳っている店が、本川越駅前に一軒だけある。
「そろそろ仕事終わる時間でしょ? 終わったら教えてよ、そこ」
「こんな朝っぱらからはやってないですよ。川越は大人しい街なんですから」
「じゃあ、神威君の次の休みっていつ?」
 あまりにしつこく聞いてくるので、仕方なく休みの日に俺は、久保山を地元へ招待する事にした。酒をご馳走し、いい感じに酔った状態で『本サロ』の店へ行く。俺もその店は初めてだったので、どんな女がいるかはまったく分からない。
 いざ入ってみると、店内は薄暗く女の顔がハッキリ見えないようになっていた。俺と久保山は別々の席に座らされ、隣には妙に太った女が座ってくる。
「あのさ、ここ初めてなんだけど、どういうシステムなの?」
「まず最初に三千円いただきます。で、お酒を飲みながら最大で女の子が三人席につきますので、気に入った子を決めたら、あそこのカーテンの奥へ行って本番といった感じですね。料金はプラスで女の子に一万円払うようですけど」
 少なくてもこの女を指名する事はなさそうだ……。
 久保山が一人目についた女の手を引いて、カーテンの奥へ消えていく姿が視界に映る。俺は太った女が作ったまずいウイスキーを飲みながら、タバコへゆっくりと火をつけた。
「あの~、お客さん。私でいいですか?」
「ん、何が?」
「え、あの、本番……」
「い、いや、あのさ、今日は俺、連れのつき合いで来ただけだからさ、ハハハ……」
 俺がそう言うと、太った女は黙って席を立ち、その場から去っていく。少し可哀想な気もしたが、しょうがない。俺にだって好みはある。
「お待たせ~」
 年季の入った声が聞こえ振り向くと、思わず言葉を失う。次にやってきたのは掃除のおばちゃんかと思うぐらい年のいった方だった。走って逃げ出したい気分になる。
「あら、お兄さん、いい男だね~」
「あ、ありがとうございます」
「どう? 私、すごいテクニックあるよ」
「いや、あのですね……」
「何だい、若い子じゃないと駄目って言うのかい?」
「いや、今日は連れの付き添いで来ただけですので」
「せっかく来たんだから楽しんでいきなよ、ね?」
「いえ、お言葉ですが……」
「こんだけ会話が盛り上がってんだからさ。お兄さん、私にしちゃおうよ?」
「ご、ごめんなさい…。勘弁して下さい……」
 俺はテーブルの上に三千円を放り投げるようにして、その店から飛び出した。久保山が出てくるまで外でタバコを吸いながら待つ。三十分ほど経つと、久保山が満面の笑顔で店から出てきた。
「いや~、いい店だね~」
 この男はやれれば何でもいいのか……。
 この日以来、仕事帰りに西武新宿駅で久保山を見掛ける事が多くなった。確か彼が住んでいたのは葛飾区だったような気がしたが。
「何で久保山さんが、ここにいるんですか?」
「いや、店から西武新宿近いでしょ? JRの新宿駅まで歩くの面倒だからさ、高田馬場まで乗って、それから新宿駅へ行こうと思ってね」
 嘘にも程がある。あえてそんな面倒な乗り方をするような奴は誰もいない……。
 久保山はあれ以来、川越の『本サロ』の店にハマったようである。
 そんな彼が何故極度のシャブ中になったかと言うと、以前『チャンピョン』に働いていた従業員の小林という男からシャブを勧められたのだ。ゲーム屋を辞め、ヤクザ者になった小林は、シノギでシャブを扱うようになった。まずは知っている人間からと、様々な人間にシャブを勧めたが、誰一人引っ掛からない。そこで同じ店にいた久保山へ「シャブやると一気に痩せるよ? 痩せれば風俗の女もすぐにやらせてくれるって」と囁き、馬鹿な彼は悪魔の誘いに乗ってしまったのだ。
 シャブの効果は絶大で、たった三ヶ月で百二十八キロあった久保山の体重は、七十二キロまで落ちた。途中で気づいた段階で俺は何度もやめるよう諭したが、「分かってるよ」と生返事をするだけで、彼は部屋に帰ると毎日のように打っていたようだ。
 あれだけでブで汗っかきだった久保山は、『シャブ汗』と呼ばれる首筋しか汗を掻かなくなる。
 やがて店からもらう毎日の『デズラ』だけで済まなくなった彼は、トイチ、トザンといった高利貸しから金を借りる。ここまで来ると、どうしようもない。
『チャンピョン』には毎日のように督促で金貸しがやってくるようになり、シャブのやり過ぎで久保山は声すら満足に出せない状態になっていた。当然店はクビになり、金貸しから逃げ回る人生へと変わる。
 一度逃げている彼から電話があった。
「神威君、助けて……」
「久保山さん…、何でシャブなんてやったんですか……」
「だってしょうがないじゃん…。痩せたかったんだ」
「いくらあるんです、借金は?」
「ご、五百ぐらい」
「無理ですよ。俺にはどうする事もできません」
「そっか……」
「久保山さん、一から出直して奇麗になったら、また酒でも飲みましょう」
「そ、そうだね…。ごめん、神威君」
 非情だが、これしか言いようがなかった。彼の為に五百万円もの借金を被る事はさすがにできない。
 その後、風の噂で久保山はシャブを勧めた小林のいる組に入ったと聞いた。そして組の金を盗みトンズラをして、地方のストリップ劇場で住み込みの仕事をしたと言う。
 ヤクザの包囲網は金が懸かってくる分、警察よりもすごい。あっという間に見つかった久保山はヤクザに連れられ、高速道路を運転しながら新宿へ帰るハメになる。組の金を持ち逃げしたのだ。新宿に到着したら、下手すれば殺される。そう感じた久保山は、運転中ワザと他の車にぶつかり、そのまま中央分離帯へ突っ込んだ。
 騒ぎを聞きつけやってくる警察。久保山は一人の警官の銃を取り上げ、警官に向かって発砲した。実は警察の拳銃、一発目は空砲なので殺傷能力がない。そこで二発目を打とうとした時、警官に取り押さえられ、未だ刑務所の中にいる。
 殺されるよりも、刑務所を彼は選んだのだ……。
 そんな久保山の事を俺は時たま思い出す。

 家の隣にある小料理屋へ入る。ここは世話になっている先輩の長谷部さんが十年近く勤めている店でもあった。多くの常連客たちに囲まれながら、長谷部さんは楽しそうに今日も仕事をしている。歌舞伎町一番街の大火事の時、真っ先に電話をくれたのはこの長谷部さんである。長男だった俺はずっと兄貴が欲しかった。三十歳になった今でも兄貴がいたらなと思う事がある。そんな幻想に重ね合わせたのが長谷部さんであり、パソコンを教えてくれた最上さんだ。俺にとっていい兄貴分的な存在だった。
「長谷部さん、今日俺、すごいの持ってんですよ」
「何だ、この歌舞伎町のヤクザの用心棒が」
 長谷部さんの冗談は、たまに洒落にならない時がある。中には周りの客で、そんなデマを本当に信じる奴もいた。
「勘弁して下さいよ。そんな事、した事すらないですからね」
「すごいのって何だ?」
「ああ、これです。以前いた部下がシャブ中になってて、何故か知りませんがこれをくれたんです」
 テーブルの上へビニール袋に入ったシャブを置く。その途端カウンター席にいた客たちが一斉に引き出した。
「おまえ、これ、尋常じゃない量だぞ? 大丈夫なのか? まさかやったりしてないだろうな?」
「もちろんですよ。やったら最後ですからね。この鍛え抜いた筋金入りの体も、あっという間に廃人まっしぐらじゃないですか」
「どうすんだよ、それ?」
「う~ん、もらったはいいけどどうしましょ?」
「うまく捌ければ、かなりの額になるだろうな」
 もちろんそんな気など毛頭ない。現在も臭い飯を食っている当時仲間だった久保山。彼を見て、シャブの怖さは身に沁みて分かっている。
 そこに団体客が来て、店は急に忙しくなった。俺は黙々とグレンリベット十二年を飲みながら、ただ時間を潰す。
 しばらくして俺の隣で、一人の女が寂しそうに酒を飲んでいた。こういう時簡単に声を掛けられれば、いいきっかけになると分かっているのにできない俺。こんなんだから未だ彼女の一人もいないのだろう。
 自分ではそんなブ男だと思っていない。どちらかといえば女受けはいいほうだ。それなのになかなか彼女ができないでいた。いいところまで行くのに何故か相手が不自然に去ってしまうケースが多い。いつも歯痒さを覚えていた。
「すっぽかされちゃった……」
 横で声が聞こえる。
「私、すっぽかされちゃった……」
 え、俺に言っているのか? 慌てて振り向くと、カウンター席に座る二十台半ばの女が、俺に向かって寂しそうな表情で言っていた。
「え、すっぽかされちゃったって?」
「だから振られちゃったって事……」
 少し酔っているようだが、呂律はちゃんと回っている。ひょっとして俺を誘っているのだろうか?
「そうなんだ。君みたいな美人をすっぽかすなんて、何を考えているんだろうね」
 実際は声に出して言っているほどの美人ではない。ブスではないが、ごく普通の女である。可もなく不可もなくと言ったところか。
「酷いよね。自分でここに来いとか言っといてさ」
「電話とかしたの?」
「うん。全然出てくれない」
「そっか……」
「私、変な力があるからかな~」
「変な力?」
「うん、たまに不思議なもの見えたりするんだ。彼氏、その事を言うといつも怖がりだから気味悪がってね……」
 ひょんな事から面白い展開になりそうだ。俺は下心を持ちながら、彼女の話を聞いた。

 

 

8 新宿フォルテッシモ - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

時計を見る。もう夜中の三時を回っていた。今日は、この子の愚痴を聞くぐらいにしておいたほうがいいかな……。彼女の口から出るのは、彼氏への悪口だけだった...

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