岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

3 コードネーム殺し屋

2019年07月19日 13時15分00秒 | コードネーム殺し屋/初めて書かされたホラー小説

 

 

2 コードネーム殺し屋 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

1コードネーム殺し屋-岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)コードネーム殺し屋―つぶし屋の章―一人の女が、ドアを恐る恐る開けて入ってくる。三十後半、いや、四十...

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「ただいま~」
 千夏が完成堂から帰ってきた。さすがに作ったキャラクターを演じるのは、非常に疲れているのか表情は冴えない。
「お疲れ」
 俺の顔に千夏の顔が近づく。柔らかい甘い唇の感触が伝わる。俺は千夏の真っ赤なワンピースを強引に脱がせる。バストEカップはある豊満に実った形のいい胸を激しく揉みしだく。くびれた腰に下を這わせると、千夏はソファに身を崩しだす。
「ああぁぁ…、ふぅ~ん…。か、感じちゃう……」
 ほとんど裸同然の状態になった千夏は、上半身だけを起こし体をくねらせる。黒の部屋でお互いをむさぼり合った。純白なパンツを剥ぎ取る。繊細過ぎるレースにマッチしたパールラインのランジェリー。しかしそんなデザインなど何の興味もなかった。
「だ、抱いて…。あなたのを入れて…。お、お願い」
 必死に懇願する千夏。こいつの願いを叶えてやりたい。
「お、ぉ…、おねがぃ……」
 すくっと俺は立ち上がった。いつもこうだ。
「だ、大介…。あっ、社長」
「すまない……」
 静かにそうつぶやいた。
「ごめんね……」
 背中に抱きつく千夏。
「……」
「ごめんね……」
 いつも、千夏とはこんな感じだ。何故こんないい女を前に、俺は立たないんだ。あんなババアとは興奮してやれるのに…。いつから、こうなっちまったんだ。

 千夏はいまだに処女だった。他の奴ならいくらでも、喜んで抱いてくれるだろうに…。俺は何度も言った。他の男に抱かれろと…。頑なに千夏は拒んだ。何でこんなにいい女が、ずっと処女じゃなきゃならないんだ?千夏が不憫に見えて仕方がない。

 水村茂子がこの黒い事務所を訪ねてから半月が経過した。その間千夏は千春として完成堂へ働きに行き、信頼の積み重ねを続けていた。俺は一日に一度、近くで中の様子を眺めるようにしていた。
 あれ以来茂子からの電話はない。爆発しそうな性欲をしきりに抑えているのであろう。馬鹿な女だ。本能に忠実に動けば、もっと簡単に楽しく生きられるものを……。
 今日になって俺は千夏にゴーサインを出した。とうとうつぶし屋稼業の本領発揮である。俺はこの瞬間が堪らなく好きだった。地道に積み上げてきた信頼。初めてここでようやく活きてくるのだ。
 俺は、完成堂の店内に入りたい衝動を懸命に抑える。あれは非常に痛快だ。何度見ても笑えるシーンである。
 完成堂の入り口を見渡せる場所を見つけると、手帳を取り出し眺めるふりをした。俺はイヤホンから聞こえてくる音に、全神経を集中させる。
 一人の客が店内に入っていくのが見えた。
「いらっしゃいませ」
 千夏の声が聞こえる。チッという軽い舌打ち。客に挨拶を返されなかった千夏が、さりげなく聞こえるようにわざとやっているのだろう。
 それから五分ほど特別な事は何も起きず、細かい雑音だけが聞こえていた。先ほどの女性客の姿が見える。店内から何も買わずに出るところだった。
「すいませ~ん」
 千夏の声が聞こえる。振り向く客。
「はい、何か?」
 入り口に千夏の姿が見えた。
「何かじゃないですよ」
「え?」
「他人の敷地内に土足でズカズカ入り込んで、挨拶もなしに勝手に出て行こうとして……」
「はあ?」
「社会人として間違っていると思いますよ」
「そんな……」
「それともお客さま、ひょっとしてひやかしですか?」
「ち、違うわよ…。探していたものが、見たところ無さそうだったんで……」
「そうですか。では一体、何をお探しですか?」
 この位置からでは、千夏の表情までハッキリと見えない。だが、どんな表情をしているのか簡単に想像できた。口許がにやけてくる。
「ク、クリームよ」
「そうですか。なら、クリームはこちらにたくさんありますよ。どうぞ、来て下さい」
「あ、ちょっと……」
 客の手を勝手に掴み、千夏の姿は店内に消えた。
「ほら、こんなに種類があるんですよ。すごいでしょ?」
「い、いや…、私は……」
「こちらのクリームは今、三十台の女性客に評判高いんです。しっとりとしたうるおい。塗ったあとの肌触り。これ、いいですよ。値段はたったの三万円です」
「い、いえ……」
「じゃあ、このクリームなんてどうです?どちらかというと、こっちのほうが定価も安いので、お手頃ですよ。値段の割りに効果は抜群です」
「い、いえ…。あ、あの~」
「じゃあ、これでどうです。期間限定商品となってますよ。きめ細かいお肌にピッタリ。お客さん、年はいくつ?」
 俺は腹を抱えて笑った。普通客に向かって年いくつはねえだろ。まったくあいつも無茶するもんだ。
「あの……」
「年はいくつですかって聞いてるんですよ」
「よ、四十二です……」
「あら、見た目だけじゃ、全然分かりませんわ。てっきり、三十台かと思いましたわ」
「はぁ……」
「じゃあ、これなんてどうです?中年女性に大爆発」
「ちゅ、中年……」
「何を驚いてるんですか。事実は事実ですよ。あなた、どう見ても中年じゃないですか。だから、このクリームを買いなさい。これ塗れば、一歳は若返りますよ。多分……」
「冗談じゃないです。いい加減にして下さい。ちょっと、責任者はどこ?」
 お、ようやく客も切れだしたようだ。
「お客さん、店内で大声はやめて下さいよ。営業妨害で通報しますよ」
「な、何よ。私に触らないでよ」
 千夏が客を外に連れ出しているのが見える。こんな接客する化粧品屋なんて、世界中探しても絶対にねえだろうな。
「ここまで私に色々説明させといて、何も買わずに帰るんですか?」
「じょ、冗談じゃないわよ。あんまりふざけないで」
「ふざけてるのは、そっちでしょ?金を一銭も使わないで…。あんたみたいな人が日本の経済をどんどんおかしくしてるのよ。もう、あんた、出禁」
「で、出禁って何よ?」
「出入禁止」
「ふざけんじゃないわよ。私はこの店を結構贔屓にしてきたのよ?」
 千夏と客のやり取りで、通りの通行人が立ち止まり注目しだしてきた。そろそろ俺の出番が近づいてきたようだ。俺は内ポケットからサングラスを取り出し掛ける。早歩きで完成堂へ向かう。客は顔を真っ赤にして怒っている。
「一体、あなた、どういう教育を受けてるのよ?」
「そ、そんな、酷い……」
 千夏はか弱そうな声で言った。絶妙なタイミングだ。
「な、何よ、あなた。その豹変ぶりは?」
「私に何か失礼があったら謝ります。お客さまに大変失礼な真似をして、申し訳ありませんでした」
 本当に落ち込んで謝っているように見える。女優でもやったほうがこいつは向いてんじゃねえのか。
「な、何なのよ、あんた」
「ご、ごめんなさい」
「ふざけないでよ」
「すみませんでした」
「ちょっと、じょ、冗談でしょ。何よ、その豹変ぶりは?」
「申し訳なかったです。お客さまのお気に障る事があったら心から謝ります。すみません」
 見物客も状況を知りたがり、野次馬となって見物しだす。他人から見たら客がごねてるようにしか見えないだろう。千夏の本性はあの客だけが知っている。
「おい、おばさん。あんなに謝ってんじゃねえかよ。やめてやれよ」
 野次馬の一人の男が勝手に言い出した。客はギョッとして振り返る。
「何よ、あんたたちには関係ないでしょ。口を挟まないで」
「いい加減にしろよ」
「うるさい、あんたたちには関係ないだろ」
 とうとう客は開き直ったらしい。野次馬連中にも食って掛かりだした。怒り狂っている中年のおばさんと、懸命に謝る抜群のプロモーションを持った美女。どっちの味方につくかといったら、十中八九は千夏のほうだろう。
 俺は野次馬の中に紛れ込み、店内の奥から騒ぎを聞いたオーナーが、いつ出てくるかをさりげなく見ていた。
「やめてやれよ、おばさんよー」
「関係ない奴らは向こうに行け」
「うるせー」
「やめろ」
 千夏はしおらしく下をうつむき、男が守ってあげたいというオーラを全開にかもし出している。よくもまあこんな状況で、そんな演技ができるものだ。
「やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ、やめろ……」
 野次馬はみんなで、やめろコールの合唱をしだした。集まっている野次馬の大部分が男である。大方か弱そうに演じる千夏に、いいところを見せたいといった連中ばかりだろう。
 オーナーの顔が店内の奥から見えた。店の外の人だかりを不思議そうに眺めている。
「うるさい、野次馬どもは向こうに行け」
 客は顔を真っ赤にして怒っている。やっと俺の出番だ。俺は乱暴に野次馬を掻き分けると、大声で怒鳴りつけた。
「おいっ。やっと、見つけたぞ、テメー……」
 一気に回りは静まり返った。俺は客の肩を強めに掴み、顔を近づけた。
「な、何ですか?」
「いつになったら、金を返すんだ、あん?」
「はぁ?」
「はぁ、じゃねえよ。とぼけんじゃねえって」
「い、痛い……」
「ここじゃ人目につく。こっち来い」
「い、いや……」
「おう、どけよ、テメーラら。叩き殺すぞ」
 怒鳴り声で、道を開ける野次馬連中。集まらないと何もできないくせに、こういう時は何もできない。まったく根性のねえ連中ばかりだぜ。俺は、客をその場から連れ出した。千夏、あとはうまくまとめろよ。

 この通りをしばらく歩くと先に神社があるのを確認していた。俺は客の腕を掴んだまま、真っ直ぐ歩いた。
「は、離して」
「テメー、ガタガタ抜かすとぶち殺すぞ。黙って来い」
 俺がサングラスを掛けた状態で凄むと、客は大人しくなった。神社へ向かう途中、千夏の声が聞こえてきた。
「あ、オーナー…。こんな騒ぎを起こしてしまい申し訳ありません」
「一体、どうしたの?ないがあったの?」
「一人のお客さまが来店されて、クリームを見ていたんです」
「それで?」
「はい、そしたらこれを半額にしろと、急に言われまして……」
「まあ……」
「申し訳ありませんが、当店ではそのような事をおっしゃられてもと、低姿勢で言ったんです。私が勝手にそんな事、できる訳ありませんし……」
「ふざけた客ね」
「ええ、そしたら私の腕を強引に引っ張り外へ連れ出されました」
「大丈夫だったの、千春さん?」
「ええ、特に何もなかったです。ただ……」
「ただ?」
「ちょっと接客って、ちょっと怖いなと…。初めてあんな目に遭ったので……」
「千春さん、あなた、まさか辞めるなんて言わないよね?」
「……」
「私は、あなたを非常に買っているのよ?」
「ありがとうございます。私もオーナーにはとても感謝しています。いくらしても仕切れないぐらいの恩義も感じています」
「だったら、辞めるなんて言わないで」
「は、はい……」
「そう、良かった…。今日は仕事終ったら、おいしもの食べに行こうか?」
「ありがとうございます。ご一緒させていただきます」
「クックックッ……」
 会話を聞いていて、自然と笑ってしまった。あの場から強引に連れ出した客は、俺の笑顔を見て気味悪そうにしている。
 神社に着くと、俺は手を離してやった。
「いつになったら、金を返すんだよ?」
「え、な、何の事だか……」
「とぼけんじゃねえ、田中!どんだけ滞納してると思ってんだ?ああ、田中さんよう」
 この手を使う時は、いつも田中や鈴木、佐藤の名前を適当に使う事にしていた。
「え、私、田中って苗字じゃないんですけど……」
 客はキョトンとしていた。まあ当たり前だろう。適当に言った苗字を言われたのだから。もし偶然で同じ苗字になったとしても、下の名前を適当に言えばいいだけだ。
「何、とぼけんじゃねえぞ。おまえ、田中だろうが?」
「あ、あの、私は片桐って苗字なんですけど……」
「え、ほんとか?何だ……」
「……」
「ワリーワリー…、どうやら俺の見間違いだったみたいだ」
「冗談じゃないですよ」
 勘違いが分かった途端、客は強気になりだした。さっきまでビビッていたくせによ。
「おいおい、テメー勘違いこいてんじゃねえぞ、おら」
「ひ……」
 ひと言怒鳴ると、客はまた顔をひきつらせた。
「ワリーってちゃんと謝ってんのによぉ。まだ、何か文句あんのか、おい?」
「い、いえ……」
「聞こえねぇって。文句あんのかよ、おい」
「あ、ありません……」
「じゃあ、目障りだから、とっとと、ここから消えろよ」
「す、すいません……」
「謝ってねえで、早く消えろってんだよ、おら」
 怒鳴ると、客はダッシュで一目散に逃げていった。俺はその後姿を見つめながらニヤニヤした。これであの客が完成堂に行く事は、ほぼないだろう。
「おっし、セクションワン、無事完了っと……」

 千夏が事務所に帰ってきたのは、夜の十二時を回っていた。少し酒を飲んだのか顔がほんのり赤い。
「おかえり、千春」
「ただいま~、千春じゃないでしょ。私は千夏よ」
「分かってるよ。今日は迫真の演技だったな」
「お手のもんよ」
「オーナーは?」
「すっかり、私を信じきってるわ。明日からも、仕事には何の支障もなさそう」
「上出来だ」
「フレンチのフルコース、ご馳走になっちゃった」
「そりゃすげえや。千夏を手放したくなくて必死なんだな」
「ただ、貧乏臭いわよ」
「何で?」
「シャンパン飲みましょって、注文したの、モエエシャンドンブリュットインペリアルよ」
「ほう、そりゃまた安いシャンパン頼んだな」
「私が酒を知らないと思って軽く見てる証拠よ」
 そういいながら、千夏は大袈裟に頬を膨らませた。俺の前で見せるだけの千夏の本性。まわりが素の部分を見たら、きっと仰天するだろう。
 ソファに寝そべる俺の上に、千夏が覆いかぶさってくる。俺は服の中に手を突っ込み、胸を揉みしだく。軽い吐息を漏らす千夏。俺は無言でしばらく触っていた。
 これだけのいい女を前に、何をしても立たない俺。いくらでも他の女とはできるのに…。自分自身が分からなかった。そんな俺に対して、千夏は一度も責めたりはしない。
「すまんな……」
「何、言ってんのよ」
「何でおまえだけは、抱けないんだろう」
「元気出して……」
「……」
 優しくキスをする千夏。
「明日はセクションツーを開始する?」
 俺が無言でいると、千夏は話題を変えてきた。
「そうだな、茂子もそわそわしてるし早めにつぶしとくか……」
「そうね。私、あのオーナーの顔見てると吐き気がするの」
「そんな事言うなよ。仲良くフレンチ食った仲じゃないか」
「吐きそうで仕方がなかったわ」
 そう言いながら千夏は天井を睨みつけた。

 昨日宣言した通り、つぶし屋作業セクションツーを実行した。ひやかしの客を見つけては千夏がすっ飛んで行く。以前と同じようにどうでもいい接客をした。客が怒り出し責任者を呼べと怒りだすと、決まって千夏は外に連れ出した。暇な通行人が徐々に野次馬へと切り替わる。
 今回は俺がその瞬間になると、店内に入る事にした。奥からちょうどオーナーが慌てて出てくる。客を装った俺に目もくれず、千夏の様子を見に行こうとするオーナー。俺は、オーナーの肩を掴む。
「おい、客に挨拶もしねえで無視とは、一体どういう了見だ?いらっしゃいませは?」
「何ですか、あなたは?離しなさい」
 外で野次馬を集めながら千夏は客とやり合っている。オーナーはその様子が気になって仕方がないようだ。
「口紅を買いに来たんだよ。何がいいんだ?」
「あとにしてちょうだい」
「おいおい、それが客に対する対応か?」
「ひっ……」
「どれがいいんだよ。お奨めは?」
「あなたあの外の状況が目に入らないんですか?離して下さい」
「完全に客として扱ってないな。頭きたぞ、おい」
 俺は店内の棚を蹴飛ばした。棚は派手な音を立てて地面に倒れる。商品が床に転がりだす。ガラスの容器に入ったものは地面に激突の際、割れて床をびしょびしょに濡らした。
「な、何て事、するの」
「オメーが舐めた真似してっからだろが」
 俺は棚という棚を押し倒しだした。
「やめてー!」
 外の野次馬は店内の様子を見ていた。千夏とやり合っていた客も、俺の行動をキョトンとして見ている。オーナーは大声で叫ぶ事しかできない。
「舐めやがって、オラッ」
 床は様々な化粧品の液体や粉でメチャクチャになっている。
「け、警察……」
 オーナーが受付の電話に歩み寄ろうとした時、千夏が俺の前に現れた。
「やめなさい」
 そう言って、千夏は俺の頬を叩いた。パシッという大きなビンタの音。騒がしい店内がシーンと静まり返った。
「テ、テメー…。覚えてやがれ……」
 俺は捨て台詞を残し、完成堂から飛び出した。
「大丈夫ですか、オーナー?」
 後ろから千夏の声が聞こえる。一瞬だけ振り向くと、オーナーが床に膝をつき放心状態になっていた。
「どけ、テメーら」
 野次馬を蹴散らしながら、俺は全力で大通りへ向かった。

 俺は途中でタクシーを拾い、駅前のほうまで来ていた。目についた喫茶店へ入る。先ほど千夏に叩かれた頬がまだジンジンしていた。加減はいらないと言っていたが本当に加減しなかったな、あいつめ。
 コーヒーを注文してタバコに火を点ける。ここに来るまでイヤホンからは千夏の声しか聞こえてこなかった。急に起きた目の前の展開に、あのオーナーはまだ放心状態でいるのだろう。
 俺の役目はとりあえずここまでで終了だ。あとは千夏がうまい具合に店を崩壊に持っていくだろう。
 四百円のコーヒーを口に入れると、思わず吐き出した。まずい…。こんなまずいものを売り物にしているとは。喫茶店のウェイトレスが不思議そうに俺を見ていた。店内の客も俺を注目している。
 俺は財布から一万円札を取り出すと、レジに置いた。
「悪かったな、ねえちゃん。釣りはいらねぇよ」
 特にする事もなく俺は事務所へ向かう事にした。

 さっきまずいコーヒーを吐き出した時、一つだけ気に掛かっていた事を思い出していた。クレッシェンド占いの事だった。
 初めて千夏と知り合った時、あいつは俺に四枚目の紙を見せなかった。いや、見せたくても見せられない何かがあったのだろう。俺が見たらまずい内容を書いてあるに違いない。ひょっとしたら事務所の千夏のテーブルの中に、その見ていない四枚目の紙があるのではないか?
 あいつは俺に見せるのをあの時しきりに拒んだ。とりあえず俺は理解したふりをしていた。それから三年の月日は流れている。きっと自分の事が書いてあるに違いない占いの紙。ずっと内容を知りたくてうずうずしていた。
 俺にあの時の占いを見せたくない理由。二つほど考えられる。まずこれを俺に見せてはいけないと表記してある場合。これを見せたら命の保障はしないとか書いてあると、千夏は恐れるだろう。あれだけ当たる脅威の占いなのだ。無理もない。
 それとも俺に見せると、書いてある効果が消えるといった類の場合。別につぶし屋自体、そんなに儲かる商売ではない。例えつぶし屋がなくなったとしても、俺は痛くも痒くもない。
 他に何かあるだろうか?それぐらいしか考えられなかった。
 俺が第七回クレッシェンド占いのその四を見てしまった時、どうなるだろう?それを読んだ俺は、自分がどうなるのかが楽しみで仕方がない。
 今まで好き勝手ににずっと生きてきたのだ。仮に読んだ瞬間、命が亡くなろうと悔いはない。
 腐るほど女を抱いてきた。
 金もどうやって使おうかというぐらい稼いできた。
 千夏をちゃんと抱けないのが、唯一の心残りぐらいである。
 俺は考え事をしている内に、事務所へ到着した。
 ドアを開けると黒い世界が広がる。まだ千夏は仕事の後始末で戻ってこないだろう。俺は千夏の机の引き出しを開けた。今までこんな事をした事はない。好奇心が自分の見てない占いを見たいと囁いている。三段ある引き出しを上から順に見てみた。
 一番上の引き出し。文房具や印鑑など事務的な物しか入っていない。
 真ん中の引き出し。今までの依頼人の書類関係ばかりだ。一応、全部に目を通してみる。全部で四十三枚。今までで四十三件の依頼を受けてきた証拠でもある。この数だけ店舗をつぶしてきたのだ。俺たちを怨んでいる奴らはこの枚数分だけいる事になる。
 一番下の引き出し。開けるとすぐにクレッシェンド占いの紙が置いてあった。様々な紙の色。一番上は黄色い紙で、第九十一回クレッシェンド占いと書いてある。
 つぶし屋を始めてから、占いはほとんど商売になりそうな人物の情報や場所の情報を表記してあった。俺はその情報を元に店の近くにつぶし屋の名刺をさりげなく置き、依頼を受けさせるようにしてきた。
 依頼を受けると、必ずクレッシェンド占いはメールを送ってきた。千夏がつぶす対象になる店舗に、どう潜入させるかの方法などが書いてある占いだ。それ以外には、俺のやるべき行動などが記載してあった。
 むしろここまでくると、占いとは言えない。
 千夏はその届いたメールを一枚ずつプリントアウトして几帳面に保存してあるのだ。
 ここにあの時の俺の見ていない紙があるのだ。何故もっと早くこのような行動をしなかったのだろう。俺は引き出しに入ったクレッシェンド占いをまとめて机の上に置き、探し出した。

 あるのか、第七回クレッシェンド占いのその四は……。
 一枚一枚、丹念に調べていった。誰がこんなものを作り、そして千夏のパソコンにメールしてくるのか?何も今まで分からないままだった。
 知りたい。
 すべて知りたい。
 秘密を覗きみたい。
 俺は時間も気にせず占いの紙を順に見ていく。千夏との絶妙なコンビネーションで、つぶし屋をやってきた思い出が蘇る。懐かしい思い出だ。酷い時は店頭に犬のフンをバケツ一杯ぶちまけた事もあったな。
 第十回、第九回、第八回……。
「あった……」
 俺はとうとう見つけた。第七回の占いは、千夏と初めて逢った時にポケットに入れていたから折り目がついている。俺は紫の紙を手に取り見てみた。
 ん…、おかしい。その四だと思いながら手にした紙は、その五と表記されていた。とりあえず見てみるか……。

《第七回 クレッシェンド占い その五》
 どうですか、柴木大介との仲はうまくいったでしょうか。この占いの結果通りにすれば、あなたは間違いなく人生の勝ち組でいられます。ところで彼は過去にトラウマになるような出来事があったようですね。簡単に、そのトラウマとなった出来事をお伝えしておきましょう。彼の実家は八百屋で、小さな商店街の一つの店でした。商店街がスーパー設立の為、地上げにあうようになり、次々と近所の店は引っ越していきました。彼の店は最後まで頑張り耐え抜いていました。最初に嫌がらせで父親の精神が崩壊し、近所の公園で首を吊って亡くなりました。グレーのスーツを着たままの状態でした。まだ四十後半でした。残された母親も、精神に異常をきたしました。母親は地上げにきた男を家にあげ、その男とセックスをするようになりました。まだ幼かった彼は、部屋の隅で一部始終を黙って見守っていました。ある日、彼は母親にセックスを強要されるようになり、それが嫌で家を飛び出しました。数年後、実家に戻ると、そこにはスーパーが立っていて、我が家の面影はどこにもありませんでした。それから彼は社会を憎むようになりました。

 読み終わって冷や汗を掻いている自分に気がついた。
 何だ、これは……。
 ここまで詳しく、何故俺の過去が分かるのだ……。
 こんなの占いでも何でもない。俺はその五が書いてある紫の紙を感情的に破り捨てた。
「ふ、ふざけやがって」
 千夏も俺の過去をこれで知っている。それでいて今まで三年間、俺におくびも出さずやってきた。この占いを作った奴は誰なんだ?激しい怒りを覚える。
 確かに俺がつぶし屋をやっているのは、過去の嫌な記憶を乗り越えようとしている部分もあった。だがその思いは誰にも知られずにやっていると、これまで思っていたのだ。
 息が荒くなっている。どこのどいつなんだ?
 こんなものを書きやがって……。
 どこかで俺の姿を見て、思い通りだと嘲笑っているのか。
 順番通りにいくと、この次はその四だ。俺が一番見たかったものである。紙の色は黒だった。俺はゆっくり深呼吸をしてからその紙を手に取ろうとした。その時ドアが開く。千夏が帰ってきた。
「おかえ……」
 千夏は俺を見るなり、何をしているのかすぐに理解したようだ。
「何、やってんの?」
「おまえがあの時見せなかった占いの、その四をこれから見ようとしているだけだ」
「だ、駄目……」
「うるさいっ!」
 気にせずに、俺は黒いその四を見出した。

《第七回 クレッシェンド占い その四》
 あなたは彼にこれを絶対に見せてはいけません。見せると、彼の命は保障されません。この紙を彼に、決して見せないようにして下さい。だからこの紙は黒色にしてあります。何故、分からないのですか?いいですか。繰り返し忠告します。これ以上、読まないで下さい。柴木大介さん。あなたは……

 途中まで読んで、思わずギョッとなった。何なんだ?
 今、俺が読んでいるのをまるで分かっているかのような文章。これ以上読むと、どうなるというのだ?
「やめて…。やめてよー」
 千夏が部屋の入り口で、泣きながら叫んでいた。ここまできて読むのをやめろと言うのか。それは無理な相談だ。自分に係わる事なのだから……。
「お願い。私の事を聞いて!」
「うるさいなぁ」
「お願いっ!」
「じゃあ、このあと何て書いてあるんだよ?」
「……」
「ほら、言えないじゃないか」
「言えない…。絶対に言えない……」
 俺は続きを読んだ。

 とうとう忠告も聞かず、己のエゴを通しましたね。千夏さんも可哀相に…。まあ、いずれこうなるとは予測していました。仕方がない事なのですね。ハッキリと言いましょう。あなたは……、死にます。

 俺はその文字を読んだ瞬間、意識が遠のいていく。いや違う。背後から心臓を細長い針のようなもので、貫かれていた。
 何故……。
 左胸からおびただしい血が吹き出すのを眺めながら、私は途中で思考が止まった。
 最後に千夏の笑い声が聞こえたような気がする……。


 

 

4 コードネーム殺し屋 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

―パンドラの章―生きていてもしょうがない……。最近いつもそう考える自分がいる。人に忌み嫌われ、相手が遠ざかっていく。それはとても辛い事だ。人間生まれる...

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