岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

4 新宿フォルテッシモ

2019年07月19日 12時12分00秒 | 新宿フォルテッシモ


 ゲーム屋の求人募集は大抵、夕刊のみ発行される如何わしい新聞などに三行広告を打つ。たった三行の文字だけのシンプルな広告でも、一週間掲載で七万円ほどの金を取られる。そんな広告でも一度載せれば二十名ほどの人間が面接にやってきた。日払いでもらえるという点が彼らにとって一番の魅力なのだろう。なのでほとんど使い物にならない奴が多い。
 酷い新人になると、仕事中一万円札を手渡し、買い物を頼むとそのままドロンする馬鹿もいた。大抵のゲーム屋は白のワイシャツに黒いズボンで仕事をする。つまり着替えるので、私物が店に置いてあるままなのだ。それをたった一万円手に入れる為だけに、私物を犠牲にする精神。何を考えているのか理解に苦しむ。
 住むところもなく、店に寝泊りしたいと抜かす奴だっていた。もちろんそういう輩は、すべてはなっから断るが……。
 新人を定着させるというだけで、本当にひと苦労なのである。
 ゲーム屋経験がまったくない人間には、ポーカーのルールから、INなど色々覚えてもらわないといけない事が多く、戦力になるまで最低でも二週間ぐらい掛かった。
 初めて来店する客には新規サービスがどういうものかを説明し、初回のINのみで帰る者がいないよう当店のルールを厳重に伝える。中には新規サービスの三千円だけ目当てのセコイ客だっていた。そういう客が当たり前のように増えると、多額の金を落とす太い客の迷惑になる。何故かといえば、そういったセコイ客は常連客がハマったあとの台を虎視眈々とハイエナのように狙っているし、フォーカードやロイヤルといった役物を出すと必ずテイクし、『オリ』も入れずにすぐ帰ってしまうからである。
 ちょうどその時見慣れない若い男性客が入ってきた。
「いいか? 俺が新規を入れる時、遊び方の説明をするからちゃんと見ておけよ」
 俺は新人にそう言うと、入口でキョロキョロしている若い客に近づく。
「お客さん、当店のご来店は初めてですか?」

「組関係者とかではないですね?」
「ないない」
「当店は新規サービスで三千点のサービスをしてますので、初回のINだけで帰られたりされても困ります。最低でも一万円ぐらいの勝負はお願いできますか?」
「はあ」
「ドリンクは何に致しましょう?」
「コーラを」
「はい、了解しました。それでも空いているお好きな席へどうぞ」
 男は三卓に座ると、俺は新規伝票を出し台の上へ置く。
「こちらに名前を書いて、最初に二千円いただけますか?」
 男は名前を書く欄に『木村拓哉』と書いていた。ふざけた偽名使いやがって……。
「五千点のスタートで始まりますので、途中OUTは八千円からです」
 INを入れながらそこまで説明して、ようやく新規の客から離れる。
「分かったか? ああやって初めてのお客さんにはちゃんと説明するんだぞ?」
「はい、分かりました」
 新人の教育は客の様子を見ながらも、新人の対応まで見張らなければならない。おかしなところがあれば、逐一指導し仕事を根気よく覚えてもらう。
 ちょうどその時、先ほどの『木村拓哉』がいきなり『ストレートフラッシュ』を出した。彼はすかさずテイクボタンを押し、タバコに火をつける。
 台の点数が上がる頃、三卓へ近づき「お客さん、『オリ』は何本入れますか?」と聞く。すると『木村拓哉』は「いや俺、そういうのいいから」と訳の分からない事を言い出した。
「あのですね、お客さん…。最初に説明しましたよね? 新規のみはお断りだと」
「だからそういうの、俺は関係ないから」
 新人を教えつつ、他の客の相手をする。しかも店内は満席近い状態だった。こんなセコイ馬鹿を相手にしてもしょうがないか。
 俺は外に『木村拓哉』を連れ出し、「いいか? おまえみたいな馬鹿は新規の三千点はなしな? だから『ストフラ』の一万八千点から三千点引かせてもらうぞ。ほら、これ持ってとっとと消えろ。二度とうちに来るなよ、このボケが」と一万五千円を渡した。
『木村拓哉』は黙ったまま階段を上り始めると、途中で「ふざけんじゃねえ、この野郎!」と捨て台詞を残しながら駆け足で逃げ出した。
「おい、何だって、テメー」
 こんなクソみたいな奴に舐められちゃ溜まらない。俺は急いで階段を駆け上がり、一番街通りで『木村拓哉』をとっ捕まえる。
「おい、小僧。おまえ、この街を舐めてんのかよ?」
「す、すみません……」
「二度とこの辺を歩くんじゃねえぞ、オラッ!」
「ひ~」
 面倒臭かったし他の通行人の目もあるので、俺は『木村拓哉』のケツ目掛けて膝蹴りをぶち込んでから開放してやった。歌舞伎町は時によって怖い街であるという事をこういうガキには教える必要もある。

 この日の客の中で『天龍』と従業員たちから呼ばれる客が来た。
 山羽が名づけ親だった。何故そう呼ばれるようになったかと言えば、ある日突然山羽が「神威さん、天龍来てますよ」と言い出したのがきっかけであった。本当にプロレスラーの天龍が遊びに来たのかと思い、ビックリした俺は、慌てて休憩室から出てホールへ向かった。しかし目の前に映った男は天龍源一郎とは似ても似つかない長身細身の中年オヤジ山下という名の客である。
「山羽、どこが天龍なんだよ?」と尋ねると、「髪型だけはそっくりじゃないですか」とニヤニヤしながら山羽は答えた。プロレスラーの『天龍源一郎』のようなパンチパーマが伸びたヘアースタイルが似ているだけで、顔も体つきもあとはまったく似ていない。それなのに妙におかしくツボにはまり、吹き出している自分がいた。この日から長身細身の中年オヤジは『天龍』という仇名になったのである。
 仇名とは裏腹にこの天龍は店にとっていい客であった。仕事は新聞の拡張員をしているらしく、多くの契約を取った日はほとんどと言っていいほど『ワールド』へ来て一晩中ゲームをし続けた。一晩で約二十五万円のINを回す天龍。うちには欠かせない大事な客だ。
 運の悪い事にこの時空いている台は十三卓のみだった。この台、非常に悪い設定にしてあった席である。『CH』という特別OUT率の悪い『イシ』を使った十三卓はOUT率だけで言えば、約六十五パーセント。通常ロイヤルが出る回転数五千回転のところ、この台のみ一万回転の設定にしていた。
 ポーカーフェイスの天龍が澄ました顔をしながら俺のいるリストへ近づいてくる。
「店長、空いてるのあそこだけ?」
「はい、そうなんですけど……」
「ま、いっか」
 そう言うなり天龍は十三卓へ向かう。俺は慌てて彼を呼びとめ、話し出した。
「あのですね…。あの台、さっきまで他の客がたくさん出したばかりでして。今やったところでキツイと思うんですよね」
「そうなんだ。でも、あそこしか空いてないんでしょ?」
「まあそうなんですが……」
「じゃあしょうがないじゃん」
 できれば座ってほしくない状況なのに、その台しかない。まさか「この店で一番悪い設定の台なんです」とは言えず、新規サービスを入れる際「他の台が空いたらすぐにキープしますので、それまでテイクしながらゆっくりやってて下さい」とアドバイスするぐらいしかできなかった。
 俺のアドバイスなど聞いてないかのようにゲームへ熱中する天龍。テイクなど毛頭するつもりもないらしく、あっという間に五万円の金額が台に吸い込まれる。
 うまくいかないもんだなと思いながら天龍を気にしていると、前の十二卓がようやく開く。俺は部下に指示してすぐ台をキープさせた。
「山下さん、十二卓空いてキープしていますので、良かったらそちらでやりませんか?」
 もちろん本人の前だとキチンと名前で呼んでいる。あくまでも天龍とはこちらが勝手につけた陰の仇名なのだ。ストレートに五万負けている天龍は、上目遣いに俺を睨んでくる。別に俺のせいじゃないんだけどな……。
「じゃあ『特サ』入れますので、十二卓でやってみましょうよ?」
 この『特サ』とは特別サービスの略で、店で大ハマリした客に対し、無料で五千円分サービスをするという特別対応の事だ。他のゲームでは考えられないようだが、幸い俺はオーナーに『特サ』を自由に入れていい権利をもらっていた。
 俺の提案に天龍は渋々と十二卓へ移ったが、「店長、ここでもう五万負けてるからさ。キープしといちゃ駄目かな?」と言ってきた。十三卓でどんなに金を突っ込もうと、最悪設定の台なので賛成はできない。しかし本人の強い意志には何も言えずに了承した。
 すぐに天龍は十二卓で『一気』を飛ばす。二万四千点の『一気』なので負けはこれで半分まで取り戻した事になる。俺は笑顔で天龍へ「このままここでやったほうがいいですよ」とだけ再度アドバイスをした。
 ニヒルな天龍は恥ずかしそうに少しだけ、はにかんでいた。

 我が店『ワールド』の夜は本当に忙しい。
 俺はリストに立ち、それぞれの台が『一気』を飛ばしたり、フォーカードやロイヤルなどの役が揃った時の画面プリントを取ったり、リスト表にOUTの点数をつけていた。
 他の従業員たちは汗まみれになりながら、駆け足でホール内を動き回りINに没頭する。
 今日は久しぶりにINの合計が三百万以上いきそうだ。オーナーも喜ぶだろう。俺は締めの時の計算を想像するとホッとした。
「神威さん、今日食事休憩すら取っていないじゃないですか。休んで下さいよ」
 山羽が合間を見て声を掛けてくる。そそっかしいが気の優しいところのある男だ。
「大丈夫だよ。飯ぐらい食わなくたって」
「でも、みんな心配してますよ。あとは俺らでやっておきますから、食事ぐらいして下さいよ、神威さん」
 こいつはこいつなりに責任感を持って仕事をしているのだ。俺は優しく微笑んで素直に言う事を利くようにした。
「ありがとう。でも本当に忙しくて駄目なら、すぐに呼んでくれよな」
「ええ、分かりました。ゆっくり休んで下さい」
 山羽の気持ちを汲み、奥の休憩室へ向かう。この客入りでは、さすがに外へ食事に行く訳にもいかない。俺は出前のメニューを眺め、中華料理屋[『叙楽園』から麻婆茄子弁当を頼む事にした。この『叙楽園』の料理はメチャクチャうまい。歌舞伎町に来て偶然ここの麻婆茄子を食べた時あまりのうまさに感動し、当時出前のしていなかった『叙楽園』のママに「出前をしないと、この街じゃ難しいよ」と知り合いの店すべてを紹介したぐらいである。それ以来ずっといい関係を築けている店であった。
 出前が来る前にコーヒーでも淹れようと、各種コーヒー豆を調合する。自分の好きな割合はキリマンジャロが五に、モカが三、コロンビアが二の配合が好きだった。そしてその上にブルーマウンテンで香りづけをする。コーヒーメーカーで淹れるとムラがあるように感じるので、いつも自分で淹れるようにしていた。
 少しして長野が休憩室へ来た。折りたたみ椅子を広げ、ハンカチで額の汗を拭いながら会釈をしてくる。
「一服か?」
「ええ、山羽さんがタバコ吸ってこいって言うので」
「そうか。今日は忙しいだろう?」
「ええ、自分が入って今までで一番忙しいかもしれませんね」
「あの火事の一件がなけりゃ、いつもうちはこんな感じだったんだぜ」
「本当ですか? すごいですね~」
 ちょうどコーヒーを淹れ終わったので、俺はコーヒーカップに移し、ゆっくりと香りを嗅いだ。長野が食い入るような視線でコーヒーを見つめている。
「ん、どうかしたか?」
「い、いや、あの…。その喫茶店で飲むようなコーヒーっておいしいんですか?」
「はあ?」
「いや、自分ですね…。喫茶店に一度も行った事がないもんでして……」
 長野は恥ずかしそうに言った。随分と変わった男だ。
「おまえ、今何歳だっけ?」
「えーと今年で二十八になります」
「…て事は、二十八年間一度も喫茶店に行った事がないの?」
「は、はあ……」
 今時信じられない奴だ。俺は長野が嘘をついているようにしか思えない。
「だってさ、おまえマックとかロッテリアでさえ行った事ない訳?」
「ええ……」
「コーヒーが嫌いなの?」
「いえ、コーヒーは飲みますよ」
「じゃあ、何で?」
「いつも缶コーヒーを飲むんです。百二十円で済むじゃないですか。喫茶店だと、三百円以上取られるから勿体ないなあと思ってまして」
 セコイとは思っていたがここまでとは、正に筋金入りのセコさである。
「今淹れたばかりだから飲んでみろよ。その辺の喫茶店よりも、いい豆使ってんだからな」
「え、いいんですか?」
「いいからサッサと飲んでホール行け」
「ありがとうございます」
 そう言うと長野は、俺の淹れたコーヒーを本当にうまそうに飲んだ。
「どうだ?」
「おいしいです…。こんなにおいしいコーヒーは初めて飲みました」
 しみじみと語る長野を見ていると、今までどんな生活をしていたのか気になる。しかしホールでは多数の客相手に他の従業員は動き回っているのだ。俺は「早く仕事へ戻れ」と向かわせる。
「あ、長野」
「はい?」
「休憩の時とかさ、俺がいつも自腹で豆買ってるからコーヒー、適当に飲んで構わないからな」
「あ、ありがとうございます」
 俺も甘いなあと思いつつ、長野の後ろ姿を見送った。

 さっきまで満席の勢いだったが、朝の五時になると客も帰りだし、半分ぐらいになっていた。天龍は前と同じように、設定の悪い十三卓の台でゲームをしている。どのぐらい負けているのかを山羽に聞く。
「う~ん、だいたい今で十二、三万ぐらいじゃないでしょうか?」
「あちゃ~、そんな入ってんだ」
 だからあれほど十二卓でやれと言ったのに……。
 頑固な天龍は役が揃うと、ひたすらダブルアップを押して叩く。一、二発は当たってもあとは外れてしまう。これ以上金を入れたところで何の意味もない。常連で来る度多くのINをしてくれる大事な客をここで潰すのも忍びなかった。
 ここまで天龍へ入れた『特サ』は三回。金額にすると一万五千円である。通常どんなにいい客でもここまでが限界だ。これ以上の『特サ』はありえない。しかし俺はオーナーからあとで文句を言われるのを覚悟で、再び『特サ』を餌に、天龍の席へ近づく。
「山下さん、『特サ』入れますんで、十二卓でやったらどうでしょうか?」
「この台にどれだけ入ってると思うんだよ?」
 いつもなら静かな天龍も、さすがに熱くなっている。
「ええ、ですからこの台でも『特サ』を入れます。でも十二卓にも『特サ』でクレジット入れておきますので、どうでしょうか?」
『特サ』の連続。五千円を二回連続でサービスするという対応で、何とか天龍の苛立った気持ちを和らげたかった。
「……。分かったよ……」
 こちらの誠意が通じたのか天龍は下をうつむきながら、『特サ』の伝票へ二度にサインをする。これで『ロイヤル』が出たり、『一気』を飛ばしたりしてくれればいいのだが……。
 俺はリストへ戻り、各台の画面をチェックしながら祈るしかない。
 十三卓の点数が残り二百点になった時だった。運良く『ストレートフラッシュ』が出る。慌てて天龍の元へ向かう。うちで扱う『ダイナミック』という機種は『ストフラ』さえもダブルアップできるのだ。熱くなっている天龍を諭し、テイクさせないといけない。そうすれば一万五千円は戻ってくるのだから。
「……」
 しかし天龍は無言ですぐに『ストフラ』をダブルアップし、ビックボタンを強めに叩いてしまう。間に合わなかった。『ダイナミック』は一度ダブルアップしてしまうとテイクできないよう設定されている。
 その時、ヒュンヒュンという音と共に天龍は『ストフラ』を見事『一気』した。たまたま当たったから良かったようなものの、もし外れていたら……。
「おめでとうございます、山下さん」
 心とは裏腹に、満面の笑みを浮かべながら祝福する。天龍は照れ臭そうにニヤケながら十二卓へ向かった。『ストフラ』の『一気』なので三万円。これで彼の負けは十万まで戻った事になる。
「このまま十二卓でやったほうがいいですよ」
「そうかな…。でも『一気』が上がったら『オリ』二本入れといて」
「……」
 天龍の言うこの『オリ』とは何か? このケースで説明すると『ストフラ一気』の点数は三万六百点。百の位は四捨五入なので切り上げ、金額に換算すると三万千円の戻しとなる。しかしそこから『オリ』二本、二千円分のINを入れ、残りの差額二万九千円を渡す。
 つまり天龍は、まだ十三卓でゲームを続けるつもりなのだ……。

 十二卓でサービスした分が何も出ずに終わると、天龍は再び十三卓へ舞い戻る。こうなるともうお手上げだ。まあゲーム屋は賭博の世界である。これ以上いくら負けようと仕方あるまい。本人の意思次第なのだ。
 そこからの天龍はまったくと言っていいほどついていなかった。ズルズルとINだけが増え、時間が経つ毎に持ち金は目減りしていく。
 負けの額は十万から二十万へ変わり、天龍はイライラしながら十二卓へと移った。
 天龍が諦めた十三卓。その瞬間ハイエナのように椅子に座り、即座にINを入れようとする若い男性客がいた。まあ所詮最低設定の『CH』の台である。いつもならINをさせずに断るところだが、今回は放っておく事にする。
 それからすぐ十三卓で『ロイヤルストレートフラッシュ』が出てしまった。あの台は『ロイヤル』が出ないようカットしていたはずなのに……。
 当然その男性客は飛び上がりながら即座にテイクをし、『オリ』も入れずに帰ろうとしている。天龍は恨みの籠もった目で俺のほうを睨んでいた。
 しょうがない。自分でその台にこだわり、勝手に諦めただけの話である。俺にはどうする事もできないのだ。
 早く時間が過ぎて、早番が来る時間にならないかな……。
 そう願いながら淡々と業務をこなす。
 時間が朝の十時になり、早番の人間たちが出勤してくる。俺は客の状況を説明し引き継ぐと、「天龍には何回『特サ』きってもいいからね」と伝え、店をあとにした。
 夜の十時から朝の十時まで働く俺。完全に昼と夜が逆転している。従業員の長野と一緒に一番街通りを歩いていると、「何で客ってあんなにゲームなんかに熱中すんですかね」と小馬鹿にした感じで聞いてきた。
「ポーカーのようなああいったシンプルなものに対し、単純に金が掛かるからこそ熱くなるんだ」と説明する。
「自分じゃ考えられないですね。負けるって分かっているのに、あんなお金賭けて……」
「おい、長野。おまえさ、俺らはそういったお客さんたちがいるからこそ給料がもらえ生活できているんだぞ。それは忘れるなよな」
「ま、まあそれはそうですけどね」
 どうも長野はセコさ以外にも、客に対し希薄な部分がある。ゲームに負けた客の心境をまるで理解していないように見えた。ゲーム屋の仕事はINとOUTのシンプルな繰り返しだけの内容であるが、目に見えない部分では客に対しての気遣いというものもある。
「ちょっと付き合えよ」
「え、どこへです?」
「いいからついてこい」
「は、はい……」
 俺は近くのゲーム屋へ入る事にした。別にゲームをやりたかった訳ではない。ただ長野には、一度ゲームで負けた時の感覚というものを体験させたかったのだ。
「いらっしゃいませー」
 従業員たちが元気よく挨拶をしてくる。
「本日のご来店は初めてで?」
「ああ、二人ともね」
「ドリンクはどうします?」
「う~んと…、俺はメロンソーダ。長野は?」
「い、いえ、自分はゲームしないので……」
「馬鹿野郎! せっかくだから今日もらった『デズラ』ぐらい使ってみろよ」
 この『デズラ』とは日払いでもらう金を差す。給料とは別に毎日出る飯代の千円すらコンビニのおにぎり一ケで済まし、残りを懐に入れるようなセコイ男である。それでいて他人の金の時は一切の遠慮がない。このような輩に一日の『デズラ』すべてをゲームで使わせようとする行為。長野にとっては地獄のような苦しみでしかないだろう。
「で、でも自分は……」
「おい、俺はあの店で一応さ、店長って肩書きあるんだよ。おまえ、ここで俺に恥を掻かせるつもりなのか?」
「わ、分かりました。やらせてもらいます……」
 この時点で長野は泣き出しそうな表情になっていた。このぐらいしないとこの男は客の心など分からない。少し強引だったが荒療治にはなるだろう。
 お互い個々に席へ座り、二千円を従業員へ渡す。新規サービスの伝票に偽名を書き、二千円分のサービスを入れてもらう。店によって『新規サービス』の金額は違うのだ。
 四千円分のクレジットが入ると、早速俺はゲームを開始した。俺の選んだ台は『赤ポーカー』。ダブルアップの際、『7』が出ると賭ける三倍になるだけで、あとはノーマルのポーカーというシンプルな台である。
 スリーカードが揃いダブルアップを押す。ビックボタンを叩くと『プールール』と音が鳴り当たる。三百点が六百点になる。続いてスモール。これも当たり。千二百点。またスモール。当たり。二千四百点。またまたスモール。当たり。四千八百点。ビック、当たり。九千六百点。『一気』する手前までとんとん拍子にサクサク当たっている。最後は迷わずビックを叩く。すると『7』が出て、九千六百点賭ける三倍になり『赤ポーカー』では最高の『点数一気』になった。
 画面が点滅し、『一気』の金額がクレジットに加算されていく。日常その画面を見ている俺は空いている台へ移り、従業員へ五千円を渡す。
「何本ですか?」
「五本全部でいいよ」
 すぐに『フォーカード』が揃う。俺はダブルアップを押し、迷わずスモールを叩く。当たり。うん、今日は何だか調子がいい。
 三台目の卓へ移ろうとすると、従業員が「すみません、台の『出張』は一台まででお願いします」と静止される。素直に最初の席へ戻り、点数が上がるのを待った。
 長野のいる卓を見ると、泣きそうな顔で画面をジッと見つめながら真剣にゲームをやっている。何故自分がこんな事をしなきゃいけないんだぐらいに俺を恨んでいるだろう。
 普通ならまず勝てる事のないポーカーゲームも、この日は何故か運良く『一気』を飛ばし続けた。反対に長野はいいところなく『デズラ』をすべて使ってしまい、椅子の上で放心状態になっている。
 ゲームもやらず、この状況だと店に迷惑なので「長野、おまえこの台やってみろ」と俺は五本分INを入れ、ゲームをやらせた。こんなに『一気』するのって簡単だったっけというぐらい今日の俺は調子がいい。『一気』を飛ばす度、長野の為に五本ずつINを入れてやり、それでも十万円以上勝っていた。
 三時間ほどゲームをしてから店を出ると、長野は相変わらず下をうつむきながら暗い表情をしている。確かに『デズラ』一日分を使わせたのは悪かったが、INだけで三万円以上の金はあげているし、それで何もできなかったのだからしょうがない。
 それでも不憫に感じ、俺は「ほら、飯でも食っていきな」と五千円札を一枚、彼に手渡した。
 この日の夜、長野は無断で店を休み、二度と姿を現す事はなかった。

 夜十時に出勤した俺は長野が飛んだ事に怒りを覚えたが、それ以上に気掛かりな事があった。
 あの天龍が、昨日からぶっ続けでゲームをしていたのである。しかも魔の十三卓で……。
 早番が締めたデータを見ると、二十万円の負けだった。昨日の遅番から統計すると、四十万円ぐらいの負けである。一体どれだけ負ければ天龍は気が済むのだろうか。
「神威さん、長野の奴、連絡が取れません」
 山羽が怒りを押し殺しながら言ってきたが、今後二度と山羽と連絡が取れる事はないだろう。朝、あれだけ面倒を見てやったというのに恩も感謝も何も感じない男。あのような男はどこへ行っても駄目なだけである。まあ、とぼけてこの歌舞伎町をウロウロしていたら、ぶん殴ってやればいい。
 そんな事よりも今は天龍だ。現在までで切った『特サ』の枚数は十枚。金額にして五万円分のサービスをしている。それでも四十万以上の負けなのだ。レートが一円の『ワールド』ではどう考えても取り戻しようがない。大事な顧客をここで失う可能性があった。
 しかしもう何もやりようがない歯痒さを感じつつ、俺はただ見守るしかない。
 夜の十二時を回った頃、さすがに天龍は持ち金が尽きたのか黙ったまま席を立つ。俺は近づき、「山下さん、『特サ』入れますんでどうですか?」と声を掛ける。
 天龍は無言のまま席へ戻り、あっという間に五千円が溶けると立ち上がった。しょうがない。これ以上の『特サ』はできないので、俺は自腹でさらに一万円分のサービスをする。もちろん天龍には『特サ』に見せ掛けないとまずいので、伝票には二回サインしてもらった。
 結局焼け石に水とはこの事で、天龍はいいところないままゲームを終える。こうなるとこちらは深々と誠心誠意頭を下げ、「すみませんでした」と謝るしか術はない。
 何かしらリストにいる俺へ愚痴を言ってくるだろうと思った。
「……」
 予想に反し、天龍はニヤリと一瞬だけ微笑んでから『ワールド』をあとにした。
 三十時間近くゲームをして四十万以上の金を負けた天龍。そんな男が帰り際、ニヤリと笑う理由……。
 あまりの不気味さに鳥肌が立つ。嫌な予感がした。俺は山羽を呼び寄せると、「いいか? 天龍のあとをこっそりつけろ」と命令する。
「どのぐらいつければいいんでしょうか?」
「そうだな。最低でもタクシーに乗るか、駅へ入るまであとをつけてくれ」
「分かりました」
 考えられるのは一つ、警察へのチクリである。じゃなければあんなニヤケたりするものだろうか? 俺は細心の注意を払う事にした。
 すぐに店の電話が鳴る。出ると山羽からだった。
「神威さん、ヤバイですよ」
「どうした?」
「天龍の奴、ビルの隙間に入って何かをメモしてました」
「……」
 雑居ビルの横には小さなプレートで住所が書いてある。天龍は間違いなくここのビルの住所をメモしていたという事である。
 すぐに動かないとまずい。その前に俺はオーナーへ一度確認の意味で電話を入れた。天龍の状況を説明し、おそらく数十分後には警察が来る可能性があると伝えたが、オーナーは店を閉める事に対しいい返事をしなかった。そんなに目先の金が大事なのだろうか? 警察が来ればその収入が永久になくなり、俺たち従業員が捕まるという心配はないのか。
 苛立ちを覚えながら電話を切る。無性にイライラしていた。
 客たちはそんな状況も知らず、呑気にゲームへ熱中している。
 しばらくして山羽が戻ってきた。俺は天龍がどうしたかを聞く。
「途中、携帯で電話をした様子もありませんし、新宿駅へ入ったので問題ないと思います」
「う~ん、そうかな……」
「メモを取っている時、自分と目が合い、気まずそうにしてましたから」
「馬鹿野郎! おまえ、天龍のあとつけてるのに見つかったのか?」
「え、まずかったですか?」
 失敗だった。俺自身が行けば良かったのである。「店の従業員に見つかったあとで、そのまま電話などする訳がねえじゃねえか」と怒鳴りたかった。いや、山羽に当たってもしょうがない。これは俺の判断ミスなのだ。
「いや、いい。悪かったな」
 さて、どうしたものだろうか。オーナーは店を閉めるなと言う。しかしもう少しで警察がやってくる可能性があるのだ。数年間ゲーム屋で飯を食ってきたが、捕まるのを分かっている状況なのに、このままいろと言うのか。
 俺以外に三名の従業員。それと十二名の客……。
 ある分岐点へ立たされたような気がした。

 色々な選択肢を考えてみる。
 一つ、ゲームをしている客をやめさせ、すぐに帰らせる。
 無理だ。まだ警察が来ると確定した訳じゃない。来ればファインプレーものだが、来なければ売り上げに響く大問題になる。たらればだけの話でオーナーは納得などしない。
 一つ、自分だけバックれる。
 そうすると残された従業員たちは? それに『デズラ』一日一万八千円もらっている今の生活は捨てなきゃいけなくなる。それができるのだろうか? いや、できやしない……。
 一つ、店のドアを閉め、看板をしまい、防火扉まで閉めてしまう。営業などしていないように見せ掛けるのだ。しかしどうやって外から防火扉まで閉める? その時帰ろうとする客がいたら? 難しい……。
 駄目だ。窮地に陥ると現状の自分の立ち位置が本当に分かる。そこそこいい給料をもらい、店の店長だと言ってみても、現状の自分など無力なものなのだ。台の設定を任されている。『特サ』を入れられる権限を持っている。そんな事に何の意味があるというのだろう。
 リストのところにある二つのモニターを見つめる。入口には二つの隠しカメラが設置されていた。以前警察が来てから警戒用として設置したものだが、二つのモニターは店の入り口付近を白黒画面で違う角度から映しているだけである。しかし店の入り口辺りで警察が来たのを分かったところで、何ができるのだろう?
 天龍が店を出て行ってから一時間が経過した。
 今のところ何の変化もない。
 だけど安心できる材料など微塵もないのだ。
 どっちにしても、そろそろ食事休憩を回さないといけない時間になっている。仕方なく俺は食事休憩を回しだした。
「神威さん、食事休憩に行って来ます」
 山羽から食事を回す事にして、いつも通り業務をこなす。こうなったら警察が来ないよう祈りながら仕事をするしかない。山羽が外へ出てすぐ、店に電話が掛かってきた。
「はい、『ワールド』ですが……」
 電話のすぐそばにモニターがあるので自然と目に入るが、俺は画面を見て凍りついた。
「神威さん、大変です! そ、外に……」
 電話の声は今さっき出て行った山羽だった。
「ああ、分かってる……。山羽…、おまえ、今、どこにいる?」
 監視カメラのモニターには、盾を持った機動隊員の姿が無数に映っていた。地下一階へ続く階段には一段ごとに機動隊員がいる。何故だ? 百歩譲って警察ならまだ分かる。しかし何故、機動隊が……。
 頭が混乱していた。落ち着け……。
「今、店の上の階段にいます。外に出たら、靖国通りのほうから盾を持った機動隊が大勢でこっちに向かってきたから、俺、慌てて階段の上に昇ったんです。そしたら、うちの店に向かってくるからビックリしちゃって……」
 小声で囁くように山羽は喋っていた。話している真下に機動隊がいるのである。相当な恐怖を感じているだろう。
「分かった。とりあえず、おまえはそこから下手に動くなよ。一旦、切るぞ」
 訳の分からない状況に、俺はどうしたらいいのかさっぱり分からないでいた。とりあえず何があっても、客だけは先に逃がせるようにしていたほうがいいだろう。しかしどうやって……。
 俺は従業員へ指図して、客に帰り支度させるようにさせておく。
「何でだよ? いくら負けてると思ってんだ」
「ふざけんなよ」
 文句を言う客が多数いた。当たり前だが、今はそんな事に構っていられない。
 その間レジと金庫の金をまとめ、最悪の場合は強引に機動隊を振り切って逃げるしかないと思った。いや、逃げられないな。どう考えても……。
 モニターの様子を伺うと、入口近くの機動隊の一人が壁に背をピタリとつけ、店内を覗き込もうとしている。こちらの監視カメラには気付いていないようだ。
 まだうちの客は、外で何が起こっているのかを知らない。このままだと、いずれ機動隊は店内へ雪崩れ込んでくるだろう。ならば、俺が外へ出たほうがいいんじゃないか……。
 俺は『ワールド』二番手の島根を呼び、簡単に状況を伝えた。彼は俺より一つ年上で、仕事上において非常に信頼をしている。島根がいるから、俺も安心して仕事が休める部分もあった。
「島根君、俺が外に突っ込むわ。あとの指揮は任せるよ」
 今まで機動隊が待ち構える中、一人で突っ込んだ人間などこの世にいるのだろうか?
 状況が状況なのだ。逃げも隠れもできない。入口は機動隊が固める一つしかないのだ。腹を決めろ。行くしかないのである。
 従業員が見守る中、俺はゆっくり息を吸い込み大きく吐き出した。
 入口までの短い通路が、とてつもなく遠く感じる。一歩歩くごとに重りが増えていくような気がした。ドアの近くまで来て、様子を伺う。
 ゆっくりと深呼吸をした。
 行くぞ!
 意を決し一気にドアを開け、外に出る。
 ガタッ……。
 目の前には無数の盾が見え、俺が飛び出すと一斉に構えだした。向こうから飛び掛ってくる気配はない。階段に一段ずついる機動隊員。上のほうまでその列は繋がっている。
「あ、あの…、一体、何の用ですか?」
 誰も口を開かないので、俺から声を掛けてみた。
 機動隊員たちの表情は俺の顔を見て、ポカーンとしている。その表情を見ている内、次第に冷静になってきた。考えてみればうちの店に機動隊が押し掛けるというのもおかしな話だ。
「何かあったんですか?」
「い、いや、お店で何もなかったんですか?」
 近くにいた機動隊員がビックリした様子で聞いてくる。
「え、何もって?」
「銃を持った男は……」
「じゅ、銃?」
「ええ、通報を受けまして…。百十番通報で、こちらで銃を持った男が乱射をしていると……」
「何を言ってるんですか? いたって平穏ですが……」
 その時、階段を降りてくるスーツ姿の男がいた。五十歳ぐらいの落ち着いた雰囲気のある男だった。
「クソ~、ガセか~」
「ガセ?」
「おたく何も変わりはないんでしょ? おかしいとは思ったんだけどね~」
「ええ……」
「いや~、新宿署にそういう通報が入りましてね。三十歳ぐらいの長髪の男がこの店内で銃を乱射してるって」
「冗談じゃないですよ! そんな事ある訳ないじゃないですか!」
「まあ、こっちもガセかなって思うんだけどさ。それでも通報があったのに、ガセじゃないかって動かない訳にはいかないんだよね」
「まあ、それはそうですね……」
 誰かがワザと嫌がらせの通報をしたのか。一人しか思いつかなかった。
「何もなくて良かったけどね」
「この寒い中、ご苦労さまです。うちは何も変わりはありませんので」
「まあ混乱させちゃったみたいだから、私が中のお客さんに状況を説明するよ」
「いえ、大丈夫ですよ! そんな事をわざわざしなくても……」
 警察が店に入ってくると、また客の不信感を煽るようになってしまう。
「いや、でも一応は伝えとかないと」
「いえ、うちのお客さん、外に機動隊のみなさんがいる事すら知りませんから。それより通報があったって言いますけど、声は男でしたか? 女でしたか?」
「男だったね」
 男…。先ほど出て行った天龍しか思いつかない。俺は丁重に機動隊を一階まで送ると店に戻り、従業員へ状況を伝えた。
 洒落にならない事をしでかす野郎だ。
 激しい怒りを覚えたが、今さら天龍を探したところで、もう歌舞伎町に寄り付く事はないだろう。
 客は何も状況を知らないので、俺が「心配掛けてすみませんでした。続けて下さい」と言うと、同じようにゲームに熱中していた。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 3 新宿フォルテッシモ | トップ | 5 新宿フォルテッシモ »

コメントを投稿

新宿フォルテッシモ」カテゴリの最新記事