岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

6 新宿フォルテッシモ

2019年07月19日 12時15分00秒 | 新宿フォルテッシモ

 

 

5 新宿フォルテッシモ - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

4新宿フォルテッシモ-岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)ゲーム屋の求人募集は大抵、夕刊のみ発行される如何わしい新聞などに三行広告を打つ。たった三行の文字...

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 四十人以上の死者を出した雑居ビルの件から数ヶ月経った。歌舞伎町内は前にも増して警察官による異様な職務質問がそこら中で行われている。本来、職質など強制ではなく任意である。それなのにどうして警察は偉そうに手当たり次第、職質をできるのだろう。
 調子に乗った警官が図に乗って職質したのが政治家で、問題になった事もある。
 どっちにしても歌舞伎町で商売をやっている人間にとっては、本当の意味で冬の時代がやってきたのだ。
 当たり前のように儲かっていた店が、次々と姿を消していく。何故ならばこの繁華街へ毎日のように遊びに来る客が極度な職質などにより、他の繁華街へ流れていったからである。
 当然、うちの『ワールド』も被害は受けていた。
 一時はあれほど盛り返し忙しかった店も、今では閑古鳥が鳴くようになっている。
 最近来る主流の客でいえば、『シャブ中三兄弟』と陰で俺たちが仇名をつけた客だった。悪い意味合いでつけた訳でなく、むしろ愛着を持ってつけた仇名である。
 実際の兄弟ではないが、絶対にその三人はトリオで来てくれた。
 普段はいい客である。金もかなり落としてくれるし、態度もいい。しかし一人目がトイレに行きだすと、俺たちは吹き出しそうになるのを堪えた。
 トイレから出てくる長男。目つきが尋常でなくなっている。中でシャブか何かの薬を極めてきたのだろう。
 続いてメガネを掛けた次男がトイレに向かう。細い垂れ目がすごい勢いで吊り上った状態で出てくる。
 最後に三男がトイレに向かう。三男は一番ヤバイ感じで、顔つきそのものが豹変し、何故かあごを突き出しながら、体全体をカクカクさせながら席へ戻る。
 三人が三人共、薬の極まり具合が違うのだ。いつも俺は、部下にトイレの中を見て来いと命じた。警察が来た時、何かしらの痕跡が残っていたら、洒落にならないからである。
 うちに来ると、絶対にトイレに行き豹変する三人組。なので『シャブ中三兄弟』という仇名が自然とつけられた。
 そんな客でも大事にしなければならないほど、店の状況も悪化していた訳である。

「神威さ~ん、最近どうですか?」
 初期に辞めた元従業員の大橋から電話があった。
「う~ん、本当にヤバイかもしれないな」
「今の歌舞伎町っておかしいですからね」
「どうしちゃったんだろな」
「金融業界のほうはもっとヤバイですよ。あ、金融って言っても闇のほうですけど」
「そうなんだ」
「下池さん、いたじゃないですか? あの人、捕まる瞬間テレビに映ってましたよ」
「え、ほんと?」
 大橋の話によると、ある日テレビで行き過ぎた闇金の実態に迫ったドキュメント番組がやっていたそうな。当然やらせかと思いながらボーっと見ていたら、闇金の事務所を捕まえるシーンになり、見覚えのあるところだなと思っていると、以前下池の元で働いていた場所だったそうだ。そこの責任者になっていた下池は、テレビで全国に顔を晒しながら捕まっていたと、大橋は興奮気味に話す。
 あの悪党も年貢の納め時か……。
 哀れには思わない。しかし一緒になった嫁さんには連れ子の小さな女の子がいたっけ。その点だけは少し心配だった。だけど俺が彼にしてやれる事は何もない。下池が『ワールド』を辞めた瞬間から、俺との関わりはまるでなくなったのだ。
「神威さん、たまには飯でも一緒に行きましょうよ」
「そうだな……」
「ほんとっすか?」
 電話口の向こうで大袈裟に喜ぶ大橋。こんなに喜ぶなんてもっと前から了承してやれば良かった。五年間も必死に連絡してきているのだ。一緒に飯ぐらい行っても罰は当たるまい。

 店の入り口には切り文字で作った看板に、『当店、外国人、暴力団、または暴力団風の入店をお断り致します。当店でそう判断させた頂いた方の入場を固くお断り致します。店主』と書かれたものが壁に貼っている。これはどういものかと言うと、ヤクザだけど口頭で「違うよ、俺は一般人だよ」と言われてしまうのを防ぐ為である。こちらの判断により、時には本当の一般人でもそれらしく見えると断る場合もあった。
 これはあとでゴネる客をなるべく出さぬよう始めから排除するという目的だ。何癖と因縁をつけてくる輩は、どんな手でも使おうとする。あとで揉めるぐらいなら始めから入れなければトラブルにならない。俺は歌舞伎町でこの方法を何年も通してきた。
 以前の話になるが、深々と帽子を被った妙な男が来店した事がある。
 当時席は一台を除き満席状態。ちょうど入ったばかりの新人が対応し、普通に入れてしまった。その男、その台に一万円ほどノーテイクで遊び、すぐリストへやってきた。
「おたく店長? おたくの従業員にさ、ゲームやる前にダブルアップは最後まで叩ききって下さいなんて言われたからやってみたけど、一万円ストレートで入るだけで、何も出ないじゃん。これじゃ詐欺と同じだよね?」
「あの言っている意味が、よく分からないんですけど」
「だからおたくの従業員がさ、テイクするなって言ったからこっちはそうしただけでしょ? だから金を返して欲しいんだよね」
「申し訳ないですが、うちの従業員がそのように言ったと言いますが、そんな教育はしていません。それに台に入れた金を返せと言いますが、もし出ていたらどうしました? それがギャンブルといういうものじゃないでしょうか?」
「あんたじゃ話にならねえ。上出してよ」
 そう言うと男は帽子のツバを上げ、睨みを利かせてくる。先端が奇麗に尖がった眉毛。自前だろうか? これで威嚇しているつもりなのかと吹き出しそうになったが、忙しいので相手にしてられない。面倒なので、とりあえず浅田さんへ電話を掛けてみた。
「はい、もしもし。どうかしたの?」
 呑気な声の浅田さん。いつもこの人はマイペースである。
「いえ、それがですね……」
 俺は男の言い分を簡潔に伝え、「それで金を返せなんて無理に決まってますよね」とおどけながら言った。
「貸せよ」
 受話器をひったくるように男は奪い取り、浅田さんと話をしだす。
 十分ほど話していたが、男は怒り出し「じゃあ、いいよ!」と受話器を叩きつけようとする。俺は手で受話器を受け止め、「お客さん、店の備品壊したら弁償させますよ」と小馬鹿にした。
「覚えてやがれ! チクショウ!」
 捨て台詞を残し、男は階段を駆け上がっていった。
 この程度なら可愛い話だが、仕事上邪魔なので面倒臭そうな客はすべて最初からゲームをやらせない。それが一番である。
 外国人もお断りとなっているが、これは主に中国人の侵入を防ぐ為だった。
 知り合いの店の話だが、中国人の客主体のゲーム屋があった。非常に狭い店で、台の数は全部で五台のみ。従業員はその知り合い一人だけというところである。
 一晩で十万円負けた中国人が、「この台欲張り。金、いくら食べても満腹にならない」と言い掛かりをつけてきて、「食べた金返せ」と始まった。知り合いは「無理ですよ」と断ると、「そうか」といきなりアイスピックで胸を突き刺された。今でもその時の傷跡は残っている。物騒な話である。
 パチンコでも競馬でも、負けたから金返せは通らない。でも不思議とゲーム屋だと何故か甘えてくる客がいる。
 何度断っても来てしまう韓国人もいた。入口で何度同じ説明をしても、理解してくれないのだ。
「私、自分の国では新聞記者やってます。これは差別です。国に帰ったらこの事を新聞に書きます」
(好きなだけ書けよ……)
 心の中で呟くだけにしておいたが、この韓国人は今までに十回ほど来て同じやり取りを繰り返している。

 今日の客の数は七名。台が半分しか埋まっていない。
 救われた気分になるのが、初期の頃から変わらず来続けてくれる小倉さんの姿がある事だった。このお客さんは本当に大したもので、来ると必ずどんなに負けても文句一つ言わず、朝まで奇麗に遊んで帰る。この店で一番大切にしたいお客さんだ。
 いきなり金回りがよくなり、急に太くなる客というのは多く目にするが、数年変わらずに同じ状態でい続けるというのは至難の業である。
 先日競馬の『宝塚記念』の馬連で十五万馬券が飛び出し、小倉さんはこの万馬券を八千円も購入していたという驚きの人でもあった。
 ゲーム屋は盆も正月も関係ない。さすがにこの時ばかりは店も暇であるが、小倉さんはコンスタントに週二、三回は顔を出してくれる。今年も元旦の夜に来てくれ、二日の朝方までゲームを楽しんだ。いくら負けても「一晩遊んで十五万じゃ安いもんだよ」と余裕の笑顔で帰っていくのである。
 見掛けは本当にそこら辺にいるただのおじいちゃん。身なりも薄汚れたジャンパーを羽織り、とても金を持っているようには見えない。しかしそんな人が実は一番金を持っていたりするから不思議だ。
 ある日の朝方、二十万以上負けた小倉さんが帰ろうとしたので俺は『特サ』を持とうと近づいた。心の底から申し訳なさそうに詫びると、「いいよ。気にするなって。また来るよ」と元気に笑いながら言ってくれる。
「でも小倉さん、サービスしますので……」
「いや、これから勝負なんら」
「え、勝負ですか?」
「おお、勝負ら!」
 そう言って小倉さんは懐から束になった新品の札束を五つ取り出した。どう見ても五百万円である。
「ど、どうするんですか?」
「今日はこのあと競艇に行くんらよ」
「絶対に勝って下さいね。祈ってますから」
「ありがとう」
 二十万も負けているのにまったく気にせず、しかもまだこれから別のギャンブルなんて素敵なおじいさんだな。本当に感心してしまう。俺は小柄な小倉さんの後ろ姿を見えなくなるまで見送った。
 店へ戻ると、入口で山羽が深刻そうな表情で立っていた。
「どうした、山羽?」
「あ、あのですね…。神威さんにお話が……」
「何だ、言ってみろ」
「いや、ここだと……」
「みんなには聞かれたくない話なんだな?」
「え、ええ……」
「分かった。今日、仕事が終わったら一緒に食事でもしながら話そう」
「ありがとうございます」
 山羽の表情から察すると、只事ではないような気がした。こんな俺で良かったらいくらでも相談に乗ってやろう。山羽はホッとしたように元気よくホールへ戻ってINをしだした。

 もうあと三十分で十時になろうとする頃、入口に物騒な人相の二人組が見えた。どう見えもコテコテの筋者である。
 俺は慌ててホールから飛び出し、入口の通路をとうせんぼするように立ち塞がった。
「すみません、お客さん。当店、暴力団風の方の入場はお断りしてますので……」
 そう言った瞬間、筋者はいきなり俺の胸倉をつかみ、「んだとワレッ!」と大声を張り上げた。
 いつもなら何があっても台に熱中しているはずの客たちが、こちらを向くぐらい大きな声である。絶対に中へ入れる訳にはいかない。
「いきなりどういう了見や、コラッ!」
 派手に粋がる筋者。一人はパンチパーマでサングラス。もう一人はスキンヘッドで右頬中央から耳たぶまで大きな切り傷がある大男だった。
「ここじゃ店内なんで、外へ行きましょうよ」
 極めて冷静に言うと、「何をおまえは粋がっとんのや、おい!」とさらに威嚇を繰り返す。これが路上だったら、一発殴って逃げちゃうんだけどな…。店でそうする訳にも行かず、外へ連れ出す事にした。
「おい、おまえ、客の前だからって随分と粋がってくれるやんけ」
「申し訳ないですが、私はこの店を預かっている以上……」
「んな事、どうでもええわ!」
「自分にも立場ってもんがあるんですよ。せっかく来ていただいて申し訳ないですけど、遊ばせる訳にはいきません」
 駄目なものは駄目。こういう時はハッキリと意見を言わないといけない。言いながら、普段では出さない殺気を醸し出すようにしてみた。
「何や、粋がってるつもりかいな?」
「そんなつもりは毛頭ありません。店を守ろうとしているだけです」
 筋者たちも普通にゲームができる訳がないのを知ってワザと来ているのだ。本来の目的は断られた代償として、足代の請求である。汗水垂らして作った売り上げだ。こんな連中に取られるほどヤワではない。
 五分ほど睨み合いが続く。
「素人があまり粋がんなよ、おいっ!」
 両手で筋者が俺の胸を突っぺしてくる。その時俺の体の筋肉に触れ、筋者も少しは何かを感じたような表情をしていた。格闘技の試合から離れて一年以上。しかし体はまだ、一般人離れをしている。
「別に粋がっちゃいませんよ。さっきから何度も言ってますけど」
「何や、やるんかい?」
「いえ、おたく方に喧嘩を売るほど馬鹿じゃありませんよ」
 そう何でもありで、ケツの毛まで金を毟りにくるのは知っている。
「おまえの態度はな……」
「気に食わないなら、どうぞ殴って下さい」
 俺は顔を筋者の目の前につき出す。
「ケッ、このガキが……」
 これで殴ってくる筋者は、よほど頭がどうかしている。だいぶ予想と違い、ひるんでいる様子だ。そろそろいいタイミングだな……。
「すみませんが、うちも商売で営業しています。当然この街ですし、ケツモチだっています。殴りたいならどうぞ。その代わりケツから言われている事があります。殴られたら責任持って金を取ってやると……。もしくは殴るなら一発やられてからにしろとも言われています。俺は後者を選びますがね」
「……」
「暴力団と呼ばれていますが、暴力というものがあなた方の専売特許だなんて思わないほうがいいですよ」
 すると急に筋者の顔が温和になり、「兄ちゃんの立場も分かってるがな」と急にフレンドシップになりだした。
「分かっていただけるなら、ここは自分の顔に免じて引いてもらえませんか?」
「まあ、そう言うなや。ちょこっとぐらい遊んでもええやん」
「いえ、それは駄目です」
「何や、しっかりした奴やな」
「すみません」
「まあええ、邪魔したな」
「せっかくお越しいただいたのにすみません」
「これからも仲良くしてや」
「それは構いませんが、自分のいない時間に来ちゃ駄目ですよ。いる時間もですけど」
「は、分かったわ。じゃあな」
「申し訳ございませんでした」
 これにて一件落着である。スマートにこういったあしらいができない店は、足代を払うハメになるのであった。

 従業員の山羽の深刻な話があり、これから聞かなければならないというのに、早番の責任者の吉田は今日も遅刻をした。
 十時になっても店に来ず、電話をすると「すみません、今起きました」と言っている始末だ。俺は返事もせず、そのまま電話を切った。
「すみません、お疲れのところを」と申し訳なさそうに倉下が言った。
 早番の従業員である大山と倉下。この二人は二年前同時期に『ワールド』へ入ったなかなかいいコンビである。
「気にすんな。別におまえらのせいじゃないしな」
「でも吉田さん、毎回毎回じゃないですか」
「本当ならクビにしたいけど、オーナーのお気に入りだしな」
「この間なんて酷かったんですよ」
 大山が口を挟んでくる。
「酷かったって? 何が?」
「吉田さんですよ」
「あの豚がどうかしたのか?」
 吉田は俺より一つ年上の三十一歳。その辺でスーパーで買い物をしているおばちゃんのような顔をしており、デブだった。なので『豚と』陰で呼ばれている。
「倉下さん、早番の二番手じゃないですか。それで吉田さんが八時に上がったあとの話なんですけど……」
「ちょっと待ってな。おい、山羽、悪いけどさ。おまえの話聞くの明日じゃまずいか? 吉田の馬鹿が遅刻したから、俺もまだ来るまで帰れないしさ」
「いえ、今日聞いてもらいたいんで、自分も待ってます」
「そっか、悪いな」
「いえ、気にしないで下さい」
 吉田の遅刻は、こうして多くの従業員たちの迷惑となっていく。
 先ほど話途中だった大山の話が気になる。俺はまた話の続きを聞く事にした。
「吉田が八時に上がってからどうしたの?」
「ええ、それで神威さんら遅番が夜十時に来る前、店に電話があったんです。吉田さんから」
「うん、それで?」
「今、中野のキャバクラで飲んでいるから、ドンペリのピンクを持って来いって……」
「はあ? 何だそりゃ?」
「何でも中野のキャバクラに気に入ったキャバ嬢がいるらしく、その子の誕生日だったらしいんです。それで十時に仕事終わったら、酒を持って来いと」
「酷い奴だな。で?」
「倉下さん、ドンペリ買って店に行ったら、『おまえも飲んでいけよ』って座らされて、ボトルを開けようとしたんです。そしたら店の従業員から持ち込みだと五万取るって言われ、結局金が足りず、開けられなかったんです」
 あまりにも滑稽な展開に俺は大笑いした。本当にダサい男である。
「で、帰る時になって、てっきり吉田さんの奢りだと思うじゃないですか」
「それはそうだろ。自分で無茶言って来させたんだし」
「それが今まで吉田さんが飲んでいた時間からの料金を割り勘という形で出させられて」
「何? 本当かよ、倉下?」
「はい……」
 倉下はその時を思い出したのかイライラしているようだった。大山は話を続けた。
「しかもドンペリ代を払ってくれず、『おまえが持って帰っていいからな』のひと言で終わったんです」
「倉下、おまえ、吉田に金を請求しなかったの?」
「もちろんしましたよ。でも、『キャバクラで開けたら金掛かるぐらい分かるだろ』と訳の分からない事を言って誤魔化されました……」
 本当に責任者なのかと怒鳴りつけてやりたかった。下の面倒を見るのが上の立場である。それをあの豚は都合よく利用しているだけなのだ。立場に甘え、好き放題。そろそろ俺も限界である。
 ようやく昼の十一時半になって吉田は、のこのこ店へやってきた。
「いや~、すみませんね~、神威さん」
 悪びれた様子もなくのらりくらりの吉田。さすがに苛立ちを隠せない。
「ふざけんなよ」
 俺はそれだけ言うと、山羽を連れて『ワールド』をあとにした。

「山羽、待たせて悪かったな。何が食いたい? 好きなもんご馳走してやるよ」
 できるだけ明るく話し掛ける。山羽は妙に神妙な顔つきだった。
「できれば静かなところがいいです」
「ゆっくり話せるところがいいか?」
「ええ、そうしていただけたら……」
 俺は西武新宿駅と一体になっている『新宿プリンスホテル』の地下二階にあるイタリアン料理の店『アリタリア』へ行く事にした。
 ランチ時という事もあり、『アリタリア』はそこそこの賑わいである。たまにこのレストランを利用する俺は、プリンスの従業員からいいもてなしを受けていた。
「いらっしゃいませ。本日は仕事明けですか? お疲れさまです」
 俺の姿を見掛けると、黒服のホテルマンが笑顔で近づいてくる。
「すみませんがゆっくり話をしたいので、奥のテーブル使わせていただいてもよろしいですか?」
「ええ、もちろん構いませんよ。案内いたします」
 奥のゆったりとしたソファーの席へ案内されると、適当に料理を注文した。
「山羽、酒はどうする?」
「いえ、自分、まったくの下戸ですので……」
「何だ、酒が駄目なんだ。悪いけど、俺だけウイスキー飲んでもいいか?」
「ええ、ご自由にどうぞ」
「それじゃ、遠慮なく」
 ホテルの用意してくれたグレンリベット十二年をストレートで軽く飲み干す。爽やかなピート香が鼻をつく。スコットランドのスペイサイド地方を代表する由緒あるモルトウイスキー。俺はこの酒が一番好きだった。
「それで話って何だ?」
「あの~……」
「ん、どうした?」
「『利根川ストーカー殺人事件』って知っていますか?」
「ああ、それぐらい知っているよ。テレビでも新聞でも連日取り上げていた事件だもん。それがどうかしたの?」
 この事件がきっかけとなり、ストーカー規正法が制定されたほどである。
 要約すると、被害者の女子大生がある男と付き合っていたが、常軌を逸した行動や暴力から別れ話を切り出す。しかし納得しない男は家族に危害を加えると脅し、別れるつもりはなかった。女子大生は遺書まで用意して身の危険を感じた。男は自分の兄と共に女子大生の家まで行き、五百万円を強要。両親は心配で地元の上尾警察署に相談するも、民事不介入を理由に取り合ってもらえず。それ以降女子大生の家には無言電話の嫌がらせや、自宅周辺、大学、父の職場へ中傷ビラを撒かれる。ここで女子大生は告訴をするが、上尾警察署で被害届に改ざんされた。その後も嫌がらせは続き、とうとう女子大生は男の兄から依頼された同じ店の従業員によって殺害されるという暗い事件である。まだ未解決のままだった。
「中傷ビラとか風俗の店員が撒いて、指名手配になっているじゃないですか?」
 埼玉県警が記者会見を行い、女子大生に非があるような内容を発表し、多くのマスコミがそれをそのまま報道した。しかし写真週刊誌の『フォーカス』だけがストーカーグループの異常な行動を浮き彫りし、独自に取材を続けていた。それによって殺害者は逮捕。依頼した男の兄も逮捕されるが、肝心の男は逃亡中。中傷ビラを撒いた従業員たちも指名手配されたと聞く。
「うん、それで?」
「実は自分、その内の一人なんです……」
 一瞬、時が止まったかのような錯覚。危なく酒を吹き出しそうになる。しかし、山羽の目は真剣そのものであった。
「おまえ、何を言ってるんだよ……」
「本当なんです。信じて下さい」
「ふざけんなって」
「証拠ならあります」
「嘘つくなって」
 冗談でも笑えない。できればそんな証拠など見たくもない。
「本当です。あの女子大生を刺し殺した人間いるじゃないですか?」
「ああ」
「あれ、店長の兄が頼んだ人間で一緒に働いていたんですけど……」
「それで?」
「あの店で働いている時、歯医者行くのに保険証がなかったので、あの店長の保険証を借りて、今も持っているんですよ」
「もしそれが本当なら持って来いよ」
「分かりました。明日、いえ、今日の夜持ってきます」
 結局最後の最後まで山羽は、笑わないで真面目に話していた。こんな話を誰が信じられるというのだろうか……。
 せっかくの優雅な食事も、うまく喉を通らなかった。

 夜十時になり、山羽はいつもと同じように出勤してきた。あの話の真偽の程がこれでハッキリする。
「おい、持ってきたのか?」
「ええ、これです」
 山羽は一枚の青い保険証を目の前に出す。
「……」
 俺は言葉を失った。本当にあの『利根川ストーカー事件』に関わる人間の名前が、その保険証には書いてあったのだから……。
「俺、あの事件の全貌をすべて知っているんです…。あの店長、逃亡中ですよね? 俺、下手したら命まで狙われているんです。警察にも指名手配されているから、まともなところじゃ働けないし……」
 山羽は必死だった。俺は他の従業員たちに会話を聞かれないよう口に人差し指を当てた。こいつの話している事は本当の事だ。そう自然と受け止められた。
「でも何故、俺にそんな事を話したんだ?」
「自分、ここで本当によく接してもらっているんで、いざって時に迷惑かけちゃいけないなって思ったんです」
「じゃあ、辞めたいって言うのか?」
「いえ、できればこのまま働きたいです……」
 今にも泣き出しそうな山羽。自分のクビを賭けての告白だった。指名手配されている人間との正しい接し方など俺には分からない。でもたった数ヶ月間とはいえ、毎日のように俺はこの山羽と顔を合わせ、仕事をしている。見捨てるなんて、できなかった。
「分かった……。俺は今の話…、何も聞いていない…。何も聞こえなかったぞ」
「あ、ありがとうございます……」
 名誉毀損容疑で警察から追い掛け回されている山羽。この男の裏側には俺では想像つかない何かがあるのだ。
「その代わり、もし捕まっても、うちで働いてたなんて抜かすなよ」
「当たり前です」
 それからゆっくり時間を掛けて俺は、あの事件の全貌を聞いた。
 新聞や雑誌は、刺し殺された女子大生をひたすら擁護するような記事ばかりだったが、山羽の話はまったく違った。
 元々つき合っていた男は風俗店の店長で、その店で働いていた女性が女子大生。そして店長と女性はプライベートでできていた。男と女の関係である。店長は彼女にメロメロになり、色々と金などを貢いだそうだ。この現場は山羽も実際目にしていたと言う。突然彼女は店を辞めると言い出し、口論になったらしい。散々利用するだけ利用してポイッと捨てた女性に、店長の怒りは収まらなかった。その怒りは、凄まじかったようだ。
 風俗嬢と店の人間ができてしまう。よくあるケースだった。そういう関係を築く事で確実に自分へ客をつけてもらえる風俗嬢……。
 店長は山羽を含む従業員たちを脅し、いたずら電話をさせたり中傷ビラを撒かせたりと、随分ムチャクチャな行動をやらせた。
 それでも怒りが収まらず、あのような結果に……。
 人の命を奪うのは、一番いけない事である。それはやっちゃいけない事である。
 でも、考えてほしい。そこまで人の怒りを買うような真似をしたほうにも責任があるという事を……。
 男尊女卑の時代から時は流れ、女のほうが強くなったといわれるような世の中に変わりつつある。男も女も少しモラルをなくし過ぎのような気がした。
 ストーカー……。
 やられるほうにしてみれば、いい迷惑だろう。でも世間で騒いでいるほとんどが、本当にそうなのだろうか?
 片方は純愛で付き合っているつもりなのに、相手はそこをうまく利用する。そんな図式が壊れた時、純情な心が壊れた時……。
 真面目な誰にでも好かれる女子大生が、あんな無残な殺され方をするのだろうか?
 数箇所刺され亡くなった。依頼されただけの人間が、そんな殺し方をするものなのか?
 周りの人間はさぞかし悲しんだろう。でもそうなる前に何故、もっと早く彼女の現状を注意できなかったのだろうか。
 何かがあってからでは、もう遅いのだ。
 もっと、みんなモラルを持つべきなのだ。いや、裏稼業で働く俺がモラルなんて言葉を使うのは間違っているか……。

 なるべく山羽の件は考えないようにしていた。テレビで連日報道されるニュースを見る度、本当に自分のしている行為は正しいのか自信がなくなっていく。
 今までは単なる他人事の事件だった。今は違う……。
 もはや他人事では済まされない状況にしてしまったのではないだろうか?
 自然とイライラしていた。自分自身の手に負えない事に首を突っ込んだせいか。山羽は変わらずうちで仕事をしている。俺にとっては一生懸命働く可愛い部下にしか映らない。
 何でこんな事件に巻き込まれちまったんだよ、山羽……。
 言いようのない虚無感が全身を覆う。
 そんな山羽が、二時間ほど遅刻をしてきた日があった。ここ最近の彼は精神的にも疲れているのだろう。ちょっとした遅刻がチラホラある。
 俺は遅刻してきた山羽を怒鳴りつけた。
「馬鹿野郎っ! 何時だと思ってんだ、オメーは」
 山羽は必死に謝っている。しかしここ最近の遅刻の多さ。店で働く事とプライベートは別である。俺は心を鬼にして問答無用で怒鳴り、「やる気ない奴なんて帰れ」と山羽を帰してしまった。まだイライラしていた、自分に対して……。
 この日店はとても忙しく、夜中の三時頃になっても満席だった。二番手の島根が俺に声を掛けてくる。
「神威さん…。山羽君、何とかなりませんか?」
「何とかって何だよ?」
 俺は最低だ。山羽の件のイライラを島根にまでぶつけている。
「いえ、彼も随分と反省していると思うんです。許してあげても……」
 この店の従業員たちは、仲間思いのいい連中たちばかりだった。
 しかし立場上ここで笑顔を見せる訳にはいかない。心の中で分かってくれよと願いながら口を開く。
「忙しくて大変だというなら、おまえが山羽に連絡を入れてやればいい。もし、やる気があるならこの時間、タクシーを使ってでもいいから来いと……」
「分かりました」
 喜んですぐに電話をする島根。
 結局、山羽はタクシーを使って、三十分後に店にやって来た。俺の顔を見るなり真剣な表情で必死に謝ってくる山羽。
「山羽……」
「はい」
「タクシー代はいくら掛かったんだ?」
「は、はい…、五千二百円です」
 財布から一万円札を取り出して、乱暴に手渡す。
「神威さん……」
「いいから取っておけ。次はもうするなよ」
「はいっ、すみませんでした!」
 この日、初めて俺は笑顔を見せる事ができた。

 夜出勤すると、吉田が「いや~、まいりましたよ、神威さん」と近づいてきた。話を聞くと、オーナーが店を閉めるか、従業員を減らすかと言い出したらしい。
 確かに店の経営も、本当にまずくなってきた。客が明らかに減っている現状だ。
「誰をクビにするか、今から色々考えるようですよ」
 自分の立場だけ守れれば、それでいいという考えの吉田。相変わらず腐っている。
「今、ここでそんな事を話してもしょうがないでしょ。いずれ話が来るまでは、そんな事は考えたくもないです」
 俺がそう言うと、吉田は面白くなさそうに帰っていった。
 今日も客がまばら。毎日悲鳴が上がるほど忙しかった時期が懐かしい。いつもより長めに食事休憩を回す。その時、浅田さんより電話が入った。俺に話があると言う。先ほど吉田が言っていた件の事だろう。
 仕事中、外へ連れ出される。近くの喫茶店へ入ると、お互いコーヒーを注文した。
「神威君、最近店の売り上げも悪いでしょ……」
 唐突に話を切り出す浅田さん。非常に申し訳なさそうな表情だった。大方言いたい事の予想はつく。
「店を閉める…、ですか?」
「いや、そこまでじゃないんだけど……」
「では、どうしろと?」
「オーナーがさ、株と土地開発に金をつぎ込んで失敗しちゃってね……」
「ええ」
「ワイも今、オーナーへ逆に金を貸している状態なんや」
「そうなんですか」
「で、各店の売り上げもどんどん落ちている」
「それはあの火事の一件以来、今は我慢の時じゃないかと……」
「もちろんワイもそう何度も言ってるんや。でもオーナーが納得せんのや……」
 そう言って浅田さんは、ゆっくりタバコへ火をつけた。
「では、どうすればいいんですか?」
「早番遅番共、各一人ずつ…、従業員を減らせと言われてね……」
 すべての従業員の顔を思い浮かべた。ずっと頑張ってついてきてくれた従業員たち。誰一人、いらない人間などいない。
「誰をクビにしろって言うんですか? 俺には誰のクビも切れません!」
 思わず立ち上がり、テーブルを叩いていた。回りの客がこちらを見る視線で我に返る。
「神威君の気持ちは、ワイだって痛いほど分かっている」
「じゃあ誰かをクビにだなんて言わないで下さい! 要は…、オーナーは従業員二人分の給料さえも、自分の懐に入れたいだけでしょ?」
「でも早番の吉田君とも話ししたら、彼は一番下の従業員のクビを切ればいいって」
 ゴマすりの吉田。俺が最も大嫌いなタイプの人間である。あんな調子だけいい奴に、これ以上店を引っ掻き回されたくない。
「吉田、吉田って、あいつは仕事なんてほとんど何もできないし、貢献など何もしてないじゃないですか!」
「でもオーナーが吉田君を妙に買ってるからね……」
「じゃあ、遅番も誰か一人、クビを切れって言うんですか?」
「……」
 悔しさで目に涙が滲む。
「ゴ、ゴマすりだけできれば、この業界っていいんですか?」
「え?」
「確かに俺は上に対し、愛想良くもできないし、可愛げもないかもしれません。でも、実際に数字だけは出してきました……」
「あ、うん、それはみんな分かってるよ」
「全然分かってないじゃないですか! いいですか? 店にとって本当のガンは吉田ですよ? 年がら年中ゴマをする事しか考えず、下の人間はうまく利用するだけ。店の事だって何もできないから、ずっと遅番とは三倍ぐらい忙しさだって、売り上げだって違うままじゃないですか? そんな吉田がクビを切るから、俺も誰かをクビにしなきゃいけないんですか? 冗談じゃないですよ!」
 人目はばからず、俺は泣きながら懸命に抗議していた。
「そんな困るような事、言わんといてよ……」
「だったら店が暇になったのは、店長の俺と早番の責任者である吉田のせいです。本来責任を取らなきゃいけないのは、俺と吉田ですよ」
「……」
「いえ、それなら俺と吉田の給料を下げればいいじゃないですか? 俺は一日で一万八千ももらっています。吉田にしても一万六千円。あんな遅刻ばかり繰り返してる奴でさえ、そんなもらっていたんです。それで足りないなら、一日一人ずつ各番休ませていますが、暇な平日は各番二人ずつ休ませれば、従業員二人のクビ切りなどいらなくないですか?」
「分かった…。神威君の気持ちはワイ、よく分かった…。だからワイもオーナーを説得してみるわ。嫌な思いさせてごめんね」
 俺はしばらくテーブルに突っ伏したまま泣いていた。

 どんどん下火になっていく歌舞伎町。どこが世界最大の繁華街なんだ……。
 俺は浅田さんとの話を従業員に伝えられず、朝までもんもんとした気持ちのまま過ごした。
 朝十時になり、珍しく吉田が遅刻せずにやってくる。俺は休みを多く取らせるようにして、誰かクビするのは止めた事を説明した。
 すると吉田は面白くないのか、余計な事をしやがってという不機嫌そうな顔になる。
「そんな急に従業員の休みを減らせって……」
「じゃあ、誰かをクビにすればいいんですか?」
「早番は四人しかいないんですよ? それを二人も休ませろって言うんですか?」
 確かに人数的には、遅番五人の早番四人である。しかし忙しさも違うし、俺は経費を考え、ちゃんと一日絶対一人ずつ休ませるようにしてきた。吉田は違う。ポーカーに負けたからと言っては休みなのに仕事へ急に出てきたり、自分が楽をしたいからという理由で他の従業員の休みを週一にさせたりと横暴だった。つまり経費的には夜も昼もそんな変わりはないはずなのだ。
「だったら遅番は、平日二人は休ませる。金土は一人。早番は、毎日一人は確実に休ませるでいきましょうよ」
 本当に自分の都合しか考えられない男だ。自分にとってあきらかにプラスの意見を恥ずかしげもなく堂々と抜かす始末。
 今まで遅番の一人当たりの休みは、月六日。それを十日ぐらいまで増やす必要がある。早番は七から八日で済む計算になる。日払いという形で給料をもらう俺たちにとって、望んでいない休みは逆にありがたくないのだ。
 これ以上この馬鹿と話をしていると、殴りそうになってしまう。あとは浅田さんと相談するからと、吉田を早く店から追い出す事にした。
 お喋りな吉田は帰り際、島根たち従業員へ「これから休みが多くなりますね」と余計な台詞を吐いて帰っていく。まだ本決まりになっていないのに……。
「まったくあの豚野郎は余計な事しか言いませんね」
 珍しく島根が感情的になっていた。彼と吉田は古くから因縁のある相手でもある。
 島根が『ワールド』に来る数年前の話。これは彼から直接聞いたのだが、当時島根は別の店で店長をしていたそうだ。その時、オーナーから取り入られるような形で、吉田が入ってきたと言う。島根の店の従業員が抜きをしていないかどうかのスパイ要員として、入ってきた吉田。また別のところでも調子よくゴマをすり続けていたのだろう。
 実際に豚は、そこのオーナーの誕生日、お中元、お歳暮と高価な品を渡していたと言う。この『ワールド』でもオーナーと浅田さんには同じ事をやっている。但し、下の人間からその時は五千円ずつ徴収しているが……。
 島根と同じ年の吉田。島根は豚に対し、かなり気を使ったと言う。仕事中抜け出しては他のゲームへポーカーしに行く豚。金のなくなった吉田に島根はかなりの金額を貸してやったそうな。
 その店が潰れ、吉田はタイミングよく『ワールド』へ。ちょうど安定した仕事のなかった島根をここへ誘ったのも吉田。
 当初、島根は豚のいる早番の人間だった。格闘技やプロレスが好きで詳しかった島根とは、一度ゆっくり話してみたかった俺。一度お互い休みの日を調整して飲みに行った。島根が『ワールド』に来てから八ヶ月ほど経った頃である。その時の彼の『デズラ』を聞いて俺はビックリした。新人と変わらず一万一千円のままだったのだ。
 遅番の人間は元々忙しいので、三ヶ月頑張れば俺が浅田さんへ交渉し、『デズラ』を千円上げてやった。八ヶ月もいる島根に対し、何一つしようとしない吉田。しかも事あるごとに「島根さんは私が面倒見てやったんですから」と嫌味たっぷりに勝ち誇るのだ。
 島根の屈辱感といったら計り知れないものがあるだろう。
 忙しい遅番は体力的に辛く、入ってすぐに飛ぶ人間が多い。そこで即戦力として俺が島根に夜に来てくれたらなと自分の気持ちを伝えた。すると島根は一発返事で「神威さんが言うならすぐにでも行きたいですよ」と言ってくれた。
 以前吉田に島根がほしいと言っても、いつも「島根さんは絶対に行きたくない。行くぐらいなら辞めるって言ってますよ」と嘘をつかれていた事を言うと、島根は「あの豚野郎……」と恨みの籠もった視線を宙に向けた。
 遅番に来た島根の『デズラ』をすぐに千円上げさせ、翌月も千円上げさせた。島根は「神威さん、本当にありがとうございます」と喜んでくれた。それからは彼は今現在まで二番手として俺をいつも助けてくれている。
 吉田さえいなくなれば、それだけでかなりの経費削減になるのにな。この頃から俺は、どうやったら豚を店から追放できるか。それを真面目に考えるようになった。
 そんなある日、山羽が連絡なしに店を休んだ。最初はただの遅刻だと思っていた。しかし一日経っても二日経っても、彼が『ワールド』へ姿を見せる事はなかった。携帯へ連絡しても電源が入っていない。状況を聞いていた俺は、あの例の事件で捕まったのかと連日新聞を読み漁った。三日後、山羽祐介の名が新聞に載っていた……。
 何もしてやれない俺。悔しかった。すべてを投げ出したい気持ちになる。それでも日々の生活、店の存続問題があった。嫌でも逃げ出せない状態にいる。

 

 

7 新宿フォルテッシモ - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

山羽がいなくなってから一週間が過ぎた。『ワールド』にあの事件の事で警察が来る事はまったくない。あいつ、律儀に約束を守りやがって……。あの逃亡中だった...

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