岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

1 隠愛 ~いんあい~

2019年07月15日 17時38分00秒 | 食を忘れた男/北海道の雪/隠愛 ~いんあい~


隠愛 ~いんあい~


 俺は父が大嫌いだ。まだ自分が五歳の頃、母を捨て、俺を捨て、新しい女と生きる道を選んだのが最大の理由だろう。しかも父は遠くに行ったのではなく、この近辺に住んでいるらしい。そういった情報をよく知り合いから聞く。もしそれが本当なら、よくもまあそんな恥知らずな真似ができたものである。好き勝手に生きるのはいい。だが何故、俺たちのそばにいるのだ? 同じ場所で同じ空気など吸いたくもない。考えただけで憎悪が募る。
 そんな父に対し、母は何一つ言わなかった。だから母の本心は分からない。
 三十歳になった今でも、父の事を思い出すとイライラしてくる。普段なら思い出さないようにしていた。それでも色々な噂が耳に入る。
 ある日、身勝手な父と新しい女の間に、実は子供がいるらしいという噂を聞いた。その子はもう二十歳だとか……。
 そんな噂を耳にした時、その子に一度会ってみたいと思った。父側の同じ血が流れる十歳年下の妹が俺にもいる……。
 そう思うと非常に気になって仕方がなかった。だけど父の顔など見たくもないし、一切関わりを持ちたくない。そんな複雑な気分のまま、時間だけが過ぎていった。

 日頃の鬱憤を晴らしにキャバクラへ一人で行く。
 特に指名もせず席で待機していると、店のボーイがキャバ嬢をつれてやってくる。
「お待たせしました。ミサトさんです」
「ミサトです。いらっしゃいませ」
 軽く会釈をして、俺の横に座るミサト。目鼻立ちのハッキリした美人な子だった。
「ここはよく来るの?」
「う~ん、そうでもないな。たまにって感じかな」
「そうなんだ~。あ、お客さん、名前は?」
「俺? 俺は飯田誠って言うんだ」
「へえ、じゃあマコちゃんって呼んでもいい?」
「マコちゃん? 何だかくすぐったい呼ばれ方だな~」
「いいじゃん、いいじゃん。マコちゃんに決定」
「ハハハ…、ミサトって言ったっけ。今、何歳ぐらいなの?」
「二十歳!」
「二十歳か~…。じゃあ、俺とちょうど十歳違うんだね」
 若いって羨ましい。そう素直に思えた。
「…って事はマコちゃんって三十なんだ? 全然見えないなあ~」
「何歳ぐらいに見えた?」
「二十台半ばぐらいかな」
「お世辞でも嬉しいね」
「ほんとにそう見えるよ」
「ハハ、ありがとう」
 何でもない会話が、何故かとても楽しく感じる。俺の隣にいるミサトの横顔を眺めながら、不思議と名も顔も知らない妹の存在を思い出していた。向こうは俺という存在を知っているのだろうか? そんな事を考えても答えなど出ないのは分かっている。それでも俺は考えてしまう。
「あれ、どうしたの? 難しい顔して黙っちゃって」
「ん、いや、そんな事ないよ。俺、一人っ子だったから、妹がいたらこんな感じなのかなって思ってただけ」
「妹か~。じゃあマコちゃんは私にとってお兄ちゃんだね」
 兄という響きが不思議と心地良かった。正直言って、ミサトはかなり俺のタイプである。しかしそう言った感情を抑え、良き兄としてこの子に接するのも悪くない。
「兄貴か……」
「ねえねえ、良かったら携帯番号教えてよ。今度一緒にご飯食べに行こうよ」
 この子の笑顔は荒んだ俺の心を癒してくれる。
「ああ、いいよ。俺もミサトとはゆっくりプライベートで話をしてみたい」
 ミサトと初対面はこんな感じだった。



 それからお互いの都合が合えば、俺とミサトは一緒に食事に行くようになり、何でも話せる間柄になっていく。
 そんなミサトに俺は、まだ見ぬ妹の存在を勝手に重ねて合わせていった。
 普段ポケーっとしたミサトだが、なかなか芯はしっかりしている子でもある。以前、俺が競馬にはまっている時、ミサトから金を遣い過ぎだと注意された。
「マコちゃんはいつも大金を突っ込み過ぎなんだよ。ちょっとだけにしとけばいいのに。この間もひとレースで十万賭けたんでしょ? もったいないよ~」
 俺にとってギャンブルとは刺激である。遊ぶ程度の金額で競馬をするぐらいならやらないほうがいい。
「スリルを感じるっていうのが大事なんだよ」
「当たるのは同じなんだからさ。だったら一回に遣う金額を決めてやればいいじゃん」
「いくらぐらい?」
「一回で千円とか」
「そんなんじゃやらないほうがいいよ」
「じゃあやめたほうがいいよ、ギャンブルなんてさ」
「ミサトはギャンブル嫌いなの?」
 俺が聞くと、ミサトは沈んだ表情になった。
「ん、どうかしたのかい?」
「うちね、お母さんと私二人だけの母子家庭なんだ」
「お父さんは?」
「大のギャンブル狂で、いっぱい借金作っちゃって、どこかに行っちゃったんだ」
「そっか……」
 ミサトにとって俺の競馬話は、過去の傷を思い出す嫌な話だったに違いない。
「ごめんね、暗い話になっちゃって……」
 似たような境遇。俺も彼女へ自分の事を話してもいいかと感じた。
「そんな事ないって。実は俺もミサトと同じような境遇なんだ。こっちは女を作って出て行ったって違いはあるけどね」
「そうなんだ。マコちゃんも大変だったんだね」
「それでその馬鹿親父と新しい女の間に、子供がいるって噂を聞いてね」
「へえ、そうなんだ」
「その子は女の子で、俺は一度も会った事ないし、名前すら知らないけどね」
「うん」
「もし噂が本当なら、ミサトと同じ年なんだ」
「私と同じ年か~」
「だから余計、ミサトを重ね合わせてしまってね。もし妹がいたら、こんな感じで可愛がっていただろうなって」
「だから私の事を妹みたいなもんだって、いつも言うんだね」
 俺の瞳を覗き込むようにして話してくるミサト。一瞬ドキッとした。俺は、ミサトを一人の女としても意識している……。
「なあ、ミサト。俺さ、競馬やめてみようかな」
「どうしたの、急に?」
「いい機会かなと思ってさ」
「そんな無理しなくても……」
「別に無理している訳じゃないよ。考えてみりゃあさ、競馬なんかしなければ、ミサトと食事する時、もっとうまいもんを食わせてやれるかなって」
「本当? じゃあ競馬はやめましょう」
 この子のこの笑顔が溜まらなく好きだった。
「現金な奴だな、まったく」
「へへへ、約束ね」
「じゃあ、とりあえず期限を決めよう」
「期限?」
「これから競馬は春のG1が始まる。もし、その誘惑に俺が打ち勝ったら、競馬をやらないって事ね」
「うん」
「要は七月まで俺が競馬をしなかったら、俺の勝ち。しちゃったらミサトの勝ち」
「勝ったらどうするの?」
「ミサトが勝ったら、何だって欲しいもの買ってやるよ」
「ほんと! じゃあ全自動洗濯機が欲しい」
「いくらぐらいするんだ?」
「十万!」
 しっかりしているというか、家庭的というか……。
「いいよ。俺が競馬をやったらな。その代わりもし俺が我慢してやらなかったら、ミサト、おまえは汚い散らかった俺の部屋を掃除するんだからな」
「いいよ、そのぐらい」
「じゃあ約束な」
 ミサトと一緒にいるのがとても楽しかった。

 ある日、会社の同僚が興奮しながら今週末のレースについて語ってきた。
「飯田さん、明日のレース、クレイジーダークネスとオクシリクレッシェンドで鉄板でしょ! 他の馬じゃ話になりませんよ」
「やめてくれよ、そういう話は。俺、今、競馬やめてんだから……」
 こいつは俺にとって、クソにたかる蝿のようなもんだ。
「一体どうしちゃったんですか、飯田さん。らしくないですよ。前はいつも競馬新聞持ちながら、興奮してたのになあ」
「約束してんだよ、競馬をやらないって」
「誰とです? 彼女?」
「う~ん、まあ妹っていうか……」
「え、飯田さんに妹なんていたんですか?」
「いや、いないけど……」
「じゃあ何なんですか?」
「いいじゃねえか、どうだって」
 俺は煙たがると、同僚はひと呼吸置いてから話題を変えてくる。
「そんな事より、クレイジーダークネスとオクシリクレッシェンドですよ。こんな鉄板レース、なかなかないですよ?」
 同僚の言葉が、悪魔の甘い囁きに聞こえた。以前なら迷いなく手持ちの金をすべてその一点に賭けていただろう。
「何倍なんだ?」
 つい聞いてしまう俺。本当に意思が弱い。
「予想オッズでは三点七倍ですね」
「十万突っ込めば、三十七万か……」
「そうですよ。鉄板レース!」
 頭の中で馬の走る蹄の音が聞こえてくる。確かにこんな機会を逃すのは惜しい。しかし、俺はミサトと競馬をやらないと約束しているのだ。
「飯田さん、一緒にロマンを追い駆けましょうよ」
「ちょっと待て。今、色々考え事をしてるんだ」
 もし競馬をやったら、ミサトに全自動洗濯機を買わなきゃいけない。あいつが喜ぶなら買うのは構わないが、十万の洗濯機は厳しい。それならその分競馬に突っ込みたい。非常にタイミングというか時期が悪いのである。
 今、突っ込める最大の金額を考えると十七万が限界。ミサトに洗濯機を買うと、七万しか競馬に突っ込めない計算になってしまう。それではスリルが足りなさ過ぎる……。
「明日までに考えておく……」
 俺の頭の中は、競馬の事でいっぱいになっていた。

 俺は仕事を終えると近くの電化製品店に寄り、洗濯機コーナーを見てみた。贅沢さえしなければ、五万ぐらいの洗濯機でもある事はある。五万の洗濯機なら、十二万を競馬に突っ込む事ができるのだ。これなら興奮を味わいつつ、ミサトの希望も叶えられる。
 ミサトに電話をしてみた。うまく彼女を説得できれば、今週のレースのあとで俺はウハウハ状態になれるのだ。
「もしもし~、どうしたの?」
「あ、ミサトさ。ちょっと相談が……」
「何々?」
「実はさ、今週の競馬でガチガチの鉄板レースがあるんだよ。そこでさ、相談なんだけど、約束は俺の負けになるでしょ? たださ、十万の洗濯機を買っちゃうとね、レースにドカンってぶち込めないんだよ。だから、五万の洗濯機なら買ってやるから、それで手を打たないか?」
 我ながら簡潔にうまく説明できたと思う。ミサトも「うん」と言うしかないだろう。
「あのね、私とマコちゃんは約束したでしょ?」
「ああ」
「競馬をやらなかったら、私がマコちゃんの部屋のお掃除。やったら十万の全自動洗濯機って」
 いつもよりミサトの声は厳しかった。
「まあ、そうなんだけどさ……」
「だから五万のならとかそういうんじゃなくて、もしやるんなら私は十万の洗濯機を買ってもらう。ここで我慢するなら、頑張ってお掃除をする」
 彼女の心の叫びのように聞こえた。
「ミサト……」
「だから五万の洗濯機ならいいかとか、そういう言い方をしてほしくない」
 俺は何に血迷っていたんだろう。ミサトの気持ちも考えず、そこまで競馬をしなきゃいけない理由なんてない。ミサトを傷つけたくないという思いが頭に響く。
「ごめん……。俺、どうかしてたよ。約束したんだもんな、ミサトと。今回はやらないで我慢してみる。忙しいのにつまらない電話しちゃってごめんな」
「まったくマコちゃんは……」
「またうまいもの食べに行こう。じゃあね」
 同僚のつまらない誘惑に乗り掛けた自分を恨む。駅に着くと、俺はカバンの中に入れていた競馬新聞を取り出しビリビリに破り捨てた。とてもスッキリした。でも俺は、ミサトの心を傷つけてしまったのかな……。
 ちょっとした自己嫌悪を覚えながら、電車に揺られて帰った。

 地元の駅に到着すると、俺はミサトへまた電話をしてみた。埋め合わせという訳ではないが、直接会って謝っておきたかったのだ。ミサトを食事に誘うと、「すぐ支度するね」と元気な返事が返ってくる。案外、こっちが思っているほど気にしていないのかもしれない。
 デパートのレストラン街を歩き、一緒にピザを食べる。タイミングを見て、俺は口を開いた。
「ミサト、今日はごめんな」
「うん、何が?」
「いや、競馬の件でさ……」
「だってやらなかったんでしょ?」
「まあ……」
「じゃあ、それでいいじゃん。そんな事より早く食べなよ。ピザ、冷めちゃうよ」
 いつも元気なミサト。見ているだけでこちらまで元気が伝染してくるようだった。
「あ、ああ……」
 ギャンブル狂でミサトを捨てて出て行ったミサトの父。俺まで彼女を傷つけてどうするんだ……。
 明るく笑顔の可愛いミサト。その根底に根付く芯の強さ。今回それで、俺は少し救われたような気がした。
「ここのピザ、初めて食べたけどおいしいね」
「そうだな」
「あ、マコちゃん、タバスコが口についてるよ」
 そう言ってミサトはナプキンで俺の口を拭いてくる。彼女にしてみれば自然体な行為。周りから見れば、カップルにしか見えないだろう。
 では、俺は……?
 俺はどういうつもりで、ミサトに接しているのだろうか?
 恋愛感情とはまた違った、言葉ではうまく言い表せない不思議な感情を抱く俺。妹みたいに可愛がってはいる。しかし、血が繋がっている訳でもないのだ。ミサトはどういうつもりで俺に接しているのだろう。
 ピザ屋を出てエスカレーターで下っていくと、ミサトが楽器を見たいというので寄ってみる。
 ミサトはピアノを見ながら椅子に腰掛け、「ちょっと聴いてくれるかな?」といきなり鍵盤を叩き出した。
「……!」
 こいつ、こんな華麗にピアノが弾けたのかと思うぐらい見事な演奏をした。俺はビックリして呆然と演奏を眺めている。
「うちのお母さんがね、昔、ピアノの先生やってたんだ。私も小さい頃、強引にやらされていたの。これはその時の名残」
 振り返りながらミサトはニッコリ微笑んだ。
「いきなり弾くからビックリしたよ。ミサト、おまえすごいなあ。何でまたキャバ嬢なんてやってんだよ」
「早く家を出て一人暮らしをしたかったんだ」
「何で?」
「お父さんが出て行ってから、お母さんは知らない男の人を家に入れるようになって……」
 ミサトの顔が暗くなっていく。彼女の暗い過去を俺はほじくり返してしまったようだ。
「……。別に思い出したくないなら、無理して言わなくてもいいんだぞ」
「とりあえずここ、出ようか」
「ああ……」
 俺たちは無言のままデパートを出て、ひと気のいない公園に向かった。

 お互いブランコに座ったまま、しばらく星を見ている。俺から何て声を掛けていいか分からない。ミサトも黙ったままだった。
 ブランコを漕ぐ「キィ…コゥ……」という音だけが聞こえ、俺は黙ったままミサトの横顔を見ていた。
「話すと長くなっちゃうし、面白くないよ。それでも聞いてくれる?」
 正面を向いたまま真面目な顔で話すミサト。俺は、「ああ」と短い返事だけした。
「籍をちゃんと入れた訳じゃないんだけど、さっき言った知らない男の人は、いつの間にか当たり前のように家の中にいるようになったの。私を見かけると、笑顔で何か話し掛けてきたけど、私、無視しちゃって…。高校二年生の時だったかな。でも、いつも親切にしてくれるから徐々にだけど、私もその人に慣れていったの……」
 何故、ミサトが未だに『男の人』という言い方をしているのか。そこに疑問を感じたが、黙って聞く事にした。
「一年ぐらい経って、私が高校三年生になった時、お母さんとその人と私の三人で旅行に行ったの。で、その時のお母さんの嬉しそうな表情見てたら、ああ、お母さんはこの人と一緒にいると幸せで楽しいんだなって思ったの。私もこの人を新しいお父さんなんだって思うようにしないといけないなってね。夏休みに入った時、また三人で旅行に行ってね。初めて『お父さん』って呼んでみたんだ。そしたらすごい嬉しそうな表情で、頭を撫でてくれたの。あの時はくすぐったいような感覚だったけど、嬉しかった」
「へえ、良かったじゃないか」
 俺が明るく言うと、急にミサトの表情が暗く沈んだように見えた。
「無事、高校を卒業してお母さんが出掛けていた時なんだけど……」
「うん」
「部屋で着替えている時、背後に気配を感じたの。振り向こうとしたら、後ろから抱きつかれて倒されたのね……」
「……」
 その先を聞かなくても、ある程度の予想はついた。
「そしたら……。そしたらね……」
 ミサトはブランコの鎖を両手で持ったまま、大粒の涙をこぼしていた。俺はミサトの目の前に立ち、自然と抱き締めていた。
「もういい…。そんな事、言わなくていいよ。早く忘れちまえ」
 ミサトは俺の胸に顔を埋めながら、大声でわんわん泣いた。

 

 

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