「食べ処・身土不二」(札幌)は、身土不二を日本と世界へ発信する。食堂ならぬ食堂、啓蒙運動の発信地。日本よ、滅びるな!

「身土不二」は、解放思想であり、危険思想でもある。

 日本から「身土不二」を発信し、日本と世界を救おう。

松の「身土不二」

2007-04-28 23:55:39 | Weblog

 http://www3.plala.or.jp/shindofuji/  

  「身土不二」を最初に唱えたのは、明治時代の石塚左玄(陸軍薬剤)である。
http://info.pref.fukui.jp/hanbai/shokuikuou/ishizuka.html

  左玄は、郷に入っては郷に従えと述べて、三里四方(12キロ四方)でとれる旬の農産物を、正しく調理して食べることで、健康を保てると説いた。

  左玄の訓えで開眼した故桜沢如一は、『生命現象と環境-身土不二の原則-』を著した。
http://www.ci-kyokai.jp/Sakurazawa/sakurazawa_info.htm

 「日本の海岸の松は黒松、信州(長野県)の山の中の松は赤松、シベリヤのは黄松です。・・・この3種の松は、同じ松でも色ばかりか形態まで違っています。 黒松は太く短く曲がりくねっているのが多く、黄松は細く長く、高くすっきりしているし、赤松はその中間です」。 そして、三つの松の色がそれぞれ違うわけを、こう説明する。「総合的に見れば、周囲の環境が相違するからで、分析的に見れば、それぞれ成分が違っているからでしょう」。 

  ところで、この「身土不二」の出所だが、その初出は、山下惣一著『身土不二の探求』創森社)によれば、中国の仏教書・普度法師編『廬山蓮宗寶鑑』(1305年)である。