korou's Column

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松浦亜弥ディスコグラフィー 60「初めて唇を重ねた夜」

2016-04-10 | 松浦亜弥

1stアルバム「ファーストkiss」収録の曲。

アルバムの発売日は2002年1月1日。

その後、2006年の「Naked Songs」にも

DVD映像として収録された。

作詞・作曲はつんく、編曲は渡部チェル

 

初めてこの曲の存在を意識したのは

この1stアルバムを入手して

最初から最後まで通して聴いたときだった。

軽快なシティポップが続いた後

アルバムの最後にこの曲が流れた瞬間

なんだこれは、と失望感が強まった。

この見事な出来栄えのデビューアルバムで

この曲だけが失敗作ではないかと思ってしまった。

テイストが他の曲と全然異なり

ベタな歌謡曲のように聴こえた。

アイドルの1stアルバムにはふさわしくない曲調に思えた。

 

ところが

”Aya the Witch”ツアーのライブ映像を何度も見ているうちに

ふと、この曲が歌われているのに気づき

しかも、それが不思議なほど心を打つ名唱なので

そこから、この曲への印象は一変していった。

 

ファンになったばかりの頃にはよくあることなのかもしれない。

つまり、それまで何度も聴いていた曲なのに

特に気にすることもなく

むしろ、あまりよく分からない曲として敬遠気味だったはずが

ある日突然、これはあのアルバムの中のあの曲なんだと

気づく瞬間が訪れるというパターン。

さらに、アルバムの歌唱とは違う魅力を発見し

そうなると、それまでとは真逆に

その曲のことが気になってしまうという流れ。

自分にとって、この曲はまさにそういうパターンの典型例である。

”Aya the Witch”の映像は何度も観ていたはずなのに

ある日突然、「初めて唇を重ねた夜」が

脳裡に焼き付いて離れなくなった。

 

今回、この記事を書くにあたって

この曲の魅力をどうにかして言葉で表現しようと思ったのだが

これが結構難しいのである。

過去の同じようなテイストの歌謡曲を引用して説明しようとしても

どこか違うのである。

ベタなメロディ、歌詞が昭和歌謡曲風テイストという表現になりがちだが

実際のところ、そういうのとも微妙に違う。

一体、何なのだろうか?この曲は。

 

というわけで

youtubeで確認できる映像のなかから

代表的なものを3つ、取り上げることにする。

 

(アルバム「ファーストkiss」から)

https://www.youtube.com/watch?v=FjWtvnO77JA&nohtml5=False

爽やかなメロディというのには程遠い、何とも重たい感じの曲調で

さらにベタな内容の歌詞がてんこ盛りだというのに

15才の”あやや”が

何の危うさもなく歌い切っていることに

まず感動する。

一体この安定感はどこから来るのか?

まさに「楷書」の歌いっぷりではないか!

声を出す、まさにその瞬間

実はいろいろな声の出し方があって

”あやや”はそれらをつんく♂からの指示で知ったに違いない。

(このあたりは「ASAYAN」で最も面白い場面だった。

 もっとも、「ASAYAN」の場合は

 モー娘。への声出しパターンの指示であって

 ”あやや”にはどういう指示だったかは分からない)

そして、出した声をどう終わらせるか、それもいろいろなやり方があって

これもつんく♂に、いろいろと教えてもらったに違いない。

”あやや”は、徐々にそういうテクニックを身に付けていったわけだが

少なくとも、この曲に関しては

念入りにレコーディングした結果

15才のあややとしては最大限のテクニックを駆使した形跡が感じられて

興味深い。

注意深く声を出し入れして

それらはあくまでもつんく♂からの指示を忠実に守っただけの

形式的なものに過ぎないのだが

たとえ形式であれ、ここまで完成度の高い形になれば

その「形」自体が、曲の「内容」を伝えてくるという奇跡を生む。

クラシック音楽ではよくある話だが

それを15才の”あやや”が成し遂げているのだ。

感動せざるを得ない。

 

初めて唇を重ねた夜 松浦亜弥 「Naked Songs」より

これは、今のところ、youtube上では

この映像だけで聴くことのできるスローテンポバージョンになっている。

まるで丸山圭子「どうぞこのまま」を連想させるしっとりとした感じで

なかなかのアレンジではないかと思うのだが

この曲から感じることのできる魅力の何かが

失われたようにも思える。

それが何なのかはいわく言い難いのだが。

 

それと同時に

(これは「Naked Songs」のDVD映像に共通することだが)

亜弥さんの歌う姿に集中力がないような印象を受ける。

歌い方そのものは以前より確実に進化しているのだが

スタジオでの映像ということもあって

ライブのときのようなひたむきさが感じられない。

アレンジをガラッと変えたこの曲では

その中途半端さが勿体ないと思う。

 

松浦亜弥 - 初めて唇を重ねた夜(Aya the Witch)

そして、この完璧なパフォーマンスに到達!

何という見事な歌いっぷりだろう。

松浦亜弥は、この歌唱で

音楽史のなかで永遠にその名前を刻んだ(と私は思う)。

歌そのもので感動するし

これだけの歌唱を知ることができたというそのことだけでも感動する。

 

亜弥さんの歌でいつも感心するのは

1番の歌詞を歌うときと

同じメロディで2番の歌詞を歌うときに

歌い方を細かく変えている点だ。

それは偶然ではなく

どの曲でも意識してそう歌っているように聴こえる。

その結果、2番のほうに

気持ちがいっそう込められているように聴こえるので

思わず感情移入していくわけだ。

普通の歌手は、同じメロディを何度歌おうと

ここまで細かい配慮はできない。

 

この歌唱では

それよりもっと深い世界に突入していく。

Cメロの1回目と2回目でまず最初の感情深化が感じられる。

そして、間奏の後に3回目のCメロが歌われ

そこで1回目とも2回目とも違う、もっと深い感情が表現されているのだ。

こうして一層深い感情の底にたどり着いたとき

この曲の持つ独特の重さと深さが

リアルに聴く者の感情に迫ってくるのである。

もはや他の歌手では味わえない

亜弥さんだけが実現できた至高の世界なのだと思う。

 

スローテンポのアレンジに挑戦しながら

あえてそれを止め、

元のアレンジに戻り、

結果、こうして深い世界まで辿り着いた、という

歌手松浦亜弥の試行錯誤にも共感を覚える。

歌を歌う、より深く歌う、ということについて

これほどわかりやすい例はないかもしれない。

アルバムの歌唱も素晴らしいけれども

それは「借り物」の素晴らしさでもあった。

”Aya the Witich”の歌唱は

亜弥さんが自分で作り上げた素晴らしさであり

まさに「本物」なのである。

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2 コメント

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Unknown (アヤまる)
2016-04-10 20:41:56
亜弥さんの歌は深いんですね。
Aya the Witchのこれは圧巻だなと思っていましたが、工夫をしながらより高みを目指して挑戦しているんですね。

それにしてもkorouさんの解釈も深い。
深海艇のパイロットがマリアナ海溝の底を探索するような趣ですね。

人魚が泳いでるのを発見したりして。
返信する
再発見の愉しみ (korou)
2016-04-10 21:19:10
自分の文章が
そんなに深い解釈を書き切れているとは
到底思えないのですが・・・

目標としては
「深海艇の深さ」というイメージの直線的な深さよりも
「日常が違って見えてくる」とでもいうべき哲学的な深さを
目指して書いています。

というわけで
せっかくのお褒めの言葉に申し訳ないのですが
私としては
深海で人魚を発見することよりも
いつも出会う人について
今まで分からなかった魅力を再発見するほうに
喜びを感じるのです。

・・・というか、私には人魚は発見できません(笑)

これからも
亜弥さんの魅力を再発見していきます(^^)
返信する

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