http://www3.plala.or.jp/shindofuji/
「身土不二」を最初に唱えたのは、明治時代の石塚左玄(陸軍薬剤)である。http://info.pref.fukui.jp/hanbai/shokuikuou/ishizuka.html
左玄は、郷に入っては郷に従えと述べて、三里四方(12キロ四方)でとれる旬の農産物を、正しく調理して食べることで、健康を保てると説いた。
左玄の訓えで開眼した故桜沢如一は、『生命現象と環境-身土不二の原則-』を著した。http://www.ci-kyokai.jp/Sakurazawa/sakurazawa_info.htm
「日本の海岸の松は黒松、信州(長野県)の山の中の松は赤松、シベリヤのは黄松です。・・・この3種の松は、同じ松でも色ばかりか形態まで違っています。 黒松は太く短く曲がりくねっているのが多く、黄松は細く長く、高くすっきりしているし、赤松はその中間です」。 そして、三つの松の色がそれぞれ違うわけを、こう説明する。「総合的に見れば、周囲の環境が相違するからで、分析的に見れば、それぞれ成分が違っているからでしょう」。
ところで、この「身土不二」の出所だが、その初出は、山下惣一著『身土不二の探求』(創森社)によれば、中国の仏教書・普度法師編『廬山蓮宗寶鑑』(1305年)である。