岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

闇 51(雀會判子と和菓子と澄夫さん編)

2024年10月05日 11時18分59秒 | 闇シリーズ

2024/10/05 sta

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川越市連雀町のお囃子連、雀會。

まだお袋がいた頃、八つの習い事を強引に通わされていた俺。

勉強塾。

水泳教室。

習字教室。

絵画教室

ピアノ。

合気道。

体操教室。

そしてお囃子。

お袋が出ていく小学二年生の冬まで、一週間一度も休みの日も無くひたすら通わされた。

出て行って自由になれ、俺はピアノとお囃子以外すべて辞める。

二十九歳、ジャンボ鶴田師匠が亡くなった年に出た総合格闘技で、合気道所属と嘯いて出場したのも、全日本プロレスの名前を出すわけにいかないという部分もあったが、幼少期合気道を習ったというのもあった。

ピアノの先生は俺にとても優しかった。

一切鍵盤に触れず、当時子供だった俺の愚痴をひたすら聞いてくれ、帰り道は一緒に送ってくれたものだ。

しかも蓮馨寺にあったピープルランドのゲームセンターで、好きなようにゲームまでさせてくれた。

だからこそピアノだけは小学卒業まで続いた。

今思えば俺のただの甘え。

だけどそれが当時の心境をかなり救われたのも事実。

自衛隊の入隊を決め、高校時代ピアノの先生へ会いに行くと、家族から「二度と来ないでくれ」と謎の拒絶をされたっけ。

現在三十三歳だから、あの時から十五年経つ。

あれだけ可愛がってくれた先生の家族は、何故俺を拒絶したのか未だ分からないでいる。

モヤモヤが残るが仕方ない。

お囃子を続けたのは、やはり川越祭りで山車の上に乗り太鼓を叩くのが楽しかったからだ。

雀會の子供の部を小雀と呼んでいたが、俺はそこで太鼓を叩き、お面をつけて踊る。

雀會が栗原名誉会長の時代の頃。

様々な大人の人が、俺を可愛がりお囃子を教えてくれた。

ニンバ、オーフューヒャ、サイといったお囃子

ちゃんとやったからこそ、今でも覚えている。

七つ年上の始さんは大人に混じって太鼓を叩く。

ちょっとした合間によく面倒を見てもらう。

祭りが始まると栗原名誉会長宅でご馳走が並べられ、ワイワイ賑わいながら食べるのが好きだった。

小林澄夫さんも俺を見ると目を細めて可愛がってくれ、当時家でやっていた美味しいステーキを食べさせてくれる。

そんな中、親父だけは俺に厳しかった。

少しでも太鼓を間違えると、鉢で手首を叩かれる。

自分の子供には厳しく接しようとしていたのだろうけど、当時の俺は泣くだけだった。

そんな時後輩の修一の親父さんや始さんが、必ずフォローしてくれる。

俺の姿を見て、町内の同級生たちは親父にビビりみんな雀會を辞めた。

俺も気付けばいつの間にか稽古へ行かなくなる。

幼少の頃の苦い思い出。

それでも俺は毎年十月になると休みを取り、川越祭りに参加した。

昔と同じように栗原名誉会長宅へお邪魔して、ご馳走を食べながら酒を飲む。

楽しい想いのある雀會。

その均衡が壊れ、バラバラになっていると嘆くタンベさん。

少しくらい雀會へ恩返しがしたかった。

 

あれ以来彼女だった百合子から連絡は当然無い。

勢いで口論になり、勢いで別れ、勢いで自分の子供さえおろそうとしている俺。

あれだけ親父の事を凶弾し毛嫌いしていたが、俺のほうが人として最低じゃないか。

百合子がまったく連絡に応じなくなった今、打つ手はもう何も無い。

ならせめて誰かの役に立ちたかった。

仕事も駄目で金が稼げない状況。

西武新宿駅の小江戸号で一件。

取り巻く環境は最悪だ。

今日はこれから小林澄夫さん宅へ向かう。

事前に祭りの件で話がしたいと連絡していたのだ。

久しぶりの再会を澄夫さんは奥さんと共に目を細めて歓迎してくれる。

「俺、小さい頃から澄夫さんら町内のみなさんに本当可愛がられて成長したじゃないですか」

「智ちゃんはいくつになったんだい?」

「もう三十三ですよ」

「あの智ちゃんが本当に大きくなったなあ……」

親父より一回り年上の澄夫さん。

よく家で親父の部屋にも遊びに来ていたし、俺の成長を昔から知っている。

腹を割って澄夫に話を聞くと、雀會を辞めたは、どうやら始さんとタンベさんの弟のアキさんの二人と揉めたのが原因らしかった。

みんなが祭り好きで、会の事に対し様々な思い入れがある。

意見の衝突から、エキサイトした始さんが澄夫さんに掴み掛かろうとして骨折させてしまう。

澄夫さんは初老だし、暴力的になるのは間違いだ。

そんな澄夫さんに対し、唯一同情的だったのがうちの親父。

怪我をした澄夫さんに他の人がつかなかったというのは、別の原因もあるような気がした。

おそらくではあるが、これはあくまでも俺の推測である。

じゃないと澄夫さんと親父の二人だけなんて中々ならない。

「澄夫さん、もう怪我は大丈夫なんですか? 俺は小さな頃から澄夫さんに可愛がってもらい、ここまて成長してきました。澄夫さん、今は老人会のほうにいるんですよね?」

「ああ、もう雀會は辞めたしね」

「澄夫さん、悔しい思いしたって、祭りは大好きじゃないですか。だから形を変えても祭りに関わる事をしています」

「……。うーん、まあそれはそうどなあ……」

「始さんやアキさんだって祭りに対する情熱…、やっぱりあの二人も祭り大好きなんてすよ。もちろん澄夫さんへ暴力振るう事になったのは駄目ですよ。意見の衝突とはいえ、向こうが全面的に悪いです」

「……」

澄夫さんは下を向き、難しい顔をしている。

「俺なんて祭りにならないと顔出してませんけど、澄夫さんを始め、町内のみんなは全然熱量がちがうじゃないですか。澄夫さんたちがそうやって地元貢献の精神でいてくれたから、俺は今でも祭りは好きだし、感謝もしています」

「……」

「俺ね、子供の頃、澄夫さんたちに可愛がられてお囃子も教えてもらって…、そんな恩義がある人が祭りへ参加しているのに、いまいちスッキリしていない……」

「いや、智ちゃんよ…。俺はもうこのままでいいんだよ」

淋しそうな表情で澄夫さんは口を開く。

「駄目ですよ! 俺がそれじゃ納得できないんです! 俺が小さい頃もっとみんな笑顔で仲良くやってたじゃないですか。だから今回勝手に出しゃばって雀會で個々に揉めている膿を出そうって、俺一人で勝手に始めました」

「智ちゃん……」

「やっぱ最初はね…、俺、一番澄夫さんに可愛がってもらって記憶がデカいんですよ。今こうして思い出したって。澄夫さんがステーキ屋やっている時、美味いステーキご馳走になったのだってしっかり覚えています」

「……」

「だから膿を出すのにいの一番に、まず澄夫さんのところ来て話そうと思ったんです」

「智ちゃん…、ありがとうな……」

「澄夫さん、今ね、雀會の若い連中、昔の頃が楽しかったって言うの多いんですよ。澄夫さんや栗原会長…、あと俺の親父たちが築き上げた雀會がいいって」

「そうだなあ…、昔は楽しかったよなー……」

上を向き懐かしそうに澄夫さんは微笑む。

「俺ね、澄夫さんがまだ俺を可愛がってくれてるの知っているんてすよ。だから今俺が一人で何とかしようとしてる事、まず澄夫さんが協力して下さい!」

深々と頭を下げる。

「協力ったって、俺に何ができるんだよ……」

「多分、祭り好きな癖にみんながみんな、俺が俺がって自分の意見を言い合っちゃってるから、おかしくなり、下の世代が悲しむんです。祭り好きで時間割いてみんなが参加する。ならば、一人一人が自身の自我をちょっとずつ引っ込めればいいだけだと思うんですね」

「うん、それはそうだ」

澄夫さんは大きく頷いてくれる。

表情も前より全然優しい顔だ。

「それで智ちゃんは俺に協力って何を……」

「もう充分ですよ。俺ね、協力なんて変な言い方しましたけど、澄夫さんにまずこの事を話して心から納得してほしかったんです。澄夫さんの今の顔が見たかったんです」

「俺も年を取って、若い世代へあとを任せる時期が来たんだなあって感じるよ……」

「何を言ってんですか! 澄夫さんは連雀町の顔の一人てすよ。俺にとってガキの頃からお囃子の人ってなると、まあ親父がいて、澄夫さんがいて、栗原会長がいて…。それが俺にとっての雀會でしたからね」

恥ずかしそうに澄夫さんは笑った。

「智ちゃんの考えはよく分かった。俺は智ちゃんに一任するよ」

「ありがとうございます!」

「智ちゃんにはこれからの雀會を担ってもらってさ……」

「澄夫さん! それは駄目ですよ。俺は子供の時に会を抜けて、祭りだけ自由に出てきている人間です。みんな熊野神社で週に一度欠かさず練習してきての雀會ですよ。親父の長男ってだけで雀會なんて言ったら、誰も納得しないし、誰も得しません」

「じゃあ何で智ちゃんは今回こんな話を……」

澄夫さんには子供をおろす事を知らせて、変に心配させたくなかった。

それに今回の一件に至るまで話には時間が長過ぎる。

「一応二代目会長の長男って立ち位置だけはあるんで、もちろん俺にだって何の得も無いですよ? だからこそ汚れ役じゃないけど、こういう風に動けているんです。雀會の責任も何も、俺には無いですからね」

俺はこの先の展開を話す。

まず始さんとタンベさんの仲。

そこへうちの親父も入れる。

次は現会長の高橋さん。

澄夫さんの事情も聞いたから、そこまで達成できてから、始さんから澄夫さんへ謝ってもらう。

そしたら最後に栗原名誉会長。

多分これでみんなが喜ぶ雀會になっていくんじゃないかと説明した。

「俺、最終的には澄夫さんと栗原会長がみんなの前で仲直りの握手まで狙ってますけどね」

「そんな年寄りを虐めるなよー」

そう言いながら澄夫さんは笑顔だった。

 

次はタンベさんと始さんか。

澄夫さん家から斜め向かいにある喫茶店ポケットマネーへ二人を呼び出してある。

澄夫さんを説得させ、これから向かえばちょうどいい時間だ。

百合子がこれから俺たちの子供をおろそうとしているのに、一体何をしたいるんだろうな……。

いや、何もできる事が無くて気が狂いそうだからこそ、俺は誰かの為に動いていたいのだ。

ポケットマネーへ入ると、先にタンベさんがいた。

「智一郎…、おまえが言うから一応来たけどさ、始の奴来るのか?」

「もちろん来ますよ。ちゃんと話していますから。とりあえずタンベさん、飲み物はコーヒーでいいっすよね?」

「あ、ああ……」

マスターへコーヒーを二つ注文する。

するとドアが開き、始さんが入ってきた。

「あ、マスターごめんなさい。コーヒー三つで」

「あいよー!」

タンベさんの姿を見て、立ったままの始さん。

「あ、始さん、座って下さいよ」

腰を下ろしてから、お互い他人行儀に「久しぶり」と挨拶を交わしている。

気まずそうな二人。

とりあえず俺から話を始めなきゃ。

「始さん…、今日はいきなりしゃしゃり出てしまってすみません。雀會の皐月ちゃんの件なんですよ」

「それはな、あいつにも言ってるけど、高校を卒業したら好きにしていいと言ってあるんだよ」

始さんは明らかにイライラしている。

「それは分かるんですけど、皐月ちゃんにとって大切な時期だと思うですよ」

「親が雀會辞めているのに、娘がいるのはおかしいだろ?」

「それならうちは親父が雀會なのに、俺は辞めているじゃないですか。大事なのは本人の気持ちだと思うんですよ」

「だから皐月には高校出たら好きにしていいって言ってあるんだ」

あくまでも始さんは意固地な姿勢を崩さない。

そろそろタンベさん引きずり込むか。

「始さん…、俺ね。先日知子さんところ飲みに行ったら、タンベさんグダグダに酔っ払って今の雀會の事で悩み、涙まで流していたんですよ」

「おい、智一郎!」

慌ててタンベさんは身を乗り出す。

俺は構わず続けた。

「それで話を聞いている内に、始さんが皐月ちゃんに雀會辞めろってなって、昔は家族ぐるみで仲良くしてたのにって、散々愚痴っているんですよ」

「だから皐月は高校を……」

「始さん! タンベさんは始さんと仲良くしたいんですよ!」

「……」

「今までお互い言いたい事も言い合わないで、始さん雀會辞めちゃったから、タンベさんはその手段が無いんです。今日俺が出しゃばったのは、二人が好きなだけ罵りあって、お互い膿を出してほしいなと……」

自分で話していて、何でこう俺と関係ないと口がこう回るのか不思議だった。

百合子へもっとうまい具合に話せていれば……。

違うだろ。

だから今こうして誰かの為に俺は動いている。

「ね、タンベさん! 俺、間違った事言ってないつもりっすよ」

「あ、ああ……」

「始さんもタンベさんに言いたかった事言っちゃって下さいよ。本当にこじれたら全部あとで俺のせいにしちゃっていいですから」

二人はボソボソと話し出した。

中々先に進まない。

「始さん! タンベさんは時期会長じゃないですか。タンベさん優しいしいい人だけど、毒が足りないのが始さん気に食わないんですよね?」

「ん…、ま、まあ…、そうだな……」

「だから今日は言いたい事を言って膿出しちゃいましょうよ! とりあえず名目はパクられてた俺が出てきたから、ぶっちゃけパーティーです」

「え? 智一郎、捕まっていたのか?」

俺の台詞に驚くタンベさん。

始さんには出てきた時、話をしてあるので理解はあった。

「そうなんですよ。…と言っても刑事拘留で二日、検事の嫌がらせで十日プラス十日の二十二日間ですけどね。もちろん不起訴ですよ。だからうちのおじいちゃんには、絶対言わないで下さいね」

「わ、分かったよ」

その時俺の携帯電話が鳴る。

ひょっとして百合子からか?

画面を見るとメールで、始さんの奥さんの弘恵さんからだった。

「ちょっとメール入ったので、二人で膿を出し合ってて下さい」

何とかスムーズに話し出しているのを確認してから、俺は外に出てメールを確認する。

『智一郎君、うちの連れて行きましたが、大丈夫なんですか? ちょっと心配で 弘恵』

昨日始さんところ行ってポケットマネーへ来るよう誘ったが、奥さんである弘恵さんにはいまいち説明不足だったよな……。

弘恵さんからしてみれば、始さんはもう雀會を辞めた人間だから、今さら町内の人間集めて何をするのか心配になるのは当たり前だ。

『とりあえず今タンベさんとお互い膿を出し合っているところです。そんな心配せず、大船に乗ったつもりでいて下さい 智一郎』

メールを送り店の様子を見る。

二人は笑いながら昔話をしていい雰囲気になっていた。

よし、注射するか。

俺は親父へ電話を掛け、雀會の件で話があるからポケットマネーへ来るよう伝えた。

「何でおまえが雀會の件に絡んでいるんだ?」

親父とは元々ずっと仲が良くない。

不信感満載なのは百も承知だった。

「さっきね、俺、澄夫さんとも話してきたんだよ」

「話すって澄ちゃんと何を話したんだ!」

「そんな大声出すなよ。これからの雀會の事だよ」

「オメーには関係ねえじゃねえか!」

「無いよ。関係無いけど、親父が来なきゃいけない状況になってんだよ」

「オメーふざけやがって」

敵意剥き出しの親父。

「別にふざけてないよ。とりあえず澄夫さんの顔を立てる意味でもちょっとポケットマネー来てよ」

しばらく無言のまま、短く返事をして電話を切る親父。

それではレッスンスリーに入りますか。

 

親父が来ればあの雰囲気なら、始さんとも勝手に雪解けするだろう。

俺はタイミング見て、さらに注射すればいいだけ。

外でタバコを吸っていると、親父の姿が見える。

「まったくテメーはよー……」

苦虫を噛み潰したような親父の表情。

「まあいいから中入って」

半ば強引に親父をポケットマネーへ招き入れる。

タンベさんと始さんの会話は止まり、親父の姿に注目していた。

「さ、智さんお疲れ様です」とタンベさん

始さんは具合悪そうに「お久しぶりです」とだけ口を開く。

外面は天才的にいい親父。

俺が何もしなくても、この場へ引き摺り出すだけで何とかなるだろう。

「親父、コーヒーでいい?」

「馬鹿野郎! 酒に決まってんだろ!」

大して親父は酒が強くない。

少し酒が入るといきなり上機嫌で場を制し、陽気に話し出す。

ふん、本当に扱いやすい馬鹿だ。

始さんもタンベさんも、親父のペースで楽しそうに酒を飲んでいる。

「マスター、俺、ビビンバ炒飯もらえます?」

ただ働きでこう動いているのだ。

ここの会計は親父へ付けてやろうではないか。

料理ができる間、始さんの奥さんの弘恵さんへ『安心して下さい。いい方向へ物事進んでいます』と短いメールを送信。

続いて始さんの同級生であり現雀會メンバーの松永さんへ電話を掛ける。

「おう、どうした、智一郎」

「松永さん、時間あったら今すぐポケットマネー来てくれますか?」

「まあ、別にいいけど」

「それで来る前に、できるだけ雀會の若手片っ端から誘って連れてきて下さい」

「はあ、雀の若手? 何でだよ?」

「説明すると長くなるんですけど、頼みますよ! 松永さんしかお願いできないんですよ」

「まあいいけど…。そういえば智一郎の店、女の子入ったのかよ? ホームページあれじゃ全然進まないぞ?」

「まあその話はあとでしますよ。とりあえず若手をお願いしますね」

「分かったよ」

「あ、松永さんもビビンバ炒飯食べます?」

「ビビンバ炒飯? 何だ、そりゃ? あ、ポケットマネーのか。だったら焼き鮭定食がいいなあ」

「了解しました、頼んでおきますね、うちの親父の奢りで」

電話を切ると、同じく雀會メンバーの知子にも連絡をして、若手を連れてポケットマネーへ来るよう促す。

計画通りレッスンスリー、無事終了になるかな。

 

すっかりただの飲み会になったポケットマネー。

親父もタンベさんも始さんも、みんな普通に笑顔で酒を飲みつつ話が弾んでいる。

そこへ松永さんが登場。

中の様子を見て一瞬固まっていたが、始さんの隣に腰掛け酒を飲み出す。

「松永さん、若手は?」

「あ、ああ…、急だったからシュンしか来れねえよ」

「八百屋の修ですか?」

「違うよ。花屋のシュンだよ」

「一人だけ?」

「しょうがねえだろ、智一郎が急にここへ来いって言うから」

「ケッ…、使えねえなあ……」

おどけてからかってみた。

「テメー、智一郎! おまえなー……」

「冗談ですよ、冗談。そのシュンとやらはいつ来るんです?」

「おう、もうじき来るだろ」

ドアが開き、若手のシュンが入ってくる。

俺たちの様子を見るなり「うわー、何だか昔の楽しかった雀會みたいだー」と喜んでいた。

「おう、シュン。そこへ座りな」

「あれ、智一郎さんじゃないですか! どうしたんです?」

「いや、この景色を若手に見せておきたくてな。悪かったな、急な誘いで。あ、ちょうど焼き鮭定食が来た。シュン、腹減っているか? これ食いな」

「智一郎! 俺のじゃねえのかよ!」

松永さんがいきなり絡みだす。

「またマスターに作ってもらいますよ。松永さんは親父たち頼みますよ」

とりあえず狙い通りって感じで進んでいるな。

再びドアが開く。

スナック姉ちゃんの知子が入場だ。

ん?

誰か連れてきたな。

俺は知子が連れてきた人間を見て、一気にトーンダウンした。

雀會の会員でも何でもない長子を連れてきやがった……。

この女、過去にちょっとした因縁があったのだ。

 

2003年のピアノ発表会のあとから数ヶ月経った頃の冬だった。

当時発表会にも来てくれなかった春美。

俺は彼女の為にピアノを弾いた。

一人の女さえ振り向いてくれないピアノなど、俺には意味が無い。

そう悟った俺は、発表会を最後にピアノを辞めた。

まだ百合子と出会う前の話。

自暴自棄になり、色々な女を抱いた。

たまたま酔った勢いで知子のスナックへ行き、酒を飲みながらパソコンを開いて自分の演奏映像を見ている時だった。

カウンター席の俺の横に座っていた女が、「ピアノを弾かれるんですか?」と声を掛けてくる。

何だ、この女、突然……。

身構える俺。

「あ、智君、私の友達の長子って言うの」

先輩の知子が間に入る。

「ピアノ上手なんですね」

自分の演奏を褒められるのは照れ臭いが、悪い気はしない。

俺は気分良く深酒をした。

店も忙しくなり、知子はあちこちの客の相手で忙しそう。

酔った勢いもあり、俺は長子の耳元へ顔を近付け「なあ、ホテル行かねえか?」と乱暴に口説く。

黙る長子。

俺はノートパソコンを仕舞いながら、「これから会計するから、外で五分だけ待ってる。来なかったら帰るわ」と小声で話し会計を済ませる。

相手の様子をまったく気にせず、知子の店をあとにした。

誰でもいいから適当に抱きたかったのだ。

外へ出ると川越では珍しく雪が降っていて、辺り一面の銀世界。

「寒っ!」

思わず声に出るほどの気温の低さで、俺は我に返る。

そういえば酔った勢いで隣の女口説いたよな、俺?

出て五分だけ待つとか言っちゃったんだよな?

寒い。

とっとと帰ろう。

俺はすぐ家へ帰った。

…と、ここまでなら俺がただ自分勝手な酷い男で済む話。

今年の七月に開催される提灯祭り。

連雀町の着物を着て参加をしていると、知子が俺の姿を見て「おーい、智くーん」と駆け寄ってきた。

「何すか、知子さん?」

「智君にさ、会いたいって子を連れてきたんだよ」

俺に会いたい?

期待して待っていると現れたのは長子だった。

何だ、こいつかよ……。

俺は無視して人混みに消えた。

恐ろしいのはそれからだった。

三十三歳になった誕生日翌日。

石原都知事の歌舞伎町浄化作戦で警察にパクられた俺は不起訴で出てきたものの、しばらく仕事もせず百合子と遊び歩いた。

出てきてすぐの2004年川越祭り。

我が町内、連雀町ではお囃子連の雀會。

そして山車を引く連々会がある。

お囃子を子供の頃辞めた俺は、連々会に所属していた。

先輩が営む蛇の目寿司の隣の車庫を借り、毎年そこが連々会の詰所になっている。

そこでご馳走があるので食事をしたり、樽酒からビールサーバーまで置いてあるので、酒を飲む。

俺が祝金を届けに連々会詰所へ行った時だった。

詰所の中に連雀町の着物を着た長子が立っているのを見つける。

はあ?

何で町内の人間でもない長子が、連雀町の着物着ているの?

俺は投げるように祝金を渡し逃げた。

新宿歌舞伎町の風俗店ガールズコレクション。

そこのホームページ作りの打ち合わせを始さん家でしている時、松永さんが声を掛けてくる。

「おい、智一郎。おまえ長子って知ってるか?」

「あ、一応顔程度は……」

いきなりその名前が出てきたので、俺は警戒心を最大限にして対応した。

「この間よー、ポケットマネー飲みに行ったら知子と長子ってのがいたから、おまえやらせろよって誘ったんだよな」

それは名案だ。

俺は松永さんへひたすらプッシュした。

「あの女、変に気取りやがってよ。もう二度と声掛けねえけど」

「駄目ですよ、松永さん!」

「何が駄目なんだよ?」

「言葉を発したからには責任が付き纏います。松永さんは責任持ってあの女を何とかやらなきゃいけない義務が生じました」

自分のした事は一切ひた隠しにして、すべて松永さんへおっ被せる事にする。

「テメー、この野郎! あんなの押し付けんじゃねえぞ!」

キレる松永さん。

しかし仕方がない。

やらせろと下品な声を掛けたのは松永さんだからなのだから。

以来、俺は会う度、「松永さん、そろそろ身を固める決心つきましたか?」と真面目な顔で茶化した。

真夜中目覚めタバコを吸いながら、外の景色を眺めていた時だった。

時間帯にして夜中の二時くらい。

草木も眠る丑三つ時ってやつだ。

川越は風俗も無く、比較的平和な街である。

火が消えるのも早いし、深夜人が歩く事もあまりない。

こんな真夜中、家の周りを歩く人影が見えた。

俺の部屋は二階。

妙な胸騒ぎがして三階へ上がり、そこからさらに上の屋上へ出る。

真上から見渡すと、人影は妙に家の周りをウロウロしていた。

何だ、こいつは……。

よく見てみると、人影は長子だったのだ。

背中に冷たいものが流れる。

それ以降松永さんと会う度、長子を早く口説いてくれと、さらにしつこく言うようになった。

 

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