岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

4 コードネーム殺し屋

2019年07月19日 13時16分00秒 | コードネーム殺し屋/初めて書かされたホラー小説

 

 

3 コードネーム殺し屋 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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―パンドラの章―

 生きていてもしょうがない……。
 最近いつもそう考える自分がいる。
 人に忌み嫌われ、相手が遠ざかっていく。それはとても辛い事だ。人間生まれる時も、死ぬ時も一人。実際にそうだが、生きている間一人というのは堪えられない。
 小さい時から孤独というものを嫌ってほど味わってきた。でもいつになっても慣れないものである。
 このまま時間が過ぎ、無駄に年を積み重ねていくのだろうか。
 未来に何の希望も夢も見出せない。オンボロの車に乗り込み、深夜の街を適当にドライブする。部屋でパソコンをいじってばかりじゃ気が滅入るだけだ。
 私の場合、生きているだけで罪なんじゃないか?
 ネガティブな思考だけが頭の中を駆け巡る。
 これ以上生きているのが苦痛だ。自分の意思でこの人生に幕を閉じる。それもこの苦痛から逃れるいい方法かもしれない。
 ではどうやって自殺すればいいか?
 首吊りは尿やクソなどが垂れ流しで、惨めな状態で発見されるらしい。それは嫌だ。
 溺死なら、幼い頃からカナヅチの私には簡単な方法かもしれない。橋の上から川に向かって飛び込めばいいのだ。しかし水を嫌ってほど飲み、もがき苦しみながらというのは勘弁願いたい。
 ビルからの飛び降り…。これなら一瞬で楽に…。いや、下に誰か通行人がいて落下地点でたまたま当たったらどうする?私が助かり、相手が死亡なんていったら洒落にならない。
 駅のホームで飛び込み…。あれって確か身内に莫大な保証金を請求されるって言うしな。死んでまで誰かに迷惑を掛けるなんてごめんだ。
 薬物を使ってといっても、無知な私は何をどう服用していいか分からない。苦しんで病院に運ばれ、助かるのも嫌だ。
 一酸化炭素による窒息も難しい。場所がない。

 パパパーッ!
「うわっ!」
 その時、対向車から派手なクラクションを鳴らされる。私は慌ててハンドルを切り、危なくガードレールにぶつかりそうになった。
「馬鹿野郎!」
 対向車から怒鳴り声が聞こえた。ボーっとしながら運転をしていたから、いつの間にか対向車線を走っていたようだ。
「はあはあ……」
 今、命拾いしたと思う自分がいる。おかしい。あれほど死にたいと思っていたのに……。
 いや違う。いつもこう中途半端だから、私は駄目なのだ。本当に死ぬ気なら、あれは嫌だなんて贅沢な死に方など考えないだろう。結局のところ、私はまだ生に醜くしがみついている。
 生きていたって何もいい事なんてないのに……。
 再び動き出し、赤信号で停まる。目の前では夜中なので、車がすごいスピードを出しながら横切っていく。
 このまま飛び出して、運転席側をうまくぶつける事ができれば、一瞬でこの世とおさらばできるのに……。
 振り返ると、辛い事ばかりの人生だった。

 二十年勤めていた会社が不渡りを出して潰れた。社長は私たち社員に払うはずの給料を持って失踪した。
 会社が潰れたのは私のせいじゃない。それなのに両親は、「おまえは本当に駄目な奴だ」と顔さえ見れば年中言われる。
 路頭に迷いどうしようかと思っている時に、父が交通事故に遭い、亡くなる。ひき逃げだった。この時から母の神経が、少しおかしくなったような気がした。
 文句を言いながらも、食事は変わらず用意してくれる。無職で金のない私にとって、その心遣いは大変助かり感謝もした。しかし妙に感じた部分がある。カレーライスを作る母。私と母の二人しかいないから、カレーが三日ぐらい続くのはしょうがない。早く違うものを食べたく、無理して胃袋へ入れる。三日間で何とか食べ終わると、不可解な事に翌日も母はまたカレーライスを作り出した。
 文句を言うと「嫌なら食べなくていい」と正論を言われるので、仕方なく黙って食べた。母はそれから一ヶ月間毎日カレーライスだけを作り続ける。さすがに料理のしない私も、自分で目玉焼きを作ったり、野菜炒めを作ったりした。
 昼間はハローワークへ通う。何十社も面接を受けたが、四十七歳の私を雇う企業は今のところどこもない。
 ある日家に帰ると、母がカレーライスにサランラップを巻き、「ちゃんと食べなさい」と書き置きがあった。そう連続で同じものなど無理だ。冷蔵庫を漁り、違うものを作って食べる私。
 その二日後、母は鬼のような顔をしてカレーライスを目の前に置いた。
「ちゃんとこれを食べなさい!この無職の甲斐性なしが」
 酷い言われようだ。しかし職が決まるまで金がない。母の機嫌を損ねるのも嫌なので、仕方なく食べようとラップを取った。
「……」
 少し嫌な臭いが鼻をつく。夏場なのでもう駄目になってしまったのだろうか。よく見ると、カレーの表面に薄っすら白いものが見えた。
「母さん、これカビでしょ?」
「知らないよ、そんな事は。いいから黙って食いなよ」
「臭いだっておかしいって」
「だったら口に入れて、おかしかったら吐き出せばいいだろうが」
「いい加減にしろよ!普通に人間扱いしろって!」
 勢いで怒鳴り、私は家を飛び出した。
 いくら何でも毎日カレーなど食えない。それに腐ったものまで、平気で食べさせようとする母。父が亡くなってからおかしくなったとしか思えない。
 ムシャクシャしている。オンボロの車に乗ると、何の目的もなく発進させた。
 行く宛ても何もないドライブ。私は過去の事を思い出していた。
 
 二十台の頃、勇気を持って好きだと告白した彼女。
 数回のデートを重ね合わせていく内に、どんどん惹かれていく自分がいた。彼女と一緒にいたい。そんな想いがどんどん膨らみ、一日に何度もメールや電話をした。これはお互いが似たような想いを寄せるからこそ、成り立つものである。
 この関係も一年以上続いている。そろそろ結婚も意識していた。
 ずっとこの関係が続くと思っていた。
 しかしある日、彼女から一方的に別れたいと言われる。ずっと俺と接していてストレスが溜まっていたと言う。では今まで我慢して私に接していたのか。そう聞くと彼女は「分からない、でも最近そう気付いた」とだけ言い、私の前から姿を消した。
 混乱した私は何度も彼女へ電話を掛ける。だけど彼女は一切出てくれない。私はただ自分の言い分を聞いてほしかった。納得がいかないので彼女の家まで向かう。
 大雨の降り注ぐ日だった。
 何時間も部屋から出てこない彼女を外から待つ。まったく開かない彼女の窓。雨に打たれながら眺めていると、不意に肩を叩かれた。
 警官だった。ついこの間まで付き合っていた私を彼女がストーカー行為とみなし、警察へ通報したと言う。
 そこまで嫌われていたのか……。
 鋭利なナイフで心の奥底をズタズタに切り裂かれた気がする。私は別れるにしても、お互いが納得いくように話をしたかっただけなのだ。それすらも叶わない現実。好き勝手に自分の理論を言い、あとは知らんぷり。非常に卑怯な人間のする事だ。
 一週間前は、私の両親にも会って挨拶したというのに……。
 初めて人を殺したいと思った。しかし臆病な私に人など殺せやしない。もし誰にも分からないよう殺せたとしても、自分のしでかした罪の重さに堪えられないだろう。
 何とも言えない悲しみを心の奥底で眠らせて、時間が経つのを待つしか方法はないのだ。
 数年経っても、彼女の事がなかなか頭から離れなかった。愛しているという感情から、いつの間にか憎しみという感情に変わっている。可愛さ余って憎さ百倍とはよく言ったものだ。
 偶然街中で彼女を見掛けた事があった。
 別の男と仲良さそうに腕を組み歩いている。何故かそのあとを私はついていく。ポケットにはナイフ。頭から離れない憎しみが、常にナイフを持たせていた。殺したいという憎悪が、私をそうさせている。
 あの男か、私から彼女を奪ったのは……。
 視界が徐々に狭まっていき、ポケットのナイフを握り締めた。男の後ろ姿がどんどん近づく。その瞬間だった。
「何よ、あなた!まだ懲りてなかったの!」
 横にいた彼女が私の存在に気づく。ポケットに手を入れたまま、固まる私。男はいきなり私を殴ってくる。無抵抗のまま何発も殴られた。
 あの時ナイフで相手を刺していたら、私の人生どうなっていただろうか?警察には捕まるだろう。それでもこの何の面白味もない悲惨な人生が、少し違ったものになったかもしれないのだ。
 二十年以上経った今だからこそ分かる。あの時私は屈辱を我慢せず、刺して置けばよかったと……。

 地味に生活し、コツコツと貯金をした。
 三十台の時、会社の上司がキャバクラへ行こうと誘ってくる。いつも忘年会ぐらいしか出席しない私。当然断った。しかし上司はしつこく「俺が奢ってやるから」と誘い、仕方なく付き合う事になる。
 初めて行くキャバクラは、未知の領域だ。入口から店内を見渡すと、若い女の子ばかりで活気にあふれている。行き慣れている上司は、男の従業員と親しげに話し席へと向かう。
「いらっしゃ~い」
 私についた女は、二十台の頃付き合っていた彼女と非常に似ていた。憎悪に近い感情を抱きながらも、不思議と親しみを感じる。
 一方的にしゃべりまくる女。酒を飲みながら黙って話を聞く私。
 一時間も経つと、前の彼女とこの子はまったくの別人なんだと思えるようになっていた。
 上司と一緒に店を出るが、別れたあと私は自然とまたそのキャバクラへ向かっていた。今度は先ほどついた子を指名し、酔っていたせいもあるが大いにはしゃいだ。キャバクラがこんなに楽しいものだとは知らなかった。
 それまでコツコツと貯めていた貯金には手をつけず、小遣いから余裕ある時だけ計算してキャバクラへ顔を出すようになる私。
 ある日その子が「今度良かったら食事へ行かない?」と誘ってきた。こんな私とプライベートを過ごしたいだなんて、非常に変わった子だ。それと同時に嬉しさもあった。ひと回り以上年下の子と一緒に遊べるなんて、そうそうないだろう。
 普通に食事して、ちょっとだけキャバクラで飲む。それだけの事なのに毎日が楽しくて仕方がなかった。
 気付けば仕事中も、その子の事を考えている自分がいる。
 飲み屋の子が商売で男に接しているぐらい、私にだって分かる。しかしそれを差し引いても、彼女は私に気を使ってくれていた。
 たまには私からプライベートを誘ってみようか……。
 それまでの人生非常につまらなかった。彼女を誘う事で新しい何かが見えるかもしれない。
 荒んでいた私の心は、日に日に優しい何かで包まれている。
「あの、良かったら今度私の行きつけの店へ食事でも行かないか?」
 店の中で勇気を振り絞り言ってみた。
「え、ほんと!すっごい嬉しい。いつも私から声を掛けてばかりだったから、本当に嫌々つき合わせていたのかなって、ずっと心配してたんだ」
 彼女は笑顔でそう言ってくれた。ちゃんと誘えて良かった。心からそう思える。
 次の休みの日、会う約束をして私は店を出た。
 約束の日まで、私は真剣に彼女の事を考えた。チャンスがあったら彼女を抱こう。そしたら両親にもキチンと報告して結婚も考える。いつも両親から私は駄目な奴だと言われるのも独身だからだ。水商売の女だからと言ってもまだ若い。真面目に話せば両親だって分かってくれるさ……。
 こんな私でもちゃんと向き合ってくれる子がいる。あの子と子供を作り、明るい家庭を作れたら最高だ。
 休みの日、彼女と食事へ向かう。本当は行きつけの店などなかったが、下調べをして高級割烹料理屋で個室を取った。
「すっごーい。私、こんなところ来たの初めて」
 彼女は妙にはしゃいでいた。食事を済ませると、私は今まで秘めた想いを彼女へ伝えた。彼女は嬉しそうに「私なんかで本当にいいの?」と目に涙を滲ませながら答えてくれる。その日私は彼女を抱いた。今までの人生の中で最も至福の時だった。
 とんとん拍子に話は進み、同棲をするようになる。両親にはまだ恥ずかしいから、話すのはもうちょっと待ってほしいと彼女からお願いされた。まだ二十台前半なのだ。気持ちは分かる。
 同棲して一ヶ月ほど経った時だった。仕事から帰ると彼女の姿が見えない。どうしたのだろうと思い、携帯へ電話を掛けてみると繋がらなかった。呼び出し音すら鳴らない。結局その日、彼女は帰って来なかった。あとになって部屋の中に置いてある通帳と銀行印が盗まれ、全額引き出されていた事に気付く。しばしその場で魂の抜けた亡骸のように呆然とした。
 長期間に渡って私は、これだけの為に騙されていたのだ。
 情けなくて涙も出ない。生きている希望さえなくなった。
 ほとんど文無しになった私は、両親に頭を下げまた実家へ戻る事になる。

 運は誰にも平等だと誰かが言った。果たして本当にそうだろうか?もしそれが本当ならこれからの私の人生は、とても素晴らしいものになる。四十七年間もろくな幸せもなく生きてきたのだ。
 幼少期を振り返っても、嫌な思い出ばかりである。
 クラスの給食費が盗まれた時も、必ず私のせいにされた。同級生からは理不尽な暴力を受け、先輩からは毎日のように恐喝される日々。親の財布から金を盗み、それを先輩に渡すだけだった。
 ある日親の財布を盗む時、父に見つかった。当然の事ながら烈火の如く怒り狂う父。玄関先にあったゴルフクラブで、足や背中を滅多打ちにされた。
 私は泣きながら父へやめてくれと懇願する。そして先輩たちの非道な行為も話した。臆病な父は、私に激怒しながら「己の問題は己で解決しろ」と言うだけで、何の解決にもならない。
 家での現金を盗めなくなった私は、先輩らに連れられて学校帰りデパートへ寄る。
「あそこの文房具を盗んで来いよ」
 そう命令された。「できません」と言うと、その場で腹を殴られた。
「できませんじゃねえんだよ。やれと言われたら素直に返事しろよ。おまえに選択肢なんぞねえんだよ。分かったな?」
「はい……」
 イエスノーでなくイエスしか選択肢のない私。小刻みに震えながら、文房具をカバンに入れようとした時だった。
「君、ちょっと待ちなさい」
 振り向くと、私の肩に手を置きながら警備員の人が冷たい視線で見ていた。
 ドジな私はすぐ窃盗行為が見つかってしまった訳だ。
 デパートの事務所へ連れて行かれる途中、辺りを見たが、先輩たちの姿はどこにも見えなかった。
「いいかい?君のやった事は泥棒と同じ行為なんだぞ。分かってんのか!」
 ネクタイを締めた偉そうな人が、ギョロリとした目で私を睨んでくる。私は覚えながら必死に「すみません」と謝るしかなかった。
「警察、学校、親…。この中からどれかに選ばせてやる。どれがいい?」
「な、何をですか?」
「デパートの物を盗んだんだ。それの報告に決まっているだろ」
「か、勘弁して下さい……」
「駄目だ。君とうちだけの問題にしても、絶対に懲りない。繰り返しまた同じ事をやるだけだ。さ、早く選びなさい。本当なら問答無用でこちらが通報しているところなんだ」
「絶対にもう致しません!」
「悪いが信用できない。君と会うのはこれが初めてなんだよ。それがこの窃盗行為でだろ?どう君の台詞を信用しろと言うんだい?」
 先輩たちにそそのかされたと言うと、あとで報復が怖かった。
 私は三つの中からどれかを選ぶしかないのだ。家だけは嫌だった。父がどれほど怒り狂うだろうか想像するだけで怖かった。学校でもあの陰湿な先生に何て言われるだろう。下手したら両親にまでこの事を報告するかもしれない。だとすれば警察しか思い当たらなかった。
「け、警察でお願いします……」
 あとで冷静になると、自分の出した答えがいかに間違いだったかを思い知る。厳しい表情で私を尋問する警官。ひと通り調書をまとめると、警官は躊躇わず学校へ連絡した。学校側は私の窃盗を知ると、必然的に家へ連絡がいく。自分の出した答えは最悪の選択だった訳である。
 あまりにも悔しかったので、窃盗をさせた先輩たちの名前を学校で言った。
 あとで先輩たちにはさらに激しい苛めを受けた。理不尽な苛めはその先輩たちが卒業するまで毎日のように続いた。

 本当にろくな人生じゃない。
 何故先ほど私は、ガードレールにあのまま突っ込まなかったのだろう。あれでこの忌々しい人生を終わりにできたかもしれないというのに……。
 趣味と言えば、インターネットサーフィンと読書ぐらい。
 職も金も女も何もない年だけ無駄にとった私。人からは忌み嫌われ、疎まれ、蔑まされる。いい加減この人生にピリオドを打ちたい。
 意味もなく続くドライブ。
 人は神が作ったと、ギリシア神話では書いてある。私は車を停めた。後部座席に置きっ放しだったギリシア神話の本を手に取る。車内の明かりをつけ、私はその本を適当に開く。
『パンドラの箱』について書かれたページをちょうど開けたようだ。
 人間を作り、ゼウスの教えを破ってまで火を天界から盗み、人類に与えたといわれるプロメテウス。
 そんな兄の忠告を守れない愚弟エピメテウス。
 その奥さんとなったパンドラ……。
 パンドラの箱には様々な説があり、まず箱でなく壷だったという意見もある。
 私はギリシア神話の中でも、この話がとても好きだった。
 ゼウスはプロメテウスに人間を粘土で作れと命令。プロメテウスは、せっせと人間を作る。出来た人間の形にゼウスは命を吹き込み、「知恵を与えてもいいが火だけは与えるな」と再度命令。
 それは火を与える事により、人間が神に近づくのをゼウスが恐れたから……。
 獣のような毛皮のない人間は寒さに震えながら生活。それを見ていられなかったプロメテウスは、ゼウスの怒りを買うのを承知で、人間に火を与える事にした。
 当然ゼウスの虐待に遭うプロメテウス。
 そしてゼウスは人類に災いをもたらす為、「女性」というものを神々に作れと命じた。ヘパイストスが泥からパンドラの形を作る。アフロディテは美を与え、アテナは知恵をアポロンからは音楽と治療の才能を最後にヘルメスが好奇心と嘘を教えた。
 こうしてパンドラという人類初の女性ができあがる。パンドラとは『すべてを与えられた』という意味のようだ。
 そもそも女という生き物は災いにしかならない。これを見ると、今までの私の人生すべてに当てはまる。私にとって女とは災い以外何者でもない。
『絶対に開けてはならない箱』をパンドラに持たせ、プロメテウスの愚弟エピメテウスの元へ……。
 以前、兄から「絶対にゼウスからの贈り物は受け取るな」と忠告を受けていたのにも関わらず、愚弟エピメテウスはパンドラを気に入り、結婚までしてしまう。
 兄プロメテウスの名前はプロ(先に)メテウス(考える人)の意味を持つ。逆に弟エピメテウスはエピ(後で)メテウス(考える人)と後悔の意味を持つ。
「自身の能力を他の兄弟に奪われた」と年中愚痴るぐらいのエピメテウスだから、仕方なかったのかもしれない。
 何となくだが、エピメテウスが自分と被る。哀れという点では同じだ。いや美しい女性パンドラを妻としてもらえたのだから、彼のほうが私なんかより数段上だな……。
 後に、パンドラにそそのかされエピメテウスは、『開けてはならない箱』をパンドラと一緒に開けてしまう。
 箱からは災いが放たれ、最後の残ったものは希望だと言うが、未来をすべて分かってしまう予兆だという説もある。
 こんな真夜中に一人で、ドライブ中に車内でギリシア神話の本を読む。
 はたから見れば、おかしな行動にしか見えないだろう。まあいい。どっちみち無職の私は他にする事など何もないのだから……。
 私は続きを読もうとページをめくった。
《あなたは今、絶望を感じていますね?》
「ん?」
 思わず声をあげてしまう。ページをめくると、今までの文体とはまったく違う文字が書いてあった。
《こんな深夜の時間帯に一人寂しく他にする事がなくドライブ。やがて車を停め、この本を手に取った。これも何かの定めでしょう》
「……。何だ、これは……」
 私が読んでいたのはギリシア神話の本じゃないのか?本を閉じ、表紙を確認する。うん、ギリシア神話の本だ。今書いてあったのは一体、何だったのだろう……。
 先ほどの妙な文章が書いてあるところを広げてみるが、『トロイの木馬』について書かれているだけだった。おかしい。『パンドラの箱』の話を読んで自然にページをめくると、あの奇妙な文章が書いてあったはずなのに、どのページを見ても何もない。
 きっと疲れているんだ……。
 薄気味悪さを感じた私は、家に帰る事にした。

 玄関先でそっと靴を脱ぐ私の前に、母がやってくる。
「あんたさ、働いていないのにどこ行ってんだい。ガソリン代だってどんどん値上がっているっていうのに、何を考えているんだ」
「わ、分かっているけどさ。でもたまには気分転換しようと思って……」
「おまえは気分転換なんて、偉そうに言える身分か?」
「……」
 私は母のこういう言い方が昔から大嫌いだった。
 父が亡くなってからも、日課のように夕方になるとプールへ通う母。それまで家に籠もっていて誰とも話をしなかったのが、家の中でも急に話すようになった。
 二十台の頃、私の同級生がプロレスのプロテストに合格して祝賀会へ招かれた事がある。その同級生と特別親しい間柄ではなかったが、そのような場に呼んでくれて、それが素直に嬉しかった。心の底から彼に「おめでとう。頑張ってね」と言えた。家に帰り、その事を興奮しながら母に話すと、「私のプールの知り合いはインターハイに出ている」と訳の分からない事を言うので、「あのさ、彼はプロになるんだよ?」と言った。すると母は、「インターハイに出たほうがすごい事だ」と何の関心も示してくれなかった。
 先日の父の告別式のあとも酷かった。久しぶりに集まった親戚一同の前で、私が酒を飲もうとしたら、「おまえは無職なのに酒など飲める立場か?」と罵倒してきたのだ。
 勝手に自分の分の料理を作る私に、「勝手に冷蔵庫のものを使うな。このゴキブリが!」と罵られた事もある。
 仮にも自分で腹を痛め生んだ子じゃないか……。
 私は一別しただけで、黙って自分の部屋へ戻った。自分で自分の価値を落としている事にすら気付かない母。哀れに思うと同時に憎悪も募っている。
 イライラした時私はパソコンを起動し、ワードを立ち上げる。『絶望』という名の題名で文章を書いている。これは誰にも見せるつもりのない自分の醜い思いを綴ったもの。
 ここだけは私だけの世界。何を書こうと自由な空間なのだ。
 今まで書き溜めた文章をざっと読んでみる。
 醜い。あまりにも卑劣な文字の羅列。しかしこれは私自身が抱えたストレスであり、表に出さない怒りなのだ。
 この行為は時として、自己の感情を抑える方法としてはかなり適切である。これをしていなければ、私は何人も人を殺していたかもしれない。書く事で自分の怒りの原点が何によって引き起こされるものなのか。私はそれに対し、どう怒っているのか。どうしたいのか。すべて正直に書き綴るのだ。
『絶望』の中に、何度『殺す』という文字が書かれているのだろうか。もし私が何か罪を犯し、このパソコンを調べられたら、精神異常者だと一発で判断されてしまうんじゃないか。そのぐらいえげつない内容が書かれている。
 今また私は『絶望』に醜い文章を重ねるのだ。
《今日家に帰ると、また鬼のような母がムカつく事を言ってきた。ドライブできる身分かだと?ふざけやがって。好きで働いていない訳じゃない。毎日のようにハローワークへ通い、働き口を探している。だけど見つからないだけなんだ。そこまで言うなら、就職先を世話ぐらいしてみろ。次にまた似たような事を言ったら、私はどうなるか分からない。感情の趣くまま刺し殺せたら、どんなに気持ちいいだろう。今の日本の法律は間違っている。私がすべての法律を決める事ができたら、ここまでおかしい世の中になっていない。何故誰も私を認めようとしない?そんなに忌み嫌われる存在なのだろうか。何故ここまで騙され、いつも損ばかりしなければならない?みんな、自分の事を大事にし過ぎなのだ。少しぐらい他人を思いやる心を持て。そうすれば戦争なんてなくなるし、もっと笑って楽しく生きる事ができるはずだ。》
 ここまで書いて小休止する。タバコを取ろうとして、一本も残っていない事に気付く。金がないからタバコすら吸えやしない。灰皿に溜まっている吸殻のほとんどは、フィルターの先まで吸ってしまい吸える部分がなかった。私はゴミ箱を漁り、まだ少しでも吸えそうなシケモクを探す。
 四十七歳にもなってこんな事をしているなんて惨めなものだ。
 さて続きを書こう。まだ私の苛立ちは納まっていない。
「ん…、何だこれは……」
 パソコンのモニターを見た時だった。思わず画面を見て声を出してしまう。
《みんな、自分の事を大事にし過ぎなのだ。少しぐらい他人を思いやる心を持て。そうすれば戦争なんてなくなるし、もっと笑って楽しく生きる事ができるはずだ。
□■◇◆
またここでもお会いしましたね。先ほどは急に本を閉じるから、ビックリしましたよ。》
 ガタンッ。
 私はビックリして椅子から転げ落ちた。先ほどギリシア神話に書かれていた奇妙な文章の続きだった。いつ、こんなの書かれたというのだ……。

 非現実的な目の前の光景。薄気味悪くかったが、私はモニターをジッと凝視している。
《今あなたはこの文章を不思議に感じ、怖さを感じながらもジッと凝視しているでしょう。そんな恐れる必要などまるでありません。何故なら私はあなたの味方なのですから。でもいきなりそう言っても信用などされませんよね?そこであなたにちょっとした行動をしてもらいます。これはほんの些細なる私からの気持ちです。ではいいですか?今あなたの目の前にあるテーブルの引き出しを開けて下さい。中にハサミがありますよね?黒いハサミです。それを窓の外にただ放り投げて下さい。そしてすぐ外へ出てハサミを拾いに行って下さい。あなたの望むもの、大したものじゃありませんが、それが手に入ります。》
 ここまで読むと、急に部屋の電話やパソコンの電源が消えた。停電か?
「いい加減にしろ!早く寝ろ」
 下から母の怒鳴り声が聞こえる。嫌がらせでブレーカーを落としたのだ。せっかくあそこまで文章を書いていたというのに……。
 母の嫌がらせとしか思えない行為は一度や二度だけじゃない。はらわたが煮えくり返っていた。でも下手に言い返すと、食事にすらありつけない現実。ゆっくり深呼吸をして精神を落ち着かせる。
 まあワードは不意に電源が落ちても修復機能があるから、データ自体消えていないかもしれない。あとで調べてみればいいか。
 そういえばさっき『絶望』の中に書いてあった奇妙な文章の中で、変な事が書いてあったな。ハサミをテーブルから取り、それを外に投げろだとか……。
 もし外で誰か通行人が歩いていたら、どうするんだ?上からハサミが落ちてきて頭に刺さるケースだってある。
 しかし冒頭で私の味方だと書いてあった。読み出すととまらなくなるような不思議な文章だった。
 時計を見る。夜中の三時半。こんな時間に人など誰も通る訳ないか。
 ブレーカーを落とされ何もやる事がなかった私は、退屈しのぎにテーブルから黒いハサミを探し、窓を開けて外へ放り投げた。これで外へハサミを取りに行けばいいのか。
「うわっ!」
 外から短い男の悲鳴が聞こえる。
「ゲッ!」
 今投げたハサミが、たまたま近くを歩いていた通行人のそばにでも落ちたというのか?そんな馬鹿な……。
 ちゃんと外を確認してから投げるべきだった。
 私は慌てて部屋から出て、外へ向かった。

 背後から母の怒鳴り声が聞こえたが、そんな事に構わず私は外へ出た。
「……!」
 家のブロック塀のそばに、私が二階から投げた黒いハサミが落ちてあった。すぐそばには私が愛用して吸っているマイルドセブンのタバコも落ちている。
 辺りを見回したが、こんな夜中なので誰一人歩いていない。先ほど声をあげた男性は、どこへ行ったのか姿形も見えない。私はハサミとタバコを拾うと部屋へ戻った。
 あの奇妙な文章には、大したものじゃないけど私の望むものが手に入ると書いてあった。それがこのタバコだというのだろうか?確かにタバコを吸いたいと思ってはいたが……。
 背筋にゾゾッとした何かを感じる。一体何なんだ、あの文章は?
 母が寝静まるのを待ち、そっと下へ降りる。ブレーカーを上げると忍び足で部屋へ戻った。パソコンを再び起動する。ワードファイル『絶望』を立ち上げた。自分がこれまで打った文章より、先ほどの奇妙な文章を探す私。一番下の文章まで持っていく。
「あ、あったあった」
《今あなたの目の前にあるテーブルの引き出しを開けて下さい。中にハサミがありますよね?黒いハサミです。それを窓の外にただ放り投げて下さい。そしてすぐ外へ出てハサミを拾いに行って下さい。あなたの望むもの、大したものじゃありませんが、それが手に入ります。》
 うん、良かった。消されてなかったぞ。私は奇妙な文章の続きを読んだ。
《どうやら指示通り動き、うまくタバコを手に入れる事ができたようですね。少しは私の事を信用してくれたでしょうか?これからも私の言う事は信用して下さい。あなたにとって幸せが訪れます。》
「……」
 どこかで私の行動を逐一見張っているのか?それにしてはおかしい。これがメールなら分かる。しかしあくまでも私が作った『絶望』というワードファイルの中に、何故こんな書き込みができるのだ?信用の何もこんな得たいの知れない相手をどうやって信用しろと言うのだ。
 あのギリシア神話の本で『パンドラの箱』のあとに書いてあった文章もそうだ。ありえないだろう……。
 いくら考えても混乱するばかりだった。この非現実的な状況をどう捉えればいいのか。いや、すでに私はこの奇妙な文章の通り一度実践している。リアルな現実は私の手元にあるタバコだ。とりあえず続きを読んでみよう。
《今あなたは非常に混乱し疲れていますね。無理は禁物です。人生長いのですから。私の言う通りにしていれば。ゆっくり今日は休んで下さい。それだけであなたは真の自由が手に入ります。それではおやすみなさい。》
 一体この奇妙な文章を書いた主は、こちらの行動をどこで見ているのだ?室内を見回し、開いている窓を閉める。薄気味悪い。ひょっとしてこの部屋に隠しカメラでもあるというのか?いや、そこまでして私を監視する必要性など、どこにある?四十七歳無職のこんな男に……。
 もう一度文章を読み直してみた。
「……」
 温和な書き方の文章の中に一つだけ脅しとも取れるものがある。「人生長いのですから。私の言う通りにしていれば」これはどういう意味だ?まだこの文章の主は私に何かメッセージを送ってくるのか?これから休まないと何が起きるのだろう。
 何度も自殺を考えてきた私だ。何が起こっても怖くはない。そんな事はないか……。
 先ほどのドライブでガードレールにぶつかりそうになった時、私は叫び声をあげ、命が助かった事にホッとしていた。こんな惨めで卑屈な暮らしをしながらも、まだ生に執着しているのだ。
 生きていればいつかはいい事があるなんて、まだ思っているのか。逆を考えよう。死んだらどうなる?少なくともこの惨めさからは解放される。口うるさい小言をぶつけてくる母も気にならなくなるはずだ。
 そうだ。何の為に私は『絶望』を書いている。今のこの気持ちを正直に書けばいい。
「うっ……」
 いつの間にか奇妙な文章の続きが書かれていた。
《いまいち信用されていないみたいですね。気持ちは分かりますが、今はとりあえず寝て下さい。それだけで真の自由が手に入りますから。》
 こいつは、どこで私を見ているんだ?私はパソコンの電源を落とし、万年床へ横になる。布団を頭から被り、体を丸めながらガクガク震えた。

 

 

5 コードネーム殺し屋 - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

いつの間にか寝ていたようだ。時計を見るととっくに昼を過ぎていた。いつもなら母が怒鳴り込んでくるはずだが……。規則正しい生活を母は求めた。毎日カレーと...

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